言語が違えば、世界も違って見えるわけ (ハヤカワ文庫NF)

  • 早川書房 (2022年2月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (464ページ) / ISBN・EAN: 9784150505868

作品紹介・あらすじ

古代ギリシャ人は世界がモノクロに見えていた? 母語が違えば思考も違う? 言語と認知をめぐる壮大な謎に挑む、知的興奮の書!

感想・レビュー・書評

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  • 想定よりも専門的で難しかったですが、理解はできるレベルであり、とてもおもしろく読めました。
    言語が違うと見える世界が違うのか、というテーマで、空間、色、ジェンダーについて詳細に書かれていて、基本的には読んでいて、そういうもんか〜とただただ頷くのみでした。
    その言葉がないことがその概念を理解しないこととは違うというのは、言われてみれば当たり前ですが、言われないと言語化できなかった感覚でした。
    言語が文化や思考に影響を及ぼすのか、文化や思考が言語に影響を及ぼすのか、一意に定まるわけではどうやらなさそうですが、考えるのが楽しいテーマです。

  • 「青色」と言われて、思い浮かべるのは何の色だろうか。

    海の青、空の青、信号機の青。

    これらの「青」が同じ表現でありながらも、違っていることはわかる。空の青は、どちらかといえば「水色」に近いし、信号機の青は、「緑色」に近い。

    自分の母語とする日本語の世界では、青は、このようにした広がりを見せているが、英語では信号機は「green light」といったように、異なる表現が使われる。

    では、色を表現する言語が違えば、実際に見ている色に「補正」がかかるのだろうか。それに関して書かれているのがこの本であり、数多くの思考実験がなかなかに面白い。

    第1章では、文学の世界から物語が始まる。ホメロスの描いたオデュッセイアの世界で、海の色が「葡萄酒の色」と表現されているところから、端を発する。

    色彩感覚は、時代と共に、知覚能力として向上したのだろうか、という謎に立ち向かうべく、多くの実験が行われた。

    そこで導かれたのは、色を特定する単語がないからといって、知覚できない、というわけではない。それは、時制も同じで、過去形を細かく分類する言語でないからといって、それを表現できなかったり、感覚がないわけではない。
    ただ、伝えるための制約に従っているだけだ。
    ということだった。

    次に取り上げられたのは、「サピアウォーフ仮説」について。以前、別の本で読んだ「サピアウォーフ仮説」は、それを知ったとき、驚嘆した。

    「言語の違いは、思考の違いに影響する」という、シンプルな結論は、トップダウン式に全てのことに当てはまると結論づけた。しかし、それは後になって、誇張されすぎたこじつけにすぎないことがわかり、この仮説は色褪せていった。

    では、どこから誇張され、間違ってしまったのだろうか、果たして、この仮説は、全て間違っているのだろうか、と考察していくのが、この本の後半部にあたる。

    こちらに関して、ネタバレとなるので結論は控えるが、もっと語彙力を増やした方がいい、ということが改めて示されたように思える。


    英語の勉強をする際に、圧倒的な単語を前にして、もっと簡単であればいいのに、と思ったり、母語である日本語でも、こんな単語使わないから、覚える必要はない、と切り捨てていた過去を、改めて見返す必要がでてきた。

  • 素晴らしく面白かった。世界には様々な特徴を持つ言語がある(あった)こと、そのような特徴が我々の思考や認識に何をもたらすのか(あるいはもたらさないのか)、言語によって我々の世界の見え方は異なるのか、などなど。
    今までは気にも留めていなかったような知的好奇心を刺激する数々の疑問がこの本では紹介されている。
    文章が少しスノッブ気取りで読み進めにくく感じた部分もあるけれど、決して専門的にはなりすぎず、あくまで一般向けに書かれていたと思う。

  • ガイ・ドイッチャー「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」読了。大規模言語モデルやチョムスキーの普遍文法から言語学に興味が湧いた。その中で本書を読み言語の奥深さを堪能できた。具体的には、色彩、空間、ジェンダーの点を例に母語が異なる人々の間で世界観が異なる事に言語の力強さを感じた。

  • 空間、ジェンダー、色彩という人類の最もプリミティブといえる認知への母語言語による影響を論じた一冊。
    第一部はホメロスの叙述詩に描かれた不思議な海の色、乏しい色彩描写に疑問を持ったグラッドストン博士のエピソードに始まる。文化圏ごとの色の識別の分析は新鮮で非常に面白い。「そこで線を引くんだ」という。ホメロスの時代から見ての数千年という時間軸の中で、”獲得形質の遺伝の有無”という進化論でよく話題になるトピックが重要な議題になるのも、ある種アハ体験的な面白さがある。
    第二部では言語学の歴史から始まり、言語ごとの世界認識の違いに話を向ける。方向や位置関係を示すときに、自分を中心とした相対座標で表現するのか、絶対的地軸感覚を持ち絶対座標で表現するのか、は非常に面白い。紹介される米国先住民ホピ族・ホピ語の時制と世界認識の話はテッド・チャンのSF小説『あなたの人生の物語』を思い起こす。

    著者はヘブライ語を母語とするイスラエルの方ですが、自身の知見がインド・ヨーロッパ語族に偏りが強いように思え、アジア圏の、特に表意文字を持つ言語への言及の少なさが気になる。非常に面白いテーマなんだけど、都合の良い引用を冗長に引っ張ってきている印象が拭えない。特に第一部で主題となる”色彩感覚の違い”の要因は、本当に”言語の違い”に的を絞れているんだろうか?第ニ部以降は種々実験でその疑念を払拭しようと奮闘する様が伺える。
    人類の視覚・認識の進化などにも話が及び、読み物としては非常に興味深い。ただ随所の論理の緻密さへの疑問で「うーん・・・」と思いながらの読書でした。

  • 言語が私たちの思考や世界の見方にどのような影響を与えるのかを、色覚・方位感覚・文法的ジェンダーなどの例から探る一冊。
    どんな言語でも同じことは表現できるが、話す際に“何を強いられるか”が異なるという表現が新鮮でした。
    英語と日本語を使う自分の感覚の違いとも重なり、言語が思考だけでなく、性格や居心地の良さにまで影響しているのではと改めて感じさせる内容でした。
    まだまだ掘り始めたばかりの分野という印象で、これからも興味深い発見が多くありそうな予感がします。

  • 面白かった。筆者は比喩がじょうず。サイエンスの本だったので、筆者が言うように、地味かもしれないけれど、母語が思考にもたらす影響はあるのだということを丁寧に説明してくれる。母語がなんでも思考力に違いがあるわけないよ!という、みんなが思っている「正論」ではなく、ね。

    久しぶりに本屋さんで棚で見て買った本。こういうのがあると本屋さんに行きたくなるなあ。

  • 英語と日本語が喋れる(英語を大人になってから学んだような)人が日本語で喋ると内気になるけど英語で喋ると性格が変わったかのように自分が積極的でポジティブで行動的になる、みたいな事を言ってるのを以前Xのポストで見かけたので、そういう事が書いてあるのかな〜言語が性格に与える影響って何だろうと思い、読んだ。
     
    最初の方は古代ギリシアの詩人ホメロスの色を表す語彙の少なさ、海や鉄を葡萄酒色と呼びハチミツを緑色と言い空を一度として青いと言わない、それは古代ギリシア人が色弱だったのか?という謎から始まる。
    様々な研究者の色々な実験や希少言語の原住民へのフィールドワークの結果、冒頭で私が書いた使う言語によって性格が変わるのか?ということにも答えが与えられる。
    それは言語がそもそもの原因というより言語を話す人々が所属する社会の文化での、その言語を通してのコミュニケーションによって強いられる思考というものだった。

    一例を挙げると、左右の概念がなく、方向を話す場合はすべて実際の東西南北で表すとある部族の話が面白かった。「右の」「左の」手や足、部屋に入って右の棚みたいな概念がなく右手を「お前の南にある手」とか「店に入って北東の棚」となるのだそう。それも外だろうが太陽も星も見えない室内だろうがお構いない上にその時自分の体がどっち向きかによって違ってくるから右手は「お前の東にある手」にもなりうる。そしてその方向感覚はその部族が生得しているわけではなく、赤ん坊の頃から周りの大人や人々と話が通じるために必須で、子ども自身が東西南北を瞬時に判断できるように覚えていくらしい。そこはそういう文化になっちゃっているので、そうやって覚えて成長していかないとまわりと話が通じず、コミュニケーションができなくて生きていけないから。
    な、なるほどー!!

    つまり日本語だと大人しい人が英語をしゃべると積極的になるのは言語で性格が変わるのではなくて、
    その言語を使う社会の文化によってであり、生きていくうえでのその文化の中での相互コミュニケーションがどうなされるのかで変わるってことですよね。
    アメリカ辺りで英語で恐らく「あなたの意見は何?」「あなたはどう思ってる?」としょっちゅう聞かれたり積極的で陽気な人たちと積極的で陽気なコミュニケーションを取らざるを得ないから英語を使う場面で積極的で陽気に染まっていくんだろうなあ。(ならない人もいるでしょうけど!)
    そして色の問題もまた、文化的差異の結果だそう。

    当たり前と思っている物事が、社会の慣習が違うと全く違うものになってくる、という本書のなんとなく理解していたと思っていたけど実は良く理解してなかったものがストンと腑に落ちて、世界がちょっと明瞭になった気がする。

  • 言語の違えば世界は違って見えてくる、とは読む前から時折感じていたことだけれど、その違い方は私が想像していたよりも些細なことで、ただその些末なことの積み重ねが世界の認識に確実な違いをもたらすものである、と教えてくれた。
    少し読みづらさはあるけれど、着実な論理の積み重ねが丁寧に書かれていてとても納得させられる書籍でした。

  • 実にあざとい邦題だ(怒ってます)。ぼくなりに虚心に読んだのだけど、本書は決して題が示しうるような「言語こそ思考の礎となる」「言語を変えれば世界観・価値観が変わる」という極論をこそおだやかに否定しうる、実に良心的で繊細な議論がなされていると感じる(もっとも、そのことを踏まえて読むとなかなか「クセモノ」な題ではある)。ややもするとぼくたちはある特定のキャッチーな現象からすぐに主語を広げて分析・主張したくなるが、本書の議論はむしろ手堅い証拠収集とそこから地道に分析することの大事さを説く。ウィットに富み実に刺激的

  • 言語の違いが思考にどのような影響を与えるのか。欧米における研究の歴史を振り返りながら、丁寧に説明されている。その歴史はバイアスとの戦いであり、それゆえに本書の説明はとても慎重であり、誠実な印象。

    「絶対方位」しか使わないグーグ・イミディル語など、具体的な言語も紹介されていて、興味深く読めた。

    言語の違いが論理的推論に影響を与える実例は「いまだ提示されていない(原著は2010年)」とされているが・・・。

    文庫版では、「ゆる言語学ラジオ」でおなじみ(?)の今井むつみ先生の解説、最新の実験結果の紹介もあり、お得感がある。

  • 言葉は、発する人の世界の見方にどう影響を与えるかについての考察本。

    ウォーフの仮説が妙に気になる、だけど信じていいのかな、と思ってたところでこの本に出会い、読んだ。結局ウォーフの仮説は今は否定されていることがわかったけど、でもだからと言って言語と思考が全くの無関係でもないということがちゃんと説明してあって(しかもユーモアたっぷりに)、私的には満足。解説も言語の研究で何冊も本を出している先生が書いていて、それもまた満足。興味深いし、面白いしで、大事に読んでいきたい本になった。

  • 言語が世界の認識を完全に規定するわけはないけど影響は与えるし、世界の限界を決めるわけはないけどその速度や難易度には影響を与える。

    言葉が何を伝えるか制約するのではなく、何を伝えなければならないかを強制する。それにより形作られた習慣が、世界の見え方を少し変える。

  • 2022-02-22
    SF者としては読まざるを得ない本。第Ⅰ部はイーガン「七色覚」に、第Ⅱ部はチャン「あなたの人生の物語」に通じる。もちろんどちらもSFならではの飛躍があり、それがキモとなっているわけだが。
    特にチャンの飛躍「言語の獲得によって認識に変容が起こる」かどうかは、本書では触れられていない。先行研究もあるのかどうか分からない。けれど、経験的には、頭が英語モードの時は「主体」を意識しているように思う。ゆる言語学ラジオで言っていた、「荒野行動とCODの切り替え」をしている気がする。
    さらに、近年の「ノンバーバルコミュニケーションの言語化」にも思いは広がる。ネットの普及によるテキスト表象の変化と、ネットの進化によるその変化の逆流入。例えば、BBS/SNSでの絵文字や略語(草とか)が、アバター表記や「クサ」という新語として認識される状況。言語は、猛スピードで消えると共に猛スピードで生まれているのかもしれない。

  • 歴史・文化・科学等、多角的で膨大なリファレンスに裏打ちされた、規定概念やバイアスを露わにする著者の緻密や描写が凄まじく、咀嚼し消化するのが大変。。(頑張った私)

    日本語や英語だと性別を意識しないが、性別を明確にすることを強制される言語の学びを挫折してしまった身として、第8章の言語の性別のくだりは、非常に面白く読んだ。有名なマーク・トウェインが、ドイツ語を異常で奇妙で不合理な言語と嘲笑したが、ジェンダー体系を持つ言語話者にとっては、性別の区分けを不自由だと思ったこともないし、それが無くなったら表現の芳醇さや肥沃さが欠けてしまうのであり得ないということを理解することができた。挫折した言語学習を再開してみようかな…という気になった。気だけですが。

    自分の言語にある表現や単語が他方に無ければその話者は知性が劣ってるとか思考が未発達とか単純に優劣でジャッジしがちな論点は歴史的に古今東西変わらず存在する印象だし、そんな論調の本や情報があふれて飛びつきやすい危うさを感じるからこそ、本作のような徹底したリファレンスの本を読む必要性を感じる。教養の低い自分にとっては正直読みづらく(何度も睡魔に負けた)、万人に受ける本では無いが、自分のバイアスに気付いたり概念が更新される快感を味わえる本。

  • 言語は自然と文化、どちらを反映するのか。母語は思考に影響を及ぼすのか。現代人には奇妙に感じられる「葡萄酒色の海」というホメロスの色彩感覚にはじまり、視覚と色名の関係をめぐる議論の歴史や、左右前後を表す言葉を持たず、常に東西南北の絶対方位感覚を必要とする言語の発見など、言語学が生まれた西洋で〈普遍〉と信じられていた常識が崩れていった事例を、言語学者の功罪に鋭く斬り込みながら語るノンフィクション。


    ホメロスは『オデュッセイア』も『イリアス』もまだ読んでないけど、「葡萄酒色の海」のことだけは知っている。だけど、これが文学的な修辞の範疇を超えて「古代人は色弱だったか否か」の議論にまで発展していたなんて知らなかった。西洋の研究者はアフリカやポリネシアへのフィールドワークを通して、空や海の色を黒と同一の単語で表す人びとの存在に驚愕したという。
    ホメロスの叙事詩は本来口で語られたわけで、厳密な色名を挙げるより実物を指し示せばそれで事足りたのだろう。アフリカやポリネシアの人びともそうで、空や海は「地の色」であって、そこに浮かんだり飛んだりしているものは何かという情報のほうが重要だったゆえに、海や空そのものの色を黒(暗色)と区別する必要がなかったのだと思われる。
    色名が生まれる背景に、人工的にその色を作る技術が関わってくるという説も面白かった。そして勿論、文字を持つ文明か持たない文明かも大きい。直接対話できない相手との交流が活発な地域であれば、共通概念としての色は重要になる。反物を指定の色に染めてほしいという注文書とか。
    以上のように、本書の第一部では色名を例に、視覚と言語の関係をめぐる研究史を紹介している。「研究に値する言語」はギリシア語とラテン語だけだとされていた19世紀初頭から、さまざまな偏見を晒しながら歩んできた言語学の歴史にツッコミを入れつつ語っていく。具体的な研究成果が一切報告されていないのに常識化してしまった「言語学の基本」や、偏見への反省がある分野の研究を停滞させてしまった例も引き、鋭い批判も飛ばす。この本は一般向けに書かれた言語学の入門書であると同時に、言語学の罪を暴く本でもあると思う。
    第二部で言語相対論を取り上げると、ドイッチャーの語気はさらに強くなる。「宇宙観は言語に依存する」と断言したウォーフによって、言葉は認識の限界を定める牢獄になり、誰しも母語にないものは本質的に理解できないことになってしまった。ドイッチャーは、そんな考えは馬鹿げていると言う。言語相対論を打破する説がヤコブソンの翻訳に関する思索からでてきたのは興味深い。「言語の違いは〈何を伝えていいか〉ではなく、〈何を伝えなければならないか〉にある」というのがそれである。
    そこで時制を明らかにしなければ一言も話せない言語、男女の区別が無機物にまで及ぶ言語、そして地理座標が体に染み込んでいないと位置関係を表現できない言語が登場する。最後に挙げた例のひとつ、グーグ・イミディル語は、それを母語とする人びとにどんな場所でも東西南北が識別できる身体感覚を無意識レベルで叩き込む。この事例は、オリバー・サックスが『音楽嗜好症』で中国語のような声調言語を母語にしていると絶対音感を持ちやすい、と言っていたのと少し近いと思った。言葉の〈ジェンダー〉にまつわる章は日本語話者には不可解極まりない男性名詞・女性名詞の区別をネタにしていて楽しい。マーク・トウェインの皮肉が冴え渡る。
    最後はふたたび色名と色の識別の相関性を、最新の脳科学実験のデータから考えていく。日頃から言語学って文系と理系の中間にある学問だと思っていたけれど、認知科学と手を取ることで「人間がどのように世界を把握しているのか」「言葉と認知の相互関係はどのくらい強いのか」がこれから明らかになるのであれば、もう言語学こそがSFだとすら言ってもいいんじゃないだろうか。そんな未来に対するワクワクと、そして何より過去の過ちを認めることこそが「科学的」であるというアティチュードを教えてくれる一冊だった。

  •  早川書房のセールで積んでおいたのを読んだ。言語と認知について、鶏が先か、卵が先かの議論を中心に展開していて興味深かった。日本語と英語の二つの言語しか読み書きできないので想像もしない議論が多く新鮮。特に言語は思考のベースであり複数の言語で相対化しづらいからこそ本著のような存在は未知の世界への扉として機能してくれる。
     本著では色の議論が半分以上を占めておりメインのトピックとなっている。紀元前のギリシャの詩人ホメロスの韻文をUKの著名な政治家グラッドストンが研究する中で、色の記述の不自然さから古代の人たちの色の認知能力が低く、人類は長い時間をかけて色の認知を進化させてきたのではないか?という話が議論の発端となっている。このとき色盲のように実際に淡い色しか見えていない可能性と、色は今の人類と同じように見えているが、それを表現する言語を持っていなかったか?のいずれかになると想像がつく。しかしどちらが正しいのかは簡単に説明できるようなことではなく本著ではユーモア、アイロニーを含めつつ丁寧に解説している。時系列+物語的な語り口なので、今流行っている漫画の「チ。」が好きな人は興奮するはず。つまり、今となっては当たり前のことも当時は大きな議論になっていて多くの人間が真実を明らかにしようとアプローチを繰り返した。その営みの尊さを感じることができた。と同時に、今この瞬間も未来人からすれば「まだその議論してんの?」となると思えば趣深い。
     日本語・英語しか使えない人間からすると、名詞に対する性別付与に関する議論が一番オモシロかった。ヨーロッパ圏の言語に多く見られる男性名詞、女性名詞の存在が人間の認知に影響を与えていることを示唆する実験結果が示されているらしく特定の対象を男っぽい、女っぽいと潜在的にイメージしながら話しているのは全く想像がつかない。明らかに合理的ではないが、芸術の観点から見れば一つの単語内に本来の意味に加えて性別の情報も乗っかっていることで表現の幅が広がっている、という話がかなり興味深かった。(特に無生物を使った隠喩による詩の解釈)そして衝撃だったのは位置を示す言語の話。右左上下ではなくすべて方角で指し示す言語があるらしく、それも幼い頃から訓練すれば当たり前になっていくところに人間の可能性を感じた。

  • こちらも途中で断念。「言語が好き」な私には合わなかった。この本は「言語学」に興味がないと、途中から飽きてくる気がする。

    また行間も大変狭く、フォーマット自体すごく読みづらかった…。紙の新聞を読んでいる気分でした。

  • 少し古いが、2004年にBBCが世界で最も翻訳がむつかしい語を発表している(http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/3830521.stm)。コンゴ民主共和国の南東部で使われている”ilunga”という語は、『如何なる暴力・暴言も一度目は許し、二度目も我慢するが、三度目には絶対に許さない人』という意味である。日本人的には有り体に言うと“仏の顔も三度まで”に近そうだ。

    本書は古今東西様々な言語や言語研究の成果を通じて、
    ① 言語の違いは、それを用いるひとの社会や文化の違いを反映しているのか、それとも自然や環境の違いを反映しているのか
    ② 言語の複雑さは社会の進歩の度合いと関係しているのか
    ③ 言語は思考の方法に影響するのか
    という3つの問いに取り組んでいる。
    BBCは”illunga”を“the world’s most difficult word to translate”に選んだが、あくまで翻訳がむつかしいだけで、翻訳ができないわけではない。“ilunga”という語が他の言語にないからといって、『2回目まではぐっとこらえる人』がコンゴ南東部以外の地域に存在しないわけでもない。言語には限界があるようで、不可能もないことを教えてくれる。
    また、いわゆる先進国や文明社会と未開の社会の差異を、生物学的なもの、生物的に所与のものと考えるような過去の説に対する反省を引きながら、研究がどのように揺れ動いていったのかを追いかける。

    “ilunga“は②の問いに対する事例と言えそうだ。
    そもそもの問題として、『言語の複雑さ』というのは漠然としすぎて定義できないため、それが社会の発展とどのように関係するかも測ることはできない。
    ただし、言語の一部、例えば語彙の量、単語の複雑さ、文中の単語の量などに限定した場合、それらと社会の状態との間には、統計的に有意な関係がみられる(という研究がある)。
    曰く、単純な社会ほど、多くの情報を単語内で表現するという。理由として考えられるのが、閉ざされた社会では物事の理解に共通基盤が存在するため、意思疎通にあたって指示語が用いられやすい。指示語は、様々な要素を後付けで取り込んでいく。結果、複雑な意味を持つ語が出来上がる。(反対に、構成員が複雑に入れ替わる社会では、物事の伝達は丁寧に行わなければならない。あまり特殊な指示語はたとえ使っても伝わらないので、あまり複雑な内容を意味する語は定着しない。)

    ところで、 “ilunga”が使われているコンゴ南東部を、いまなんの疑いもなく“単純な社会”であるものとして考えていた。でも本当にそうだろうか。コンゴ南東部のことなど、自分は何一つ知らない。
    『未開の社会で用いられる言語は、きっと単純な言語だろう』という過去の(あるいは今もある)偏見を戒めようというテーマが本書には(きっと)ある。それを読み終えた後でなお、『コンゴ南東部はきっと未開だろう』とごく当たり前に偏見を持って語ってしまった。言語に対する偏見と、コンゴ南東部に対する偏見、次(3回目)はもうない。反省。

  • 「母語の言語体系(文構造、文法、語彙)が、話者の知覚・認知・思考を規定している」という命題について。

    その言語によって「何を伝えることができるかではなく、何を伝えることをを強いられるか」という観点に拠ってみると、↑の命題は正しいようだ。
    そして特に色の見え方について、碩学の方々が導いた結論はかなり驚くべきもので、ぜひ読んでみてほしい。

    言語の「強制」の興味深い事例をひとつ。。
    「前後左右」の語彙がないオーストラリアの先住言語では(!?)「東西南北」を代わりに用い(!?!?)、例えば絵の中の位置関係も「東西南北」で表す。
    だから絵について記憶を辿って説明するとき、「自分がどの方角に立っていたか/イラストがどの向きにあったか」も合わせて把握しないと、そもそも他者とコミュニケーションできない、という。
    ただ「前後左右」の概念を理解できないわけではなく、ここを見誤ると一気にトンデモ論化らしい。

    日本語も含め、名詞のジェンダーなどいろいろな言語の事例がユーモアたっぷりに紹介されており、とても楽しい。

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