アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫)

  • 早川書房
4.01
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レビュー : 1048
  • Amazon.co.jp ・本 (485ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151101014

作品紹介・あらすじ

32歳になっても幼児の知能しかないパン屋の店員チャーリイ・ゴードン。そんな彼に、夢のような話が舞いこんだ。大学の偉い先生が頭をよくしてくれるというのだ。この申し出にとびついた彼は、白ネズミのアルジャーノンを競争相手に、連日検査を受けることに。やがて手術により、チャーリイは天才に変貌したが…超知能を手に入れた青年の愛と憎しみ、喜びと孤独を通して人間の心の真実に迫り、全世界が涙した現代の聖書(バイブル)。

感想・レビュー・書評

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  • 初めて読んだのは中学生の頃だったと思う。久しぶりに再読。改めて胸に訴えられる。

    精神遅滞の32歳青年チャーリイ・ゴードンが、脳手術を受け、急速に天才へと変貌するお話。

    難解な迷路を楽々クリアする天才ねずみアルジャーノンは彼に施されたのと同じ手術を受けており、彼の今後を予期させる運命共同体だ。

    チャーリイはその障害ゆえにそれまで無能と罵られ、理不尽な扱いを受けてきた。それでも他人を疑うことを知らず、彼を嘲笑う同僚たちさえも憎まない無垢で優しいチャーリイ。

    施術前60台だった彼のIQは180を超え、数十カ国語を操る天才となるのだが…

    頭が良くなるにつれ、怒りや疑うことを知るチャーリイ。雲の上の存在のように感じていた教授たちですら、もう彼に敵わない。チャーリイは次第に寛容さを失い、尊大になっていく…

    チャーリイの障害を受け止められず激しく拒絶する母親ローズや、障害を持つ兄を嫌う妹ノーマ。彼を嘲笑うパン屋のギンピイやジョウ・カープ。論文で名を上げることに躍起になるニーマー教授。

    彼らの言動には堪え難いものがあるが、私の中にも彼らと同じ部分がないとは言えない。古典的フェニルケトン尿症という病気が実在することも初めて知った。

    知能が高い人には憧れるが、IQが高い=素晴らしい人間という訳ではない。自分よりIQが低い人を見下し、人間として見ないニーマー教授が、天才になったチャーリイに屈辱を感じるシーン。天才になったのに幸せになれないチャーリイとアルジャーノン。

    丈夫な身体と優しい心があればいいなんて綺麗事だと思う。高い身体能力、見た目の美しさ、頭の良さ、才能。上を見ればきりがない。でも、そんなものがなくたって人間は人間だし、その全てを手にしても他者を思いやれないのならきっと愛されはしない。

    読み終えて改めてタイトルの美しさに気づく。

  • Flowers for Algernon(1959年、米)。
    精神遅滞の青年が、最新治療で天才的な知能を手に入れる話。

    主人公の手記という形で一人称で書かれる物語は、ひらがなばかりの稚拙な文章で始まる。主人公の知能の発達に従い、次第に文章も洗練されていき、遂には天才ゆえの狂気すらにじませるようになる。子供のように純真だった主人公が、自分を取り巻く世界の事情を知るにつれて、傷つき自暴自棄になっていくさまが痛々しい。さらに終盤、治療効果の消退により、その悲劇性はピークに達する。

    …ここまででも十分にドラマティックな物語である。しかし、ここで物語が終わっていたなら、この小説は単なるSFとして扱われ、ここまで多くの人に愛される名作にはならなかっただろう。この作品の真価は、ここから先である。

    否認、怒り、抑うつ、自暴自棄…。長い苦悩の果てに、主人公は失われていく自己をありのままに見つめられるようになる。自分を捨てた母、名誉欲に走る医師、去っていった恋人。全ての事情を理解したうえで、それでも彼は世界を否定はしない。全てを見つめながら、最後には慈愛さえ込めて、「それでも、世界を見ることができてよかった」と言い残し、静かに舞台を降りてゆく。

    この物語が時代をこえて人々に愛される理由は、終盤のこの受容のプロセスにあると思う。何も知らぬままに無垢でいることはたやすい。よごれた世界に触れてなお、ピュアな心を失わなかった主人公だからこそ、私達は愛しく思い、祈りにも似た気分で本を閉じることができるのだろう。大人のための童話だと思う。

  • 悲しみを希望で割ったカクテルのような小説。

    チャーリイの経過報告を通じて物語を読んでゆく。
    知的障がい者であるチャーリイは、とある実験における手術によって、急速に知能を得ることになった。彼は自分の進化に気づき、喜びの中に、これまで自分が置かれていた世界の暗さを見た。もう誰も彼を笑わない。高度な知能によって人が一生涯掛けて得る知識を超えるものをも手にしていた。それと同じくして周囲がチャーリイを恐れた。誰もがチャーリイを天才だと認めた。同時に実験材料のように見られていると感じた。沢山の思惑があったに違いない。

    実験には欠陥があった。科学は何を得たか。チャーリイは何を残したか。急速に後退を始める彼の知能に彼は狼狽し、神にさえ祈った。

    私は嫌悪感すら感ずる。なんて残酷な!

    でもね、チャーリイ。良い友達をたくさん作るんだろう。
    また前を向いて歩いて行くんだろう。
    これ以上、言葉では言い表すことができないよ。これは。

    「アルジャーノンに花束を」
    そんな名前のカクテルを飲んだ気がした。
    少しの間、私は酔っていた気がする。

  • 幼子ほどの知能しかない32才のチャーリイ。手術を経てチャーリイのIQは急激に上昇するが、同時に周りの反応も大きな変化を見せ、辛い現実が視界に入ってくる。チャーリイ自身が日々の出来事をつづる“経過報告書”でストーリーは進行する。

    最後の一行がこの本で伝えたかった全て、の意図が最後まで読んで分かり、納得した。
    虚栄や嘘で塗り固めず、素直に物事を捉え、純粋な心を持つことが人間の豊かさであること。IQの高さと人間性の豊かさ、IQの高さと幸福度の高さは全く別の次元であるということ。

    そしてどうしても翻訳者に触れたい。
    高まるIQに比例してその言語力も上がり、経過報告書はみるみるレベルの高いものへとなっていく。その変化の過程を見事に表現した翻訳者・小尾芙佐さんには頭が下がるばかり。チャーリイの知能レベルを文章で表したこの作品を日本語で表現することは、相当骨が折れる作業だったろうと思う。翻訳小説は普段は苦手ですが、苦労なくその世界に没頭できたのは翻訳者の手腕に助けられた部分も大きい。

    幸か不幸かを他人の尺度で測っていないか。自分の現状を素直に受け入れて、特に幸せな部分に満足して日々に向かっていこうと思えた。
    切なさは残るけれど、大切なことに気付かせてくれる作品。

  • 知性を求める人は多い。知性は高尚なもので、それが手に入れられたらどんなにか幸せだろうと思う人もいるだろう。その願いをかなえたのが、この本の主人公である。彼は誰よりも短時間で、多大な量の知性を手に入れた。しかし、そこにあるのは思い描いていたような単純な幸せだけではなかった。

    知性を得るということはそれだけたくさんのものが「見える」ようになるということだ。主人公は今まで見えなかったものをたくさん、目の当たりにする。見えなかったものが見えるという経験。それが幸せだとは限らないなら、私たちが求めていた知性の価値は一体何なのか。そうした問いを与えてくれる一冊です。

  • 氷室京介のDEAR ALGERNONって歌を聞いて読んでみたくなった一冊。

    有名な話だって事は知っていたし、なんとなく内容も知ってたけど細かい内容は知らないから読んでみた。

    悲しいというか切ないというか・・そうゆう話だって事はわかるが

    ただ、物語の最初と最後が読みにくく、中間くらいは難しい言葉がでてきて、あと精神の状態を表す表現が幻想的な感じで主人公に感情移入できなかった。

    読むには早すぎたというか自分には合わなかった小説でした。

  • 2019年1冊目。
    ちょうどムロツヨシと戸田恵梨香主演のドラマ「大恋愛」を視聴していたら、友達が「大恋愛を観ているとこの小説を思い出す」と話していたのがきっかけ。「大恋愛」では戸田恵梨香演じる尚が、愛を手に入れてから記憶を失っていく様をムロツヨシ演じる恋人側から描いたが、本書では、主人公チャーリィが手術によって知能を得てから失っていく過程をチャーリィの手記という視点から変化する口語体という生々しさで綴っていく。
    人は誰しもチャーリィと同じように学び、忘れていくのだけれど、それは山を登って降るように長い時間の経過の中でゆっくりと行われるのでいちいち敏感に反応できないし、失うことに対して諦めるだけの時間的余裕もある。しかし、チャーリィのそれはまるでジェットコースター。余韻に浸る間も無い。その意味において、似たような題材の作品に「ベンジャミン・バトン」、「アリスのままで」等があるがこれらが大恋愛同様時間的猶予が与えられるのに対し、チャーリィへの時間的制約は明らかに異質なものである。健常者には更に永い時間的余裕が与えられていることは、幸せなことでもあり、また、それが故に失っていくことを仕方ないことと割り切れてしまうことは不幸でもある。そう気づかせてくれる作品である。
    小説の序盤と比べると最後のチャーリィの口語体が多少なりとも読みやすくなっているように感じたのは僕だけだろうか。序盤、読みにくいはずの文章がページをめくるたびにどんどん読めるようになる。まるでチャーリィが学習していることを追体験できるような没入感に浸れる。この日本語訳の巧みさにも拍手を送りたい。

  •  知的障害をもつチャーリイ・ゴードンは、手術を受けることで天才へと変貌することに成功するが……

     まずすごいな、と思ったのが手術を受ける前の知的水準の低いチャーリイと、手術後の天才へと変貌したチャーリイの内面を見事に描き切っているということ。チャーリイの経過報告という手記形式で進められる本編は、手術前はひらがなだけで書かれていて、非常に読みにくいのですが、手術の結果が表れてくるに当たり、漢字を使うということはもちろんのこと、思考や概念すらも徐々に変わっていった、ということをしっかりと分かるようになっています。原文も素晴らしいのでしょうけど、翻訳も素晴らしい出来なんだろうなあ、と思います。

     そして天才となったチャーリイは徐々に以前では考えることのなかったこと、気づくはずのなかったことについて知ってしまいます。

     たとえば人間が本質的に持ってしまう、自分と異なるものを排斥しようとする思考、善意も悪意も持ち合わせる人の本質、そして自我……、読んでいくうちに自分がいつの間にかあまり考えなくなってしまったことについて思いを巡らせました。

     チャーリーがこうした考えを持つようになったのは、急速に脳が成長していくのに対し、精神面はそれに追い付かないため。一歩一歩成長していくことの大切さ、難しさというものを考えました。

     そして終盤はチャーリイは天才になってからの自分と手術を受ける前の自分についていやが応にも考えることになります。

     チャーリイの物語は悲運の男の話としても読むことができるようにも思えますが、個人的には初めて社会や自己の世界へ冒険に出かけた人間が、また自分の居場所に帰ってくる物語のように思えました。静かに閉じられるラストが、その冒険の終焉をこれ以上ないくらい表しているような気がしてなりません。現代の聖書(バイブル)と呼ばれるのも納得のいく物語でした。

    ネビュラ賞受賞作


     

  • 知的障害者は人間じゃないのか。
    自分という存在は何なのか。
    とても文学の領域を逸脱した内容の作品だけど、
    これが文学の文章のもつ力だとも思わざるを得ない。

    知的障害者のチャーリィが突如天才的な頭脳を手に入れる。
    頭が良くなれば、幸せになれる、みんなが僕を好きになってくれる。
    そう思っていたのだが…
    どの段階においてもチャーリィは葛藤をし続ける。
    頭脳と心の差に悩まされ続ける。人が離れていく。次第に衰えていく自身の頭脳。
    最初から最後まで孤独で、本当の意味で理解してくれる人間は誰もいない。
    物語通して家族との関係がチャーリィに如何に心の傷を作ったかがあらわされていて悲しい気持ちになりました。

    学会のときの感情の吐露が印象的だった。
    人は知的障害者のことを本質的には人間だと思わない。
    異質なものとして扱っている。それが無意識であれ。意識的にあれ。
    知的障害者なら相手は何も思わないから酷いことだってして良いんだと思う人もいる。
    自分はそうじゃない。本当に?いや潜在的には同じはず。
    だけれど、彼らもまた人間なのだ。
    読者の目として、はじめの方の稚拙な文章を読みながら、物語の主人公と思いつつも内面では自分と異質なヒト?の物語と思っていたなと、振り返りながら思いました。
    徐々に通り一遍の「人間性」を会得するチャーリィに対して抱いた感情はどうだろう。初めよりもむしろ印象は良くなっていないか。
    高度な頭脳を手に入れ始めたチャーリィに、今度は別の意味で異質さを感じたりしなかったか。
    自暴自棄になりかけたチャーリィに共感を覚えたなんて軽はずみなことを思う自分も嫌になったり。
    けどこの作品は人の本質について痛いほど描いているから、共感という言葉は適切だとも思う。
    この作品は読みながら何度も何度も読者に問いかけてくる。
    それは紛れもなくチャーリィなのだけど、読み終えてあれが初めの小さくて弱いチャーリィだったと気付いた。

  • 再読です。
    基本的に本を読み返すことが少ないです。なので、読んだ本を手元に置くことがあまりない。
    けど、何度でも読みたくなる本、何度読んでもいい本というのが一定数あって、これもその1冊です。

    初めて読んだのは高校生の頃。
    まだ学生の自分には本は高くてなかなか買えない高級品で、いつかこの本を自分で買えるようになりたいと思ったのを覚えています。最近やけにこの本が頭によぎり、本屋さんで見かけたので購入し、久々に再読しました。

    結果、再び号泣。
    うまく言葉にできないけど、当時読んだ時はチャーリィ本人のことにばかり目がいっていたけど、知的障害の子を持つ親や兄弟の話にも深く触れられていたんですね。
    私ももっと頭がよくなれたらいいのに!と思うことがしばしばあるから、チャーリィの気持ちはよくわかる。
    とはいえ、チャーリィの場合はそう思った根底には母親がいて、頭がよくなること=周りを喜ばせること であったと思うから、私とは違うかもしれないけど。

    人は良くも悪くも同じレベルの人としか会話できない一面があるかもしれない。もちろん挨拶をしたり簡単な会話はするだろうけど、知的レベルに大きな開きがあると同列に話をすることはできないように思います。
    とはいえ、それが人間的に同列ではないということにはならない。ここが重要なところで、日本における障害福祉の父として知られる糸賀一雄氏も、「この子らを世の光に」と述べていて、「この子ら」こそが知的障害の子たちなんですよね。
    ともすれば、「この子ら"に"世の光を」となってしまいがちなところを、そうではなく無垢で一生懸命な彼らは決して保護するだけの存在ではなく、社会を輝かせる一助になると言うんですよね。
    そんな素晴らしい思想を持つ人が同じ日本人にいたことを誇りに思うし、この本を読んで改めてそのことを思い出しました。

    確かにチャーリィは馬鹿にされていたかもしれないけど、同時にすごく愛されてもいたんですよね。
    頭がすごく良くなると、ともすると"無自覚"に相手に理解できない話をしてしまったり、そんなこともわからないのかと相手を見下してしまったりするのかも。
    しかも無自覚かどうかなんて周りから見たらわからないから、相当嫌な奴ですよね。

    なんていうか、今でも頭はよくなりたいけど、今の自分で今のままで自分にできることをコツコツしていこうと思わせてくれる、勇気をくれる1冊でもありました。
    ずっと本棚に置いておいて、また読みたい。

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