日の名残り (ハヤカワepi文庫 イ 1-1)

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200038

感想・レビュー・書評

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  • 20数ページの最終章で感動し、巻末の丸谷才一の解説も味わい深く、満足できる読み応え。しかし! 最後に感動的な語りをしているのは結局目をつぶるのが得意なスティーブンスなのである。信用ならない... お屋敷に戻ったら、クリスティの『春にして君を離れ』のジョーンみたいな方向に行っちゃうんじゃないの?「合理化」の話なんじゃないの? と疑いたくなる気持ちがじんわり湧いてくるのだ。これは人の感想が聞きたい。

    と、最終的には座りの悪い気持ちになったのだが、戦前と現在を行き来する語りの構成が巧みで滑らかに読み進められるし、仮想イギリスドライブ旅行ができたし、楽しい読書体験だった。お屋敷のモデルになった邸宅は今はホテルになっているらしい。いつか訪問してみたいものだ。

    • ken7ynwaさん
      スティーブンスとしては「自分は間違ったことはしていない」という自己正当化部分もあったのではないかと。

      こういうところが、カズオイシグロ...
      スティーブンスとしては「自分は間違ったことはしていない」という自己正当化部分もあったのではないかと。

      こういうところが、カズオイシグロ作品を「不確かな記憶」と評している部分でしょうか。

      通りすがりに失礼いたしました。
      2021/06/13
  • 美しい文章です。

    執事が語り続ける内容なので、
    正直途中で飽きた期間はありましたが、
    美しい文章で、心地よく読めました。

  • 主人公のジョークの腕が上がる日は来るのか!?笑

  • はずかしながら、初めてのカズオ・イシグロ。

    20代の頃に好きな監督であるジェームズ・アイヴォリーの映画「日の名残り」を観ました。
    当時はアンソニー・ホプキンスの怪演とも言えるほどの執事ぶりと、大人のなんとももどかしい恋心、そしてお屋敷やイギリスの風景にうっとりさせられる、そんな素敵な映画だわ。
    と、思っていた。

    確かにもどかしい!この、二人のやり取り。素晴らしい筆力で描かれて…
    しかし、まさかダーリントン・ホールにこんな歴史的背景があったとは、若かりし日の私にはさっぱりわかっていなかった。

    素敵だったな。
    品格という言葉について自分も考えたくなる。
    ‪それから、私にも田舎町の素敵なティールームで2時間くらいお話ししたい人がいるので、羨ましかった。。

  • 題名が素敵だと思う。
    スティーブンスの執事としてのプロフェッショナルさ。
    人ってどんな選択をしていようと、ああだったらとか後悔したりすると思うけど、そのときの自分に自分が誇りをもてているのなら素敵なことだと思う。
    誰もが年老いていくわけで、でもそれを受け止めるからこその悟りもあるのかな。

  •  ノーベル賞の威光に圧倒され腰が引けていたんだけど、読んでみたらあまりにも面白いんでビックリした(@_@;)

     なんだ、この人物描写(@_@;)
     主役スティーブンス、女中頭ミス・ケントンはもちろんのこと、ちょっとしか出てこない端役に至るまで、ほんの一筆で生々しく息をし動き出す(@_@;)
     本書の直前に人間がまったく描けていない「火星の人」なる怪作を読んだばかりだったので、ほんと、まじ、魔法のように感じてめまいがした(@_@;)
    (まあ、ノー文作品とオタクのネット小説を並べて評するのも酷だけど)

     ストーリーもテーマも時代描写もセリフも、まさに完璧(゚д゚)!
     非の打ち所がどこにもない(゚д゚)!
     もう、「月と六ペンス」「武器よさらば」「こころ」「道化の華」レベルに達してるじゃん(゚д゚)!
     これが現役バリバリ作家の作品だなんて(゚д゚)!
     ……てことは……( ゚д゚)ハッ!!
     ――今後我々は、モーム、ヘミングウェイ、漱石、太宰レベルの「新作」を、
     リ ア ル タ イ ム で 読 ん で い け る、
     ってこと!?Σ(゚∀゚ノ)ノキャー アンビリーバボー!(゚∀゚ノ)ノキャー

     名作はすべからく多彩な側面をもっているもの( ´ ▽ ` )ノ
     本作もその例に漏れず、ミステリーとしても歴史小説としてもラブロマンスとしても読むことができる( ´ ▽ ` )ノ
     自分の場合、本書の「青春小説」としての一側面に強く心を引かれた( ´ ▽ ` )ノ
     爺さんが主人公なのに、青春?……( ゚д゚)
     そこがカズくんの魔法( ´ ▽ ` )ノ
     お屋敷という結界に囲われた小世界で、スティーブンスは終わりのない青春を生き続けてきたように思う。
     自らもうすうす気づいてはいるけれど、無意識に頑強に否定し続けている、青春という呪い……(T_T)
     お屋敷は彼にとって、家庭であり卒業のない学校であり、人生のすべて、だった。
     ダーリントン卿は彼の父であり母であり教師であり神。その意に沿うことが人生の唯一の指針であり目的であり、その目と耳を通してしか世界を感受できない(>_<)
     善悪・思想・判断の決定権を他者に完全委譲し、道徳・品格をもって自らの小世界を頑なに鎧うことで、外世界の棘・毒から逃げているわけだ(>_<)
     平たく言えば、世間知らず、うぶ、無垢(>_<)
     そのスティーブンスがダーリントン卿という唯一無二のよりどころを失い、あらくれた外世界に放り出されたら、どうなるか?……(T_T)
     本書を読みながら、何度も「これは現代版にアップデートされた『車輪の下』なんじゃなかろうか?」と思った。

     コチコチに真面目すぎて、教師にとっては百点満点いい子ちゃんながら、同級生からは変人扱い(>_<)
     思い悩んで、ジョークの練習(!)をしたり、こっそり恋愛小説を読んでみたり、自分を柔らかく変えようと試みても、いざとなるとすでに血肉と化している「品格」という教条に縛られニッチサッチ(>_<)
     なにをやってもぎこちなく、周囲からますます浮いていく(>_<)
     いまで言うコミュ障そのもの(>_<)

     ミス・ケントンとの関係も、まるきり不器用な青春小説……(T_T)
     ここでこうすればいい、こんなことを言えば先がある、ぜんぶわかってるのに、自分自身が、周囲との関係性が、変化するのが怖いから、そうできない(>_<)
     人を傷つけ自分も傷つけられるという繰り返しを臆病に避けてきた、人生経験の浅さがまた、彼にトンチンカンな言動をとらせる(>_<)
    「きみ、ここやめるんじゃなかったの?」なんてミス・ケントンの心を抉るからかいを(何ヶ月も!)ねちこく繰り返す(>_<)
     それが愉快なジョーク、楽しいじゃれ合いだと、まるきり疑うこともなく……これ、昨今の「いじめ」とおなじ構図だよね……(´ε`;)ウーン…
     無邪気といえば無邪気。悪意なき蛮行。未熟。自己中。人の心を慮る想像力に欠けている……(>_<)

     本作はぜひ、中高生に読んでほしい( ´ ▽ ` )ノ
     後悔先に立たず( ´ ▽ ` )ノ
     取り返しのつかない晩年になってから、見知らぬ人に愚痴をたれつつ、無様な涙を流すことのないように( ´ ▽ ` )ノ


     本作を読む前にドラマ「ダウントン・アビー」を見ていたことは、非常に都合がよかった( ´ ▽ ` )ノ
     時代的にだいたい重なっているから(第一次世界大戦前後)、ダーリントン卿=スティーブンスの絶頂期(といっても、その頃からとっくに英国貴族の没落は始まっていたんだけど)をありありと想像できた( ´ ▽ ` )ノ
     貴族生活のバカバカしいまでの規律、がんじがらめのプロトコル、使用人たちの序列・生活も分かってた( ´ ▽ ` )ノ
     屋敷が米国人に売られた事情も予習済み( ´ ▽ ` )ノ
     スティーブンスの父がカーソンさんくらいの年代かな?(彼はヒューズさんとの「決断」に踏み切れたんだけど……)( ´ ▽ ` )ノ
     スティーブンス本人はバローさん世代?( ´ ▽ ` )ノ
     最終回を見て「彼はその後どんな人生を送ったんだろう?」と思っていたから、(置かれた状況はかなり違うけど)ドラマの続編を見られたような幸福感( ´ ▽ ` )ノ


     あんまり面白かったから、レビューもついつい長文になっちゃった(>_<)
     ここらへんで終わりにするけど、とにかくいい作品だった( ´ ▽ ` )ノ
     ほんとは星十個くらいつけたい( ´ ▽ ` )ノ
     必読( ´ ▽ ` )ノ

    2019/06/14
     












     
     

  • 物語の舞台は、英国、オックスフォードシャー。ダーリントン・ホールと呼ばれるお屋敷。

    多くの読者は(本レビューで)、終幕の海辺でのスティーブンスの「涙」と、見知らぬ老人の慰めの言葉に胸を打たれ、執事の回顧と哀しみに救いを感じたようである。
    だけど私は、あの場面に甘いセンチメンタルな味わいこそ感じたものの、共感を抱くことは出来なかった。
    スティーブンスは大切な人と一緒に生きる幸せを知ることはなかった。そして主体的に世界と切り結んだ自負も抱けぬまま、老境を迎えた。それは虚しく、愚かであると私は思うのだ。私はそんな生き方はしたくない。スティーブンスに与えられた慰めは、偽りの救いでしかない。私はそう感じた。私自身、いま老いの入口に差し掛かりつつある。それ故に、逆に、人生を回顧することに関して、シビアな心情を抱くのかもしれない。

    さて、この小説は、ある種の“読解力”を必要とするように感じた。本作でカズオ・イシグロは、メッセージやテーマを直接に彫琢するのでなく、間接的なやりかたで表現しているのである。
    比較的わかり易いところでは、ミス・ケントンのほのかな想い。彼女の“恋心”は、最後まで具体的な言葉で語られることはない。そしてスティーブンスの心情もまた然り。終幕、黄昏の海岸で、彼はハンカチを手にする。表現はそこまでに留められる。
    これらは比較的わかり易いものだし、文学的表現としては、そのほうが洗練されているので、それはよしとする。 だが、内容に一歩踏み込んで、以下の主題に関してはどうだろう。私は正直、うまく読みとれなかった。作者が伝えようとした本質を捉えそこねた気がしている。

    スティーブンスは、ダーリントン卿に多年にわたり執事として尽くした。だが、次第に、卿が取り組んだ仕事には誤ちも多かったとする他者の批判・批評が織り込まれてゆく。それでもスティーブンスは、“卿の生き方に間違いは無く、それを支え続けた自分の半生にも誤りはない、彼に付き従った人生に悔いは無い”と語る。
    終盤終幕の最終頁まで、この“悔い無し”の立場を貫き通すのだ。

    ところが、巻末の解説によると、ダーリントン卿が追求した事業には誤りがあり、執事として支えたスティーブンス自身もまた、それに盲目的に従ったことは愚かであった、とされる。(卿は、二次大戦の前後、お屋敷を舞台に外交活動に奔走したのだが、ナチスドイツに利用され、結果的に対独協力者の役割を担ってしまったのだ。)
    つまり、スティーブンスの執事としての矜持、職業的な忠誠心は、時代遅れであった。のみならず、ある階級に盲目的に従う面で、時代や社会への弊害もあったのだ。そうした悲哀もまた、本作のテーマであるという。
    上記の、執事という生き方への批判ということに関しては、うまく読みとることは出来なかった。

    スティーブンスは、同僚ミス・ケントンの想いを受け止めることなく、あるいは気づくことなく、執事の美学を禁欲的に貫いて老いを迎える。随分と哀しい生き方であることよ、と感じた。

    カズオ・イシグロという作家に関しては、私は、先に「解説」を読んでから( 作家の作法、フレームを知ってから)本編に臨むべき、かもしれない。

  • 普通なら痛くて耐えられないところまでゆっくりと静かに案内してくれて、そっと物語から帰してくれる。並の忍耐じゃないなと思う。

  • なんだか思いっきり泣いた後にだけ感じる満足感のような、そんな味わいの一冊。

    読書会の課題図書。
    今年話題のノーベル賞受賞作家、カズオ・イシグロさん作。1989年。

    #

    舞台はイギリスです。時代はどうやら、1950年代?1960年代?くらいのようです。
    主人公はスティーブンスさんという、どうやら初老の男性で、職業は「執事」です。
    つまり、大邸宅に住む大金持ちのご主人様に仕え、その邸宅の運営、大勢の召使や女中たちを束ねる仕事です。
    イギリスは、いちはやく資本主義化した一方で、「地主=貴族階級」と「資本家ブルジョワジー」と「労働者階級」という三つの階級が厳然と戦後まで残っている社会の仕組みが特徴的です。
    (どうしてかというと、その階級社会を崩壊させるような内乱が起こらなかったからでしょう)
    その、「地主=貴族階級」のひとり、「ダーリントン卿」に、ながらく仕えていた訳です。主人公のスティーブンスさんは。

    #

    お話は、かつてダーリントン卿のものだった邸宅が、いろいろあったようで、今やアメリカのお金持ちの物になっている時代から始まります。
    そして、執事であるスティーブンスさんも、邸宅とセットでアメリカ人に販売されたようで、今はアメリカ人のご主人様に仕えています。
    どうやらかつての「ダーリントン卿時代」と違い、随分と邸宅の運営はリストラされて、少人数でのやりくりをさせられています。
    そのスティーブンスさんが、ご主人様の親切で、数日間の休暇を貰います。そして、ご主人様の車(フォード)で郊外へ旅で出かけます。
    どうやらその旅というのは、かつての同僚だった「ミス・ケントン」なる女性と久しぶりに会いに行く旅のようです。

    この数日間の、「ミス・ケントン」と会いに行く旅の様子と。

    その旅の間に、スティーブンスさんが回想する、これまで数十年間のよしなしごと。

    というのが入れ替わり立ち代わり語られて、進んでいきます。
    スティーブンスさんの1人称。

    この語り口が、絶妙に上手い(ということは、翻訳もとても上手いと思います)。
    この上手な感じ、食べやすさ、手ざわりっていうのは、どこかしら、村上春樹さんの小説にも似ています。
    とにかくスティーブンスさんの思いに寄り添っているうちに、人物のキャラクターが浮かび上がり、謎が見え始め、哀愁が押し寄せ、サスペンスが生まれてきて、知らぬ間にどきどきしてきます。
    こういうの、なんていうか、感性とか云々は勿論ですが、とにかく小説家としての技術力が極めて高い気がします。

    #

    スティーブンスさんは、長年「ダーリントン卿の執事である」ということに誇りを持って、全身全霊をもって勤めてきたわけです。
    「ダーリントン卿」はどうやら、第1次世界大戦に従軍した貴族?(あるいは貴族的な階級の人)であり、第2次大戦までの年月に、何かしらかの政府の公職にもあったようです。
    そして、ナチス・ドイツとの開戦をなんとか回避しようと、非公式ながら各国の首相や要人と密会や食事会を重ねて、政治的な活動に貢献してきたようです。
    執事であるスティーブンスさんも、そういったVIPたちとの食事会や、宿泊のお世話などに大わらわで、「何か世界の中心に、平和に貢献できている」というプライドを抱いて、結婚も恋愛もせずに勤務してきました。
    スティーブンスさんは、典型的な「イギリス紳士」であるダーリントン卿のもとで、典型的なイギリスの執事として、品格と能力を身に着けた仕事人であろうとして生きてきました。

    つまりは堅物。
    ですが、その徹底した美意識と自己犠牲には、凄味すら感じるものがあります。

    そして、その黄金時代を共に戦った女中頭が「ミス・ケントン」だったようです。

    そこには、プロとして渡り合い、共闘し、時にぶつかりながら、仕事という情熱の平原をともに歩いてきた者同士だけが持てる連帯感も好意も横たわっていました。

    だけれども。
    何かがあって、ダーリントン卿はいなくなってしまった。

    そして、屋敷は(スティーブンスさんごと)アメリカ人に渡ってしまった。

    アメリカ人の主人は、それなりに優しいし素敵だけれども、所詮はダーリントン卿のような「品位あるイギリス紳士」では全くありません。

    つまりは、成金が「イギリスの邸宅っていうものを、執事ごと買ってみた」というだけです。

    そして。

    何かがあって、「ミス・ケントン」は、仕事を辞めてどこか地方に、遠くに、結婚して去ってしまった。
    その上、手紙のニュアンスによると、結婚からもう二十年くらい?三十年くらい?を経て、どうやら現在はあまり幸せでは無いようだ。

    何があったのか???

    スティーブンスさんの独り語りを聴いて、

    「へえ~、本物の執事っていうのはそういう仕事なんだあ。なるほどなあ。戦前のイギリスの、名誉と富を持った階級の暮しっていうのは、そういうものなのかあ」

    と、ページをめくっているうちに、徐々に引き込まれて行きます。

    何があったのか???



    初老になったスティーブンスさんは、ミス・ケントンからの久方ぶりの手紙を頼りに、一人旅を続けます。
    スティーブンスさんは、もしかしたらミス・ケントンがふたたび屋敷に戻ってきて、一緒に働いてくれるのでは?という淡い期待を持っています。
    だけれども、会ったら、自分からそう言って誘うべきなのか、明確な態度は決めかねています。

    物凄くゆがんだ形ですが、恋の香りが漂います。

    どうなるのか???



    (以下、本文より)

    怖かったのですよ、見知らぬ土地へ行って、私を知りもしない、構ってもくれない人たちの間にひとりいることを考えますと、とても怖かったのですよ。

    人生が思い通りにいかなかったからと言って、後ろばかり向き、自分を責めてみても、それは詮無いことです。

    あのときああすれば人生の方向がかわっていたかもしれない---。そう思うことはありましょう。それをいつまで思い悩んでいても意味のないことです。

    #

    それでも、思い悩むんです。
    思い悩んでしまうんですね。

    初老になったスティーブンスさんと、ミス・ケントン。

    夕方から夜にかけて。日没の頃。日の名残り。
    それが一日でいちばん美しい、素敵な時間だ、と語られます。

    スティーブンスさんの掌から砂のようにこぼれおちたものたち。
    つかめなかった、つかまなかった、「幸せ」のようなものたち。

    理屈で言ったら、ぜんぜん救いなんかないんです。

    でも、それでも小説を読み終えて、7割の痛みの奥に、ほっとする何かがあります。

    痛い思いをして、思うようにいかなかったことは、人生そのものの否定なんかぢゃありません。

    なんだか思いっきり泣いた後にだけ感じる満足感のような、そんな味わい、大人の味。美味。

  • 著者の得意な第二次世界大戦の時代を振り返る形式。エンタメ。終盤のどんでん返しが悲しくてよい。
    信用ならない語り手による欺瞞的な回顧という形式も著者が得意とするところだが、今回は全てを執事の品格というフィクションで糊塗する男。語り口が一々うざったらしくてよい。そして豊崎由美氏も指摘するとおり、実質はたんなるだめんず。テンパるとすぐに感情的になり、父の死に目にも会えず、かつての主人を執事盲目的に賛美し。。。
    とはいえ、最後に自己欺瞞に自ら言及し、執事の品格という欺瞞を徹底することで淡い恋を丸く収める点は、一周回った感じで感動的。欺瞞もやり通せば本物になりうるという希望を感じさせる。ジョークを勉強しようという情けないアホさで〆るのもかわゆす。

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著者プロフィール

カズオ・イシグロ
1954年11月8日、長崎県長崎市生まれ。5歳のときに父の仕事の関係で日本を離れて帰化、現在は日系イギリス人としてロンドンに住む(日本語は聴き取ることはある程度可能だが、ほとんど話すことができない)。
ケント大学卒業後、イースト・アングリア大学大学院創作学科に進学。批評家・作家のマルカム・ブラッドリの指導を受ける。
1982年のデビュー作『遠い山なみの光』で王立文学協会賞を、1986年『浮世の画家』でウィットブレッド賞、1989年『日の名残り』でブッカー賞を受賞し、これが代表作に挙げられる。映画化もされたもう一つの代表作、2005年『わたしを離さないで』は、Time誌において文学史上のオールタイムベスト100に選ばれ、日本では「キノベス!」1位を受賞。2015年発行の『忘れられた巨人』が最新作。
2017年、ノーベル文学賞を受賞。受賞理由は、「偉大な感情の力をもつ諸小説作において、世界と繋がっているわたしたちの感覚が幻想的なものでしかないという、その奥底を明らかにした」。

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