これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

  • 早川書房
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本棚登録 : 6265
レビュー : 393
  • Amazon.co.jp ・本 (475ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150503765

作品紹介・あらすじ

「1人を殺せば5人が助かる。あなたはその1人を殺すべきか?」正解のない究極の難問に挑み続ける、ハーバード大学の超人気哲学講義"JUSTICE"。経済危機から大災害にいたるまで、現代を覆う苦難の根底には、つねに「正義」をめぐる哲学の問題が潜んでいる。サンデル教授の問いに取り組むことで見えてくる、よりよい社会の姿とは?NHK『ハーバード白熱教室』とともに社会現象を巻き起こした大ベストセラー、待望の文庫化。

感想・レビュー・書評

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  • 結局のところ完全な正義なんてのは無くて、ひたすらにより良い世界へしていくために議論するその姿勢こそが大切なんだろうなと思う。
    政治、宗教、ビジネスなど何にしても圧倒的正解なんてのは無いはずなのにみんな追い求めてる。
    良いところも悪いところも等しく見極めて、より良い選択肢を選べるようにしたい。そのためにも自分の生きる軸みたいな哲学が必要なんだと思う。

  • 今までの哲学的な話をわかりやすい例をもとに解説し、より良い社会とはどのような形かを問う。さまざまな技術が発達し、倫理的な問題が増える中、これからはより哲学や倫理が大切になることは疑いがなくなっている。
    アリストテレスからカント、キリスト教など、今までの倫理観を紹介している。
    欧米ではキリスト教は避けて通れない問題であることもここから良く分かった。
    先人の知恵を知り、さらに深く考えていく必要を感じさせる本だった。

  • 「1人を殺せば5人が助かるが…」というあまりにも有名なトロッコ列車の命題から始まる。
    全部で10章に分かれ、各々で”正義”とは何か、というよりどう考えるのが”正義”に最も近づけるのかを、様々な立ち位置から考察されていく。

    が、それが哲学的であるがゆえに思考のロジックが延々と続き、徐々に読んでいるこちらが混乱してくる。
    自分のレベルでは完全に理解したとはいえず、再読が必要だろう。

    特に5章以降は哲学者の考察も入ってきて益々わかりにくくなり、そこに控えめにサンデルの意見がさしはさまれる。

    これが大学の授業かと思うと、羨ましくなる。
    こういう考えを色々知ることは、人生にとってもプラスになるだろう。

  • 当たり前と思っていたこと、考えもしなかったこと、様々なことを改めて考えさせられるキッカケとなった。

  • ハーバード大学教授のサンデル氏の「正義」についての公開授業は日本でもテレビで放映されたそうですね。
    「正義」にはいろいろな見方がある。私が思う「正義」が他の人にとってはそうじゃないかもしれない。

    例えばアファーマティブアクション。学生の人種的バランスを保つために、入試で高得点を取った白人生徒を不合格にし、まあまあの点を取ったアフリカ系やヒスパニック系生徒を合格にする。私自身はこれって白人への逆差別では?!と感じるうちの一人です。今では白人に代わりアジア系にとって厳しいと聞きます。教育熱心な親に育てられたアジア系学生たちはテストの点数がかなり良い。点数を基準に入学を許したらアジア人だらけの大学になってしまうから、大学はアジア系への選考基準のハードルをかなり高くする。正直、不公平だなぁと思います。でももし私がアフリカ系かヒスパニック系だったら「当然だ」と思うのかもしれない。
    今までもいろいろと思うところがあったので、これについて書かれた章はとても興味深かった。

    サンデル氏の奥様は「キク」さんというのですね。日本人ではないけれど沖縄出身なのだとか!

    • reader93さん
      だいさんコメントありがとうございます。「伸びしろ」ですか。興味深いですね。人種背景も含め、その学生のこれからの可能性が考慮されるのですね。
      だいさんコメントありがとうございます。「伸びしろ」ですか。興味深いですね。人種背景も含め、その学生のこれからの可能性が考慮されるのですね。
      2016/06/21
    • だいさん
      明確な目標を持たないと 人は成長しません
      逆に言えば目標を持っている人は
      その目標を達成するために 様々な努力をします
      現代では知...
      明確な目標を持たないと 人は成長しません
      逆に言えば目標を持っている人は
      その目標を達成するために 様々な努力をします
      現代では知識はネットを使えば 容易に手に入ります
      しかし生きるための知恵はネットを介しては手に入らないと思います
      そこで色々な人たちとのふれあいは大切なのではないでしょうか
      2016/06/22
    • reader93さん
      だいさん、成長のためには明確な目標が必要なのですね。私もそう思います。目標、努力、人とのふれあい、どれも大切ですね。
      だいさん、成長のためには明確な目標が必要なのですね。私もそう思います。目標、努力、人とのふれあい、どれも大切ですね。
      2016/06/28
  •   マイケル・サンデル「Justice ~ What's the Right Thing to do?」(邦訳「これからの正義の話をしよう」)をやっと、ふぅ、と云いながら読み終える。
      息子が置いて帰った時にはあまり関心はなかったのに、読んでゆくうちに引き込まれたと云っていいだろう。普段何気なくしていること、当然だと思っていることが果たして正義の観点から正しいと云えるのか、改めて気づかされ、かつまた深く考えさせられる。
      例えば、米国における現在の志願兵制度、これは正義なのかという疑問。恵まれない環境の同胞を金で雇い、危険な仕事をさせる。その決定を下すのは決して生死のリスクを負わない人々だという事実(そういう上流階級の人たちの子女は兵隊にならない)。だからアフガンにしろイラクにしろ、平気で兵隊を派遣できたのだと。これは果たして正義と云えるのか。
      米国の奴隷制度、現代では勿論これは認められないものだが、では南北戦争前に白人が黒人を奴隷として扱ったことに対して、現代の白人たちは責任を負わないのか。あれは過去のことで今を生きる白人たちには何ら責任がない、現在の白人は奴隷制度と何のかかわりもない、と云えるのか、それは正義として正しいことなのか。
      同じようなケースで、ドイツは第二次大戦後、ホロコーストを犯したことに対してドイツ国民としてユダヤの人々に謝罪した。時の大統領がイスラエルの議会に出向いて謝罪の演説をした。これは立派なことだが、正義の観点から必要だったということなのか。ナチスの罪をナチスとは無関係だったドイツ人が負うことが本当に正義の要求することなのか。では日本の場合はどうなのか。今を生きる戦後生まれの我々に戦争の責任を負う或は感じることは必要なのか。
      次々と例を検証してゆくこの本のプロセス。このサンデルさんの話について行くにつれ、やはりこれまでそこまで深く考えていたか云えばウソになる。現在の辺野古移転問題一つとっても何が正義なのだろう。米国の志願兵の問題と同じく、我々は犠牲になる側の人間ではなく、リスクを背負わずに辺野古問題を眺めているに過ぎない。歴代の政府の人間もしかり。国家という全体のためには一部に犠牲があっても仕方がない、これは正義と云えるのか。

      人間にはそれぞれ立場の違いがあり、それが前提となって論じられる問題の正義の考え方というものは本当に難しい。この本はサンデル教授が講義をするような流れで書かれているが、実際に生の声を聴きながら話を聴く、それが最もふさわしいテーマと云えるのではなかろうか。いつだったか、NHKで抗議の有様が放送されていたが、その時には関心もなく逃してしまったのが残念。

  • 備忘録:ハーバード教授1953生まれ、オックスフォードで博士号、ブッシュの生命倫理評議会委員、コミュニタリアニズムの代表論者、共和主義者、

    5人を助けるため1人を殺すか、金持ちから税金をとって貧乏人に再配分すべきか、前の世代の過ちにつぐないの義務はあるか、
    アリストテレス、カント、ロールズ哲学を通して答えに迫る。

    三つのアプローチ、「幸福の最大化」「自由の尊重」「美徳の促進」。

    幸福の最大化:ジェレミー・ベンサムの功利主義は苦痛に対する快楽の割合を最大化、個人を踏みつけにする場合がある、4人が遭難、雑用係を食べて3人が生還、逮捕起訴、

    自由:シートベルト義務化(パターナリズム)、売春・同性愛禁止、富の再分配に反対。リバタリアンの自己所有権は臓器売買や自殺幇助も容認しかねない。カントやロールズは正義は自由の尊重、自律的、理性的でなくてはならない、「道徳的行為者」

    前世代の過ち、ドイツや日本、自分の力の及ばない出来事に責任はないのか、連帯や成員の責務はあるというサンデル、家族、同胞、仲間、コミュニテイ、国家への忠誠、連帯の要求は自分の本性を反映している、

    2004年ハリケーンチャーリー便乗値上げ論争、道徳と法律。便乗値上げ禁止法は制定されるべきか。三つの視点、

    カトリックのケネディ演説、信仰は私的問題、オバマは宗教と政治論議は切り離せない、レーガン以来キリスト教保守派が強くなりポルノ、中絶、同性愛の法規制。民主党のオバマは道徳的精神的渇望にこたえた。

    共通善に基づく政治にうまく転換されるか、「市民権、犠牲、奉仕」の公民教育、「市場の道徳的限界」「不平等、連帯、市民道徳」富者は公共サービスが不要で空洞化する。「道徳に関与する政治」多元的社会では道徳と宗教観不一致、相互的尊重に基づく政治、活発で積極的な市民生活が必要、異なる道徳観や宗教観に関わらずにいるのではなく直接的に注意を向けるべき、

  • 比較をしているだけで、答はだしていないような。結論、結果は読み手にまかせているような。ある程度の定義はしめしているような。

  • 以下、内容まとめ、感想を記載する。

    <内容まとめ>
    「正義」への3つのアプローチ

    ①福祉の最大化 → 功利主義

    ②自由、個人の権利の尊重 → 自由主義
     ・自由至上主義(すべて自由)
     ・公正派(社会的、経済的な不利を無くす)
     が代表

    ③美徳の醸成+共通善 ※著者の意見

    ・ジェレミー=ベンサムの功利主義(①福祉)
    道徳の至高の原理は幸福、すなわち苦痛に対する快楽の全体的な割合を最大化すること
    →「物乞いを集めた救貧院」、「頭のおかしい者の隣に耳が聞こえない者を」を提案
    →反論としては
     1 個人の権利
     2 価値の共通化

    ・ジョンスチュアートミル(①福祉)
    上記反論2に対して、質の「高い」or「低い」尺度の導入して反論

    ・自由至上主義(②自由)
    契約を実行させること、及び暴力、盗み、詐欺から国民を守ることに権限を限定された最小国家だけだ正当な存在。
    個人の権利を侵害してはならない。

    ・イマヌエル=カント(②自由)
    行動の正しさは、その行動がまたらす結果ではなく、その行動を起こす意図で決まる
    → 1 万人に当てはめても矛盾が生じない原則に従う
      2 人格を究極目的として扱う

    ・ジョン=ロールズ(②自由)
    平等の原初状態におかれてどう選択されるか?それを追及することが正義
    →自分の感覚に近いかもしれない。
    職種、適正、努力だけでは埋まらないものもある。
    勝っている人はそういう考え方にはならないかもしれないが、社会との相性は事実存在すると思う。

    ・アリストテレス(③美徳)
    1 正義に関わる社会的営みの「目的因」を知らなければならない
    2 正義は名誉に関わる。ある営みの目的因について考えることは、少なくとも部分的にはその営みが賞賛し報いを与える美徳は何かを考え、論じることである。
    →政治は善き市民を育成し、善き人格を養成することが目的である

    <面白いと思った事例>
    事例①
    暴走した列車内にいて切り替え装置で5人の線路から1人の線路に誘導する
    or
    列車の外のいて、1人の人を突き落して列車を止め、5人の人を助ける

    事例②
    1884年、イギリスの実話。
    船が遭難して食糧に困り、若手かつ体調の悪い1人を殺して食糧にし、4人が助かる。結果 or 道徳

    事例③
    肝臓を売る、幇助自殺、合意による食人
    →道徳的なものからNGの感情が芽生えるものまである

    事例④
    代理出産

    事例⑤
    子供2人が溺れていて、1人しか救えない場合、自身の子供 or 他人の子供
    ※誇りとは恥は共有するアンデンティティを前提とした道徳的感情である

    <所感、考えたこと>
    ・「正義」の切り口として「福祉」、「自由」、「美徳」の3つがあるという視点という考え方が面白い

    ・元々は自由主義的な考え方に賛同していたが、同時にコミュニティーの恩恵、過去を受けているため完全な「個人」ではないことも腹に落ちてきた。
    これは、本を読んで新しく芽生えた感覚。

    ・「共通善」という捉え方は自分の考え方に合っているように感じた。
    自分が好印象を抱く人も、そういう感覚のもとに行動ができている人が多いように思った。
    自分としては、可能な限り「共通善」という考え方を軸に生きてきたいと思う。
    競争がある社会ではあるが、自身の行動に恥じずに生きていきたい。

    ・上記考え方は個人的には好きだが、どうしてもコミュニティーどうし(国-国、会社-会社、家族-家族等)の争いがある。弱肉強食の摂理がある。

    ・そもそも「哲学」自体が人間が考えた偉そうな学問である気もする。一方で、意味がある気もする。
    なんとなくもやっとするものがある。

    ・動物保護 ⇔ 食事(動物)
    相反する行為。前者には強いものが弱い者を助ける(共通善)として意味があることだと改めて感じた。
    だが、一方で安全圏からの自己満足だと感じないかと言われれば嘘になる。

    ・読み+まとめにてかなりしんどかったが、改めて自分の考え方、感じ方が整理できてよかった。
    また、視点が拡がったこともプラスになった。
    時間が経ったあと、改めて読み返してみたい。

  • 啓蒙時代から現代まで続く道徳哲学を整理しなおし、今なお問題になっている公共的諸問題を考えていくための足掛かりを提供してくれる。
    大まかな整理としては以下▼
    ①人間の便益を共通尺度としその最大化を志向する功利主義的道徳観
     ベンサム

    ②個人の自由を軸に価値観の中立性を重んじる社会契約的道徳観
     ロールズ、カント、リバタリアン

    ③何が善いかの価値判断を積極的に行い、その実現を目指す目的論的道徳観
     アリストテレス

    このようにこれまでの道徳観を睥睨したうえで著者は、自身の持って生まれたアイデンティティや共同体、つまり中立ではありえない偶然性を抜きにして社会問題を論じることは、道徳的に貧弱であると批判している。
    或る個人は個人であると同時にいやおうなく或る「時代」、或る「場所」に生まれ、その偶然的歴史性から完全に自由ではありえない。そんな自身の偏りを引き受けることには、自身が属する環境の中で関わるあらゆる価値に対してのひいきが少なからず発生する。
    ここで問われるのは、誰しもが抱える偏りを無視して徹底的な中立性を固持しようとすることに果たして意義があるのかということ。
    サンデルは「ない」と考えているようだ。
    賞賛されるべき美徳は何かを問い、当の美徳を目的として志向する制度こそ正義にかなうとする③の道徳観を支持している。
    これは古代ギリシア以来繰り返されてきたにも関わらず、昨今の多元的価値社会では古臭いとさえ見なされがちな「善き生とは何か?」の問いを再評価することだ。自分が善いと思える価値を判断し、公共空間で意見表明をしあうこと。これが肝要なのだが、そうすると様々な立場からの意見が並列し、まとまることは稀だろう。しかし中立性に徹し自身の意見を表明しなかった場合、そもそもそういった立場がこの世界に存在しえると示せなくなることに思いを留めるべきである。各個人を創り上げてきた偶然性は他らなぬ自分自身が擁護してやるしかないのだから。

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