これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

制作 : Michael J. Sandel  鬼澤 忍 
  • 早川書房
3.70
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本棚登録 : 4409
レビュー : 317
  • Amazon.co.jp ・本 (475ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150503765

作品紹介・あらすじ

「1人を殺せば5人が助かる。あなたはその1人を殺すべきか?」正解のない究極の難問に挑み続ける、ハーバード大学の超人気哲学講義"JUSTICE"。経済危機から大災害にいたるまで、現代を覆う苦難の根底には、つねに「正義」をめぐる哲学の問題が潜んでいる。サンデル教授の問いに取り組むことで見えてくる、よりよい社会の姿とは?NHK『ハーバード白熱教室』とともに社会現象を巻き起こした大ベストセラー、待望の文庫化。

感想・レビュー・書評

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  • ハーバード大学教授のサンデル氏の「正義」についての公開授業は日本でもテレビで放映されたそうですね。
    「正義」にはいろいろな見方がある。私が思う「正義」が他の人にとってはそうじゃないかもしれない。

    例えばアファーマティブアクション。学生の人種的バランスを保つために、入試で高得点を取った白人生徒を不合格にし、まあまあの点を取ったアフリカ系やヒスパニック系生徒を合格にする。私自身はこれって白人への逆差別では?!と感じるうちの一人です。今では白人に代わりアジア系にとって厳しいと聞きます。教育熱心な親に育てられたアジア系学生たちはテストの点数がかなり良い。点数を基準に入学を許したらアジア人だらけの大学になってしまうから、大学はアジア系への選考基準のハードルをかなり高くする。正直、不公平だなぁと思います。でももし私がアフリカ系かヒスパニック系だったら「当然だ」と思うのかもしれない。
    今までもいろいろと思うところがあったので、これについて書かれた章はとても興味深かった。

    サンデル氏の奥様は「キク」さんというのですね。日本人ではないけれど沖縄出身なのだとか!

    • reader93さん
      だいさんコメントありがとうございます。「伸びしろ」ですか。興味深いですね。人種背景も含め、その学生のこれからの可能性が考慮されるのですね。
      だいさんコメントありがとうございます。「伸びしろ」ですか。興味深いですね。人種背景も含め、その学生のこれからの可能性が考慮されるのですね。
      2016/06/21
    • だいさん
      明確な目標を持たないと 人は成長しません
      逆に言えば目標を持っている人は
      その目標を達成するために 様々な努力をします
      現代では知...
      明確な目標を持たないと 人は成長しません
      逆に言えば目標を持っている人は
      その目標を達成するために 様々な努力をします
      現代では知識はネットを使えば 容易に手に入ります
      しかし生きるための知恵はネットを介しては手に入らないと思います
      そこで色々な人たちとのふれあいは大切なのではないでしょうか
      2016/06/22
    • reader93さん
      だいさん、成長のためには明確な目標が必要なのですね。私もそう思います。目標、努力、人とのふれあい、どれも大切ですね。
      だいさん、成長のためには明確な目標が必要なのですね。私もそう思います。目標、努力、人とのふれあい、どれも大切ですね。
      2016/06/28
  • 備忘録:ハーバード教授1953生まれ、オックスフォードで博士号、ブッシュの生命倫理評議会委員、コミュニタリアニズムの代表論者、共和主義者、

    5人を助けるため1人を殺すか、金持ちから税金をとって貧乏人に再配分すべきか、前の世代の過ちにつぐないの義務はあるか、
    アリストテレス、カント、ロールズ哲学を通して答えに迫る。

    三つのアプローチ、「幸福の最大化」「自由の尊重」「美徳の促進」。

    幸福の最大化:ジェレミー・ベンサムの功利主義は苦痛に対する快楽の割合を最大化、個人を踏みつけにする場合がある、4人が遭難、雑用係を食べて3人が生還、逮捕起訴、

    自由:シートベルト義務化(パターナリズム)、売春・同性愛禁止、富の再分配に反対。リバタリアンの自己所有権は臓器売買や自殺幇助も容認しかねない。カントやロールズは正義は自由の尊重、自律的、理性的でなくてはならない、「道徳的行為者」

    前世代の過ち、ドイツや日本、自分の力の及ばない出来事に責任はないのか、連帯や成員の責務はあるというサンデル、家族、同胞、仲間、コミュニテイ、国家への忠誠、連帯の要求は自分の本性を反映している、

    2004年ハリケーンチャーリー便乗値上げ論争、道徳と法律。便乗値上げ禁止法は制定されるべきか。三つの視点、

    カトリックのケネディ演説、信仰は私的問題、オバマは宗教と政治論議は切り離せない、レーガン以来キリスト教保守派が強くなりポルノ、中絶、同性愛の法規制。民主党のオバマは道徳的精神的渇望にこたえた。

    共通善に基づく政治にうまく転換されるか、「市民権、犠牲、奉仕」の公民教育、「市場の道徳的限界」「不平等、連帯、市民道徳」富者は公共サービスが不要で空洞化する。「道徳に関与する政治」多元的社会では道徳と宗教観不一致、相互的尊重に基づく政治、活発で積極的な市民生活が必要、異なる道徳観や宗教観に関わらずにいるのではなく直接的に注意を向けるべき、

  • 比較をしているだけで、答はだしていないような。結論、結果は読み手にまかせているような。ある程度の定義はしめしているような。

  • 以下、内容まとめ、感想を記載する。

    <内容まとめ>
    「正義」への3つのアプローチ

    ①福祉の最大化 → 功利主義

    ②自由、個人の権利の尊重 → 自由主義
     ・自由至上主義(すべて自由)
     ・公正派(社会的、経済的な不利を無くす)
     が代表

    ③美徳の醸成+共通善 ※著者の意見

    ・ジェレミー=ベンサムの功利主義(①福祉)
    道徳の至高の原理は幸福、すなわち苦痛に対する快楽の全体的な割合を最大化すること
    →「物乞いを集めた救貧院」、「頭のおかしい者の隣に耳が聞こえない者を」を提案
    →反論としては
     1 個人の権利
     2 価値の共通化

    ・ジョンスチュアートミル(①福祉)
    上記反論2に対して、質の「高い」or「低い」尺度の導入して反論

    ・自由至上主義(②自由)
    契約を実行させること、及び暴力、盗み、詐欺から国民を守ることに権限を限定された最小国家だけだ正当な存在。
    個人の権利を侵害してはならない。

    ・イマヌエル=カント(②自由)
    行動の正しさは、その行動がまたらす結果ではなく、その行動を起こす意図で決まる
    → 1 万人に当てはめても矛盾が生じない原則に従う
      2 人格を究極目的として扱う

    ・ジョン=ロールズ(②自由)
    平等の原初状態におかれてどう選択されるか?それを追及することが正義
    →自分の感覚に近いかもしれない。
    職種、適正、努力だけでは埋まらないものもある。
    勝っている人はそういう考え方にはならないかもしれないが、社会との相性は事実存在すると思う。

    ・アリストテレス(③美徳)
    1 正義に関わる社会的営みの「目的因」を知らなければならない
    2 正義は名誉に関わる。ある営みの目的因について考えることは、少なくとも部分的にはその営みが賞賛し報いを与える美徳は何かを考え、論じることである。
    →政治は善き市民を育成し、善き人格を養成することが目的である

    <面白いと思った事例>
    事例①
    暴走した列車内にいて切り替え装置で5人の線路から1人の線路に誘導する
    or
    列車の外のいて、1人の人を突き落して列車を止め、5人の人を助ける

    事例②
    1884年、イギリスの実話。
    船が遭難して食糧に困り、若手かつ体調の悪い1人を殺して食糧にし、4人が助かる。結果 or 道徳

    事例③
    肝臓を売る、幇助自殺、合意による食人
    →道徳的なものからNGの感情が芽生えるものまである

    事例④
    代理出産

    事例⑤
    子供2人が溺れていて、1人しか救えない場合、自身の子供 or 他人の子供
    ※誇りとは恥は共有するアンデンティティを前提とした道徳的感情である

    <所感、考えたこと>
    ・「正義」の切り口として「福祉」、「自由」、「美徳」の3つがあるという視点という考え方が面白い

    ・元々は自由主義的な考え方に賛同していたが、同時にコミュニティーの恩恵、過去を受けているため完全な「個人」ではないことも腹に落ちてきた。
    これは、本を読んで新しく芽生えた感覚。

    ・「共通善」という捉え方は自分の考え方に合っているように感じた。
    自分が好印象を抱く人も、そういう感覚のもとに行動ができている人が多いように思った。
    自分としては、可能な限り「共通善」という考え方を軸に生きてきたいと思う。
    競争がある社会ではあるが、自身の行動に恥じずに生きていきたい。

    ・上記考え方は個人的には好きだが、どうしてもコミュニティーどうし(国-国、会社-会社、家族-家族等)の争いがある。弱肉強食の摂理がある。

    ・そもそも「哲学」自体が人間が考えた偉そうな学問である気もする。一方で、意味がある気もする。
    なんとなくもやっとするものがある。

    ・動物保護 ⇔ 食事(動物)
    相反する行為。前者には強いものが弱い者を助ける(共通善)として意味があることだと改めて感じた。
    だが、一方で安全圏からの自己満足だと感じないかと言われれば嘘になる。

    ・読み+まとめにてかなりしんどかったが、改めて自分の考え方、感じ方が整理できてよかった。
    また、視点が拡がったこともプラスになった。
    時間が経ったあと、改めて読み返してみたい。

  •   マイケル・サンデル「Justice ~ What's the Right Thing to do?」(邦訳「これからの正義の話をしよう」)をやっと、ふぅ、と云いながら読み終える。
      息子が置いて帰った時にはあまり関心はなかったのに、読んでゆくうちに引き込まれたと云っていいだろう。普段何気なくしていること、当然だと思っていることが果たして正義の観点から正しいと云えるのか、改めて気づかされ、かつまた深く考えさせられる。
      例えば、米国における現在の志願兵制度、これは正義なのかという疑問。恵まれない環境の同胞を金で雇い、危険な仕事をさせる。その決定を下すのは決して生死のリスクを負わない人々だという事実(そういう上流階級の人たちの子女は兵隊にならない)。だからアフガンにしろイラクにしろ、平気で兵隊を派遣できたのだと。これは果たして正義と云えるのか。
      米国の奴隷制度、現代では勿論これは認められないものだが、では南北戦争前に白人が黒人を奴隷として扱ったことに対して、現代の白人たちは責任を負わないのか。あれは過去のことで今を生きる白人たちには何ら責任がない、現在の白人は奴隷制度と何のかかわりもない、と云えるのか、それは正義として正しいことなのか。
      同じようなケースで、ドイツは第二次大戦後、ホロコーストを犯したことに対してドイツ国民としてユダヤの人々に謝罪した。時の大統領がイスラエルの議会に出向いて謝罪の演説をした。これは立派なことだが、正義の観点から必要だったということなのか。ナチスの罪をナチスとは無関係だったドイツ人が負うことが本当に正義の要求することなのか。では日本の場合はどうなのか。今を生きる戦後生まれの我々に戦争の責任を負う或は感じることは必要なのか。
      次々と例を検証してゆくこの本のプロセス。このサンデルさんの話について行くにつれ、やはりこれまでそこまで深く考えていたか云えばウソになる。現在の辺野古移転問題一つとっても何が正義なのだろう。米国の志願兵の問題と同じく、我々は犠牲になる側の人間ではなく、リスクを背負わずに辺野古問題を眺めているに過ぎない。歴代の政府の人間もしかり。国家という全体のためには一部に犠牲があっても仕方がない、これは正義と云えるのか。

      人間にはそれぞれ立場の違いがあり、それが前提となって論じられる問題の正義の考え方というものは本当に難しい。この本はサンデル教授が講義をするような流れで書かれているが、実際に生の声を聴きながら話を聴く、それが最もふさわしいテーマと云えるのではなかろうか。いつだったか、NHKで抗議の有様が放送されていたが、その時には関心もなく逃してしまったのが残念。

  • 読み終えるまでに時間がかかって、読み終えてから一気に巻き戻したけれど、刺激的な具体例が豊富で、自然と考えていた一冊だった。

    元々は小説家シーラッハからトロッコ問題を知り、その中でこの一冊を挙げている人が多かったから手に取ったのだけど。

    サンデルは「正義」に対して3つのアプローチを行なっている。

    1つ目は福祉。功利主義者を挙げて、社会全体の幸福を最大化する方法から正義を定義する。

    2つ目は自由。これもリバタリアンを挙げて、市場での自由な売買と正義を結び付けてみる。

    3つ目は美徳。人が善き生を生きるという出発点から正義を考えていく。

    どれも最初は必要なことのように思うのに、突き詰めていくと矛盾が生じてくる。

    この間、某社長による夢のある100人に100万円を分配する、というニュースが世間を賑わせた。
    国が生活保護といって富を分配することは、一見必要なことに思う。(そこに全く問題がないとは言わないが)
    なのに、富める者が、そうではなく成功の機会を奪われている者に手を差し伸べることは、果たして正義なんだろうか、と思ってしまう。

    結局のところ、社会の中に位置づけられている以上、矛盾のない正義は存在しないのではないか。
    そもそも、政治に共通善を語らせようとする、その根本に矛盾があると思う。

    けれど、この国の歴史を振り返った時に、一定の倫理観、正義感が「徳」として根付いていたようにも思う。
    どんな風に「これから」を見据えていくか、面白い視点になった。



    「しかし、功利主義的な道徳の論理を試すものとして、時限爆弾の事例は誤解を招くおそれがある。この事例によって次のことが証明されるという。数は重要なので、多くの命が危機にさらされているなら、われわれは尊厳や権利についての心の痛みに目をつぶることもいとうべきではないのだと。それが正しいなら、道徳は結局コストと利益の計算の問題だということになる。」

    「それでは善行に道徳的な価値があるのは、どのような場合か。カントは具体例を挙げる。利他的な人間が人間性への愛を打ち砕かれるような不運に遭遇したとする。彼は人間嫌いになり、同情も思いやりもなくす。ところが、この冷血漢が普段の無関心さを脇に置いて、他人を助けに向かう。助けたいという思いはまったくないが、『ひとえに義務のため』だ。このとき初めて、彼の行動は道徳的な価値を持つ。」

    「帰属には責任が伴う。もしも、自国の物語を現在まで引き継ぎ、それに伴う道徳的重荷を取り除く責任を認める気がないならば、国とその過去に本当に誇りを持つことはできない。」

  • 3年前に読んで、10ページで挫折した本。今になって読み返し、合理性と道徳、正義と良識のぶつかりや議論の必要性を認識できるようになった。そういった意味で、この数年で自身の成長を感じられた。
    市場原理を利用して世界を豊かにしていくには、市場主義の道徳的限界を認識して個人単位での議論を欠かさないことが大切だ。

  • 前半はわかりやすくて面白い哲学の解説書、後半はサンデル説の論文。

    結論は、ロールズが何と言おうとサンデルが何と言おうと自分の頭で考えないと、ということでした。

    学生時代以来使ってないから頭が固くなったとお悩みの、私みたいな社会人にオススメ。知的好奇心が長い眠りから目覚めるかもしれません。

    • でこさん
      難しそうな本を読むんですね!
      哲学は、考えても考えても堂々巡りになりそうなので、あまり触らないようにしています。
      というか、多分理解できない...
      難しそうな本を読むんですね!
      哲学は、考えても考えても堂々巡りになりそうなので、あまり触らないようにしています。
      というか、多分理解できない(笑)
      pandoraさんは大学でこういうことも学んできたんですか?
      2013/08/14
  • 学生の頃に政治哲学に触れていたため、本書から改めて斬新的な思想に出会えた感は無いが、さすが名講師の著作だけあって一文一文が短く簡潔で読みやすい
    もともとカントの哲学は難解で、(定言命法・仮言命法や自律・他律など)専門性がある程度求められる考え方だと思うが、本書では非常に分かりやすい説明・解説を提供してくれていると思う
    正義や道徳については万人に一致する絶対的な価値観は無いと想定し、政治・公共の場で積極的に取り扱って行くべきだとの帰結は一理ある。
    一見アファーマティブ・アクションは日本社会では無関係かと思えるが、地元思考や浪人生を排除するなど不正が発覚した大学入試での事例を見れば共通点が見える一面もある。
    発行から10年経って、アメリカは差別主義的で多様性を否定する風潮が高まっているが、次のステップへの過渡期なのか、このまま道徳観は衰退するのか・・

  • ○われわれの権利を規定する正義の原則は、美徳、あるいは最善の生き方についてのいかなる特定の考えをも土台にすべきではない。正義にかなう社会とは、各人が善き生に関するみずからの考えを選ぶ自由を尊重するもの。
    ○正義について考えるなら、われわれは否が応でも最善の生き方について考えざるをえない。
    ○道徳的な難問に遭遇すると、道徳をめぐる考察が自然に浮かび上がってくると知ることだ。
    ○道徳をめぐる考察は孤独な作業ではなく、社会全体で取り組むべき試みなのである。それには対話者―友人、隣人、同僚、同郷の市民などーが必要になる。
    ○ミルの『自由論』(1859年)は、英語圏における個人的自由の擁護論の古典となっている。『自由論』の中心原理は、人間は他人に危害をおよぼさないかぎり、自分の望むいかなる行動をしようとも自由であるべきだ。
    ○道徳は経験から生まれるのではない。道徳は世界からある程度の距離を置いたところに存在し、世界に対して判断を下す。科学の力と洞察によって、道徳的な問いに答えることはできない。科学は感性界でしか機能しないからだ。
    ○ゲームのルールによって、自分の才能から利益を得る資格が与えられているからと言って、自分の得意分野が評価してもらえる社会にいるということを当然と思うのは誤りであり、思いあがりでもあるのだ。
    ○難しいのは、適切なことを「適切な人に、適切な度合いで、適切なときに、適切な動機から、適切な方法で」することなのだ。
    ○選択の自由はー公平な条件の下での選択の自由でさえー正義にかなう社会に適した基盤ではない。
    ○人間に本来つきものの自然的義務と、合意の上で受け入れる自発的責務である。
    道徳的責任の三つのカテゴリー
    1 自然的義務:普遍的。合意を必要としない。
    2 自発的責務:個別的。合意を必要とする。
    3 連帯の責務:個別的。合意を必要としない。
    ○家族の責務 私は自分の親を選んでいない。親を持つことさえ、選んでいない。
    ○社会的慣行を市場にゆだねると、其の慣行を定義する基準の崩壊や低下を招きかねない。
    ○貧富の差があまりに大きいと、民主的な市民生活が必要とする連帯が損なわれる。富裕層は公共の場所やサービスを離れ、それらはほかのものには手が出ない人々に残される。
    ○言説の貧困化とは、一つのニュースから次のニュースへと渡り歩きながら、スキャンダラスでセンセーショナルで些細な事柄にもっぱら気を取られるようになることだ。

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