言語が違えば、世界も違って見えるわけ (ハヤカワ文庫NF)

制作 : 今井 むつみ 
  • 早川書房
3.83
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本棚登録 : 2202
感想 : 49
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  • Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150505868

作品紹介・あらすじ

古代ギリシャ人は世界がモノクロに見えていた? 母語が違えば思考も違う? 言語と認知をめぐる壮大な謎に挑む、知的興奮の書!

感想・レビュー・書評

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  • 「青色」と言われて、思い浮かべるのは何の色だろうか。

    海の青、空の青、信号機の青。

    これらの「青」が同じ表現でありながらも、違っていることはわかる。空の青は、どちらかといえば「水色」に近いし、信号機の青は、「緑色」に近い。

    自分の母語とする日本語の世界では、青は、このようにした広がりを見せているが、英語では信号機は「green light」といったように、異なる表現が使われる。

    では、色を表現する言語が違えば、実際に見ている色に「補正」がかかるのだろうか。それに関して書かれているのがこの本であり、数多くの思考実験がなかなかに面白い。

    第1章では、文学の世界から物語が始まる。ホメロスの描いたオデュッセイアの世界で、海の色が「葡萄酒の色」と表現されているところから、端を発する。

    色彩感覚は、時代と共に、知覚能力として向上したのだろうか、という謎に立ち向かうべく、多くの実験が行われた。

    そこで導かれたのは、色を特定する単語がないからといって、知覚できない、というわけではない。それは、時制も同じで、過去形を細かく分類する言語でないからといって、それを表現できなかったり、感覚がないわけではない。
    ただ、伝えるための制約に従っているだけだ。
    ということだった。

    次に取り上げられたのは、「サピアウォーフ仮説」について。以前、別の本で読んだ「サピアウォーフ仮説」は、それを知ったとき、驚嘆した。

    「言語の違いは、思考の違いに影響する」という、シンプルな結論は、トップダウン式に全てのことに当てはまると結論づけた。しかし、それは後になって、誇張されすぎたこじつけにすぎないことがわかり、この仮説は色褪せていった。

    では、どこから誇張され、間違ってしまったのだろうか、果たして、この仮説は、全て間違っているのだろうか、と考察していくのが、この本の後半部にあたる。

    こちらに関して、ネタバレとなるので結論は控えるが、もっと語彙力を増やした方がいい、ということが改めて示されたように思える。


    英語の勉強をする際に、圧倒的な単語を前にして、もっと簡単であればいいのに、と思ったり、母語である日本語でも、こんな単語使わないから、覚える必要はない、と切り捨てていた過去を、改めて見返す必要がでてきた。

  • 素晴らしく面白かった。世界には様々な特徴を持つ言語がある(あった)こと、そのような特徴が我々の思考や認識に何をもたらすのか(あるいはもたらさないのか)、言語によって我々の世界の見え方は異なるのか、などなど。
    今までは気にも留めていなかったような知的好奇心を刺激する数々の疑問がこの本では紹介されている。
    文章が少しスノッブ気取りで読み進めにくく感じた部分もあるけれど、決して専門的にはなりすぎず、あくまで一般向けに書かれていたと思う。

  • 空間、ジェンダー、色彩という人類の最もプリミティブといえる認知への母語言語による影響を論じた一冊。
    第一部はホメロスの叙述詩に描かれた不思議な海の色、乏しい色彩描写に疑問を持ったグラッドストン博士のエピソードに始まる。文化圏ごとの色の識別の分析は新鮮で非常に面白い。「そこで線を引くんだ」という。ホメロスの時代から見ての数千年という時間軸の中で、”獲得形質の遺伝の有無”という進化論でよく話題になるトピックが重要な議題になるのも、ある種アハ体験的な面白さがある。
    第二部では言語学の歴史から始まり、言語ごとの世界認識の違いに話を向ける。方向や位置関係を示すときに、自分を中心とした相対座標で表現するのか、絶対的地軸感覚を持ち絶対座標で表現するのか、は非常に面白い。紹介される米国先住民ホピ族・ホピ語の時制と世界認識の話はテッド・チャンのSF小説『あなたの人生の物語』を思い起こす。

    著者はヘブライ語を母語とするイスラエルの方ですが、自身の知見がインド・ヨーロッパ語族に偏りが強いように思え、アジア圏の、特に表意文字を持つ言語への言及の少なさが気になる。非常に面白いテーマなんだけど、都合の良い引用を冗長に引っ張ってきている印象が拭えない。特に第一部で主題となる”色彩感覚の違い”の要因は、本当に”言語の違い”に的を絞れているんだろうか?第ニ部以降は種々実験でその疑念を払拭しようと奮闘する様が伺える。
    人類の視覚・認識の進化などにも話が及び、読み物としては非常に興味深い。ただ随所の論理の緻密さへの疑問で「うーん・・・」と思いながらの読書でした。

  • 面白かった。筆者は比喩がじょうず。サイエンスの本だったので、筆者が言うように、地味かもしれないけれど、母語が思考にもたらす影響はあるのだということを丁寧に説明してくれる。母語がなんでも思考力に違いがあるわけないよ!という、みんなが思っている「正論」ではなく、ね。

    久しぶりに本屋さんで棚で見て買った本。こういうのがあると本屋さんに行きたくなるなあ。

  • 実にあざとい邦題だ(怒ってます)。ぼくなりに虚心に読んだのだけど、本書は決して題が示しうるような「言語こそ思考の礎となる」「言語を変えれば世界観・価値観が変わる」という極論をこそおだやかに否定しうる、実に良心的で繊細な議論がなされていると感じる(もっとも、そのことを踏まえて読むとなかなか「クセモノ」な題ではある)。ややもするとぼくたちはある特定のキャッチーな現象からすぐに主語を広げて分析・主張したくなるが、本書の議論はむしろ手堅い証拠収集とそこから地道に分析することの大事さを説く。ウィットに富み実に刺激的

  • 言語が世界の認識を完全に規定するわけはないけど影響は与えるし、世界の限界を決めるわけはないけどその速度や難易度には影響を与える。

    言葉が何を伝えるか制約するのではなく、何を伝えなければならないかを強制する。それにより形作られた習慣が、世界の見え方を少し変える。

  • 2022-02-22
    SF者としては読まざるを得ない本。第Ⅰ部はイーガン「七色覚」に、第Ⅱ部はチャン「あなたの人生の物語」に通じる。もちろんどちらもSFならではの飛躍があり、それがキモとなっているわけだが。
    特にチャンの飛躍「言語の獲得によって認識に変容が起こる」かどうかは、本書では触れられていない。先行研究もあるのかどうか分からない。けれど、経験的には、頭が英語モードの時は「主体」を意識しているように思う。ゆる言語学ラジオで言っていた、「荒野行動とCODの切り替え」をしている気がする。
    さらに、近年の「ノンバーバルコミュニケーションの言語化」にも思いは広がる。ネットの普及によるテキスト表象の変化と、ネットの進化によるその変化の逆流入。例えば、BBS/SNSでの絵文字や略語(草とか)が、アバター表記や「クサ」という新語として認識される状況。言語は、猛スピードで消えると共に猛スピードで生まれているのかもしれない。

  • 歴史・文化・科学等、多角的で膨大なリファレンスに裏打ちされた、規定概念やバイアスを露わにする著者の緻密や描写が凄まじく、咀嚼し消化するのが大変だったし、まだできてない。。

    日本語や英語だと性別を意識しないが、性別を明確にすることを強制される言語の学びを挫折してしまった身として、第8章の言語の性別のくだりは、非常に面白く読んだ。有名なマーク・トウェインが、ドイツ語を異常で奇妙で不合理な言語と嘲笑したが、ジェンダー体系を持つ言語話者にとっては、性別の区分けを不自由だと思ったこともないし、それが無くなったら表現の芳醇さや肥沃さが欠けてしまうのであり得ないということを理解することができた。挫折した言語学習を再開してみようかな…という気になった。気だけですが。

    自分の言語にある表現や単語が他方に無ければその話者は知性が劣ってるとか思考が未発達とか単純に優劣でジャッジしがちな論点は歴史的に古今東西変わらず存在する印象だし、そんな論調の本や情報があふれて飛びつきやすい危うさを感じるからこそ、本作のような徹底したリファレンスの本を読む必要性を感じる。教養の低い自分にとっては正直読みづらく(何度も睡魔に負けた)、万人に受ける本では無いが、自分のバイアスに気付いたり概念が更新される快感を味わえる本。

  • 言語の違いが思考にどのような影響を与えるのか。欧米における研究の歴史を振り返りながら、丁寧に説明されている。その歴史はバイアスとの戦いであり、それゆえに本書の説明はとても慎重であり、誠実な印象。

    「絶対方位」しか使わないグーグ・イミディル語など、具体的な言語も紹介されていて、興味深く読めた。

    言語の違いが論理的推論に影響を与える実例は「いまだ提示されていない(原著は2010年)」とされているが・・・。

    文庫版では、「ゆる言語学ラジオ」でおなじみ(?)の今井むつみ先生の解説、最新の実験結果の紹介もあり、お得感がある。

  • 言語は自然と文化、どちらを反映するのか。母語は思考に影響を及ぼすのか。現代人には奇妙に感じられる「葡萄酒色の海」というホメロスの色彩感覚にはじまり、視覚と色名の関係をめぐる議論の歴史や、左右前後を表す言葉を持たず、常に東西南北の絶対方位感覚を必要とする言語の発見など、言語学が生まれた西洋で〈普遍〉と信じられていた常識が崩れていった事例を、言語学者の功罪に鋭く斬り込みながら語るノンフィクション。


    ホメロスは『オデュッセイア』も『イリアス』もまだ読んでないけど、「葡萄酒色の海」のことだけは知っている。だけど、これが文学的な修辞の範疇を超えて「古代人は色弱だったか否か」の議論にまで発展していたなんて知らなかった。西洋の研究者はアフリカやポリネシアへのフィールドワークを通して、空や海の色を黒と同一の単語で表す人びとの存在に驚愕したという。
    ホメロスの叙事詩は本来口で語られたわけで、厳密な色名を挙げるより実物を指し示せばそれで事足りたのだろう。アフリカやポリネシアの人びともそうで、空や海は「地の色」であって、そこに浮かんだり飛んだりしているものは何かという情報のほうが重要だったゆえに、海や空そのものの色を黒(暗色)と区別する必要がなかったのだと思われる。
    色名が生まれる背景に、人工的にその色を作る技術が関わってくるという説も面白かった。そして勿論、文字を持つ文明か持たない文明かも大きい。直接対話できない相手との交流が活発な地域であれば、共通概念としての色は重要になる。反物を指定の色に染めてほしいという注文書とか。
    以上のように、本書の第一部では色名を例に、視覚と言語の関係をめぐる研究史を紹介している。「研究に値する言語」はギリシア語とラテン語だけだとされていた19世紀初頭から、さまざまな偏見を晒しながら歩んできた言語学の歴史にツッコミを入れつつ語っていく。具体的な研究成果が一切報告されていないのに常識化してしまった「言語学の基本」や、偏見への反省がある分野の研究を停滞させてしまった例も引き、鋭い批判も飛ばす。この本は一般向けに書かれた言語学の入門書であると同時に、言語学の罪を暴く本でもあると思う。
    第二部で言語相対論を取り上げると、ドイッチャーの語気はさらに強くなる。「宇宙観は言語に依存する」と断言したウォーフによって、言葉は認識の限界を定める牢獄になり、誰しも母語にないものは本質的に理解できないことになってしまった。ドイッチャーは、そんな考えは馬鹿げていると言う。言語相対論を打破する説がヤコブソンの翻訳に関する思索からでてきたのは興味深い。「言語の違いは〈何を伝えていいか〉ではなく、〈何を伝えなければならないか〉にある」というのがそれである。
    そこで時制を明らかにしなければ一言も話せない言語、男女の区別が無機物にまで及ぶ言語、そして地理座標が体に染み込んでいないと位置関係を表現できない言語が登場する。最後に挙げた例のひとつ、グーグ・イミディル語は、それを母語とする人びとにどんな場所でも東西南北が識別できる身体感覚を無意識レベルで叩き込む。この事例は、オリバー・サックスが『音楽嗜好症』で中国語のような声調言語を母語にしていると絶対音感を持ちやすい、と言っていたのと少し近いと思った。言葉の〈ジェンダー〉にまつわる章は日本語話者には不可解極まりない男性名詞・女性名詞の区別をネタにしていて楽しい。マーク・トウェインの皮肉が冴え渡る。
    最後はふたたび色名と色の識別の相関性を、最新の脳科学実験のデータから考えていく。日頃から言語学って文系と理系の中間にある学問だと思っていたけれど、認知科学と手を取ることで「人間がどのように世界を把握しているのか」「言葉と認知の相互関係はどのくらい強いのか」がこれから明らかになるのであれば、もう言語学こそがSFだとすら言ってもいいんじゃないだろうか。そんな未来に対するワクワクと、そして何より過去の過ちを認めることこそが「科学的」であるというアティチュードを教えてくれる一冊だった。

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