黒い迷宮 下 ルーシー・ブラックマン事件の真実 (ハヤカワ文庫NF)

  • 早川書房 (2017年7月20日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (336ページ) / ISBN・EAN: 9784150505035

作品紹介・あらすじ

2000年、六本木で働いていた英国人女性が突然消息を絶った。《ザ・タイムズ》東京支局長が丹念な取材をもとに事件の真相に迫る。

みんなの感想まとめ

複雑な文化や歴史が交錯する日本を舞台に、事件の背後にある真実を丹念に掘り下げた作品です。英国人ジャーナリストが描く視点は、在日韓国人の苦悩や日本の警察組織、裁判システムの実態を鋭く照らし出し、読者に深...

感想・レビュー・書評

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  • 【まとめ】
    1 織原城二
    織原城二、本名・金聖鐘(キム・ソンジョン)は、幼少期から度を超えた英才教育を受けていた。彼の弁護士が逮捕から6年後に出版した本によると、小学校に入学するまでの2年間、キム・ソンジョンはカトリックの幼稚園に通った。幼稚園から自宅に戻ると、3人の家庭教師が幼い少年を待っていた。ヴァイオリンとピアノのレッスンは「3歳10カ月」から始まり、土曜日には、昼から夕方まで音楽のクラスを受講し、そのあと1時間はオーケストラの合奏に参加した。日曜日にも、午前と午後に個人授業があった。本には「自由がなく苦痛でたまらなかったという」と書かれている。

    6歳のとき、キム・ソンジョンは大阪教育大学附属天王寺小学校に入学した。日本でも有数の名門校だ。ただ、かつての同級生はキムを「好かれるタイプではなかった」と評する。
    「いつも自分のやり方を押しとおそうとして、人の気持ちなんておかまいなし。自分と他人のあいだに壁を築いていたんだと思います。仲のいい友達も少なかった。あるいは、まったくいなかった。言われてみれば、彼の親友は誰かと訊かれても、思いつきませんね」

    中学3年時、キム・ソンジョンは東京の慶應義塾大学の附属高校に合格する。親から田園調布に家政婦付きの一戸建ての家を与えられ、一人暮らしをすることになる。この時、自身の名前を星山聖鐘に変えている。
    だが、高校でも友達ができることはなかった。星山はどこか掴みどころのない性格で、空虚感のようなものが彼を包んでいた。立派な外見の内側に、友情を形作るための最も重要な要素が押しとどめられているかのようだった。そもそも、そんな要素が彼のなかに存在するかどうかも怪しかった。

    高校卒業前後の1971年、星山は国籍を韓国から日本に変更し、織原城二という新たな名前を獲得する。

    30代になった織原は、相続した財産を不動産開発に注ぎ込むようになった。時はバブル景気。不動産さえ持っていれば誰でも金持ちになれる時代だった。織原は日本各地のビルやマンション約20件近くを所有し、その多くを賃貸に出して家賃収入を得た。ある時点で、彼の総資産額は40億円にも達したという。しかし同時に莫大な借金を抱えており、バブル崩壊後は返済で首が回っていなかったという。

    逮捕後に織原と知り合った人は誰もが、「複雑な深い孤独感に包まれた男」という。
    「信頼できる相手も、相談できる友人もいない。私はときどき思うんです。誰も頼る人がいないから、ああいうふうに女性と向き合うしかなかったのだろうか、とね。
    彼には真の友達がひとりもいない。どうして私にそんなことがわかるのかと訊かれると、説明するのはむずかしいのですが……彼の眼や表情から、直感的にわかるんです。私が眼を合わせようとしても、織原は視線を避けようとします。彼のなかには複雑な感情が入り乱れているんです。単なる悲しみではなく、悲哀と言うか……とても、とても孤独なんです。悲劇的なほどに」


    2 あの日ルーシーは何をされたか
    ルーシーは「逗子マリーナ」にある織原の秘密部屋に連れて行かれた。室内に大量に保管された未現像のフィルムの一本から、ルーシーが写った写真が2枚見つかっている。部屋からはフルニトラゼパムと呼ばれる強力な睡眠薬が入った小袋も発見されている。また、織原はルーズリーフのバインダーに、昭和45年から性交渉をもった女性の名前と性行為の経過を記載しており、女性を酔わせて睡眠薬を飲ませた記録が残っていた。17歳であった昭和45年頃から43歳となった平成7年までに209人との性交渉を行っており、織原が呼ぶ「征服プレイ」の様子を撮影したビデオテープも大量に残されていた。

    ルーシーの遺体が発見されたのは、2001年2月のことだった。ブルーシー油壺――織原が所有するマンションから200メートルほど離れた地点に、崖の一部が崩れてできた拓けた空間がある。崖に取り囲まれたその砂浜の奥の洞窟の中に、半透明のビニール袋に入った切断遺体が埋められていた。(遺体が埋められていた現場が織原の部屋からあまりに近いにもかかわらず、発見までに7ヶ月もの時間を要していることから、実は警察は早い段階で遺体を見つけていたがそれを隠し、織原の自供を取ってから掘り起こすつもりだったのでは、と筆者は考えている。)

    2001年7月4日、ルーシー・ブラックマンへの準強姦致死容疑に対する織原城二の裁判が始まった。
    裁判官が起訴状を読み上げる。
    「被告人は、遅くとも昭和58年(1983年)ころから、多数の偽名を使い分けながら、自己の素性を明かさないまま、女性を言葉巧みに〈逗子マリーナ〉に連れ込み、同所において、女性に睡眠作用を有ずる薬物を混入した飲み物を飲ませ、吸入麻酔薬であるクロロホルムを吸引させるなどして意識を喪失させたうえ、覆面等を着用して姦淫するなどしたうえ、その状況をビデオカメラ等で撮影するなど、同一様態による同種の犯行を常習的に繰り返してきた。被告人は、上記行為を『征服プレイ』と称している」
    「被害者に睡眠作用を有する薬物を混入した飲み物を飲ませ、吸入麻酔薬であるクロロホルムを吸引させるなどして同女の心神を喪失させて姦淫し……上記薬物の作用等に基づく心停止または呼吸停止等により、同女を死亡するに至らしめた」

    織原は電車とタクシーを乗り継いで東京のマンションの一室に行き、夕方に再び〈逗子マリーナ〉に戻った。翌朝早くに帰京した彼は、大量に所有するプリペイド式携帯電話の一台を起動。午後5時半直前、その携帯電話を使ってルイーズ・フィリップスに「タカギアキラ」として電話をかけた。
    「被告人は、〈ブルーシー油壺〉401号室または同県内、もしくはその周辺において、電動チェーンソーを使用して、被害者の死体の頭部、両腕部、両大腿部、両下腿部等を切断して死体を損壊したうえ……頭部をコンクリートで固めてごみ収集袋に入れ……残体を袋に入れて土中に埋め、遺棄した」
    そして7月末から10月上旬にかけ、織原はルーシーの偽の署名が入った手紙を警察に6通送った、という内容だった。

    起訴状の内容は、捜査本部の刑事たちが何ヶ月もかけて収集した証拠にもとづくものだった。しかし、7月1日の土曜日から7月2日の日曜日のあいだ、および同5日から7日のあいだには空白があった。電話通話も、証人も、金のやり取りも、何ひとつ見つからなかった。その穴を埋めるために必要なのは自白だった。もしくは、織原のDNA――血液、体毛、精液――がルーシーの体から発見されれば、空白を埋めることができたかもしれない。しかし時間が経過しすぎたためか、そもそも初めから存在しないのか、懸命の科学捜査でも織原のDNAの痕跡は見つからなかった。それでも、なんらかの方法でルーシーは殺された。誰かが、どこかで、彼女の体をチェーンソーで切断し、洞窟に埋めたのだ。状況証拠が投げかけるのは、あるひとつの疑問だけだった――織原城二でないとすれば、ほかに誰がやったというのか?

    織原は弁護人に対してこう告げている。「私は減刑など求めていない。無罪が欲しいんだ。被告として、私はすべての容疑を否認する。あなたは私の弁護士なんだから、検察と戦わなくてはいけない」。欧米であれば常識的発言以外の何物でもないが、多くの日本人弁護士にとって、それは前例のない弁護方針だった。織原は弁護のすべてを掌握しようとした。
    検察側の主張は強固で一貫性があった。一方、織原は出来事の日付や詳細を全て完璧に記憶していたものの、主張の方針が一貫性に欠けていることが多かった。


    3 見舞金
    その年の秋、ティム・ブラックマンは織原から1億円を受け取り、被告人に不利な証拠の信憑性を疑問視する書類に署名した。

    最初の接触は2006年3月、織原の弁護士からのEメールだった。約20万ポンド(4000万円)の現金と引き換えに、東京地方裁判所での意見陳述を取り止める、それが向こうの提案だった。ジェーンも同様の申し出を受けたが、断固として拒絶した。一方、ティムはメールで簡単なやり取りを始めたが、「金を受け取るつもりは微塵もなかった」と当時の彼は言っている。
    しかし、織原の弁護士はメールの文面を保存し、加えてティムとの電話の会話を録音していた。翌年に公表されたそのやり取りの詳細は、ティムが主張するよりも、彼がより前向きに金の交渉を進めていたことを指し示すものだった。

    9月末、彼は東京に出向き、ホテルニューオータニ東京で関係者と会談する。そのタイミングは偶然ではなかった。10月には、織原の弁護団による最終弁論が始まろうとしていた。ティムの銀行口座に1億円が振り込まれたのは、そのわずか5日前のことだった。

    加害者から被害者への損害賠償の支払いは、日本の刑事訴訟では古くから確立されてきた行為である。しかし、この慣習と織原の提案はまったく種類の異なるものだった。通常、被告人は償いの表現として、つまり自身が責任を認めた不法行為への反省の印として金銭を提供する。ところが今回、織原は何も不正を認めていなかった。彼の弁護士が見せびらかした大金には、謝罪や告白の言葉はともなっていなかった。事実、その金が賠償金ではなく、織原が問われた刑事責任とは無関係の見舞金である旨が書類にも明記されていた。彼はいかなる不法行為にも及んでいないが、一般の人々と同じように、ルーシーとカリタの身に起きた事件をひどく憂慮しており、悲嘆に暮れる遺族をなんとか助けたい。それが織原の主張だった。

    金の支払いについて公表後、イギリスのメディアは沸いた。ティムは「日本での訴訟費用等の補填」と説明したものの、デイリー・メール紙は「(ルーシーの親族や友人は)ティムのことを薄情で虚栄心の強い男だと語った――10年前、別の女性と生活するために無情にも家族を捨て、いっさいの経済的支援を拒否した男……東京の人々の善意を瞬く間に食い物にした、傲慢で自己中心的な男」と書いた。また、元妻のジェーン・ブラックマンもデイリー・メール紙のインタビューを受け、裏切り行為について正式なインタビューを受けている。
    家族を代表して1億円を受け取ったこと、ルーシー・ブラックマン基金が慈善団体として大っぴらに商売をしすぎていたことから、ジェーンとロジャー(ジェーンの再婚相手)はティムを詐欺容疑で告発している。


    4 決着
    6年半に及ぶ裁判の結果、織原城二はルーシー・ブラックマンに対する準強姦致死の罪について無罪の判決を言い渡された。状況証拠は認められるものの、織原とブラックマンを結びつけるDNAなどの直接的な物的証拠がなかったからだ。しかし、ほかの8件の準強姦罪、オーストラリア人ホステス、カリタ・リッジウェイへの準強姦致死罪が認定され、織原には無期懲役の判決が下った。

    織原城二とはいったい何者だったのか?私の見るかぎり、彼の人生を最も特徴づけるものは、親密な人間関係がまったく存在しないことだった。完全な孤立状態と言ってもいい。
    なぜ彼は世界に扉を閉ざしてしまったのか?そこには、何か深刻で魅惑的な理由があるはずだ。が、その理由は私たちの手が届かないどこか奥深くに閉じ込められていた。だとすれば、彼を存在しないものとして捉えたほうが賢明かもしれない。急に寒くなったら、寒さが訪れたのではなく、熱が存在しないと考えるのと同じだ。暗闇に包まれたら、光が存在しないと考えるのと同じ。織原は暗闇に吹く突風のごとく現れ、周囲の者たちの命を危険にさらした。これが彼を測る真のバロメーターだった。

    黒い迷宮(上)のレビュー
    https://booklog.jp/users/suibyoalche/archives/1/4150505020

  • 中立的な しっかりしたノンフィクション
    最高の作品

  • 本編100点、解説0点

    本編は良かったです。特に日本論として秀逸。
    全体として客観、中立で書かれていると感じるのも良い点。
    一方で解説は思想強めで全くもってよろしくない。個人的な思いや考えを著者の指摘と絡めて、さも「そう言っている」かのごとく主張する左翼仕草の塊のような文章で読むに値しない。
    本編を際立たせるツマの役割なら、10点くらいあげても良いかも。

  • (上巻より)

    気になった部分は、
    クラブでは客がどんなにホステスにちやほやされても、
    それはただの「お約束」であって、
    それがベッドへの誘いではないことが外国人には理解しがたいとか、
    日本の警察では自白が重要視されており、
    遺体の場所を知っていたのにわざと知らないふりをしていたのではないかとか。

    別の犠牲者が日本の病院で最期を迎えた後、
    看護師が家族に席を外すようにお願いし、
    その間に彼女を着替えさせベッドに花を飾ったという話には感動したが、
    火葬場で彼女の骨を拾うように言われ驚愕したのには、
    文化の違いを不快に思わせて申し訳ない気持ちになった。

    それと、
    著者がなぜ10年もこの事件の取材を続けたか、が知りたかったが、
    謎のままだった。
    この事件によってそれまで知らなかった新たな人間の側面を知り、
    大都市にひそむ異様な何かを知っているべきだったにもかかわらず、
    自分の中から抜け落ちていたから、とか書かれていたが。

    そして最後に告白しておこう、
    この本にも書かれていたリンゼイ・アン・ホーカーさんの事件と、
    犯人を勘違いして読んでいた。
    そのため、途中でパラレルワールドに入ってしまったかの感覚に陥いるという、
    稀有な体験をしてしまった。
    自分の記憶力の無さに驚きだ。

  • 一気に読めた。
    英国人の著者は自分に正直に各登場人物を評していた。
    英国から見た日本とはこんな感じなんだ、英国と日本の文化の違いというのを知れて面白かった。(日本の性産業の歴史、客室乗務員に対する両国のイメージの違い、など)

    英国人から見た、日本と韓国の複雑な歴史、在日朝鮮人の苦悩、日本の警察の古い組織、日本と英国の裁判の比較などが知れて、深く考えさせられた。

    最も印象的だった一文
    「そのとき、恐怖にも似た興奮に、私の胸は高鳴っていた。その翌週は、ルーシーが日本に到着してからちょうど七年目となる週だった。カリタ・リッジウェイの生命維持装置が外されてから一五年、熱性痙攣の発作に襲われたルーシーの命をティムが救ってから二七年の月日が経っていた。三八年前の同じ週、織原城二の父親は香港で死亡、あるいは殺害された。同じ頃、家族の期待を一身に背負う彼の二男坊が、アメリカ人とのハーフの少女ベティとの失恋を経験した。織原の両親が貧しい移民として日本に来てから七〇年。関東大震災のあと、日本人が朝鮮人を動物のように虐殺してから八四年目のことだった。こういったすべての出来事が、何かで繋がっていた。そう思えてならなかった。私が頭に思い描いたのは、一本の木だった。地中深くに根を張り、枝の先まで樹液を循環させる木。高く、広く、無限に広がる枝。その太い枝から伸びる無数の小枝は、地中の根から届く樹液とともに勢いよく成長していく。織原の歪んだ人生は、そんな小枝の一本だった。ルーシーの死、家族の悲しみ、ソフィーの自殺未遂は、その枝に実ってしまった果実だった。私たちに見えるのは、この曲がりくねった黒い木のほんの一部だけだ。その一部を言葉で説明するのはむずかしい」

  • この本は外国人ジャーナリストによる「日本論」だったのだな、と読み終えて思っていた。訳者あとがきを読むと、同じことが指摘されていた。曰く、「彼が外国人としての視点から示す、水商売の世界、日本社会における差別、警察という組織、裁判システムに対する見識と鋭い洞察力には、多くの読者が驚き、深く考えさせられることだろう。」
    「ホステスという仕事」についてに、バーで話をするためだけに金を払うというのは日本独特の文化なのだろうと語るオーストリア人男性の言葉が本文にある。なるほどと思わず手を打ってしまう。

  • リチャード・ロイド・パリー『黒い迷宮(下)──ルーシー・ブラックマン事件の真実』ハヤカワ文庫。

    ザ・タイムズ東京支局長が、事件の詳細、被害者女性、ルーシー・ブラックマンだけでなく、ルーシーの家族の苦悩、犯人である織原城二の出生から歩んで来た人生、過去の陰惨な悪行の数々をも暴き出す渾身のルポルタージュ。

    犯人の異様な性癖と在日韓国人にして、大金持ちというセンセーショナルな部分だけを描く日本のマスコミとは違い、在日韓国人問題の歴史的背景や被害者女性とその家族をも極めて冷静な第三者的視点で描いている点に好感が持てる。

    解説が自分が一番嫌いなジャーナリストの青木理というのが非常に残念。

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著者プロフィール

英『ザ・タイムズ』紙アジア編集長および東京支局長。1969年生、英マージーサイド州出身。オックスフォード大学卒業後、1995年に『インディペンデント』紙の東京特派員として来日。2002年より『ザ・タイムズ』紙に属し、東京を拠点に日本、朝鮮半島、東南アジアを担当。アフガニスタン、イラク、コソボ、マケドニアなど27カ国・地域を取材し、イラク戦争、北朝鮮危機、タイやミャンマーの政変を報じる。著書に、『狂気の時代』(みすず書房、2021年)のほか、日本を舞台にしたノンフィクション『黒い迷宮』(2015年)、『津波の霊たち』(2018年。ともにハヤカワ・ノンフィクション文庫)がある。『津波の霊たち』で2018年ラスボーンズ・フォリオ賞、2019年度日本記者クラブ賞特別賞を受賞。

「2021年 『狂気の時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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