- Amazon.co.jp ・本 (554ページ)
- / ISBN・EAN: 9784151200083
感想・レビュー・書評
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抒情詩人として活動を始めたクンデラ
けれども彼はきっぱりその肩書を捨てて
小説家になった
抒情性というものが
どうしても嫌いだったみたい。
お箸持ち上げられないくらいの
軽さと重さの問題がここにもある
最もそれは
彼の弱さの象徴として。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
人生にどれほどの自由度があるだろう。自ら選び取ったその道も、時代、社会、文化、遺伝、親の期待・・・それらの刷り込みかもしれない。仕向けられただけかもしれない。
そんなことは断じてない。人生を規定するのは自分であり、自分次第でいか様にも変えることが出来るのだ。自己選択を疑う声は、敗者の遠吠えに過ぎない。
この二項対立がぼくを捉えて久しいけれど、畢竟答えを出しようもなく、突き詰めたところで行き場はない。それを分かっていながらも、相対化して悟り顔で生きることも、割り切って今に没入することも出来ないぼくを、いつまでも掴んで離さない。
クンデラを読んでいて心痛むのは、何とかやり過ごしている上記の問いを喚起されるからに他ならない。主人公を軸とした物語展開も、十分に感傷を刺激するけれど、クンデラに特徴的な第三者による物語への介入、異なるアングルからの言及が、単純な感傷を突き放し、増幅し、底のない空虚に読者をいざなう。
混乱する母国での少年を描く本作品でも、これらの特徴が余すことなく発揮されている。物語のクライマックスの近づく第六章、視点は突然切り替わり、唐突に主人公の結末を告げられる。自分を除く誰もが知っている結末に飛び込む主人公。その構図を自分に当てはめることをどうして避けることが出来るだろう。
人間は自分の外に出ることは出来ない。のみならず、見通せるのは今という観察地点から見える景色だけ。何も見えない人生の彼方には何が待ち受けていて、それに対して一体自分は何が出来るのだろうか。 -
クンデラ好きなので評価は甘め。
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息子に自己実現を重ねてひたすらに息子を支配し続けようとする母親と、その母親を次第にうとましく思いながらも彼女の承認がなければやってゆけない自意識過剰な息子の共依存関係の終わりまで。他者からの承認をアイデンティティの核に組み込んでしまった息子=若き詩人は女々しさを極度におそれ、「男らしさ」というマッチョイズムの幻影をむなしく追い求めるが、とにかくパニックばかり起こして自分の頭で考えないで脊髄反射で世の中を渡っていくうちに、プチおんたこに成り果て、とはいえ叙情詩にとっての一抹の慰めとしては、あまりにひ弱なためにおんたこにはなり切らずに死んでゆく。という過程を相変わらず不愉快なほど辛辣に書いている。いーじゃん、別に。灰色猿股だって。