火星の人類学者 脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)
- 早川書房 (2001年4月6日発売)
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感想 : 78件
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Amazon.co.jp ・本 (400ページ) / ISBN・EAN: 9784150502515
感想・レビュー・書評
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どなたかの本棚で面白そうだったので、ずっと気になっていた脳神経学者オリヴァー・サックスの一冊目はこちらに。
利き腕を怪我した場合、反対の手や足でできることが増えることがある。脳の内部でプログラムや回路が変化して、異なる行動様式を習得したのだ。
このように欠陥や障害により潜在的な力を発揮して躰が再構築されることがある。
このように、人間の脳や身体の病から別の機能が発達する症例に接して、脳の機能だとかそこから構築される人間の個性とかを感じるドキュメンタリー。
『色盲の画家』
65歳のジョナサンは交通事故の頭部損傷で目の認識が変わった。視力は鋭くなり遠くの物が認識できる。しかし色が全くわからなくなった。一時的だが文字も認識できなかった。
色や文字を知っている人が、その認識機能を失くすとどんな感覚になるのか、言葉で説明できます。「アルファベットはギリシャ語かヘブライ語に見える(一時的な障害だった)」とか「赤も黒も真っ黒に見える」とか、元の物を知っているので説明がわかりやすいですね。
そして色盲になったことは、見えない以上の影響が出る。見えるもの全てが醜く感じられ、食べ物も汚らしく思える。明るいところでは見えるものが暗いところにいくと見えなくなる。人間の色も見えないので人付き合いもしづらくなる。自分の感じていることを伝えられずもどかしさも募る。
しかし次第に機能も感覚も順応する。彼は画家なので、独自オンスタイルを持つ絵を描くようになった。(絵は冒頭に収録されている)頭部損傷後の不快感や喪失感を元に新たな感じ方をするようになった。色をなくしたために物事の形を感じるようになった。自分の感覚が研ぎ澄まされるようになった。
医学的には、脳のどこがどのように損傷したのかはわからない。それがどんな変化をもたらせたのかもわからない。それでも人間は順応してゆく。
『最後のヒッピー』
グレッグは思春期の激しい反抗から、ドラッグ、宗教に嵌まり込んだ。やがて視力の衰えや精神の静謐さを併発する。教団は宗教的な高み〜とか言っていたので治療が遅れた。どうやらグレッグは脳神経に巨大な腫瘍ができていたのだ。グレッグは盲目で記憶障害、精神障害で施設に入る。
なんといっても奇妙なのが、自分が盲目だとわかっていない!そんなことあるの!?医師が物を持って「これは何?」と聞くとグレッグは自分が見えていると思っているものを答えるので、見えていないという自己認識がない。テレビがついていれば音を聞いて画面を想像する。グレッグには視覚という認識がなくなっているのでそれが普通だと思っている
グレッグは時間が経過する認識がないので、「この次」がない。例えば両親が毎週見舞いに来るとしても「さっきまでいた。」と思って時間の感覚が持てない。次にいつ来る、も認識できない。認知症とかで「いつ食事をしたか覚えていない」ってこんな感じなのか!
昔の友達のことは覚えているが、例えば幼馴染のAさんと今眼の前にいるAさんが同一人物だと認識できずに「Aさんという名前の人が二人いる」認識。
最後は、コンサートの最中はとても楽しむのに、翌日には全て忘れているというちょっと切ない終わり方。
『トゥレット症候群の外科医』
わめいたり、痙攣したり、他人の言葉や動作を真似したり(反響)、顔をしかめたり、奇妙な行動をしたり、無意識のうちに口汚い言葉や冒涜的な言葉を吐く(汚言)トゥレット症候群。
患者自身も、意志とは違う衝動や脅迫に突き動かされるので自分とは外部の「それ」に強制されている(一種の取り憑かれた)と感じることもある。
しかしは1000人に一人の割合でいると考えられるこの症状は割と身近で、細かい作業に着いている人もいる。著者はそんななかの一人の外科医ベネット博士を密着観察する。
ベネット博士は結婚して子供もいるし、車も小型飛行機も操縦する!助手席の著者は「よそ見してる!?」と気が気でないが、ベネット博士も本当にヤッてはいけないことはわかっていてやらないようだ。そして「空は広いから多少外れたって問題ない」という広大さもなんか良いな。
外科医としての腕も確かだ。どうやら愛する外科医の仕事に没頭するときはもっと深い部分での自分自身になるので、トゥレット症候群が消えるのだそうだ。人間の意識って不思議。
症候群のために読書は難しい。音や文字やレイアウトがきになってしまう。それでも本を楽しむことができないぶん、医学部の教科書は暗記するくらいに覚えられた、という効果にもつながったみたい。そして運動しながらの勉強も別のことに集中できるので良いみたいです。
私は自分自身も何かあるよなーと思っているのですが、ここに書いてあるトゥレット症候群はちょっと心当たりあるんだよなあ。常に独り言を言ったり、一人のときに勝手に口から思わぬことが出てくることは日常です。成長して自重できるようになって人前ではまずいことは言いませんが、ぼーっとして歩いているといきなりよろしくないことを口走りそうなので、常に何かを考えて独り言をコントロールしたり、音楽を聞いて意識を自分に向けるようにしてます。
『「見えて」いても「見えない」』
3歳の発熱(ボリオ?)で躰の麻痺と盲目になったヴァージルは、50歳の時に手術により見えるようになった、はずなんだけど、本人はどうも見えていないようだ。
『色盲の画家』では「見えていた人が見えなくなったらどうなるか」でしたが、こちらは「見えるという感覚を失くしてる人が見えるようになったらどうなるか」です。
自分が見ているものが信じられない、見ているものが自分が頭で認識していたものと結び具かない、見たのもを考える頭がついていかない、録画という概念がない。
ヴァージルは、触ったり聴いたりでものを判断していたため、目が見えても自分が考えていたものとその実物が認識できずに苦労した。眼の前にあるものが人の顔だとわからず、それが動いて声が出るということがわからないとか。
実際に見える物はわかるようになっても、写真では遠近感がつかめないし輪郭もわからない。町に立つ人の写真ではどれがビルでどれが人間かわからない。
赤ちゃんの時は他の神経も発達していないから目で見たものを脳に認識する力ができてゆく。しかし見えない状態に慣れた大人が見えるようになるというのはすでにある認識を覆すのでまったく違う問題になる。
ヴァージルは、目で見て、さらに触ることによって、「見る」ことができるようになった。
しかしまたしても高熱を発して再度視力が悪くなる。このときは、目で見たものを説明はできるが、それがなにか認識できない失認症に近い症状になったみたい。
私は自分や近しい人が「手術すればまた見えるようになるよ」と言われたら手術を勧めてしまうと思いますが、自分が作り上げた認識とそれで積み立てた人生がひっくり返ると言われたら、そんなに簡単なもんじゃないんだなあ…と思いました。
『夢の風景』
生まれ育った故郷を細部にわたり描き続ける男がいる。家の石垣もあらゆる角度から実物そっくりに描くくらいの精密さ。
イタリアの村ポンティトはナチス侵攻で衰退した。フランコは少年時代を過ごした村を懐かしく思いながらも海外で暮らしていた。だが熱を出した時に夢でポンティト・ポンティト・ポンティトを見て、初めて絵筆を取ったら詳細に描けた。
それからはフランコの話はポンティト・ポンティト・ポンティト。強迫観念に取り憑かれてしまったらしい。自分でも自分が描いた絵が、写真とそっくりで驚くくらいだそうだ。
彼の場合は奥さんとか精神科医のお陰で「失われた故郷ポンティト」専門の画家としてメディアで取り上げられたり個展を開くようになれた。
しかしフランコはポンティトには行こうとしなかった。「ポンティトの思い出が終わってしまう」ことを感じていた。
そんなフランコもポンティトに訪れることになった。頭にどの角度からもはっきり映る夢のポンティトと、現在のポンティトの違いに混乱する。
しかしその混乱も受け入れられるようになった。著者によると、ポンティト訪問前は「人の気配を感じない終末後の雰囲気」だったようだが、訪問して混乱が収まった後は「人はいないがちょっと出かけてる感じ」になったんだそうだ。
この章では「記憶」についてだが、一般的に考えられる「記憶とは積み重なり」というものに疑問も湧いてくる。記憶は変化する。それなら「記憶」というものはなくて「思い出す」という動作があるだけだ。記憶には、見直されて新しく思い出されるものもあれば、いつまでもそのままの形で存在するものもある。
『神童たち』
前の章と同じように、詳細な絵を描く話。自閉症の中でもサヴァン症候群と言われるのかな。
知的障害の少年スティーブンは、風景をちょっと見たらその光景を記憶して絵を描くことができる。でも実際のものとところどころ違うところがある。どうやら本人なりに「ここにはあれがあったほうがいい」とか「あの時見た形に、違う時に見た色」を組み合わせるなどしているみたい。どうやら、見たものを覚えるが記憶は連続しない。
その絵は芸術と評価もされるが、著者は「確かに個性はあるけれど、見て覚えたものそのままを描いたら創作といえるのか?」と考えてゆく。
見て覚える能力が優れているので、物真似も上手い。ゲームとしてスティーブンが先生、著者が生徒になったときには、著者の特徴が模倣されていて著者を「甘く見てはいけない」と事故を戒めることになるんだって。また、絵を見たらその画家のタッチを真似することもできる。
著者は「彼らが人の真似をするのは、自己というものを認識できないので、他者を取り入れて個を知りたいからなのか?」と推測しています。しかしその記憶、真似が、世界を表現して探索するというとになっている。
『火星の人類学者』
自閉症全般のことと、自閉症本人から話を聞く。
1940年代に発表された研究ではレオ・カナーは「改善の見込みのない悲惨な状態」として、ハンス・アスペルガーは「きわめて独特な思考や経験は、いつか例外的な業績に繋がるかも知れない」としている。(自閉症という症例自体が、彼らが研究対象にしたよりももっと広範囲ではあるのだが)このころは「先天的なもの」と、「冷たい母親が要因な後天的なもの」という研究の両立だった(うちの子供の一人が「児童精神科診断のグレー」ですが、カウンセラーさんや周りの方々から「母親が悪い」はしょっちゅう言われたわ…(;_;) わたしの母親もなかなか特異なので、私自身も何かあるだろうなあと思ってる)
その後も自閉症の生物学的要素が研究されている。
著者は、重度の自閉症だが現在は食肉の動物行動研究をしているテンプル・グランディンから話を聞く。彼女は「自閉症に生まれて」をテーマの自伝も出している。
自閉症本人が語るので、自分では何を考えているのか、どうしてそうするのかが分かりやすいんですよね。
そして経験豊かな脳神経医師である著者自身も、このような多方面に渡る自閉症の人たちに面会してもまだまだ驚かされることばかり。
表題の意味はテンプルが「自分には人間同士の微妙な感情を読み取るコミュニケーションができない。まるで火星人を研究する人類学者のよう」と言ったことから。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
少々長いなと思うようなところもあったが、まあ結論言いますと、みんな違ってみんないい、十人十色、につきますな。画家が色盲になってからの過程から、どんな悲劇、驚くようなことがあっても、物事をどう捉えるかによって世界は大きく変わるんだなと、深く再認識。単純なことだけどそれがなかなかできないんだよね。でも少し、変えてみただけで、マイナスで暗い世界が少しずつ明るくなっていく、素晴らしい。自分の短所と言われる部分がきっと武器になるんだろうなと、願いたい。
以下抜粋
さまざまな偏りのある能力と性格をもったあなたであり、わたしである。その意味では人間は誰もが奇妙な存在だ。健康とか健常という言葉は、実はむなしいのではないか。それよりも、ひとりひとりが自分の偏りを自覚し、それを大切な自分だといとこしむこと、そして他人の偏りも含めてその人だと受け入れることの方がよほど重要なのではないか。 -
どんなテーマパークより、人間の存在のほうがはるかにワンダーでファンタスティックなのだ、ということを、サックスの本はいつも教えてくれる。<BR>
脳の損傷がもたらす信じがたい症状と、そこから生まれるさまざまな悲喜は心をひきつけてやまない。<BR>
一見SFめいたタイトルは、ある自閉症の女性が言った言葉。その意味を知ったとき、たまらなくせつなくなった。 -
原著は1995年刊。いまやメディカル・エッセイの金字塔。インパクトのある『火星の人類学者』というタイトルもいい。16ページのカラー口絵も彩りを添える。
大脳性色盲、トゥーレット症候群、側頭葉癲癇、開眼手術、サヴァン症候群、高機能自閉症など、オリヴァー・サックスが出会った7つの驚くようなclinical casesを鮮やかに描き出す。
最終章ではあのテンプル・グランディンを訪問する。自身の自閉症を説明するのに「火星の人類学者」というメタファーを用いたのは彼女だった。訪問の終わり、空港まで送ってもらい、別れ際に、許しをもらって彼女とハグする。なんという温かな終わり方か。 -
きっかけは、Jordan Petersonのおすすめ書籍の中にあるのを見つけたこと。
何かを知るためには、境界領域にあるものを詳しく調べるのが効果的、というようなことを考えた。脳になんらかの障害のある人々のことを知ることは、人間を知ることにつながる。
自分とすごく異なると感じる人達もいるがー全色盲、健忘症、自分と変わらないのではないかと感じる人たちもいるートゥレット症候群のお医者さん、自閉症の動物学者の教授。
自分はサイコパスなのではないか、と思う瞬間はよくある。多分、病気と健全の間は想像するよりずっと近いし、はっきりと線が引かれているわけではないと言うことだと思う。
一章読むごとに、何か心にズンとくるような感覚がある、いい本だった。読んでよかった。 -
オリバー・サックスのこれまでの著書の中で最も素晴らしかった。世の中には「杉山なお(著) / 精神病棟ゆるふわ観察日記」のような心療内科患者・生理学的障害を持つ患者を動物園のように「観察」する書籍もあれば、この著者のように限界まで「一人一人としての人間」を理解しようと試みる本気が伝わってくる著書もあるのですね。やはり一番印象的だったのは映画にも成った表題「火星の人類学者 テンプル・グランディン」さんのお話でしょう。日本人なら誰もが「村田沙耶香 / コンビニ人間」「同 / 地球星人」を連想したのではないでしょうか。後者は正に「私達は地球星人ではなかったのだ」という視点で書かれています。本書は一冊通してあまりにも考えさせられる事が多く、感想が一言でまとめられません。
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この本に登場する人たちは、周囲と違うことで孤独を得たけど、その孤独は想像したこともないような、あざやかな世界を見せてくれるんだ、と思った。
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"トゥレット症候群の外科医、色彩を失った画家、自閉症サヴァン症候群の驚くべき能力や自閉症でありながら動物学の博士号を持つ人など、様々な脳障害を抱えた患者とを脳神経科医のオリヴァー・サックスさんが暖かい語り口で観察し、感じたことを教えてくれる。
最初にカラーページがあり、色彩を交通事故で失った画家の絵だったり、サヴァンの子供が書いた絵などが掲載されている。いずれも素晴らしい才能の持ち主だということがわかる。
トゥレット症候群の方の症状は、本書で学んだ。確かに日本にも時々奇声を発する人が電車に乗ってくることがある。たいていは見て見ぬふりをしてしまう。トゥレット症候群の人は、近くにあるものを触らずにはいられなくなったり、ある数字に執拗にこだわったり、左右対称でないと何もできなくなったり、いろいろな症状がある。本を読むときにも左右対称でなければ気になるし、ある数字例えば4と7なら、読書中に登場したらそこで目がとまり、何度も何度も読み返す羽目になるらしい。そんな癖がありながら博士号取得するのは、並外れた集中力や自分の障害と冷静に向き合える胆力があったのだろう。
まさに想像を絶するパワーだ。
人間は100人いれば、全員100の秀でた能力を持ち、やりたいことを実現する力を持っていることに改めて気が付く。ほかの人の眼を気にすることや、自分の能力を過小評価することは、とてももったいないこと。この本には不思議な力を貰った気がする。" -
「図書館には不死が存在すると読んだことがあります。
わたしが死んだらわたしの考えも消えてしまうと思いたくない。
権力や大金には興味がありません。
なにかを残したいのです。
自分の人生に意味があったと納得したい。
今、わたしは自分の存在の根本的なことをお話しているのです。」 -
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病気を患っていても、悲観せずにむしろそこを生かすような人生を送っていてかっこいい。自分を真っ当から肯定する姿勢はすごいと思う。
"生まれながらの盲人が、手で立方体と球体を識別することを学んだとする。その人が視力を取り戻して、触らずにどちらかを識別することは可能だろうか"
色失った芸術家
記憶を保持できないグレッグ
トゥレット症候群の外科医
触覚で生きる人々
当たり前の五感がない世界はどう見えるのだろうか。 -
とりわけ印象に残ったのは『最後のヒッピー』。
人生最高の1日を翌朝には忘れてしまうことについてしばらく考えてしまった。 -
ヒトのふりをするのは疲れたと最近思う。過去には火星の人類学者テンプル氏のライブラリ構築のようなことをしたことがある。(あそこまで大規模なわけでも、圧倒的な記憶力を持つわけでもないが)。ヒト擬態をエコモードに移行させたら、当然のように反感を買った。心が全く理解できないわけではないから火星とまではいかないが、北極くらいの立ち位置にいるような気がする。「感情に支配されている」人間界は疲れる。どうにか疲れない方法が見つからなければ、わたしという個人はわたしになれずヒトモドキとして一生を終えるだろう。見つかれば、本書のような「個人」として人生を送れるかもしれない。
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26年も前なので、古さを感じる部分はある。
それを差し引いても、一般読者に”当事者の世界”を触れさせる良書なので星5つとした。
原著”An antholopulogist on Mars”が出版されたのは1995年、日本語版出版は1997年。
現時点(2021年)からみれば26年間、精神医学、脳神経科学は日進月歩の進歩を遂げてきた。現代の最新知見を持つ読者からみれば、
「四半世紀前はこんなものだったのか」
と、落胆や不満も持つ内容である。
とりわけ、当時よりははっきりしてきた発達障害への理解を踏まえると、
「抱きしめが大事とかいう理論はお前のせいかぁあああ!」
と、どなりたくなるようなエピソードもある。それがタイトルにもなった『火星の人類学者』である。
著者および協力した人々の名誉のために付け加えるなら、『抱きしめが大事』は「ひとつのアプローチ」として提言されているものの、提言した当事者でさえ「それが万能」とは考えていない。
しかし、親というものは、不安を抱きがちな生き物だ。
「子供が障害になるのは、自分たちの育て方のせいでは?」
と、藁にも縋る思いの人々を餌にする、偽科学が悪い。また、そういうのに公共サービスの保健師や助産師がはまるのも悪い。彼らには適切な医学知識と、職業倫理が欠けている。
評者はとりわけ、『色覚異常の画家』のエピソードに感銘を受けた。自分でもイラストをものするので、色の感触が消えうせ、微妙な階調が見分けられなくなったらと思うと……正直、ぞっとする。
だが、エピソードで紹介された画家は、確かに悲嘆し、非常な苦しみを受け、時間をかけながら、それでも新たな視覚と付き合っていくことを学んだ。
これをコーンの分類「障害受容のプロセス」でいう
『ショック→回復への期待→悲嘆→防衛→適応』
といった一般化・抽象化した言葉で表現すると、大事なものが欠けてしまうだろう。大事なもの、それは『当事者の感情、経験』とでもいうべき、何かである。
そして、自閉症には顕著だが、「余人には、全く存在ないように見える」感情や経験の内面化も、本書収録のエピソード『神童たち』からは感じられるのである。
たとえ、筆者オリヴァー・サックスおよび定型発達で健常者諸君の世界からは、『不足』『不十分』『未満』であろうとも、だ。
評者自身も、ASD的な側面をいくばくか持っているため、「火星の人類学者のような」気分はよく理解できる。人数が逆転していれば、定型発達で健常者諸君こそ
「観察と治療と適応学習を促すべき世界」
の住人だという思いを新たにした。
この視点の有無は、ともすれば「まず、憐みありき」で人権を口にする人々への、よき試金石となろう。
たんなる医学的のぞき趣味ではなく、自分自身に引き付けて読んでみることをお勧めしたい。 -
火星の人類学者のようだ。そこの住民を調査して、理解しようという感じです。
この本で書かれている自閉症患者とまではいかないが、角を三辺ほど削ると私ができあがるような気がする。「自閉症」ではないが「自閉症的性格」なのか? -
【由来】
・図書館のマイライブラリの「テーマ一覧」の「変化する知と図書館」で。
【期待したもの】
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【要約】
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【ノート】
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火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)
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図書館で。
読み切れなかったんだけど、ロボトミー手術を考案した方がノーベル賞を取ったというのはびっくりだ。知らないって怖い。未来の人からしたら今の医療も原始的な野蛮な治療なんて思われたりするんだろうか。
物が全て灰色に見えてしまう男性の話で、火の鳥を思いだしました。事故で有機物が無機物に、無機物が生命体に見える話。火の鳥ってとんがった話が多かったんだなぁと今更ながらに思いました。
オリバー・サックスの作品
