日の名残り (ハヤカワepi文庫)

制作 : Kazuo Ishiguro  土屋 政雄 
  • 早川書房 (2001年5月1日発売)
4.08
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  • 541レビュー
  • Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200038

作品紹介

品格ある執事の道を追求し続けてきたスティーブンスは、短い旅に出た。美しい田園風景の道すがら様々な思い出がよぎる。長年仕えたダーリントン卿への敬慕、執事の鑑だった亡父、女中頭への淡い想い、二つの大戦の間に邸内で催された重要な外交会議の数々—過ぎ去りし思い出は、輝きを増して胸のなかで生き続ける。失われつつある伝統的な英国を描いて世界中で大きな感動を呼んだ英国最高の文学賞、ブッカー賞受賞作。

日の名残り (ハヤカワepi文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇だーーとは、喜劇王チャップリンの名言だ。私は若い頃、悲劇の対義語は喜劇だと思っていたが、歳をとるにつれ、悲劇と喜劇は大抵セットでやってくることが実感として分かるようになってきた。セットというより、同じコインの裏表という方が、より適切な表現かもしれない。

    カズオ・イシグロの小説は、そのことを端的に私達に示してくれる。特にこの『日の名残り』という作品はそうだ。とある屋敷に勤める老執事の視点を通して、失われゆく古き英国を淡々と描いたこの物語は、人生下り坂に入ったと感じる者のみが理解しうるユーモアとペーソスとに満ちている。

    簡単な一言が言えなかったばかりに失ってしまった女性。壮大な徒労に終わった幻の大事業。人生をかけて理想を追い求めたが、歴史を築くどころか、平凡な家庭を築くことすらできなかった男達。実利主義の前に破れ去る騎士道精神…。老執事の失意と悲嘆が、時に不穏な、時にユーモラスな筆致で描きだされてゆく。失われた人生を思って涙した老執事が、新しい主人のためにアメリカン・ジョークの練習をしようと決心するラストは、カズオ・イシグロ式ユーモアの真骨頂だ。

    前途に夢と希望しかない者には、この小説の味は分からないだろう。人の数だけ叶わなかった夢があり、打ち砕かれた希望がある。それを知る者だけが、ありえたはずの別の人生を思って、老執事と共に涙することができるのだ。夕暮れどきが最も良い時間だというのは、老いゆく者に対する作者なりのエールだろうか。悲劇だろうが喜劇だろうが、主役だろうが端役だろうが、与えられた役を最後まで演じきるのが、人の定めだとするならば。

  • 英国執事を主人公に据え、英国文学ならではの上品さとユーモアを散りばめながら、これまた戦後の英国を体現するかのような栄光の落日を重厚かつスマートなタッチで描いた作品です。
    今回もカズオ・イシグロお得意の回想シーンが休暇で旅をする現在とパラレルに交錯していて、回想が割と非時系列的であるにもかかわらず卓抜な文章表現にてぐいぐいと読者を惹きつける物語の構成力はなかなか大したものでした!

    英国執事に求められる「品格」とは何か?どこぞの国の角界でも問題視されるテーマが今回のお題です。
    いまは館の主人を失い、大富豪のアメリカ人に買い取られたお屋敷ダーリントン・ホール。召使いの数もぐっと減り日常業務もままならなくなったミスター・スティーブンスは、現在のご主人様より自動車旅行を提案されたのを幸いに、かつての同僚で女中頭であったミス・ケントンに会うべく車を走らせる。
    運転や宿泊の折々に思い返されるのは、かつてのダーリントン・ホールで執事の職務を忙しく忠実にこなしていた華やかな日々であり、貴族の使命感に燃えていたご主人様ダーリントン卿やミス・ケントンとの思い出の数々であった・・・。

    戦前・戦中・戦後を経て、目まぐるしい時代の変化の中に取り残されてしまったお屋敷と執事という存在を、日本人の血を持つカズオ・イシグロが圧倒的な文章力でモノにしたというところがまず面白いです。
    カズオ・イシグロのノーベル賞受賞スピーチを読むと日本的なものへのこだわりがあったとのことですが、このようなあまりにもイギリス的な視点においても戦前・戦中・戦後を経た日本文化との共通性があるのかもしれませんね。
    そのような中で問われるのは職務に求められる「品格」です。この物語では世の中でもはや失われようとしている執事の「品格」ついての事例が繰り返し提示されます。これは長年に培ってきた職務への誇りであり、自負であり、ひいては求められる社会の規律であったとも言ってもいいでしょう。
    しかし逆に、父の死や求愛の拒絶といった人生の重大事にも目を背け、ひたすら職務に身を捧げるといった頑迷さも鼻につきます。
    ひたすら励む職務に対し、われわれはそこに忠実の美徳を見るとともに、どこか滑稽さも感じるのはやはり第三者的な別世界の視点でしかないからでしょう。作者はこの視点を最大限に活かすためかなり大げさな振る舞いをさせていると思いますが、それが腑に落ちてしまうのは作者のエンターテインメントの力量が優れているからでしょうね。
    そこかしこに出てくるユーモアもとても面白かったです。

    社会が変わり、人生の黄昏にも気が付いた時、老執事が向き合ったのはいまや残酷となってしまったかつての栄光でしょうか。
    いや、かつての栄光を胸にしまいつつ、そして、苦々しく感じる過去も全て飲み込んで、ミスター・スティーブンスが考えたことは新しいご主人様であるアメリカ人に対応するべくジョークを身につける研鑽を積むことでした。
    こうしたユーモアに満ちた微笑ましさに、カズオ・イシグロの繊細な優しさを感じてしまうのです。

  • 3年ほど前に一度中座してからの再読。何気なく読み出したら惹かれて惹かれてやめられなくて、時に泣きながら読み終えてしまいました。
    きっと、私自身が日々と年齢を重ねたことで、主人公と同じように、自身の人生の転機における選択や発言が正しかったのか自問した瞬間や、何気ない意思の不疎通で会うことがなくなってしまった人、身近な人の死などに想いを馳せながら読んで感情移入したからだと思います。

    あらすじとしては、老境のイギリス人執事であるスティーブンスが、自身の人生や仕事観に想いを馳せながら国内の風光明媚な土地を旅する7日間を描いた作品です。

    スティーブンスの理知的な語り口と、「残照」(「黄昏」とか「終焉の足音」と言ってもいいかも)とも言うべきイメージの多重性の美しさに魅せられた作品でもあります。
    老人となったスティーブンス自身の人生の残照、二度の世界大戦後に世界の覇者の地位を譲り渡すことになったイギリス(グレートブリテン)の栄華の残照、失われていくイギリスの貴族制度とそれに伴う執事文化の残照、敬愛してやまなかった前の主人ダーリントン卿が誰よりも紳士であるがゆえに大戦の混乱にある世界を救おうと尽力して果たせず悲しい末路を迎えた真実の姿を知る人々のわずかな記憶の残照、かつては歴史に名を残す著名人が多く滞在した屋敷が時代に取り残されていく残照…等、多くの「残照」的イメージが絡まり合いながら、抑揚や感情を抑えようとする落ち着いたスティーブンスの一人称で語られていきます。

    そして、「イギリスらしさ」と自身の職務に傲慢なほどに強い誇りを感じているスティーブンスの現在の主人がアメリカ人であるということを彼が受け入れている矛盾も物語に趣を与える重要な要素の一つとなっています。

    物語のラストは、旅に出る前のスティーブンスが思い描いたものではなかったけど、優しくも前向きな気持ちになれるもので、ひどく感傷的にはなりましたが、穏やかな気持ちで読み終えました。

    最後に、訳者さんのあとがきから。
    タイトルの「日の名残り」の原題は「The Remains of the Day(過ぎ去った一日を振り返って、そのとき目に入るもろもろのこと)」ですが、一語変えると「What Remains of the Day(一日のまだ残っている時間)」なのだとか。

  • 沈みゆく一瞬の輝きでしか見えないものがある。傾いた陽が、やがて勢いを忘れブラッドオレンジの絵の具のようになる頃、その柔らかな光の影でしか見えてこない形がある。大抵は、そうした影がようやく見えた頃には、もはや後戻りできない夜が目前にある。輝いだ喧噪も午後の無為な時間も同じように覆い尽くす夜である。夕暮れの光のなかに知っていたはずのシルエットを見て、あたかも初めてそれに気づいたと感じたとしても、そのシルエットを為すそれは以前から間違いなくそこにあったのだ。ただ、日々の忙しさの中に忘れ、無意識に記憶から追い出し、夕暮れの時間になって初めて思い出した。それだけのことなのだ。そうやって気づいた影は、間も無く漆黒に沈んでいく。秋の夕暮れである。

    一日を振り返るとか、思い出にひたるとか、あるいは、過去にふと気づくというのは、存外容易なことに違いない。映画や小説で見るフラッシュバックは、そうした容易さがあるから受け入れやすいのだろう。その容易さがゆえに切ない。そういうものである。

    とりたてて触れるべき事はない。世界的に知られた英国作家の代表作のひとつである。何が起きるわけでもない。なんども読み返すような深い描写が繰り返されるわけでもない。ある人に会いに旅立つ。ただそんな話である。英国の斜陽と簡単に片付けることもできなくはないが、それ以前にひとの日常と傾きかけた陽の光が周囲を覆う。ただ、最後の1行まで読み切らなければわからない。それだけのことである。

    (2017年9月より前に読んだものですが、今回は例外で登録)

  • ああ、なんて素晴らしい本なんだろう。さすがブッカー賞。
    「私を離さないで」を読んだとき、読後なんともいえないショックを受けたが、これも同様。
    カズオ・イシグロは本当にすごい人だ。そして訳者の土屋氏も。

    「私を離さないで」も「日の名残り」も、悲劇だ。でもどちらも静かで淡々とした叙情で、不思議なことに爽やかさまで感じる。

    そしてタイトルも私は好きだ。
    どちらも話の中で登場する言葉であって、話全体を象徴する言葉にもなっている。
    特に「日の名残り」は…


    実は、映画も見たが、本のエッセンスの100分の1も表現されていないように感じた。
    だいたいTSUTAYAでこの作品が「恋愛」コーナーに置かれているところから何だか違うと思う。少なくとも「ヒューマン」カテゴリあたりに置いてほしかったが、中身を見て…なるほど、かなり浅い、わかりやすい内容にすりかわってしまったのだ、と理解した。

    また、アンソニー・ホプキンス、エマ・トンプソンほか素晴らしい役者揃いだが、原作は執事の考え方や感情を一人称で綴るところが効果的といえるので、第3者の目線になってしまうこの映画のつくり方だと、まったく原作の良さが活かされず、不当に地味な映画になってしまった印象だ。


    スティーブンスは、一貫して品格を追求し、自身がそれを貫き通せた誇りを綴ってきた。
    しかし旅の終わりで「そんな私のどこに品格などがございましょうか」、と泣くのだ。
    この言葉は大変衝撃的だ。今までの全否定なのだから。

    スティーブンスによると、執事の品格とは、執事のマントを公衆の面前では決して脱がぬこと。
    だからこそ、彼にはミス・ケントンとの恋愛もなかった。彼女の気持ちに気付く気付かない以前に、足を踏み込む一寸のスキも自身に与えなかった。

    そこまでしてプロフェッショナリズムを貫いた執事としての仕事だが、自らのすべてを捧げてきたダーリントン卿は破滅の道を辿ってしまう。
    自分のやってきたことは一体何だったのだろうか。
    「ふりしぼろうにも、私にはもう力が残っておりません」

    栄光に輝いていた過去、そして公私の両方で涙がこみ上げる現在。

    でもそこに「夕方が一日でいちばんいい時間」というキーメッセージが届くのだ。
    スティーブンスにとっての今、この瞬間が人生で一番いい時間、という肯定的なメッセージ。だからこその「日の名残り」だ。

    悲劇なのにどことなく爽やかさを感じるのは、こういうところにあるのだろうし、本当に素晴らしいタイトルだ。また、ここまで考えると、執事のスティーブンスが一人称で語るスタイル、また現在から始まり過去の追憶、現在、と辿る構成がいかに効果的か痛感する。
    素晴らしく洗練されている。

    この名作が広く、多くの人に支持されているのはさすがであるし、私もまた読み返したいと思う。

  •  「わたしを離さないで」、「わたしたちが孤児だったころ」に続いて、カズオ・イシグロの作品を読むのは三作目です。

     この作品では、執事のスティーブンスがかつての女中頭のミス・ケントンと再会するために車でリトル・コンプトンに向かう旅が描かれています。といっても、話の中心は旅自体ではなく、その途中にスティーブンスが思い出す過去の出来事です。物語は全てが回想の形で語られていきます。ずっと昔のことも、そしてたった二日前のミス・ケントンとの再会さえもです。

     まず、スティーブンスの考え方、喋り方、行動に、違和感のようなものを感じます。それが、読み進めるうちに、執事とは単に職業ではなく一つの生き方であるということ(少なくともスティーブンスがそう信じているらしいこと)が分かってきます。スティーブンスは偉大な執事たるべく、英国の古い時代の価値観 ─ 紳士としての品格 ─ を重んじているようなのです。しかし、それは彼の揺るぎない信念なのでしょうか?

     いくつものエピソードが寸分の隙なく最適の組合せで作品中に嵌め込まれていくのは、「わたしを離さないで」の場合と同じです。しかも、スティーブンスが英国の田園風景を巡りながら過去と現在を往復しつつこれらエピソードをモノローグで語ることで、この作品は内省的で感傷的な ─ まるで心の中に分け入っていくような ─ 旅の物語に仕上がっています。

     これらエピソードのディテイルの全てが、物語の終盤に急速に意味を持ち始めます。そして旅の最後、ミス・ケントンとの再会を果たし過去を振り返り終えたスティーブンスは、ようやく心の内を吐露します。海辺の町の夕暮れ時、スティーブンスはたまたま知り合った男についにこんな言葉を漏らしてしまうのです。「私は選ばずに、信じたのです。〔中略〕卿にお仕えした何十年という間、私は自分が価値あることをしていると信じていただけなのです。自分の意思で過ちをおかしたとさえ言えません。そんな私のどこに品格などがございましょうか?」
     しかし、男はいいます。「人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ」
     この一言で一日の夕暮れの風景が一瞬のうちに人生の夕暮れ時の切なさとなごり惜しさに置き換わる、なんという見事なマジック……

     この小説のいわんとするところは、五十代も後半を迎えた今の私にはよく理解できます。もし三十代のころに読んでも何のことかよく分からなかったかもしれません。しかし、作者はこの小説をなんと三十代半ばで書いているのですよ。これは驚きですね。

  • ノーベル文学賞作家、ガルシア=マルケスの代表作「百年の孤独」をかつて苦心して読みました。
    同著者の「族長の秋」に至っては、4~5ページ読んだところで、「とても歯が立たない」と投げ出しました。
    ですから、今回、ノーベル文学賞受賞の報に接し、カズオ・イシグロの著書を初めて手に取った瞬間、こう思いました。
    「自分には高尚過ぎる内容かな、難しいのかな」
    とんでもない誤りでした。
    読後の感想は、読みやすい、そして面白い。
    いや、こんなにリーダブルな小説だとは思いもよりませんでした。
    内容も興味深い。
    英国の老執事が過去を回想する物語。
    タイトルの「日の名残り」というのは、人生の黄昏時に入った執事のことを意味しているのでしょう。
    そして、恐らくダブルミーニングなのではありますまいか(主人公の執事の口調を真似てみました)。
    それは、かつては世界に冠たる大帝国だった英国の没落という意味です。
    主人公の執事が、以前は国際的にも影響力のある名家の英紳士に仕え、現在は米国人の大富豪に仕えているということが、それを象徴的に表しています。
    しかし、本書の大テーマでもある、「品格」ということになると、英国紳士に軍配が上がるでしょう。
    あるジョークを思い出しました。
    米国人が英国に行って、素晴らしい芝生を見ました。
    「こんな見事な芝生は見たことがない。いくらかかりました?」
    相手は一言、「500年」。
    米国はしょせんカネだけがモノを言う国、英国には格式と伝統があるという英国人の心意気が伝わるジョークです。
    さて、未読の方でこれから本書を読むという方は、これ以降読まない方が賢明かもしれません(ネタバレとか謎解きとか、そういう類の本ではないのですが…)
    主人公の執事に恋焦がれる女性がいます。
    名家の英紳士に、ともに仕えた女中頭です。
    女中頭は、外で知り合った男性から求婚され、やがて屋敷を離れることになります。
    主人公は、現在仕えている米国人の大富豪から勧められ、英国中を自動車旅行しながら、この女中頭の元へ向かいます。
    そして、最後に女中頭から、好きだったことをほのめかされます。
    ここはジンと来る場面です。
    人生は取り返しのつかないものなのだ、ということが伝わってきます。
    静かに深く、人生の何たるかを教えてくれる、大変にいい作品でした。
    たくまざるユーモアもあります。
    客人の息子に「生命の神秘」(セックスのことですね)を教えようとする場面などは、実にユーモラスです。
    最後は、主人公の老執事がジョークの大切さを痛感して終わります。
    このラストも実に爽やか。
    「もっと肩の力を抜いて行こうよ」という著者のメッセージのように思いました。
    ところで、カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞の後、「なぜハルキじゃない?」という、本質とは全く違う報道がメディアを覆いました。
    そんな些末な話に矮小化しない方がいいのではないかと、読後、思ったことでございます。

  • お屋敷奉公の内幕(?)の本、
    「おだまり、ローズ」を読んでいるあたりから、
    この小説が実在の執事をモデルにしている、
    と言うのを知り、読んでみようと思った。

    一流の執事になることを目指し、
    実際その地位を確立した、スティーブンス、

    長年仕えたダーリントン卿亡き後、
    屋敷を買い取り、引き続きスティーブンスを雇うことになった
    新しい主人から、ある日、
    自分の留守中、たまには休暇を取って出かけるように言われる。

    そこで、過去に一緒にお屋敷で働いていた女性に
    会いに行くことにするが…

    「品格のある執事」を目指すスティーブンスが
    やることなすこと自分の感情をなくして
    「執事はこうであるべし」で行動するから、
    御立派ではあるけれど、
    なんだかいちいちしち面倒くさいお人だなあ…と
    少々うんざりして、
    でも実際こんな人生ってさぁ…と思ったとき、

    「あ、そうか、スティーブンスもそれに気付いたんだ!」
    と言う事がわかった!

    敬愛していたダーリントン卿がある策略に利用され、
    名誉を失墜したまま悲劇的な方法で亡くなってしまった今、

    かつてお屋敷で開かれていたような華やかな行事もなく、
    使用人の数もわずかとなり、

    自分の選んだ道が最良だったのかな?と折々考えてしまう気持ち、

    「もしかしたらあの時、ああだったかも?」
    「あの人、こう思ってくれていたのかも?」
    なあんて、思いめぐらせて、

    そして、今回の旅行で会いに行く女性がくれた手紙を
    何度も読み返しては、
    自分の都合のよい解釈をどんどんしてしまう感じ、
    あるなー。

    実際に再会したら、
    自分の想像とは拍子抜けするほど「違う」んだけれど、
    (これも、あるなー。)

    救いのある部分もあった。
    だから余計に戻らない時間が切ない訳だ…。

    「わたしはこうして執事になった」のエドウィン・リーがモデル、
    と言われているけれど、

    「わたしは…」を読む限り、確かに「執事界のレジェンド」と
    言われた男だから、一側面ではあるんだろうけれど、
    リー氏はもっとお茶目でユーモアのある印象、であった。

  • 昔大学の講義で習った、信頼できない語り手(しんらいできないかたりて、英語: Unreliable narrator)、という言葉を思い出しました。
    20イギリスの執事の回顧録。いかに自分が品格があり、理性的で、主人の仕事に盲目的に従っているかを蕩々と語っているが、その文章の節々から女中頭へ慕情、怒濤の時代の変遷を読者はうかがうことが出来る。
    執事の語られていないところで多くの事象が動いている(ex:女中頭の恋、政治経済の動向、父親の心境)のにも関わらず、それを一切排除し、私見に寄った語りを進めるので、重いと感じる人もいると思うし、逆に執事になりきって没頭出来る人もいると思う。

  • 古き良き時代のイギリスが舞台。英国執事とその主人、そして女中頭の物語です。
    尊敬する主人に仕え続けた執事が、晩年初めて旅をしながら自分自身の人生を振り返ります。

    「品格」を体現した生真面目な執事が語る主人との催事や会議がすばらしくてときめきました。
    執事の役割もそうなのですけど英国貴族の役割もね。とてもよかったです。

    それから、抑制されつくした口ぶりで語る女中頭との恋愛模様も、つつましやかすぎて愛おしくて、少し切ないけどなんとなくほっこりするような。これも生真面目で偏屈な執事ならではの語りが効いていてときめきます。

    また、翻訳が上手で、全く違和感のない、それどころか美しい日本語が物語の雰囲気にぴったりでした。
    上質な作品。

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