青い眼がほしい (ハヤカワepi文庫)

  • 早川書房
3.58
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本棚登録 : 912
レビュー : 63
  • Amazon.co.jp ・本 (323ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200069

作品紹介・あらすじ

ノーベル文学賞作家、トニ・モリスン逝去。代表作に『青い眼がほしい』など。

誰よりも青い眼にしてください、と黒人の少女ピコーラは祈った。そうしたら、みんなが私を愛してくれるかもしれないから。白い肌やブロンドの髪の毛、そして青い眼。美や人間の価値は白人の世界にのみ見出され、そこに属さない黒人には存在意義すら認められない。自らの価値に気づかず、無邪気にあこがれを抱くだけのピコーラに悲劇は起きた-白人が定めた価値観を痛烈に問いただす、ノーベル賞作家の鮮烈なデビュー作。

感想・レビュー・書評

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  • 差別や暴力の本質を、自分はまだ理解できていなかった……。強者や多数派から弱者に向かうのは、その通りなのですが、そんな簡単な話でもない気がします。差別や暴力の本質は、その弱者の内に巣くい、川の水が上流から下流に流れるように、弱者・マイノリティの中の、さらなる弱者に行き着くところが、本質なのかもしれないと、この小説を読んで思いました。

    小説の序盤で語られる少女たちの疑問や願い。

    なぜ白人の女の子みたいに、わたしは「かわいい」と言ってもらえないのだろう。

    美しい青い眼さえあれば、みんながわたしを認めてくれるはず。だから青い眼をわたしにください。

    少女たちの純粋すぎる疑問、そして切実な願いは、改めて差別の残酷さを浮き彫りにします。そして、こうした疑問や願いは実は知らず知らずのうちに、自分に牙を向けていることを、著者のトニ・モリスンは表現します。青い眼をほしがる少女に対しての表現で印象に残ったところがあるので、ここで引用。

    奇蹟だけが自分を救ってくれるという強い確信に縛られていたので、彼女は決して自分の美しさを知ろうとはしなかった。(p70より)

    この文章を読み、ほんとうに哀しくなりました。差別されるものとして自分自身を受け入れざるを得ない現実。内在化され、もはや奇跡が起こることでしか動かしようの無い自身への評価。著者は本来誰もが持つ人の美しさを知りつつも、それを知る由も無い少女をありのままに描くのです。

    さらにこの小説は、少女視点で差別を描くなんて生易しいものではありませんでした。さっきの引用はまだ序の口です。著者は少女から、少女の周りの人間、さらに彼女の親と、それぞれに視点を移していきます。

    始めはいきなり著者が語っている人が変わるので「読みにくいなあ」と思っていました。しかし、徐々にこの視点の切り替えの意味が分かってきます。著者は視点を自在に切り替え、それぞれの思いを写し取ることにより、社会に内在化された差別を暴いていきます。それは白人社会の差別でもあるのですが、黒人内でもヒエラルキーなどによる差別があることも、同時に暴くのです。

    そして物語の後半には少女の両親に視点を切り替え、二人の人生を語ります。この切り替え、そして二人の人生が語られることによって、差別や搾取は現在浮かび上がってきた問題ではなく、歴史に、文化に、慣習に、そして生活に、もっと言うならば”国”と”人間”に根付いたものだということを、明らかにしていくのです。

    そして青い眼がほしいと無垢に祈った少女の願いの果ては、あまりにも残酷なものでした。それは差別と目に見える暴力、見えない暴力が膿となって溜まり、弱いものから最も弱いものに向けて決壊したような印象を、自分は感じました。

    人種差別を扱った映画や小説は、いくつか鑑賞したり、読んだ経験があります。そのときたまに出てくるのが、性的に搾取される女性たちや少女の姿でした。この本を読むまでは、それに特に深い意味を感じることもなく、ただ痛ましいだとか、かわいそうだとか思うだけでした。しかしこの本を読んでなぜそうした場面があり、そうした歴史があったのか、自分なりに分かった気がします。

    白人と黒人という構図は、実は男性と女性とにも置き換えられるのかもしれません。白人社会の中での黒人、男性社会の中での女性、いずれも役割を押しつけられ、そして搾取される存在でした。

    つまり自分が今まで見てきた性的な搾取は、社会の中で力が強いものが弱者を虐げる。そんな人間が本質的に持つ暴力性や残虐性を、人種だけでなく性的にも現していたのではないでしょうか。

    そしてこの小説が暴いたのは、異なる人種間だけでなく、同じ人種間でも、階層、親と子、男性と女性とで差別があり、暴力があり、搾取があり、それは弱いものの中でも、さらに弱いものに向かうという現実だったのだという気がします。

    この小説の裏表紙の内容紹介で「白人が定めた価値観を痛烈に問いただす」とありました。それは間違いではないのですが、個人的にはもっと深いところに、この小説の目的があるように思います。

    あらゆる人間が持つ暴力性や残虐性。それは時に社会や文化に埋め込まれ無意識に発現し、弱いものからさらに弱いものへと襲いかかります。あらゆる人種にかかわらず、それを自覚させることが、この小説の目的だったのではないかと、自分は思います。

  • 1941年、アメリカ北部にあるオハイオ州ロレイン市に暮らす9歳のクローディアという少女を通して、ある事件を中心に黒人たちの世界を描いた小説で、秋から夏までの四季に分けて進行していきます。

    「青い眼がほしい」と願い、物語の焦点となるのはクローディアの友人、ピコーラという12歳前後の少女です。彼女たち二人以外には、ピコーラの母ポーリーンの過去と父チョリーの過去、そしてクローディアから眼を青くしてほしいと請われる客員牧師ソープヘッド・チャーチの章が設けられています。クローディアの年齢は当時の著者の年齢と合致しており、彼女は著者の分身でもあるのでしょう。

    主題だけではなく、小説としての構成、少女たちの目に映る社会の姿など、目を見張る点が多々ありました。心に深く刻まれ、容易には整理し難い小説です。本書を知ってからしばらく躊躇していたのですが、読んで良かったです。気になっている方はぜひ。

  •  ノンジャンルと言える長寿本の一つに珍しく手を出してみた。ノーベル賞作家トニ・モリスンのデビュー作であり、1970年に生み出されたものの、広く世界で読まれるようになったのは四半世紀という時間を要したそうである。

     この作品は、あらゆる意味で人間を比べてみることの愚かさと、その中で犠牲になってゆく心の痛みへの深い理解を、地道に、日常の言葉で綴ったものである。主たる視点は少女のものだが、時に他の三人称視点を使って挿入される作中作のような物語が、かしこに散りばめられている。

     世界の歪みを、多角的な視点で捉えつつ、様々な区別や差別が人間に対してなされてゆく行為や、無意識という水底に沈殿してきた最大の罪のあり様を、作者は文章によって水面に浮上させてゆく。見た目の形としての差別。

     人種差別、性差別、知的差別、肉体的差別。そのすべてを象徴するもののように、黒人少女ピコーラは周囲から捉えられており、その生を、語り手のクローディアは世界の歪みとして気づきつつ、なおかつ安全圏にいる自分の立場に揺れる。

     恐ろしい時代。1941年の秋から翌年の夏への一年の季節。マリーゴールドが咲かなかったことから物語は始まる。大戦前の不穏なアメリカ。その時代の小さな村で、小さな女の子の身に何が起こったのか? 誰も耳を貸さなかったこの本は、1993年に作者がノーベル賞を手にした途端、日の目を見ることになる。1994年にトニ・モリスン・コレクションとして再版され、2000年にはこの文庫本のかたちとなった。

     それを2020年に読んでいる自分がいる。TVではトランプとバイデンによる選挙の予想が報じられ、人種差別問題は、現代の南北戦争とまで呼ばれている今、本書は決して古い物語ではなく、連綿と続くアメリカという国、また遠い国の話というだけではなく、日本国内、身のまわりでも、当時同様の偏った精神性に身を委ねようという無思考な姿勢が問われてはいないだろうか。

     今、この時代に、社会問題としてよりも、人間の在り方というような日常の視点からこの問題を抱え込んで頂きたいと、本書は万人に語りかけているように思う。

  • 青い眼になればもっと愛される。そう信じる少女ピコーラに理不尽で辛い事が起こります。最初から最後まで、その時代のアメリカの人種差別や人々の価値観について深く考えさせられる小説。

  • これまた南米、最終日のボリビアの空港で。不思議な味わいの小説だった。美の意識すら外に決められてしまう黒人。周辺を丁寧に描いていて興味深い。まあまあ悲惨な話だけどでも不思議と後味悪くなくて不思議。

  • 大学の授業のために読みました。
    黒人の少女が白人に憧れ、その結果黒人の少女が狂ってしまう話。
    読んでいてかなり辛い描写が多かったです。
    アメリカ中西部が舞台になっているだけあって、
    その当時のアメリカを色濃く映しているなと感じました。
    今となっては、差別はダメだという考え方が一般的で常識になっていますが、
    そうでなかった時代もある、今があるのはこういう差別を受けた方々の努力があってこそだということを理解できる作品だと思います。

    本書の一文にある、
    「白人の眼のなかに嫌悪でふちどられた空白を創りだしたもの、その原因となるものは、彼女が黒人だという事実だった。」
    なんて悲しくて、恐ろしくて、辛い事実なんだろうと、
    ただ肌の色が違うだけで存在も認められないなんて、
    と。
    この作品は、
    黒人差別をした白人を責めるようなことはかいておらず、
    ただ淡々と事実を述べる形式で進められます。
    このことがより一層、どの差別反対を表現した作品よりも心に響いた理由かなと思いました。

  • 「秘密にしていたけれど、一九四一年の秋、マリーゴールドはぜんぜん咲かなかった。」
     最初の一文にドキッとする。“秘密にしていたけれど”というなんとも仄暗い書き出し。その不吉な予感は正しく、明るい話とは決して言えない、心にズシンと重石を残してくるような物語だった。

     人種差別が浮き彫りになる前のアメリカ。荒んだ家庭環境に身を置き、学校でもいじめにあう黒人の少女。青い眼があれば、「あんなにきれいな眼の前じゃ悪いことはできないね」と、周りも態度を変化させるのではないかと考え、毎日祈りを捧げるようになる。青い眼にしてくださいと。
     そんな彼女に悲劇が襲いかかる。実の父から強姦され、父の子を身ごもるのである。
     こんなことは許されない、決して許されないのだけど、その父の幼少時代まで丁寧に描くことで、一体何が悪で、価値基準とはなんなのかと、わたしの中の色んなものがぐにゃりと歪む。
     美醜の判断は、いつからできるようになるんだろう。なんで幼い女の子はピンクを好み、おままごとをするのだろう。インターネットの普及で、太った女性が好まれていた地域でも欧米的な美を求められるようになったという話を聞いた。自分の好き嫌いは情報に操作されているのか。目に見えない「世間」に同調しているのか。幼い子どもも判断基準を「間違わない」なら、もはや洗脳ではないか。
     物語の中で、黒人の男の子がピコーラに「黒んぼやーい 黒んぼやーい おまえのおやじは裸で眠る」といじめるシーンがある。「おまえのかあちゃんでべそ」並みに、どうしようもないいじめ方だ。そして、裕福で、かわいい黒人の女の子モーリーンが、ピコーラをいじめるシーンのなんと口惜しいことか。黒人間でも差別があることを、初めて知った。そして、知らなかった自分を恥ずかしいと思った。
     「青い眼がほしい」という少女の切実な願いに怒りを感じる牧師(エセ)。結局は彼が彼女の精神を崩壊させる引き金になってしまうのだけど、彼の怒りはまっとうだと思う。
     つらいけど読んでよかった本。

  • 「1941年の秋、マリゴールドはぜんぜん咲かなかった」という少女の独白でこの物語は始まる。でも、マリゴールドの鮮烈な黄色い花の色を思い描く間もなく、直後に「マリゴールドが育たないのはピコーラが父親の赤ん坊を宿していたからだと考えていた」と文章は続く。少女が播いた種はひとつも花を咲かせず、少女と同年代の女の子は父親の子をおなかに宿した。
    何が正しくて、何が悪くて罪なのか。
    少女である今はよくわからない。でも少しずつだけど、それはわかりはじめる。そのときに見た色彩をともなって・・

    “弱い者が、より弱い者を虐げる”という差別や貧困の根源的課題は、当時の黒人社会でも根強く根を張り、虐げられた“弱者”としての黒人が、自分より弱い立場の同じ黒人を虐待するという内容で、DV、児童虐待、性的暴行が主要なテーマとして出てくる。私達はその痛々しく禍々しい内容に、時には生理的嫌悪も生じるかもしれない。

    でも安心してほしい。作者は、黒人の悲惨な状況を並べて読者の同情を得ようというような、安っぽい作家ではない。女性として、黒人として、また新進作家として、自分の感性のアンテナをフル稼働し、少女を語り部とすることで無邪気な視点を交じえ、また、季節や田舎の風景描写を多くするなどで、人間たちの陰惨な行為だけで物語が染まらないように配慮されている。
    冒頭に書いた花の色を想起させる描写もそのひとつだと思うし、昆虫の緑色、レモネードの黄色、そして黒や白といった肌の色の描写につながる豊かな色彩感覚が、最後に“The Bluest Eye”(誰よりも青い眼)という表現を、強烈に読者の心に写すようになっている。

    もちろん非黒人である日本人の多くにも読んでほしい作品。10代の日本人の女の子も、この作品から多くの大切なことが得られるから。
    (2009/8/31)

  • なぜかフォークナーを思い出す。貧困、人種、人間関係。ああ、20世紀のアメリカ文学よ。読み終わった後、もう一度最初を読み直すと合点がいく、こういう構成だったのかと。さいごに分かるわけですよ、あのひらがなの見出しの意味が。
    なあ日本人よ、青い目がほしいと望む黒人を、果たしてわたしたちは笑えるか? 髪の毛の色を変え、目を大きく見せる化粧をし、英語が話せるようになりたいと努力する人々よ。

  • 白人のような青い眼がほしいと日々祈る薄幸な少女ピコーラの悲劇を主軸に、ふたりの姉妹の目を通して、黒人社会における人種差別のあり方を描く小説。

    この作品を読み終え、再度冒頭の一文、「秘密にしていたけれど、1941年の秋、マリゴールドはぜんぜんさかなかった」を読むともの悲しくなる。けれども、絶望を感じさせないところが救いかな。

    メッセージ色は強く重たい話だけれど、面白い。

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著者プロフィール

トニ・モリソン(Toni Morrison)
1931年2月18日 - 2019年8月5日
オハイオ州ロレイン生まれの米作家、編集者。ハワード大学入学後、コーネル大学で英文学の修士号を取得。テキサス州の大学で教壇に立つ。1970年『青い眼が欲しい』で文壇にデビュー。1993年、アメリカ黒人作家として初のノーベル文学賞を受賞。理由は「先見的な力と詩的な重要性によって特徴付けられた小説によって、アメリカの現実の重要な側面に生気を与えた」。代表作としてに『青い眼が欲しい』のほか、全米批評家協会賞『ソロモンの歌』、ピュリツァー賞受賞作『ビラヴド』、など。

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