大日本帝国の興亡〔新版〕2 :昇る太陽 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

制作 : John Toland 
  • 早川書房
4.31
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本棚登録 : 135
感想 : 11
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  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150504359

作品紹介・あらすじ

1941年12月8日、日本軍は真珠湾にある米海軍基地への奇襲に成功、英米に宣戦布告する。さらに東南アジアでも快進撃を続けるが……。

感想・レビュー・書評

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  •  第2巻では、真珠湾奇襲からミッドウェー海戦までの歴史を見ていく。日本軍による真珠湾奇襲をきっかけに、アメリカは本格的に戦争に参戦する。これにより、世界情勢は大きく変貌する。ソ連は極東に軍を整備していたが、その一方で、ドイツの侵攻を阻止しなければならなかった。仮にこの時点で、スターリンが対日宣戦布告あるいは日本を挑発したとしても、一般大衆の支持を集めるのは難しい。そのため、極東の軍隊を引き上げなければならなかった。
     一方、日本ではマレー半島に侵攻して、イギリスの植民地であるシンガポールの陥落に成功した。これは、日本史上、陸戦で最大の勝利となる。これは有色、白色人種ともに衝撃的であった。また、本書のp224を読むと、太平洋戦争初期の食糧事情がうかがえる。この時点で、政府は各家庭に酒三合、ビール二本、小豆一袋を配布すると発表し、13歳以下の子供たちにも箱入りのキャラメル、ドロップ、ケーキなどに配布したとある。これは『戦時下のレシピ』(岩波現代文庫)でも言及されているが、意外なことに、約4年の戦争のうち初めは、贅沢品と思われる食物を嗜んでいた。
     ところが、ミッドウェー海戦で敗戦した。このとき、東条英機は、この事実を隠すように命令しており、一般大衆どころか高官たちも真相がわからなかった。ここから、戦争が泥沼化する。

  • 戦勝で浮かれるタイプと慎重になるタイプの両極端な人しかいなかったのかと思うくらい帝国の軍隊はぐだぐだだったんですね。
    そりゃ負けるわけだ。
    死の行軍なんか、ものすごい権威主義的なところが出ていて、これは、今の時代で戦争が起きても同じ事をやる人が出てくるんだろうなぁとか思うと、憂鬱になります。

  • 真珠湾攻撃からミッドウェー海戦まで。

    日本の連勝、そして転換点・・・
    この期間はたったの半年間。
    読み進めるのが辛くて苦しくなる。
    全5巻まで残り3巻。最後までいけるだろうか?

    それにしても、歴史の本を読むのは本当に難しいと感じる。
    ビジネスのリーダーシップの話で名前が挙がる山本五十六。
    この本で描かれる山本大将は魅力的なリーダーとは程遠い。
    どれも真実で、どれも一部なんだろうな。

  • 司馬遼太郎の歴史観により明治以後、日本海軍の合理的また陸軍の精神性思考が刷り込まれている。
    しかしトーランド書では第二次大戦開戦の初期は「優位をもちつつ停戦を早期にはかる」という現実的思考を持ち合わせていたのは陸軍。
    いっぽうの海軍は真珠湾の成功から過剰な昂揚感で陸軍と対立していたことが記されている。
    つくづく司馬史観にとらわれていたことを思い知らされた

  • [評価]
    ★★★★★ 星5つ

    [感想]
    日本は日米外交において追い詰められていたゆえに実現不可能と思われた真珠湾攻撃を詳細に構築し、訓練を繰り返し成功することができた。逆にアメリカを侮っている状態で実施されたミッドウェー海戦はこの戦争の流れを大きく変える結果となったという感じだね。
    それよりも印象に残っているのは奇襲攻撃に拘る余りにギリギリまで宣戦布告を行わなかったことで日本が不名誉を受けてしまったということ、日本陸軍の捕虜の扱いの酷さも強く感じたな。日露戦争では捕虜を丁重に扱っていたのにどうしてこうなったのだろうか。
    一部の作戦参謀が大本営からの嘘の命令で捕虜を虐殺しようとしたりと、全く擁護できないことばかりだ、天皇陛下の軍隊と自称していたが、行動が全くあっていないと感じたね。

  • 第2巻は、真珠湾攻撃からミッドウェー海戦まで。特に印象的だったのは「バターン死の行進」。どんなことが行われたか、この著作によって初めてその詳細な実態を知った。戦争は悲惨なものだが、実際の戦闘よりもこういう事実の方が、よりいっそう戦争の悲惨さを物語ってくれていると思う。

  • 真珠湾攻撃か始まる日本の序盤の猛攻から一点ミッドウエイで戦局が大きく転回するまで。真珠湾攻撃は、ルーズベルトも実は知っておりあれはアメリカの陰謀だったのだ云々みたいな説があったりするが、実際にはあれは本当に奇襲だった。敢えて言えばアメリカ側は日本が何かするくらいは予想していたが、それが真珠湾に来るとは全く想定しておらず、無防備極まりなかったのだ。確かに無線は傍受されておりアメリカ側の女性電信士が日本が何か企んでいることを察知していたのだが無理解な上司によって握りつぶされていた。そういったアメリカ側の事情とともに、日本の政権内部でも真珠湾攻撃を巡っては東郷外相を始め多くが絶対反対であったこととか、今左側の人はそういったことを知っているのだろうか?当初は米との開戦反対派であった山本五十六連合艦隊司令長官も開戦するなら奇襲しか無いという選択で行われたのが真珠湾攻撃だった。そして序盤はアジア各方面でも奇襲が大成功し、まさに日本の勝ち一色だった。それが暗転するのが、米補給線を分断する意味で山本五十六が強行に主張したミッドウエイ海戦であることに皮肉を感じざるを得ない。今に生きる自分としてはどの点をとってみてもそうだった過去があるからこそ今があるのだとわかってはいるが、それでも様々なifを考えざるを得ない。ハル・ノートを日本に突きつけたハルはとにかく日本の姿勢に猜疑心を持っていて、日本の来栖大使らにサディスティックな対応をとった。彼がほんの少しでも日本に友好的であったなら東條も開戦の決断をあの場面ではしなかっただろう。彼だってそもそもは開戦一直線な考えは持っていなかったのだ。そして昭和天皇は一貫して開戦に反対であった。しかし立憲君主を保持する立場から閣議に反対をすることはしないという自制があった。それは政治体制として天皇独裁を不可とした大いなる功績ではあったが、代償が余りに大きかったと感じざるを得ない。天皇が開戦を不可と強行に主張し、実現した「未来」は一体どこに着地したんだろう。

  • アメリカ人の著者による太平洋戦争を描いた5巻のうちの1巻で、この2巻は太平洋戦争開幕からミッドウェー開戦までを描いたものである。

    1巻同様に著者の取材力には脱帽である。
    ただ、私に太平洋戦争の知識が少ないため、正直話を頭の中で整理できなかった。

    戦闘そのものの話がメインで、主な登場人物は軍人となるのだが、日本の軍人はまだしもアメリカ側の軍人が誰なのかがよくわからなかった。
    もう少し勉強しなくてはという思いに駆られた。

    しかし、日本、アメリカ双方の観点からこれほどよく太平洋戦争を描き出した本はおそらくないだろうという感想は1巻と同様である。
    名著だと思う。

  • 真珠湾攻撃から、緒戦の勝ち戦、そして転回点となるミッドウェー海戦まで。
    戦闘そのものにはほとんど踏み込まず、史書みたいだった「第三帝国の興亡」に比べて、こちらは生々しい描写が多い。インタビューが元になっていると思われる記述も多数。多くの捕虜が死亡したバターン死の行進。捕虜や現地のひとを(それなりに)人道的に扱おうとした軍幹部がいた一方で、積極的に虐待、虐殺に手を染めた幹部や現場の兵士たち。同じことが前線のあちこちで起きたのだろう。ちなみにあとで調べたら、前者の代表である本間中将は戦犯として処刑され、命令を偽造してまで捕虜を処刑しようとした辻政信は戦犯指定を逃れ、生き延びて国会議員になって銅像まであるらしい。
    なんか気持ち悪い。

  • 真珠湾攻撃、マレー沖海戦、バターン攻防、ミッドウェー海戦と読み応えたっぷりです。臨場感に溢れています。ミッドウェー海戦決行は、やはり日露戦争での日本海海戦の勝利が山本長官の頭にあったのでしょうか。

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著者プロフィール

(John Toland)
1670-1722年。アイルランド生まれの思想家。名誉革命の動乱期にスコットランドのグラスゴー・カレッジで学んだ。ロンドンにやってくると、非国教徒内の同盟を推進する長老派ダニエル・ウィリアムズを支援して、その著作をジャン・ル・クレールの雑誌に紹介した。これによってオランダでの勉学の機会を与えられ、ベンジャミン・ファーリ、ル・クレール、フィリップ・ファン・リンボルクなど大陸の自由主義的プロテスタントとの交際を得た。帰国後、反三位一体論争のさなか『秘義なきキリスト教』(1696年)を匿名出版した。多数の反駁が書かれ、イングランドではミドルセックス大陪審の告発、アイルランドでは大陪審の告発と議会下院による焚書と逮捕・起訴が決議された。逮捕を逃れてロンドンにもどると、時事的な政治的著作・パンフレットの出版や、ジョン・ミルトンやジェイムズ・ハリントンなどピューリタン革命時の共和主義者たちの諸著作を編集出版し、「コモンウェルスマン」として活動した。後に『セリーナへの手紙』(1704年)、『パンテイスティコン』(1720年)などで唯物論的自然哲学を展開した。

「2016年 『セリーナへの手紙 スピノザ駁論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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