子供たちは森に消えた (ハヤカワ文庫 NF 344)

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150503444

感想・レビュー・書評

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  • ソヴィエト連邦体制崩壊直前の1982~1990年にロストフ州を中心に発生した連続殺人事件を扱ったノンフィクションです。筆者が小説も執筆しているせいか、ミステリー小説の雰囲気も感じさせる描写もふんだんに盛り込まれており、事実でありながら推理小説のように読むことができます。

    主役にあたるのは犯罪研究所から事件の捜査官として抜擢されたヴィクトル・ブラコフ。中盤までは彼を中心に、一部は黒海にも面するソ連のロストフ州をはじめとした各地で発生した、女性や少年が残酷な手口で殺害される連続殺人事件の犯人を追います。登場人物が多く、このあたりは推理小説と同様に本書冒頭にある「事件に関連した人々」を確認しながら読み進めることをお勧めします。地理的な情報についてはそこまで注意を払う必要はありません。終盤は8年以上の歳月を費やして捕らえた真犯人が、どのような経緯で残虐な数多くの殺人に手を染めたかが精神科医などの手によって明らかにされます。

    このミステリー仕立てのノンフィクションの特色はある意味「失敗した捜査の記録」であることでしょう。これがミステリー小説であれば同じ犯人であっても、ここまでの犠牲者を出さずに優秀な探偵や刑事の推理や捜査によって鮮やかに解決していたかもしれません。現実に起こったこの事件は、数多くの捜査員のミス、鑑定作業、民衆の民警(警察)への反感、そして事なかれ主義をはじめとするソ連体制の問題点が犯人の追跡を困難にし、捜査員たちは次々と増える被害者たちを見過ごすしつづけ、ブラコフも精神的に追い詰められます。そこには当時のソ連の社会情勢も色濃く影響しています。

    凶悪なこの事件を起こした犯人の動機は精神鑑定を通して、大量殺人を行うだけの理由が判明します。そこには生い立ちをはじめ、スターリンの政策、ナチスとの戦争といった歴史的背景も影を落とし、精神的・肉体的な疾患を負わされた犯人の暗い生涯が解き明かされます。筆者はアメリカであれば精神異常と判定されていたであろうこの事件の結末については批判的な目を向けます。

    ※こちらの事件自体をご存じない方は、犯人がわかる箇所までは検索などによるネタバレに注意したうえでお読みになることをお勧めします。

  • ロシアの殺人鬼、アンドレイ・チカチーロが逮捕されるまでのノンフィクション。
    色々な意味で凄まじい……。

  • 2021/12/18購入

  • 著者はニューズウィークのモスクワ特派員ロバート・カレン。訳広瀬順弘、09年ハヤカワノンフィクション文庫。原著は93年刊。
    1982年ロシア南部ロストフ州にて8年間に53人を殺したアンドレイ・チカチーロの連続殺人事件捜査に取材したもの。
    チカチーロの事件もさることながら、その背景となった当時のソ連を描いた部分を興味深く読んだ。
    まずチカチーロ事件の概略をかいておくと。殺害方法としては、駅の待合所で少女少年につぎつぎと話しかけ、森に誘い出して殺した。大半は路上売春に従事する娘で、何人かまじっている少年らはビデオテープや切手につられて連れ出されている。少年を殺す際には、幼い頃に読んだ反ナチパルチザンもの(愛読書は「若き親衛隊」)になりきって縄で縛って痛めつけることで興奮していたようだ。最初の殺人の時スカーフで目隠しして殺したのがきっかけになったのか、その後殺された子供たちはのきなみ眼をえぐられ、数十か所めった刺しにされ、性器をえぐられた死体として発見される。チカチーロは行為におよぼうとしたがうまくいかず嘲られるとかっとなって殺した。
    生育環境が及ぼした影響も確実にありそうなので、メモしておくと。彼が生まれたのは36年ウクライナのスムスカヤ州。スターリンによって二度目の大虐殺が行われ、400万―1000万ともいわれる餓死者をだした頃のこと。チカチーロも自分がうまれるまえにいた兄が飢えで死んだ際家族に食べられてしまった、という逸話を聞いている。父はナチの捕虜となって戦後帰還したがそれゆえ周囲から非難された。チカチーロは集団農場で働く母に育てられ、幼いころから夜尿症(および早漏)で母の叱責や学校のいじめで自尊心を傷つけられ、猛勉強した末田舎の秀才として知られるようになるが、モスクワ大学法学部に落ちて、技師となる。家を出て妹と一時同棲したのち、ボロ屋を借りてそこに女性二人を連れ込んで性欲処理をさせていた(ふたり(とその娘)はのち森で殺される)。見合い同然の結婚で子供をもうけるが性交渉はほとんどしなかった。教師として働いた職場で女生徒に手を出して辞職させられ、営業の仕事につくが横領で再び辞職させられる(解雇は手続きが面倒なため辞職をうながす)。大学で文学士の学位をとり、共産党員となり、周囲にも新聞や読書にふけるまじめで物静かな人としてしられていた。最初の殺人は逮捕・自白時明らかになった78年(すでに別の容疑者が逮捕・処刑されていた)。84年に少年少女に声をかけまくっているのを見とがめられて警察の尋問、自宅捜索をうけているが、血液検査をパスして釈放されている。犯行は続き、モスクワに出張した際そこでも2人を殺害している。捜査の範囲がひろまったことで、チカチーロは小さな駅を狙い、それがあだとなって逮捕に至る。しかし犯行もずさんだが捜査もずさん。性犯罪の記録は残っていないし、血液型の特定にも曖昧なところがあるし、2度も取り逃がしているし。

    チカチーロについてはこんなとこで、ソ連の当時をうかがい知ることができる、捜査の二次被害について以下メモしておくこととする。

    事件が起こったのはロストフ州。ウクライナとアゾフ海に接する北カフカス地方。総面積10万平方キロで当時の人口は300万強。モスクワから1000キロほど南に位置する。
    州都はロストフ・ナ・ドヌで、その名の通りドン川の下流河畔の丘上の町。アゾフ海の付け根に位置し、1735年アゾフ海一帯を併合したロシア帝国によって16年かけて建設された。オスマン帝国との交易を管理する税関がたてられ、カフカスへむかう交易路として急速に発展し、1872年に北カフカス鉄道ができるとこの地方への拠点となった。20世紀にはいり革命内戦では戦地となり、のち農業機械工場が完成し発展する。二次大戦では町全体が廃墟と化し、ドイツ軍に7カ月占領される。チェーホフ、ショーロホフは同州出身。

    捜査では杜撰で無駄な方法がとられていて、真犯人にたどりつくまでの被害が多すぎる。以下には捜査の対象(被害者)となった子供、ゲイについて、そして捜査協力を依頼したふたりの人物(学者と連続殺人犯)についてメモしておく。

    17歳のカレニク少年は知能遅滞者として北部の収容施設で育ったが、技術学校で働いたのち職人として仕事をはじめても収容所の友人とつるんで遊んでいた。ある日鈍行列車の車掌室でいたずらをしているところを捕えられ、レソポロサ(森林)殺人について知っているかと警察の尋問をうけた友人が、カレニクがやったとちくった。カレニクは拘留され、自動車窃盗で再逮捕されるとそのまま5年もの間収監されることになった。そもそもカレニクは2歳の時に里親にだされて施設に入ったものの、知性はまともにあった。ところが収容施設の劣悪な環境や知能遅滞者を精神障害者とみまがう当時の社会通念から、異常性欲・快楽殺人の筆頭容疑者として疑われたというわけ。のちにはさらにカレニクを中心とした犯罪集団の存在が指摘されはじめ、黒魔術殺人(警察署に送られた手紙がもとで捜査開始)などとともにカレニクらへの捜査はチカチーロ逮捕の直前まで公然とつづけられる。のち著者のインタビューにこたえたカレニクが警察の尋問方法について語っていて、それによると警察はすでに手に入れた証拠をもとに何時間でも彼を脅し、自白を引き出そうと躍起になっていた。その方法はというと、「○○やったんじゃないか」とはきかず、その○○が容疑者の口からでてくるまで尋問を繰り返して、証拠に適合しない「間違った」答えの場合は「よく考えて話すんだな」といって尋問を延々繰り返すのだった。捜査の陣頭指揮をとったブラコフ中佐も知能遅滞者にたいして似たような考えを持っていたものの、自ら尋問をした際にカレニクがまともな受け答えができることや、事件現場を正しく導けなかった状況から疑いを持つようになり、彼への捜査からは一貫して距離を置くようになる(民警のなかに派閥ができており最期まで捜査方針が統一されることはなかったが)。
    カレニクをはじめ事件の容疑者としてしょっぴかれた知能遅滞者や犯罪歴のあるごろつきたちには、自白が強要された。これは「罪と罰」よろしく自白こそが事件の解決とみなされていたからだ。自白が得られると証拠を探すという倒錯した捜査が繰り返され、罪もない市民がやってもいない罪を次々自白することになる。ブラコフがこの自白に対し慎重でいられたのは彼の経験が役に立った。警察になる前、友人宅で飲んだ夜友人のひとりが井戸の底で死体となって発見され、一緒にいたブラコフが容疑者として3日間尋問されたことがあった。幸いブラコフは尋問した捜査官を信頼して自分のアリバイを証明できる存在を明かしたことで無実が証明され釈放された。ところがレソポロサ事件の頃には彼のように民警を信頼できるような空気は後退しており、カレニクはじめ被疑者たちは尋問する民警はおろかブラコフのことも信用しようとはしなかった。被害者遺族も誰もが捜査官から距離をとり、協力を拒んだ。それは実際に民警が腐敗していたせいでもあるし、また事件の経過を報道する機関もメディアもいなかったせいでもある。

    知能遅滞者につづくふたつめの犠牲としてゲイたちがいる。被害者のなかに少年が含まれていたせいで、ブラコフはじめ捜査は混乱し、精神科医アレクサンドル・ブハノフスキーに協力を求める。ブハノフスキーはアルメニア人の母とポーランド系ユダヤ人の父のもと44年に生まれ、戦後父はポーランド、アメリカにわたり家族を呼び寄せようとしたところで鉄のカーテンが閉まってしまった。母は再婚し一家はソヴィエト市民として生きることになる。ブハノフスキーは医大にはいりスターリン弾圧以前の20年代の医学書を読みあさり、統合失調症と性病理学を学んだ。事件当時は同性愛の研究をする学会の異端児であった。ブラコフの協力要請をうけたブハノフスキーはレポートを提出した。レポートは捜査の仮説を徹底的に批判したものだった。それによると、性的な人格障害が原因、犯人が複数いるというのはありえない、犯人はノーマルなセックスができず他人に苦痛を味わわせることによって性的満足を覚えるサディストで、強い強迫観念に悩まされている、月の満ち欠けや天候といった周期的な事象が殺人衝動の引き金になる可能性もある、また精神病を抱えているが狂人でも精神遅滞者でもなく、あらかじめ計画を練り逮捕を避けるだけの知性をそなえており、他人との付き合いもほとんど皆無だろう、としていた。実際チカチーロの特徴を言い当てている。
    もともと保守的であったロシア人の性道徳は、スターリン主義によりさらに保守化した。同性愛を禁じた法律は1918年にボルシェビキにより廃止されたが、34年には復活していた。学校は男女クラスにわけられ、性教育の授業もなかった。市民は共同住宅に住み、性行為はひとめをしのんでおこなわれた。スターリン死後、国家による統制もゆるんで50年代半ばには男女共学が復活したが、同性愛に対しての世間の態度は嫌悪と侮蔑の中間にあった。84年ブハノフスキーの弟子アンドレーエフが同性愛者を対象とする史上初の組織的な調査を開始した。それによると、ロストフ市100万の人口のうち1%が同性愛者で、それは3つのグループにわけられる。ひとつは主に芸術家で、多くは市内のオペレッタ劇場の男たちでなり、仲間内で集まって宝飾品や香水を身にまとい女装を楽しんでいた。長期間のパートナーを見つけられることも珍しくなかった。ふたつめのグループは、「ノーメンクラトゥーラ」の地位を占める高官たち。秘密を厳重に守り、体面をたもつために結婚し家庭をもつことが多く、妻や家族は同性愛であることを知らない。長期的関係をもつこともあるが、バカンスや出張でめぐりあった関係を結ぶこともある。みっつめは、低賃金で暮らしを立てるか失業状態で、体を売って生活しているものたち。調査には当事者と調査者の間で一点ずれがあり、アンドレーエフはゲイにみいだされた年少者のまだ性自認・志向がきまっていないものたちが年長のゲイたちに「徴募」される、と考えており、一方のゲイ本人たちはたしかに同性愛の初体験が10代の頃であったことは認めつつ、すでにあらかじめ決まった自身のゲイの傾向に基づいた行動だった、としている。いずれにせよ、未成年者をあいてとした同性愛行為にはより長い刑期がいいわたされることになっていた。
    この「徴募」の考えにもとづいて、ブラコフは犯人=ホモ説を念頭に捜査をはじめる。ブハノフスキーが研究材料とかんがえていた男がいて、ブラコフも彼に興味を持った。男はヴァレリー・イヴァネンコといい、同性愛行為により20年の間に6回有罪判決を受けている。英語とフランス語を話し、レニングラード演劇学校を卒業し、逮捕されるまでは教師として働いていた。逮捕後精神病を装ってブハノフスキーのもとにおくられたのち逃げ出し、ウクライナのドネツクに不法に住みつき写真屋として生計を立てていた。週に2度ロストフの母を介護するため列車で移動しており、待ち構えたブラコフに捕まった。事件のアリバイと血液検査をパスしたものの、ブラコフは彼を精神病院に送致しないかわりに協力を求めた。ロストフのゲイ仲間250人の名前・住所・性的嗜好を記したファイルを作成させ(9割のゲイは自身のゲイを隠していた)、そのなかから性犯罪の過去をもつ容疑者をねらい、イヴァネンコをおくりこんで調査させた。ウサギ好きの男にアマチュア飼育家を装って近づくなど手の込んだこともしている。ただ大半は同性愛であるだけで民警がはりこんだうえ現場を押さえてしょっぴけるので、イヴァネンコの役割はリスト作成でおわっている。取り調べをおこなったゲイは450人におよび、うち150人が有罪判決を受け投獄された。ロストフのゲイは恐怖に陥り、憩いの場を次々に移動し、ロストフを離れたり行動をひかえたりした。なかには民警の脅迫にたえきれず、服毒や手首を切って自殺したものもいた。

    裁判に至ってもみょうちきりんな事態はつづく。捜査の過程でも、社会的な非難を恐れて自殺していった人々に対して、それも仕方ない、と皆がどこかで思っているのも怖ろしいが、チカチーロの裁判がはじまりほとんど有意義なやりとりもないまま結審する。チカチーロは檻にいれられて参加するのだが、傍聴人で被害者の親戚が看守の眼を盗んでナイフを投げて、それがまた当たってしまうのだから恐ろしい。裁判長は刺青のはいった腕がみえるほど腕まくりしてのぞんで、検察の追及がぬるいと思うや自身でチカチーロを尋問した。チカチーロにも公選弁護士がついていたが、裁判で勝つために被告に不利な発言を避けるどころか、裁判倫理上はばかられるとして尋問に異議を唱える事も稀。精神鑑定も裁判長に許可されず、終始役に立たず、チカチーロもあえて頼ろうともしなかったようだ。そのかわり裁判長とのやりとりは罵倒合戦で、精神異常を装うため自分ではない別の誰かがやった、と妄言吐いたり、下半身を露出したり無茶苦茶なふるまいを続けた。

    最後に、行き詰った捜査の参考に、と接見したアナトーリー・スリフコについてメモ。スリフコは64年から21年間にわたり7人の少年を殺害した。85年に逮捕され、スタヴロポリの法廷で死刑宣告を受け、ロストフの北50キロにあるノヴォチェルカスクに収監されていた。スリフコは少年期から異性に全く興味を示さず、29歳の時結婚した妻も交際中彼の態度を内気だと好意的に判断した。性交に失敗した後スリフコは母に相談し、性病理学者に接見するが、一笑に付されて強壮剤を渡されただけだった。なんとか妻と性交ができるようになったが、頻度は少なく、次男が生まれてからは一度もなくなった。そのかわり、といってはなんだが、23歳のときに性的興奮をもたらすものを発見していた。1976年、13,4歳の少年が死亡する凄惨な交通事故を目撃する。少年は白いシャツと赤いネッカチーフとブルーのズボンに黒の靴という、ソヴィエト生徒の模範的な制服姿(ピオネールのあれ)だった。スリフコは炎とガソリンのにおいに興奮し、少年をつかまえてその光景を再現したいと思うようになる。
    スリフコは地元でボーイスカウトを主催し、制服姿の少年たちと知り合い、なかでも友人たちより背が低いのではないかと心配している少年に目をつけ、身長を伸ばす方法があるといって森に誘いだした。その方法とは、エーテルをかがせて麻酔状態にしてから、首に輪をかけて木から吊るし脊椎を伸ばすというものだった。制服姿の少年を首つり状態にし、スリフコはそれを8mmビデオで撮影して、それを見ながら自慰をして、そのあとで少年たちを蘇生させた。これを21年間で43回行い、36回は成功した。スリフコは少年たちに実験について口外しないように諭した。しかし残りの7回は蘇生に失敗した。スリフコは遺体の手足、首を切断し、カメラにとってからガソリンで燃やして死体の残りを埋めた。写真や映像、そして少年の靴は自宅に保管し、数年の間自慰につかわれた。飽きるとまた犯行に及んだ。ネットで検索すると本人撮影の首つり実験の映像が落ちていて、ちょっと見はじめてその恐ろしさに耐えきれず見るのをやめてしまった。スリフコは靴フェチでもあったようで、靴の上から足の甲をのこぎりで切断しそれを撮影していたようだ。映像の冒頭は同じ制服に身を包んだ少年たちがいならぶ様子が撮られている。スリフコはアマチュア映像作家としても知られていて、シュヴァンクマイエルの映像世界や「クラッシュ」の世界を地で行くシュルレアリスト。
    スリフコの事件ではひとつひとつの殺害事件まで間隔があいたため、民警は継続して捜査を展開しようとせず、いずれも家出人として処理されてしまった。またスリフコが地元で尊敬されていたことも発覚が遅れた原因だ。
    ブラコフは本部長と局長とともにスリフコを訪ね、連続殺人犯の思考と行動を説明するよう求めた。似たような質問をいくつもうけていたスリフコは答えた。彼のような殺人犯はサディストで、正常なセックスができない。それゆえ血やパートナーの苦しみによって興奮する。また絶えず空想にふけり、犯罪の立案を楽しむ一方、規則や規律を強く希求する傾向があり、自分自身のルールをつくろうとする。スリフコの場合17歳以上は狙わない(狙えない)、方法は首つり、といった具合だ。たばこや酒は嗜まず、少年たちの指導者としてふるまう自覚も十分にあった。また生殖に関する基本的な生物学的知識以外全く教えようとしないソ連の教育方針を改めるよう求め、自身の異常に際して医者の助けを欲してもいた。スリフコはどうして少年たちに惹きつけられたのか、と問われて答える「べつにそう願ったわけではありません」「そういう性向について、何かで読んだことも、見たり聞いたりしたこともないんです。ほんとうに、いつのまにかそうなったんです」

  • 読書は次のタイプに分かれる。1.読みたい本、2.資料、3.参考書、4.類書である。テーマを決め、腰を据えて20~30冊ほど読み込めばどんな分野でも輪郭程度はつかめる。ま、ハズレをつかむことも多いのだが、修行を積むとハズレの見極めが早くなる。このようにして読書の枝は分かれ、2~4の本を読むことが増えるわけだが、決して楽しい読書体験とはいえない。それでも珠玉のような一冊と巡り合うためには長い道のりを歩くことが必要なのだ。
    https://sessendo.blogspot.com/2019/06/44.html

  •  四半世紀も前の本だったんだ(゚д゚)!
     小ぎれいなトール文庫ゆえ意外に思ったけど、親本から文庫化まで十数年かかったらしく、初版から再版までもずいぶん間が空いている……( ゚д゚)
     そうか、本書をもとにした小説の映画化作品「チャイルド44」公開に合わせて復刊したんだな( ´ ▽ ` )ノ
    (ちなみに、本書を直接映像化した「ロシア52人虐殺犯/チカチーロ」という作品もあるらしい)

     それはそれとして、非道い内容だったなあ……(>_<)
     ひとり殺される、手がかりなし、またひとり殺される、手がかりなし、またひとり殺される、なんの手がかりもなし……という展開がえんえんと繰り返される……(>_<)
     ミステリー小説なら、「単調」「リアリティなし」「警察無能すぎ」「ギャグ展開」「舞城王太郎かよ」云々、さんざん腐されたはず……しかし、これがまごうかたなき真実、とは(゚д゚)!

     犯行時期はだいたい80年代デケイド・ソ連崩壊期と重なっているんだけど、まさかあの頃のソビエト地方都市が、ここまでみすぼらしいありさまだったなんて、想像もしていなかった……(゚д゚)!
     いまの北朝鮮以下、日本でいえば明治期の寒村よりも未開?……(゚д゚)!
     水道もなし、DV・酒乱・贈収賄・物資横流しの横行、育児放棄、脳に障害のある子らが放浪・買売春etc.etc.……こんな体たらくの国がオリンピックやって、アメリカと冷戦して、日本人を宇宙に連れてってくれたの!?(゚д゚)!
     10年もの長きに渡ってチカチーロを見逃し、みすみす50件を超す殺人を許していたソビエト当局だけど、警察としての体を成していない「民警」のありていを知ると、むしろ彼の逮捕まで行き着けたという事実が奇跡に近いお手柄とすら思えてしまう……(゚д゚)!

     逮捕後、チカチーロの取り調べ・裁判の過程にまた、ア然・呆然……(゚д゚)!
     ナンダコイツ……(゚д゚)!
     どこからどこまで真実なんだか妄想なんだか……(´ε`;)ウーン…
     あんまりウソくさいからミスター・ロバートも書かなかったんだろうけど、Wikipediaによると彼の最後の様子は――
    「独房から出した彼を規則にのっとり ひざまずかせた。9ミリの弾を右耳の下から撃ち込み 銃殺することになっていた。撃とうとすると彼が叫んだ。"脳は撃つな日本人に売れる" と。事実 処刑された後日本人が脳を買っている。日本人が買いたがっていると噂でもあったんだろうね。最期の言葉は "脳は撃つな日本人に売れる" だった」
     ――ガ━━(;゚Д゚)━━ン!!
     ここで日本が出てくんのかよ!?ヾ(゚Д゚ )ォィォィ
     どこの誰が買ったんだよ、チカチーロの脳みそなんて!?……ウソコケ(@_@;)

     なんかもう、どこにどんな真実があるのやら、事件からなんの教訓を得ればいいんだか、自分にはさっぱりわかりません……(>_<)

     シッチャカメッチャカ、脳がドロドロになりそうな悪夢の日々を描いた快作……(>_<)
     どことなく叙情的な邦題よりも、「キラー・デパートメント」というバカっぽい原題のほうがあってると思う……(>_<)

    2019/06/07
     
     

     
     

  • 小説ではなく、これは実話なのですが、、
    ロシアこわいわーっていう、犯罪者ではなく、警察とか政府とかの側面も見えるし、いろんな意味で怖いお話でした。
    私はこの時代の事件のことはまったく知らなかったし、「チャイルド44」も読んだし映画も見たけど、実話をベースとしたものだったと知らなかったんです・・

    実話だと知った今、再び「チャイルド44」を読んだり観たりしたら、もっと恐怖感が増すかもしれません!

  • ソ連では「連続殺人は資本主義の弊害によるもの。この種の犯罪は社会主義では存在しない」ことになっており、組織だった捜査が行われなかった。そのためチカチーロは52名もの女性・子どもを殺害するに至った。

  • 旧ソビエトの連続殺人鬼アンドレイ・チカチーロを扱った一冊。
    チカチーロ側からの視点で事件の原因を探るというより、捜査側からの視点で事件を解明する。
    事件発生、遺体発見、捜査、逮捕、裁判と描かれる。

    ソビエトについて今まで余り興味がなかったが、猟奇事件には興味があるため今回読んでみた。

    犯罪が起きたときに、家庭のせい社会のせい病気のせいと事件を起こした本人ではない何かのせいにすることが嫌いだ。どんな家庭で育とうとも、どれだけ社会が非情でも、精神に深刻な問題を抱えていようとも、犯罪を起こさないひとは起こさない。なにかのせいにすることは、そういったことを乗り越え励むひとをも侮辱しているように感じられる。
    そう基本的には考えている。

    今回のチカチーロも精神的肉体的に健全ではなかった。
    ソビエトという社会も歪ではあった。
    それでもチカチーロの起こした事件はチカチーロの責任だと思う。
    そう思いながら読んでいく。

    それにしてもソビエトの考え方は変わっている。
    犯罪というものはブルジョア社会に限って起きるもので、完璧な社会主義国ソビエトに犯罪が起きるわけがない。
    そんなわけは勿論なくて、普通に、いや異常に犯罪が起きている。
    それを無理矢理無かったことにしようとするところにソビエトの恐ろしさがある。
    ソビエトで犯罪を起こすのは、精神疾患や知的障害などを持つ人間に決まっている。そういう危険な人物は捕まえて施設に放り込んでおく。
    自分の弁護も満足にできない人々は、やったかどうかよくわからない犯罪をやったことにされて拘禁される。

    日本でも冤罪はあるし、明らかに犯罪なのにろくに捜査もしてくれない、精神疾患者や未成年者は犯罪のし放題。これはこれでおかしいとも言えるけれど。

    チカチーロに辿り着くまでに多くの容疑者を調べ、多くの被害者が無残に殺された。
    チカチーロによって殺された50人以上の人々、疑いをかけられ処刑されたひと、自殺したひと。多くのひとの命が失われた。
    犯罪を犯したのはチカチーロであって、そこに同情の余地はない。そのチカチーロの犯行を重ねやすくさせ、正しい取り調べの行われなかったソビエトにも罪の一端はあると言わざるを得ない。
    チカチーロとソビエトの罪は余りにも大きい。

  • 今年公開された映画『チャイルド44』で描かれる事件のモデルとなった、ソ連末期に発生した連続猟奇殺人事件を追ったノンフィクション。社会主義国家を楽園とし、そこでは殺人など起こらないという発想はどうかしていると思ったが、逮捕された犯人の壮絶な半生が語られるクライマックスには背筋が凍った。幸せに育てず、コンプレックスに苛まれた彼が性的サディストとなって殺人を重ねることが克明に描かれているが、殺人を犯す人間の背景にはイデオロギーは関係ないというよりも、どんな社会でも止められないという恐ろしさもあった。

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