アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫)

制作 : Daniel Keyes  小尾 芙佐 
  • 早川書房
4.01
  • (1392)
  • (985)
  • (1174)
  • (69)
  • (20)
本棚登録 : 9022
レビュー : 1029
  • Amazon.co.jp ・本 (485ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151101014

作品紹介・あらすじ

32歳になっても幼児の知能しかないパン屋の店員チャーリイ・ゴードン。そんな彼に、夢のような話が舞いこんだ。大学の偉い先生が頭をよくしてくれるというのだ。この申し出にとびついた彼は、白ネズミのアルジャーノンを競争相手に、連日検査を受けることに。やがて手術により、チャーリイは天才に変貌したが…超知能を手に入れた青年の愛と憎しみ、喜びと孤独を通して人間の心の真実に迫り、全世界が涙した現代の聖書(バイブル)。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 初めて読んだのは中学生の頃だったと思う。久しぶりに再読。改めて胸に訴えられる。

    精神遅滞の32歳青年チャーリイ・ゴードンが、脳手術を受け、急速に天才へと変貌するお話。

    難解な迷路を楽々クリアする天才ねずみアルジャーノンは彼に施されたのと同じ手術を受けており、彼の今後を予期させる運命共同体だ。

    チャーリイはその障害ゆえにそれまで無能と罵られ、理不尽な扱いを受けてきた。それでも他人を疑うことを知らず、彼を嘲笑う同僚たちさえも憎まない無垢で優しいチャーリイ。

    施術前60台だった彼のIQは180を超え、数十カ国語を操る天才となるのだが…

    頭が良くなるにつれ、怒りや疑うことを知るチャーリイ。雲の上の存在のように感じていた教授たちですら、もう彼に敵わない。チャーリイは次第に寛容さを失い、尊大になっていく…

    チャーリイの障害を受け止められず激しく拒絶する母親ローズや、障害を持つ兄を嫌う妹ノーマ。彼を嘲笑うパン屋のギンピイやジョウ・カープ。論文で名を上げることに躍起になるニーマー教授。

    彼らの言動には堪え難いものがあるが、私の中にも彼らと同じ部分がないとは言えない。古典的フェニルケトン尿症という病気が実在することも初めて知った。

    知能が高い人には憧れるが、IQが高い=素晴らしい人間という訳ではない。自分よりIQが低い人を見下し、人間として見ないニーマー教授が、天才になったチャーリイに屈辱を感じるシーン。天才になったのに幸せになれないチャーリイとアルジャーノン。

    丈夫な身体と優しい心があればいいなんて綺麗事だと思う。高い身体能力、見た目の美しさ、頭の良さ、才能。上を見ればきりがない。でも、そんなものがなくたって人間は人間だし、その全てを手にしても他者を思いやれないのならきっと愛されはしない。

    読み終えて改めてタイトルの美しさに気づく。

  • Flowers for Algernon(1959年、米)。
    精神遅滞の青年が、最新治療で天才的な知能を手に入れる話。

    主人公の手記という形で一人称で書かれる物語は、ひらがなばかりの稚拙な文章で始まる。主人公の知能の発達に従い、次第に文章も洗練されていき、遂には天才ゆえの狂気すらにじませるようになる。子供のように純真だった主人公が、自分を取り巻く世界の事情を知るにつれて、傷つき自暴自棄になっていくさまが痛々しい。さらに終盤、治療効果の消退により、その悲劇性はピークに達する。

    …ここまででも十分にドラマティックな物語である。しかし、ここで物語が終わっていたなら、この小説は単なるSFとして扱われ、ここまで多くの人に愛される名作にはならなかっただろう。この作品の真価は、ここから先である。

    否認、怒り、抑うつ、自暴自棄…。長い苦悩の果てに、主人公は失われていく自己をありのままに見つめられるようになる。自分を捨てた母、名誉欲に走る医師、去っていった恋人。全ての事情を理解したうえで、それでも彼は世界を否定はしない。全てを見つめながら、最後には慈愛さえ込めて、「それでも、世界を見ることができてよかった」と言い残し、静かに舞台を降りてゆく。

    この物語が時代をこえて人々に愛される理由は、終盤のこの受容のプロセスにあると思う。何も知らぬままに無垢でいることはたやすい。よごれた世界に触れてなお、ピュアな心を失わなかった主人公だからこそ、私達は愛しく思い、祈りにも似た気分で本を閉じることができるのだろう。大人のための童話だと思う。

  • 幼子ほどの知能しかない32才のチャーリイ。手術を経てチャーリイのIQは急激に上昇するが、同時に周りの反応も大きな変化を見せ、辛い現実が視界に入ってくる。チャーリイ自身が日々の出来事をつづる“経過報告書”でストーリーは進行する。

    最後の一行がこの本で伝えたかった全て、の意図が最後まで読んで分かり、納得した。
    虚栄や嘘で塗り固めず、素直に物事を捉え、純粋な心を持つことが人間の豊かさであること。IQの高さと人間性の豊かさ、IQの高さと幸福度の高さは全く別の次元であるということ。

    そしてどうしても翻訳者に触れたい。
    高まるIQに比例してその言語力も上がり、経過報告書はみるみるレベルの高いものへとなっていく。その変化の過程を見事に表現した翻訳者・小尾芙佐さんには頭が下がるばかり。チャーリイの知能レベルを文章で表したこの作品を日本語で表現することは、相当骨が折れる作業だったろうと思う。翻訳小説は普段は苦手ですが、苦労なくその世界に没頭できたのは翻訳者の手腕に助けられた部分も大きい。

    幸か不幸かを他人の尺度で測っていないか。自分の現状を素直に受け入れて、特に幸せな部分に満足して日々に向かっていこうと思えた。
    切なさは残るけれど、大切なことに気付かせてくれる作品。

  • 知性を求める人は多い。知性は高尚なもので、それが手に入れられたらどんなにか幸せだろうと思う人もいるだろう。その願いをかなえたのが、この本の主人公である。彼は誰よりも短時間で、多大な量の知性を手に入れた。しかし、そこにあるのは思い描いていたような単純な幸せだけではなかった。

    知性を得るということはそれだけたくさんのものが「見える」ようになるということだ。主人公は今まで見えなかったものをたくさん、目の当たりにする。見えなかったものが見えるという経験。それが幸せだとは限らないなら、私たちが求めていた知性の価値は一体何なのか。そうした問いを与えてくれる一冊です。

  •  知的障害をもつチャーリイ・ゴードンは、手術を受けることで天才へと変貌することに成功するが……

     まずすごいな、と思ったのが手術を受ける前の知的水準の低いチャーリイと、手術後の天才へと変貌したチャーリイの内面を見事に描き切っているということ。チャーリイの経過報告という手記形式で進められる本編は、手術前はひらがなだけで書かれていて、非常に読みにくいのですが、手術の結果が表れてくるに当たり、漢字を使うということはもちろんのこと、思考や概念すらも徐々に変わっていった、ということをしっかりと分かるようになっています。原文も素晴らしいのでしょうけど、翻訳も素晴らしい出来なんだろうなあ、と思います。

     そして天才となったチャーリイは徐々に以前では考えることのなかったこと、気づくはずのなかったことについて知ってしまいます。

     たとえば人間が本質的に持ってしまう、自分と異なるものを排斥しようとする思考、善意も悪意も持ち合わせる人の本質、そして自我……、読んでいくうちに自分がいつの間にかあまり考えなくなってしまったことについて思いを巡らせました。

     チャーリーがこうした考えを持つようになったのは、急速に脳が成長していくのに対し、精神面はそれに追い付かないため。一歩一歩成長していくことの大切さ、難しさというものを考えました。

     そして終盤はチャーリイは天才になってからの自分と手術を受ける前の自分についていやが応にも考えることになります。

     チャーリイの物語は悲運の男の話としても読むことができるようにも思えますが、個人的には初めて社会や自己の世界へ冒険に出かけた人間が、また自分の居場所に帰ってくる物語のように思えました。静かに閉じられるラストが、その冒険の終焉をこれ以上ないくらい表しているような気がしてなりません。現代の聖書(バイブル)と呼ばれるのも納得のいく物語でした。

    ネビュラ賞受賞作


     

  • 再読です。
    基本的に本を読み返すことが少ないです。なので、読んだ本を手元に置くことがあまりない。
    けど、何度でも読みたくなる本、何度読んでもいい本というのが一定数あって、これもその1冊です。

    初めて読んだのは高校生の頃。
    まだ学生の自分には本は高くてなかなか買えない高級品で、いつかこの本を自分で買えるようになりたいと思ったのを覚えています。最近やけにこの本が頭によぎり、本屋さんで見かけたので購入し、久々に再読しました。

    結果、再び号泣。
    うまく言葉にできないけど、当時読んだ時はチャーリィ本人のことにばかり目がいっていたけど、知的障害の子を持つ親や兄弟の話にも深く触れられていたんですね。
    私ももっと頭がよくなれたらいいのに!と思うことがしばしばあるから、チャーリィの気持ちはよくわかる。
    とはいえ、チャーリィの場合はそう思った根底には母親がいて、頭がよくなること=周りを喜ばせること であったと思うから、私とは違うかもしれないけど。

    人は良くも悪くも同じレベルの人としか会話できない一面があるかもしれない。もちろん挨拶をしたり簡単な会話はするだろうけど、知的レベルに大きな開きがあると同列に話をすることはできないように思います。
    とはいえ、それが人間的に同列ではないということにはならない。ここが重要なところで、日本における障害福祉の父として知られる糸賀一雄氏も、「この子らを世の光に」と述べていて、「この子ら」こそが知的障害の子たちなんですよね。
    ともすれば、「この子ら"に"世の光を」となってしまいがちなところを、そうではなく無垢で一生懸命な彼らは決して保護するだけの存在ではなく、社会を輝かせる一助になると言うんですよね。
    そんな素晴らしい思想を持つ人が同じ日本人にいたことを誇りに思うし、この本を読んで改めてそのことを思い出しました。

    確かにチャーリィは馬鹿にされていたかもしれないけど、同時にすごく愛されてもいたんですよね。
    頭がすごく良くなると、ともすると"無自覚"に相手に理解できない話をしてしまったり、そんなこともわからないのかと相手を見下してしまったりするのかも。
    しかも無自覚かどうかなんて周りから見たらわからないから、相当嫌な奴ですよね。

    なんていうか、今でも頭はよくなりたいけど、今の自分で今のままで自分にできることをコツコツしていこうと思わせてくれる、勇気をくれる1冊でもありました。
    ずっと本棚に置いておいて、また読みたい。

  • 素晴らしい本だった。もっと早く読んでおけば良かったと後悔した。この作品の中には悲しくて、それでいて優しい警句が沢山含まれていた。そして短期間に猛烈な知性の盛衰を経験し、社会の様々な側面を、様々な立場から、様々な心情で眺めるチャーリーを通して、私達は普遍的な幸福と、愛と、人生について考えさせられる。
    知的障害から手術によって卓越した知能を持つようになった主人公を通して、世界を、知性を対象化する。と言う大筋は言葉にすれば単純なようにも思えるが、それをこれだけ鮮やかに、生々しく描いてしまうダニエル・キイスの腕には本当に驚かされた。

    この作品を通して様々な事を考えさせられる。人間の哀れな尊大さ。滑稽さ。親子の愛のあり方。障碍者に関する問題。特に、知的障碍者に関する問題と、おそらく今後はアルツハイマーを通して我々の多くが直面する人間性の問題...
    しかし最大のテーマは、知性と愛についての話であったと思う。
    ぼくの教養はぼくと、愛する人達-ぼくの両親ーとの間に楔を打ち込む。
    とはダニエル・キイス本人の言葉であるが、そのことについて本当に生々しく描き出していた。知性とは何なのか。時として知性は愛を排斥する。それはどういうことなのか。チャーリー・ゴードンの数奇な運命を通して、その難題を叩きつけられる。
    チャーリーは知性の増減に伴い、様々な立場を行ったり来たりすることになる。それで読者は、常にこちら側にも、あちら側にも、そちら側にも属させられる。するとどこかで、必ず『自分』を対象化して見る機会を与えられる。読者は誰もが、自分がチャーリーであり、ジョウであり、ニーマーであり、バートであり、アリスであり、フェイであり、ローザであり、ノーマであることを発見する。そして立ち止まって考えさせられる。いかに生きるべきなのか。
    この本は、弱い者には勇気を、強い者には優しさを与えるような本だと思った。最後にウォレンへ行く決心をしたチャーリーの切実な言葉は強烈だった。様々な事を経験し、沢山の苦悩を抱え、しなくても良い苦労をして、最終的にまた難儀な存在へと叩き落されてしまったはずなのに、そして前よりも尚悪い運命に囚われたはずなのに、彼の言葉のなんと温かいことか。
    我々は誰もがチャーリーであると同時に、誰もがチャーリーであろうとしなければならない。

    一人でも多くの人間に読んで欲しい作品。

  • 利口になることを心から望み、脳に手術をすることでそれを手に入れた主人公の苦悩を描く名作。
    急激な変化を受け入れることができなかったり、自分の考えに凝り固まっていたり、相互に依存しあったり、弱い者をけなすことで優越感を感じたり、純粋な愛など人間について非常に的確に表現されています。

  • 今から50年も昔に書かれたものとは思えない。
    著者の先見性には驚きを隠せません。
    著者自身「どうして書けたかわからない」とおっしゃっていたようですが。この作品の意義は、はかり知れないと思う。

    内容の詳細はあえて書きませんが。
    精神遅滞の少年が手術によって知能を高くしてもらい、天才に変貌する。しかし超知能を手に入れた青年の愛と憎しみ、喜びと孤独が、人間の心の真実を描き出しています。

    私は特別な号泣はしなかった。ただ、混乱して複雑な気持ちになった。これは読んだ人にしか味わえない心の震えだと感じた。
    最初は読み難いが、辛抱強く最後まで読んで欲しい。

    私的な学びとして、「知能」という数値で見えるものの扱いには十分に気をつけないといけないと改めて思った。

    幼少期の体験、本作品では特に母親との関係の根深さについて、印象深い。…私は考えてしまった。作品内容とは全く関係ないのだけれど。
    この本を読んで、脳裏をよぎったことは、

    ”被虐待児”の深刻さ。

    チャーリー' ゴードンと窓から見ているチャーリー。
    解離している1人の人間、チャーリー。

    きっと、被虐待児に解離性障害や境界性パーソナリティ障害が多くなってしまうのは、そういうことかも。
    精神遅滞でなくても、知能を高くする手術を受けなくても、SF小説の中でなくとも、”現実”に生じているということ。

    だからそのような意味でも著者の先見性に敬意と尊敬を払わずにはいられない。

    人間の実存、しあわせとは何か。
    研究とはなにか。
    本当に多くの課題が詰まった1冊。
    大切な人に捧げたい1冊。

  • 学生の時に読もうとしたけど冒頭のひらがな文にうんざりして途中でやめてしまった本。
    25年ほど経った今改めて読んでみました。
    これは、単に小説と言ってよいのか分からなくなるほど憤るような締め付けられるような思いで読了。

    人生において人に必要なものは一体何なのか。

    チャーリーが高すぎる知能と引き換えに得たあれほどの苦しい痛みは何だったの…と思う。
    その反面、最後にまた白痴になった彼はこの実験に心から感謝しており、そして以前よりもっとピュアな心になっていることに動揺。

    上手いレビューが書けないけれど、ストーリーを思い起こすだけで心が粟立ち涙が滲む…

    私もアルジャーノンに花束を捧げたい。

全1029件中 1 - 10件を表示

アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫)のその他の作品

ダニエル・キイスの作品

アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫)に関連する談話室の質問

アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫)を本棚に登録しているひと

ツイートする