- 早川書房 (2014年11月7日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (336ページ) / ISBN・EAN: 9784150504199
作品紹介・あらすじ
刑務所独房のグレードアップ:1晩82ドル。インドの代理母:6250ドル。暴走する「市場主義」に警鐘を鳴らし、「善き生」を考える。
感想・レビュー・書評
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●2025年11月25日、メルカリで出会った。メルカリで条件保存キーワード「ファスト&スロー」の上下巻とこの本の3冊セットで920円で出品された通知がきた。ファスト&スローは蛍光ピンクのペンで線引きありだから安かった。
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なんでも市場で売買される世の中になり、それは倫理・道徳的に正しいのかを問う本。例えば、遊園地のファストパスが良いとして、臓器移植の待ち行列に札束で割り込むのは正しいのか?など。結局、ならんことはならんのです、だと思います。
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これからの正義の方が面白かった。
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市場が入り込むことで腐敗する道徳がある。遅刻に罰金を科すことでかえって金さえ払えば遅刻して良いと考える人が増えてしまったこと、ボランティアに給与を払うことで参加率が下がるなどなど。
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マイケルサンデルの作品を読むのは二作目だ。
今回は市場における道徳的規範についての話だ。
お金を中心に回っている人間社会では、合理性を追求していくことが重要になってくる。
そこでストップをかけるのが道徳心だ。
あらゆるものに市場が参入してしまうと、本来、守るべき人間性や誠実さ、本質、真髄が消えていってしまう。
人間は他の動物とは違って、熟考することができる。
機械とも違って、頭だけで行動するわけではない。
人間には自分の名誉や主義主張を大事にしたいという性質がある。
どこまで市場に踏み込ませていいかは一人一人が考えなければならない。 -
「経済学が『道徳を売買することは決してない。世界にどう動いてほしいかを示すのが道徳であるのに対し、世界が実際にどう動いているのかを示すのが経済学なのだ』。
経済学は価値判断をしない学問であり、道徳哲学とも政治哲学とも無関係だという考え方は、つねに疑問視されてきた。だが、経済学が思い上がった野望に燃えるこんにち、この主張を擁護するのはとりわけ難しくなっている。」
遊園地のファストパス。
ダフ屋行為。
薬物中毒者への不妊手術。
移民に対する永住権。
希少動物のハンティング。
成績や態度が優秀な生徒への報酬。
そこにお金を出す時、出される時。
どのくらい、違和感を感じるだろうか。
後ろめたさ、憤り、一方で無感覚になっていることも多いんだろうなと思う。
贈り物の項目では、ギフトカードって、ほぼ現金じゃん。現金に「どこそこで使えます」って書いておけば、とあった。
自分で物を選ぶことより、物を選べることの方が相手が「喜ぶ」んじゃないかという、あの心理は確かに何なのか。
生命保険の項目には、まだ薬が開発されていない当時、エイズ発症者に生命保険をかけて、生きている間の治療費を負担する代わりに、亡くなったら生命保険をもらうというバイアティカル産業が栄えたという。
余命5年と宣告されながら、それ以上生き長らえた場合、お金を負担する側は損をする。
更には、エイズへの薬が開発され、劇的に状況が変化した。
一見、喜ばしいことさえ、不満の対象となる。
例示がとにかく面白いし、分かりやすい。
誰かプロが代わりに謝罪をするビジネス、なんていいうのもあって、人に関するあらゆることは、起業されているんじゃないかと思う。
さらに、罪悪感はお金で洗われる。
保育所の夜の託児、レンタルビデオの延滞料など、罰をお金に変えると、それは権利になる。
善なるものは、常に揺らいでいる状態にある。
その中で、それはどうよ、という思いと葛藤したり、批判しているのも、また人である。
結局、分限を守ることでしか、人は人にはなれないのだろう。
そして、今の世の中、それを守ることの方がきっと難しい。
あ。身も蓋もないレビューになってしまった。 -
市場で取引すべきものすべきでないもの
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ようやく読み終わった。
難しかった。できればもう少し分かりやすく書いてほしかった。
市場主義の浸食により、道徳や善や規範が失われているが、あなたたちはそれでよいのかい?という内容。
ただ個人的にこの善と規範という観念が時と場合によって解釈が違うように感じるため、なかなか肌感覚に合わず分かり難い場面が多かった。
善は時に公共益と解釈したほうが良い場面だろうと思うことがあったり、時に道徳であったり信念とまとめた方がしっくりくると思うことがしばしば。
(だから本文では「善」とひとまとめにしてあるのだろうが)
規範の方はさらに捉え方が難しい。
結局、自分の中にこの文脈がないから捉えにくいのだと思うし、この文脈を持つためには私は市場主義に侵されすぎているのだろうと思う。
金銭で売買されてしまう時間や場所、道徳心や風景。
それに慣れていくことは悪いことではないのかもしれない。
時には経済的解決が簡潔で妥当と思える時もあれば、なんでもお金で解決することは腑に落ちない時もある。
基本的には経済主義的解決方法は効率が良いのだが、真心が伴わないことも多いのだろう。
いわゆる間違った勝ち方というものかもしれない。 -
なんでも買える時代、果たしてそれでいいの?という本。面白かった。
中でもプレゼントに関する考察が興味深かった。
経済学者は最も優れたプレゼントは現金だという。
だが我々はそれに違和感を感じる。
それは、プレゼントとは経済的効用を最大化することが目的ではなく、コミュニケーションであると認識しているから。
贈る相手に欲しいものを聞くのも、現金を渡すのと大差ないのかも…でももらって困ったプレゼントというのも実際あるしな〜。
ただ、本人にお金を渡す以上に価値を感じてもらえたら、素敵なことだと思った。
贈り物は贈る側のものか?贈られる側のものか?それほど単純な話ではないと思うが、そんな問いが頭に浮かんだ。 -
近年、市場主義経済が生活の色々な場面に浸透し、かつてはお金で買えなかったものが、どんどんお金で買えるものになっていっている。行列の割り込み(ファストパス)から、空港の手荷物検査の割り込み、結婚式のスピーチ、他人の生命保険※、妊娠の代行(代理母)まで、現代アメリカは生活がすみずみまで売り買いできんばかり。
※バイアティカルのこと。高齢者や末期患者から生命保険を買い取って保険金を払う代わりに、死亡時に死亡保険金を受け取るビジネス。対象者が早く死ぬほど儲かる。
経済学者は、このような市場主義経済の浸透は、我々の道徳心※には影響を与えないと考えている。あるいは、影響を与えるかについてそもそも関心がない。
※本書の言葉では共通善。少し意味がズレるが、日常的な平易な日本語に言い換えれば道徳心かなと。個々人それぞれの心ではなく、我々に共通し、我々を結ぶ道徳的価値観という意味合いが強いが。
しかし、これほど多くのものをお金で売り買いすることが本当に我々の道徳心を損ねていないのかを、いい加減真剣に検討すべき段階に来ているのではないのか?
すごく平たく言うとそのような問題提起をしている本。
たとえば、現代アメリカでは、実現こそしていないものの、養子に出る子供を育ての親に割り当てる方法として、市場を導入するーーつまり子供に値段をつけて売ることを唱える論者がいるそうだ。
最も多くのお金を払える者が、子供を最も高く「評価」しているのだから、子供を受け入れるべきだ。それが、最も「効率的に」「子供という善※」を「分配」できることになるのだという。
※原文はgoodだろうが、日本語的には「財」とでも言った方がイメージしやすいような
市場経済でこのような取引が行われたとしても、経済学者は、それは人々の道徳心には何も影響を与えないという。
本当にそうか?養子を市場で売り買いすることは、「よりカネのあるカップルが親になる資格がある」いう価値観や、「子供の価値は数値化できて優劣がある」という価値観を暗に下敷きにしているし、そういう価値観を後押しするではないか。なにかを市場経済で取引することは、道徳的な価値観と無関係でいられないではないか。
筆者が指摘しているのはそういうことだろう。
親としての資質は資金力では測れない。子供の命の価値も測れない。我々はそういう価値観を持っているはずだ。養子の市場が暗に示す価値観は、我々の持つ価値観とぶつかる。だからこのような提案には抵抗感を覚えるわけだ。
上記のような現代アメリカにおける具体例を待つまでもなく、我々は、お金で売り買いしてはならないものがあると、道徳心で直感しているだろう。
たとえば、人の命。
これは本の中で出てきた例ではなく、私が考えたものだが、外れてはいないはずだ。
誰かを殺してみたいと思っているAさんと、死にたいと願うBさんがいたとする。AさんがBさんにお金を払って同意のもと殺人をさせてもらったとしたらどうだろう。
我々の道徳心が抵抗感を覚えるのはなぜだろう。Bさんは普通の状態でそんな取引に応じるわけはなく、精神疾患を抱えていたり、家族の経済的困窮から仕方なくこの取引に応じたはずで、これは公正な取引ではないという理由からだろうか。(公正の論理)
しかし、では、AさんとBさんが完全な自由意志によって取引が成立したのであれば、これを容認してもいいのだろうか?
筆者はこれを容認しないだろう。
公正な取引かどうかが問題である以上に、この取引が前提にし、後押しする、道徳的な価値観を問わなければならない。
それは、「殺人を犯したいという欲望は是認されてもいい」という価値観であり、「命は尊い」という我々の道徳心を腐らせる。(腐敗の論理)それこそが問題なのだ。
◾️感想
この「腐敗の論理」を提示したところがよくある議論と一線を画していて面白い。
なにもかもに値段がつけられる風潮に抗うために、カネではない別の適切な方法で価値を測るべきものがあるんじゃないか、とサンデルさんは言っていると思うのだけど、
私はそもそも価値を測ることが「できない」と認定すべきなんじゃないかと思う。認定すべきというか、そう思っている。親としての資質とか、子供とか、人の命とか。測れるはずだというのが幻想だと思う。測れない、と認めることによって、いろんな指標で優劣を比較されることから、守るべきだと思う。
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道徳的価値観を資本主義的市場に持ち込むとどうなるか。我々が普段何気なく過ごしている日常のあらゆるところで、この話の内容を意識せざるを得ない部分があるなと感じた。
アメリカでは、よりそれが顕著なんだろうなと読んでいて思う。
合理的で商業主義的な考え方が浸透すると同時に個人の自由という名の下で、道徳的価値観をそっちのけで自分を安売りしてしまっていないか?
社会がそういう仕組みになってしまっていないか?
単純に個人をに批判するのとはまた違うということを深く洞察している一冊。
正義の話をしようを読んでから読むとより理解は深まるかと。 -
■お金で買えないモノ、買うべきでないモノ、市場主義によって失われる何かについて考える■
欧米では良くも悪くも、日本ではおよそ考えられない領域まで市場原理が浸透しているようだ。
本書で取り上げられるのは、行列に割り込む権利、罰金支払いのための共同基金、命名権といったものから、出産許可証、薬物中毒者の不妊手術同意に対する報酬、エイズやがん患者の生命保険売買(投資家は患者が早く死ぬほど儲かる)といった明らかに人道にもとるものまで、おぞましい気分にさせられる。
市場に委ねれば、あらゆるものの商品化が可能となる。そして商品化という過程を経ると、良心の呵責とか善悪という概念は消え去り、市場における適切な料金を支払うことで、社会的責任や罪悪感などという不都合なものは廃棄物と同じように処分できてしまう。
実際にそういった市場がうまく機能している現実――例えばCO2排出権取引が経済成長と温暖化対策のバランスをとっている、クロサイを殺す権利の売買が絶滅危惧種の保護に寄与している等――には複雑な気持ちになる。売り手と買い手、双方の効用を向上させる(=幸せにする)のみならず、社会にとっても有益だということになると、いったいどんな理屈でもって反論すればよいのか。
道徳や倫理は、市場原理の合理性の前に縮こまっているしかないのか。
記憶に新しいところで、新型コロナウイルスの蔓延初期にマスク需給がひっ迫し、買い占めや高値でのネット販売が横行したことがあった。僕は強い憤りと侮蔑を覚えた。一方で、チケットのダフ屋については、もちろんよいことだとは思わないが、そこまでの嫌悪感は抱かない。他にも希少なモノのオークションはどうだろう。
取引対象となるモノによるのだろうが、いずれも需要と供給があるために生じる取引であり、経済学的な本質は同じだと言えるだろう。となると、僕の抱く感情は公正ではないのだろうか。道徳的な善悪を判断するために、何を拠り所とし、どこで境界線を引くべきなのだろう。
話は変わるが、贈り物を例に次のようなことが述べられている。経済学的に渡し手受け手双方の効用を最大化するプレゼントは現金である。といって贈り物に現金を渡すのははばかられるが、それがギフト券だと抵抗が小さい上に、双方の効用は一般的にモノより高い。確かに僕自身、ギフト券やカタログギフトを多用するようになったし、もらう場合もそのほうがありがたいと思うようになった。では昔ながらの贈り物にあってギフト券にないものは何だろう。
例えば開ける前のドキドキ感、自分では買わない(買えない)ようなモノをもらう驚き、センスの違い、相手を思って選ぶ楽しみ、自分のために選んでくれた嬉しさ、そんなこんなにまつわる会話や笑顔・・・これぞプライスレスだ。価格が付けられないがゆえに、僕はお金で買えない価値を過小評価してないだろうか。このままでいいのか?
市場主義は経済成長、持続可能性、セーフティネット、Win-Win といった美名を盾に社会から道徳を締め出しつつ、僕たちの身近なところでも徐々に侵食を始めているのかもしれない。 -
市場を持ち込んでもいい場所、そうでない場所を日々考える必要性を感じた。
民主主義は、完全な平等を求めないが、経済力や育った環境の違うものが出会い、差異を実感しつつも、共通の「善」を見出すことが必要である。この点に、私たちが求めるべき未来の形が表現されているとおもう。
また、本の構成として、親しみやすい内容からはいって、ヘビーな議題や専門性のある内容を取り扱ったあと、また親しみやすい内容へとシフトして話をうまくまとめるといった構成が見受けられた。
個人的にそう感じただけかもしれないが、こういった話の進め方も勉強になったし、とても良い本に出会えたと思う。 -
市場と道徳をテーマにし、市場のあるべき姿を考え直すべき時期に来ていること、将来、私たちが、どういった社会を選ぶべきかについて問いかけられている本。市場の役割は「売り手」と「買い手」をつなぎ、功利主義の原則による「幸福の最大化」を具現化するものであったが、著者が示している「市場勝利主義」が扱うべきでない対象にまで浸潤してきたことにより、道徳的な「腐敗」をもたらす事が出てきたことを、さまざまな事例を紹介し、「お金」が持つ独特の性質により、道徳的に扱うべきものの対象「子供に対しては愛情、献血による血液には思いやりの精神など」が、商品へと成り下がってしまい、それは社会における共通の「善」が規定されていないからとしています。
もう一度しっかり読んでみたい本です。できれば、世界中の成人に読んでほしい1冊です。 -
示唆にとよむ一冊。間違いなくおすすめすることができる。
Michael J. Sandelの講義は有名であり、学生に質問をしながら問題の本質を議論していく対話型である。
本書も著者は答を出さない。出すのは論点とその本質だけ。そして論旨は明快であり、かつ深遠である。
そのテーマとは、サブタイトルにもあるとおり「資本主義の限界」である。
お金を出して何でも買える世界が実現すればみんなはHappyになれるだろうかということである。
資本主義を崇拝する人間から言わせたら答は明らかにYESであろう。なぜならば、買い手と売り手が存在する市場ができあがりさえすれば、市場が効率性を極大化してくれるのだから。
しかし、待ってほしいと彼は言う。資本主義だからといって売ってはいけないものもあるだろう、と。
たとえば、人間の臓器の売買を例に挙げよう。
現在は自由意志により臓器の提供を許可しているが、臓器を提供してくれた人に金銭的なインセンティブを与えるという法律を作成したとしよう。
収入がたくさんある人は自分の臓器を売ってまでしてお金を稼ぎたいと思わない。一方で、可愛い我が子のためになればと、貧困にあえぐ人は臓器を売るかもしれない。
資本主義者の言い分に立つと、買い手と売り手が存在すれば誰もが幸福なり、そこに損害を被る人はいないのだから積極的にこのような市場を作るべきというところだろうか。
しかし大抵の人はこの問題に対して嫌悪感を抱く。
なぜならば、人間の臓器は売買する「モノ」として適さないと思うからだ。
著者の表現を借りると、道徳という高級な規範が、資本主義を介して市場に持ち込まれると低級な規範によって締め出されるという現象が発生する。
最近、ロジカルであること及び合理的であることが正しいとされており、道徳という考えが廃れてきている。
正しいことが良いこととは必ずしもイコールではないのだ。新しい資本主義の時代には、時代はめぐり道徳性という考えも必要なのではないだろうか。
我々は道徳性という考えを近年、軽んじる傾向になるのではないだろうか。しかし一方で、経済的な合理性があるにせよ他人を貶めてまで利己的な行動に走ることはない。資本主義が正しいというのであれば、他者を殺したって経済的な合理的を追求するはずであり、それを法も認めるはずである。そうなっていないということは、人間の真ん中にあるものは道徳なのではないのだろうか、と考えずにはいられない。
現在の経済学では道徳を定式化することができない。
株価は非常に単純な確率微分方程式にて定式化することができるのに。 -
資本主義というシステムの中で生きている以上、日常生活に広告が侵入してきていることやお金で行列などの問題を解決することは一定理解はできる。しかしそれによる階級が可視化された社会は私たちは望むのだろうか。
ただお金というインセンティブでは問題が解決しない点も数は少ないが例があるというのもまた面白い。 -
確かに、かつては考えられないくらいいろいろなものがお金で買えるようになってきていて、気が付けばそれが当たり前のように考えてしまっている自分がいる。
ディズニーランドの「プレミアムアクセス」(お金を払うと大幅に待ち時間が短縮される)なんてもう当たり前のような感覚で使いたいときには利用し「お金で済むなら、たまにはね」と幸せになった気になったりするけれど、この「待ち時間をお金で買う」という行為が、「金持ちが行列の先頭に割り込む」と表現されるとちょっとお尻が落ち着かないし、「不公平」とか「賄賂」とかいう言葉と結びつくとなおさらである。
そういうことをたくさんの例を挙げて語っていくのが本書である。
個人的には、著者の主張に共感することが多かった。特に経済的な観点から値段を付ける行為が、値段を付けられたものの価値を何らかの形で変質させる、という指摘は、自分自身が感じていた違和感をうまく言語化してくれたような気がした。どこかのCMのフレーズのように「お金では買えないものがある」のは確かだと思いたいし、むしろ「お金で買えないものであってほしい」と思うものはたくさんある。そう感じる理由を著者に教えてもらったように思う。
そして、著者の言うとおり、僕らには「価値」に対する議論が必要であると思うし、その議論はひとつの結論を押しつけるものではなく、さまざまな主張を「さまざまな主張」として受け入れ互いを尊重するものでなければならない。しかし、まごまごしているうちに、確かに僕らはひとつの「価値観」に気が付けば飲み込まれつつあるようだ。
それでもなお、ポケットの中にあるお金で買える何かが目の前にあり、それが心からほしいものである場合、「本来お金という価値で測るべきではない」という理由で、それをあきらめることができるかどうか、時に僕は自信がなくなる。「不公平」であっても「非道徳的」であっても、かき集められるだけのお金ならかき集めて、どうしても手にしたいものもあるように思う(貧乏人は貧乏人なりに、であっても必死で)。一筋縄ではいかない。
考えさせてくれる本、考える上でのひとつの指針を与えてくれる本だと思う。 -
「世の中にはお金で買えないものもある」と人は口にしますが、実際お金で売買されている事例において疑問を呈しています。
例えばこの世で実際に売買されているものについて、臓器売買、人間の身体を使った広告、大学への裏口入学、無料演劇をお金を支払い代わりに列に並ぶ行為などです。
①市場主義における道徳的価値観の限界
②行き過ぎた市場主義による不平等オンラインでベストセラーを購入
③お金で人が動くことによる腐敗の懸念
市場主義が進むことはより効率的に市場ニーズが反映され相互利益をもたらすいい面もありますが、市場主義による競争がなじまない分野で弊害を起こしていきます。
本来は歴史的・文化的に醸成されてきた道徳的な社会領域に市場主義が進み侵入していくことに違和感を持つこととなります。オンラインでベストセラーを購入 -
本書は私たちの生活と密接にかかわる「市場主義」をめぐる問題について、この現代最重要テーマに、国民的ベストセラー『これからの「正義」の話をしよう』のマイケル・サンデル教授が鋭く切りこむモノでございます。
「カネで買えない物はない―」
かつて、そういって物議をかもした人間がいました。そのことに関する是非は別として『金で買えないもの』ではなく『カネで換算できないもの』はほぼないのではなかろうかとそういうことを思いながら本書を読んでおりました。
さらりと概要をお話しますと本書は『現代の孔子様』と称せられるハーバード大学のマイケル・サンデル教授が現代におけるもっともグレーかつ最重要な『至上主義の是非』という問題に『正義』という観点から切り込んでいくというものです。いやいや…。一般向けの書籍とはいえ、本当に骨太い内容でございました。
ここにあげられるのは民間会社が戦争を請け負い、臓器が売買され、公共施設の命名権がオークションにかけられる…。果ては人間の寿命までもが『売買』の対象になるということを例示されており、まさかアメリカにはセレブリティーの寿命までもが『賭博』の対象として扱われているという現実に空恐ろしくなってしまいました。
しかし、市場主義という観点からこれらの事象を見れば、なんら問題はなく、売り手と買い手が合意のうえで、双方がメリットを得ております。
しかし、ここで心に引っかかる『違和感』はなんだろう? それについてサンデル教授が一つ一つに対して詳細な論考を重ねていきます。
特に面白かったのはサンデル教授が大の野球ファンで、『マネー・ボール』を例に取り上げ、彼らのとった戦略が長期的には頭打ちとなり、肝心の野球の試合そのものが味気ないものになっていくというお話しは考えるところが多かったです。
さらに、『保険』というものについて、二次市場の複雑さとNHKで放送されていた『マネー資本主義』で若干放送されておりましたが、保険を使ったデリバティブ市場でなんと『人の生き死に』をまったく知らない他人の投資家が願っているという事例を紹介している箇所は『ここまで進んでいるのか…。』と頭を抱えてしまいました。
個人的にはサンデル教授のおっしゃることの全てには賛同できるか、といわれればそれもまた首をひねってしまいますが、『行き過ぎた市場主義』に対してどこまでブレーキをかけることができるか?
という現代社会にとって根源的な問いを発信している著者の『勇気』に僕はとても賛同しますし、巻末でこの本を執筆する際に同僚でもあるハーバード大学の超一流の経済学部の教授陣や学生たち、さらにはシカゴ大学の教授たちも協力しているということらしいので、そういった要素もこの本を価値あるものにしているのではないかと、個人的にはそう思っております。
※追記
本書は2014年11月7日、早川書房より『それをお金で買いますか (ハヤカワ文庫 NF 419)』として文庫化されました。 -
市場至上主義と倫理観欠如への痛烈な批判
著者プロフィール
マイケル・サンデルの作品
