青い眼がほしい (ハヤカワepi文庫 モ 1-1)

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (323ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200069

作品紹介・あらすじ

ノーベル文学賞作家、トニ・モリスン逝去。代表作に『青い眼がほしい』など。

誰よりも青い眼にしてください、と黒人の少女ピコーラは祈った。そうしたら、みんなが私を愛してくれるかもしれないから。白い肌やブロンドの髪の毛、そして青い眼。美や人間の価値は白人の世界にのみ見出され、そこに属さない黒人には存在意義すら認められない。自らの価値に気づかず、無邪気にあこがれを抱くだけのピコーラに悲劇は起きた-白人が定めた価値観を痛烈に問いただす、ノーベル賞作家の鮮烈なデビュー作。

感想・レビュー・書評

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  • ああ、久々に読書にこんなに時間を要してしまった。
    以前から翻訳小説は苦手だったが…
    私には難しすぎた。
    感想を述べるほど消化出来ていないが、だからもう一度読んでみたいとも思う。

  • 差別や暴力の本質を、自分はまだ理解できていなかった……。強者や多数派から弱者に向かうのは、その通りなのですが、そんな簡単な話でもない気がします。差別や暴力の本質は、その弱者の内に巣くい、川の水が上流から下流に流れるように、弱者・マイノリティの中の、さらなる弱者に行き着くところが、本質なのかもしれないと、この小説を読んで思いました。

    小説の序盤で語られる少女たちの疑問や願い。

    なぜ白人の女の子みたいに、わたしは「かわいい」と言ってもらえないのだろう。

    美しい青い眼さえあれば、みんながわたしを認めてくれるはず。だから青い眼をわたしにください。

    少女たちの純粋すぎる疑問、そして切実な願いは、改めて差別の残酷さを浮き彫りにします。そして、こうした疑問や願いは実は知らず知らずのうちに、自分に牙を向けていることを、著者のトニ・モリスンは表現します。青い眼をほしがる少女に対しての表現で印象に残ったところがあるので、ここで引用。

    奇蹟だけが自分を救ってくれるという強い確信に縛られていたので、彼女は決して自分の美しさを知ろうとはしなかった。(p70より)

    この文章を読み、ほんとうに哀しくなりました。差別されるものとして自分自身を受け入れざるを得ない現実。内在化され、もはや奇跡が起こることでしか動かしようの無い自身への評価。著者は本来誰もが持つ人の美しさを知りつつも、それを知る由も無い少女をありのままに描くのです。

    さらにこの小説は、少女視点で差別を描くなんて生易しいものではありませんでした。さっきの引用はまだ序の口です。著者は少女から、少女の周りの人間、さらに彼女の親と、それぞれに視点を移していきます。

    始めはいきなり著者が語っている人が変わるので「読みにくいなあ」と思っていました。しかし、徐々にこの視点の切り替えの意味が分かってきます。著者は視点を自在に切り替え、それぞれの思いを写し取ることにより、社会に内在化された差別を暴いていきます。それは白人社会の差別でもあるのですが、黒人内でもヒエラルキーなどによる差別があることも、同時に暴くのです。

    そして物語の後半には少女の両親に視点を切り替え、二人の人生を語ります。この切り替え、そして二人の人生が語られることによって、差別や搾取は現在浮かび上がってきた問題ではなく、歴史に、文化に、慣習に、そして生活に、もっと言うならば”国”と”人間”に根付いたものだということを、明らかにしていくのです。

    そして青い眼がほしいと無垢に祈った少女の願いの果ては、あまりにも残酷なものでした。それは差別と目に見える暴力、見えない暴力が膿となって溜まり、弱いものから最も弱いものに向けて決壊したような印象を、自分は感じました。

    人種差別を扱った映画や小説は、いくつか鑑賞したり、読んだ経験があります。そのときたまに出てくるのが、性的に搾取される女性たちや少女の姿でした。この本を読むまでは、それに特に深い意味を感じることもなく、ただ痛ましいだとか、かわいそうだとか思うだけでした。しかしこの本を読んでなぜそうした場面があり、そうした歴史があったのか、自分なりに分かった気がします。

    白人と黒人という構図は、実は男性と女性とにも置き換えられるのかもしれません。白人社会の中での黒人、男性社会の中での女性、いずれも役割を押しつけられ、そして搾取される存在でした。

    つまり自分が今まで見てきた性的な搾取は、社会の中で力が強いものが弱者を虐げる。そんな人間が本質的に持つ暴力性や残虐性を、人種だけでなく性的にも現していたのではないでしょうか。

    そしてこの小説が暴いたのは、異なる人種間だけでなく、同じ人種間でも、階層、親と子、男性と女性とで差別があり、暴力があり、搾取があり、それは弱いものの中でも、さらに弱いものに向かうという現実だったのだという気がします。

    この小説の裏表紙の内容紹介で「白人が定めた価値観を痛烈に問いただす」とありました。それは間違いではないのですが、個人的にはもっと深いところに、この小説の目的があるように思います。

    あらゆる人間が持つ暴力性や残虐性。それは時に社会や文化に埋め込まれ無意識に発現し、弱いものからさらに弱いものへと襲いかかります。あらゆる人種にかかわらず、それを自覚させることが、この小説の目的だったのではないかと、自分は思います。

  • 1941年、アメリカ北部にあるオハイオ州ロレイン市に暮らす9歳のクローディアという少女を通して、ある事件を中心に黒人たちの世界を描いた小説で、秋から夏までの四季に分けて進行していきます。

    「青い眼がほしい」と願い、物語の焦点となるのはクローディアの友人、ピコーラという12歳前後の少女です。彼女たち二人以外には、ピコーラの母ポーリーンの過去と父チョリーの過去、そしてクローディアから眼を青くしてほしいと請われる客員牧師ソープヘッド・チャーチの章が設けられています。クローディアの年齢は当時の著者の年齢と合致しており、彼女は著者の分身でもあるのでしょう。

    主題だけではなく、小説としての構成、少女たちの目に映る社会の姿など、目を見張る点が多々ありました。心に深く刻まれ、容易には整理し難い小説です。本書を知ってからしばらく躊躇していたのですが、読んで良かったです。気になっている方はぜひ。

  •  1941年のオハイオで、黒人の少女ピコーラは「青い眼にしてください」と熱心に祈っていた。黒い肌で縮れ毛の自分は醜い。美しかったら、不幸な人生は違っていたに違いないのだ。ピコーラは貧しく、学校ではいじめられ、父親の子どもを宿すことになる。
     語り部を担当する少女がいるにはいるが、物語はあちこちに飛び、何の話だか分からなくなる。これには著者の狙いがあり、読者が「責任を顧みることをせず、彼女を憐れんでしまうというという気楽な解決のほうへ」流されないよう、読者自身が語りを再構成するようにしむけたかららしい。
     この手法のせいかは分からないが、確かに「ピコーラがかわいそう」「父親や白人が悪い」で済ませられない。ピコーラの受難に対して、読者も責任を感じ、罪悪感を覚えずにいられない。貧困も差別もいじめも虐待もない世界だったら、おとぎ話の悲劇として読めると思う。しかし、現実は違っていて、今もピコーラがあちこちにいるのを私は知っている。ニュースで虐待事件が読まれ、ドキュメンタリーでサバイバーが声を上げるのを聞く。ネットでは信じられないような差別発言を目にする。そして、私は何もしていない。
     「彼女の上でからだを洗ったあと、とても健康になったような気がしたものだ。わたしたちは彼女の醜さの上にまたがったとき、ひどく美しくなった」「彼女は口下手だったので、わたしたちは雄弁だと思い込んだ」「彼女の貧しさのおかげでわたしたちは気前がよくなった」「彼女はこういうことをわたしたちに許してくれたので、わたしたちの軽蔑を受けるのにふさわしいものとなった」。この言葉に、良心が動揺し、うしろめたさを感じない人が、一切身に覚えがなく純粋な義憤を持てる人がいるだろうか。他人の不幸で自分がそうでないことを確かめたことがなかっただろうか。
     また、『青い眼がほしい』はピコーラをいじめ、犯す人間がなぜそうなったかも描き出す。人種差別やそれに伴う貧困に無力感と羞恥心を植え付けられ、それが自分より弱い者への嫌悪感に変わるのだ。他人の不幸で自分の運の良さを確認し安心するときほどではないが、この感情の転換も残念ながら私にはよく分かる。得られなかったものをどうして人に与えることができようか。

     人種差別が本書のバックボーンではあるが、「逸脱」させられる側と、「逸脱」を定義する側の相剋の物語として、普遍的な意味を持っていると思った。とにかく重く深刻な物語なのに、非常に美しく繊細に書かれている。心の奥深くに届く作品だった。

    【追記】
    物語の冒頭の「家があります。緑と白の家です」はアメリカの小学校のリーディングの教科書に登場する白人の兄と妹、ディックとジェインの物語の一節だそう。
    file:///C:/Users/tanak/Downloads/annual_intl_17_83-85.pdf

  • 文章の素晴らしさに驚いた。「秘密にしていたけれど、1941年の秋、マリーゴールドはぜんぜん咲かなかった」「秘密にしていたけれど」の言葉の意味が持つ親密さ、打ち明け話、信用、このニュアンスが持つ子供の無垢さ。それが差別、暴力の助長につながる。そこをとてもうまく同居させている。

  • 読んだ本は1994年6月30日初版発行の早川書房の本、黒人女性だから書ける本、深く重い印象、ピコーラと言う黒人の女の子の名前が記憶に残る、著者と訳者が1931年の同年生まれ。

  • ・・・・・全体的によくわからなかった。
    ついていけない散文に初めて出会った。
    要再読。

  • 西加奈子がどこかで激推ししていた本作。
    冒頭の「秘密にしていたけれど、1941年の秋、マリゴールドはぜんぜん咲かなかった。」の文を読んで稲妻が走ったと話していたが本当に吸い込まれるような冒頭。
    黒人の被差別、黒人間の差別については描き方や起きている現象は全く違うが映画グリーンブックと似たテーマだなと感じた。黒人だからと言って、一枚岩なわけではなくむしろ、黒人にも白人にも除け者にされる人生。原題のthe bluest eyesを「青い眼がほしい」と訳したセンスには脱帽。
    個人的には色や温度の感覚を伝える描写が美しくて好きだ。
    「だから、チョリーがやってきて、わたしの足をくすぐったとき、それはちょうど、あのこけももと、レモネードと、コフキコガネが描いた緑色の筋が、みんないっしょに襲いかかったみたいだった。」
    チョリーとポーリーンの出会いの最初期を描いたとてもとても美しい描写。後に二人の関係は罪を犯すものとそれを罰するものの関係に行き着くわけだが、歪んだ関係のそこには愛情があるときっと思う。

  • 読むのがしんどかった
    あまり合わなかった

  •  ノンジャンルと言える長寿本の一つに珍しく手を出してみた。ノーベル賞作家トニ・モリスンのデビュー作であり、1970年に生み出されたものの、広く世界で読まれるようになったのは四半世紀という時間を要したそうである。

     この作品は、あらゆる意味で人間を比べてみることの愚かさと、その中で犠牲になってゆく心の痛みへの深い理解を、地道に、日常の言葉で綴ったものである。主たる視点は少女のものだが、時に他の三人称視点を使って挿入される作中作のような物語が、かしこに散りばめられている。

     世界の歪みを、多角的な視点で捉えつつ、様々な区別や差別が人間に対してなされてゆく行為や、無意識という水底に沈殿してきた最大の罪のあり様を、作者は文章によって水面に浮上させてゆく。見た目の形としての差別。

     人種差別、性差別、知的差別、肉体的差別。そのすべてを象徴するもののように、黒人少女ピコーラは周囲から捉えられており、その生を、語り手のクローディアは世界の歪みとして気づきつつ、なおかつ安全圏にいる自分の立場に揺れる。

     恐ろしい時代。1941年の秋から翌年の夏への一年の季節。マリーゴールドが咲かなかったことから物語は始まる。大戦前の不穏なアメリカ。その時代の小さな村で、小さな女の子の身に何が起こったのか? 誰も耳を貸さなかったこの本は、1993年に作者がノーベル賞を手にした途端、日の目を見ることになる。1994年にトニ・モリスン・コレクションとして再版され、2000年にはこの文庫本のかたちとなった。

     それを2020年に読んでいる自分がいる。TVではトランプとバイデンによる選挙の予想が報じられ、人種差別問題は、現代の南北戦争とまで呼ばれている今、本書は決して古い物語ではなく、連綿と続くアメリカという国、また遠い国の話というだけではなく、日本国内、身のまわりでも、当時同様の偏った精神性に身を委ねようという無思考な姿勢が問われてはいないだろうか。

     今、この時代に、社会問題としてよりも、人間の在り方というような日常の視点からこの問題を抱え込んで頂きたいと、本書は万人に語りかけているように思う。

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著者プロフィール

1931-2019。アメリカ合衆国の作家。小説に、『青い眼がほしい』(1970)、『スーラ』(1973)、『ビラヴド』(1987)、『ジャズ』(1992)、『ホーム』(2012)など。彼女の長編小説はすべて日本語に翻訳されている。絵本に、スレイド・モリスンとの共著『子どもたちに自由を!』(1999、長田弘訳、みすず書房、2002)『どっちの勝ち?』(2007、鵜殿えりか・小泉泉訳、みすず書房、2020)、『いじわるな人たちの本』(2002)、『ピーナッツバター・ファッジ』(2009)、『小さい雲と風の女神』(2010)、『カメかウサギか』(2010)、『ほんをひらいて』(2014、さくまゆみこ訳、ほるぷ出版、2014)など。写真絵本『忘れないで――学校統合への道』(2004)はモリスンの単著。ノーベル文学賞(1993)のほかに、全米批評家協会賞、ピュリツァー賞、大統領自由勲章など数々の賞を受賞。プリンストン大学などで教鞭をとった。

「2020年 『どっちの勝ち?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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