ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹 (ハヤカワepi文庫)

制作 : Jeffrey Eugenides  佐々田 雅子 
  • 早川書房
3.64
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本棚登録 : 406
レビュー : 60
  • Amazon.co.jp ・本 (329ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200076

作品紹介・あらすじ

リズボン家の姉妹が自殺した。何に取り憑かれてか、ヘビトンボの季節に次々と命を散らしていったのだった。美しく、個性的で、秘密めいた彼女たちに、あの頃、ぼくらはみな心を奪われ、姉妹のことなら何でも知ろうとした。だがある事件で厳格な両親の怒りを買った姉妹は、自由を奪われてしまった。ぼくらは姉妹を救い出そうとしたが、その想いが彼女たちに伝わることは永遠になかった…甘美で残酷な、異色の青春小説。

感想・レビュー・書評

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  • 雲霞に似た昆虫、蛇蜻蛉が湖から湧き上がって町を埋め尽くす初夏に自殺した
    リズボン家の五人姉妹について、後年、大人になった「ぼく」たちが回想し、
    それぞれが知るエピソードを繋ぎ合わせて彼女らの死の謎に迫ろうとする。

    舞台は明示されていないが、作者の故郷ミシガン州の町で、
    彼が思春期の真っ只中にいた1970年代半ば頃の設定と思われる。

    金銭トラブルや痴情の縺れによる殺人はどんな場所でも起こり得るが、
    犯人が語る動機が他人には釈然としない、不条理かつ凄惨な事件は
    ゴミゴミした場所より整然とした小ぎれいなベッドタウンで発生しやすい
    ……と述べたのは誰だったろうか。
    この小説の中では他者への暴力は描かれないが、そんな、
    岡崎京子「GIRL OF THE YEAR」(角川書店『チワワちゃん』収録)の
    主人公のモノローグで

    > そこにはショートケーキのようなウソくさい家がラブリーに建ち並んでいる

    と称されたような郊外の住宅地で、
    十代にして人生に行き詰まりを感じた少女たちが自殺していく暗澹たる物語。

    「ぼく」らは彼女らを救いたいと思い、不器用ながら手を差し伸べようとしたが、
    彼女らはそれを恐らく理解しつつ、
    「ぼく」らの手を握り返すことなく旅立ってしまった。
    「ぼく」らも彼女らと同年代の、まだ子供で、
    彼女らの苦悩を受け止めきれないことを承知していたからだろう。
    少年たちでもなく、きれいごとや理想論しか言わない大人でもなく、
    彼女らと同じ「生きづらさ」を感じながら抜け道を見つけて生き延びた、
    若干知恵をつけた少し年上の「おにいさん」「おねえさん」が近くにいて
    支えてくれていたら、こんな悲惨な事態にならずに済んだかもしれない。

    「死」以外に脱出口が見出せないほど現状が辛いなら、
    死なずにその場から逃げ出すのがベストな選択だと思うが、
    少女たちには逃亡を図ることもできなかった。
    痛ましい。

    ところで、長い時間が経って、すっかりおじさんになった「ぼく」らだが、
    思い出の中の、
    性衝動をどうにか抑えて日々を過ごしていた青臭かった時代の行動は
    なかなか気持ちが悪い(笑)。
    リズボン姉妹が使っていたバスソープの銘柄を知るや、
    同じものを買ってきて香りを確かめた(p.66)だとか、
    女の立場で言わせてもらうと「豆腐の角に頭をぶつけて××!」
    といったところ。
    五人姉妹それぞれに独立した美点を認めて好きだと思っている、というより、
    彼女らを一塊の「女(になろうとする生き物)」なるオブジェと捉えている風で、
    「十三歳の女の子だった」ことがある身として生理的に許し難い。
    現実には、こうした男子のバカさ加減と女子の頑なさが、
    ある時点で互いに軟化し、折り合って、自然な恋愛感情として発酵していくのだが。

    原題は The Virgin Suiside で、ソフィア・コッポラによって映画化された。
    機会があったら観てみたい。
    しかし、この邦題は長いが見事。

  • 最近は、登場人物が死ぬ、もしくは死んだあとが描かれている小説が読みたい。
    人生を感情に納得させるために小説がある。
    どれだけ読めば納得できるだろう。


    優れてはいるけど、最低な気分になる小説だ。リズボン家には一筋の光も届かない。
    解説によると、自殺小説というジャンルがあるらしい。どうかしてる。
    でも救いのまるでない話を読むのもいいかもしれない。救いが提示されないから、自分でどうすればいいか考えなくちゃならない。

    両親がいつでも背中の上にのしかかっているように感じる。彼らの重みを常に感じて、時には一歩も動けなくなる。立ち尽くして、途方にくれて、泣き叫びたいけど声も出ない。助けを求めたいけれど、通じ合う人はどこにもいない。
    自分で作り出した怪物にとらわれているだけなのかもしれない。

    ここから出たい。誰かじゃなくて、自分の力で出たい。
    押しつぶされて死ぬのを待つのは嫌だ。重荷を誰かに押し付けて知らないふりをするのも嫌だ。
    終わったことは終わったこととして、限られた人生を精一杯生きたい。それだけなのに。それだけのことが途方も無く難しい。

    ともかく、リズボン家の五人姉妹よりはマシなことをしたいんだ。

  • ずっと幻想として抱いていた「女の子」が、この物語のなかに生きていた。

  • つかみどころがない。雰囲気とか煙みたいなものだけが漂ってる。
    「生活」を感じさせない女の子たちがただ、淡々と死んでく。
    触れんし、呼び戻すこともできんし、最初から会話できてたのかも怪しい。
    自分らには見えんものを見て、聞こえんものが聞こえてる人らに「生活」を求められん。相手してもらえない。せいぜい、終わってから気付く。
    原題は「The Virgine Suicides」やのに、ヴァージンじゃない子がでてくるけど、それが大したことではない。

  • 映画が思いのほか良かったので読んでみました。
    映画は女性監督だけあって、映像美というか、小物のかわいさとかも際立ってましたが、
    小説はまたガラっと雰囲気が変わって、完全男の子達の物語

    最初は「なんじゃい、この邦題。失敗したかな。」と思ってたけど、
    読んでみると分からなくもない。
    むしろ、直訳するよりも断然良かったかも。
    ただ、翻訳が全体的にあと一歩感があるかな。

    内容としては只今消化中(笑)

  • 昔購読していたファッション誌のモデルさんがおすすめしていたのを見て以来、ずっと読みたかった作品。姉妹の部屋に吊り下げられた十二宮のモビール、ブラジャーの引っ掛けられた十字架といった印象的なモチーフが次々登場し、読んでいるこちらも段々と幻惑されられていく。最初の自殺の日から放置されたままのパーティー会場で、ピニャータのように吊り下がった死体を発見するシーンは鳥肌。ぜひ映画でその映像映えを堪能したいところ。70年代アメリカのティーンエイジャーの鬱屈した生活の中で、ひたすら死に引き寄せられる姉妹と彼女らに性欲を抱きつつ助け出したいと望む「ぼくら」の対比が美しい。

  • だらだらとした文章でいまいちな読み応えでした。
    それでも五姉妹の自殺という衝撃さは感じました。

  • 映画の『ヴァージン・スーサイズ』を観て気になったので原作も購入して読んだ。
    タイトルからわかる通りに5人姉妹が自殺してしまうことがわかっているので、暗いというか、切ない……。ミステリーやサスペンスではなく青春小説なんだものね。
    自分の感覚で言ってしまうとどうしても両親に非難がましい印象が避けられないけれどそういう捉え方をするべき作品でもないし。
    それこそ語り手の"僕ら"の声が伝わることが永遠になかったように。

  • 次々と、そして淡々と死んでいく姉妹。そんな姉妹を崇拝しながら、どうすることもできなかった少年たち。掴みどころがなくて儚くて幻想的。

  • ずっと昔、末っ子の自殺未遂を皮切りにじわじわと、しかし最後にはあっさりと人生を捨ててしまった美人五人姉妹を、すっかりおっさんになった自分が今思い出す。
    ヘビトンボと言われて私が思い出すのはユスリカ。ユスリカとヘビトンボ、分類ではあんま関係ないんだけど、初夏にアホかというほど大量発生するところが似ているので。
    そしてユスリカといえば思い出すのは小学五年の宿泊学習にて、アホほど飛んでたユスリカが目に入ったときのこと。目が見えなくなるような気がしてものすごく怖かった。あと臭かった。なんで目に入ってにおいを覚えてるのかはわからない、だから後付けの思い出かもしれないが、臭かった。
    さて、この小説は全体的に臭くて湿っている。はず。ヘビトンボはそういうわけで臭いし、ベッタベタのキャンディやコーラが臭いし、下水が臭いし、荒れていくリズボン家が臭い。ついでに屋根の上から汗だの精液だの唾液だのが臭い。
    が、パっと目をそらしてしまえば臭いも湿り気もたちどころに消えてしまう。
    それはこれが少女たちの自殺したそのときの話ではなく、20年後にかつて少年だったぼくらが思い出している体だから。そしてぼくらは絶対に自殺した少女たちではないから。
    姉妹とぼくらの目線は重ならず、交わらない。姉妹がこちらを見ないから、ぼくらも姉妹を見ることができない。
    だからすべてがなんとなく他人事。なんとなくおとぎ話。なんとなく、現実じゃない。
    ほんとうに目で見てときには巻き込まれて体験したはずなのに、姉妹の存在はぼくらに重ならなくて、犯すことができない。
    そしてやっとぼくらと彼女たちの肉がほんとうに近づいた、もう少しのところで、みんな死んじゃった。だからもう二度と近づくチャンスが無い。

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