遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)

制作 : Kazuo Ishiguro  小野寺 健 
  • 早川書房
3.47
  • (39)
  • (117)
  • (145)
  • (31)
  • (3)
本棚登録 : 984
レビュー : 133
  • Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200106

作品紹介・あらすじ

故国を去り英国に住む悦子は、娘の自殺に直面し、喪失感の中で自らの来し方に想いを馳せる。戦後まもない長崎で、悦子はある母娘に出会った。あてにならぬ男に未来を託そうとする母親と、不気味な幻影に怯える娘は、悦子の不安をかきたてた。だが、あの頃は誰もが傷つき、何とか立ち上がろうと懸命だったのだ。淡く微かな光を求めて生きる人々の姿を端正に描くデビュー作。王立文学協会賞受賞作。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 上品な訳文で定評がある翻訳者小野寺健氏の逝去報道を受けて読んでみた、ノーベル賞受賞者カズオ・イシグロ氏の処女作品。

    氏の物語はかなり曖昧模糊としており、初期作品は特にそれが顕著。読み進めていくと、現代と過去の出来事が語られるという二重構造がうすぼんやりと見えてきます。

    イギリスに暮らす主人公の悦子は、娘の景子を自殺で喪った喪失感の中で自分の半生を振り返ります。

    戦後の昭和30年代の混乱した長崎で過ごした日々。そこで知り合った、米兵と渡米することを夢見る佐知子と、その娘の万理子との交流。

    当時の悦子の目には、佐知子は母よりも女としての人生を優先する身勝手な女性に移り、そんな母にふりまわされ、いつも何かにおびえている万里子に同情的。妊娠中ということもあってか、母性をもって接します。

    会話で成り立っているような物語。なぜ長崎弁でないのか気になりますが、冒頭で悦子が「私はついに佐知子のことがよくわからなかった」と語るように、二人の会話は完全にすれ違い、お互いが言いたいことを言っているだけで、対話の形をなしていません。対照的な二人の女性を描いた物語のように思えましたが、そうではなさそうだということが次第にわかってきます。

    長崎時代の悦子は、渡米を夢見る佐知子のことが理解できませんでしたが、その後当時の日本の夫と別れ、娘を連れてイギリスに渡り、再婚した現在の悦子は、当時の佐知子と状況が重なります。

    渡英した悦子は、娘の景子に幸せを与えられませんでした。彼女もまた、母よりも女としての人生を選んだということでしょう。

    当時は佐知子の言動が理解できず、不安を抱えて見守ていたはずなのに、気が付けば同じような人生を歩んでいた悦子。深くは語られませんが、共通項が多すぎるため、佐知子と万理子は自身と娘景子の姿だと思って読む方が、おそらくしっくりきます。

    戦後の日本では、まだ女性が自立できる場は少なく、海外に新たな人生を求めても、犠牲にしたものが大きかったことを示唆しているのかもしれません。

    悦子がかつていた遠い場所、長崎。もう戻ることはない、現在と完全に遮断された過去。イシグロ氏は5歳の時に離れたきりの長崎を記憶を頼りに書き表したといいます。

    悦子がなぜ離婚したのか、なぜ長崎を離れて渡英し、イギリス人と再婚したのかというストーリーは作中で一切語られないため、謎めいています。
    ケーブルカーで長崎の丘の上に登った時の、物語中で唯一明るさを感じるシーンが、タイトル『遠い山なみの光』に反映されています。

    現在の悦子は、イギリス人との間にできた娘ニキに「あなたの好きなように生きなさい」と自立を促します。これは、長女景子を自分の勝手で日本からイギリスに連れてきて、幸せを奪ったことへの償いのように思えます。

    はじめは『女たちの遠い夏』として出版されたこの物語。どちらのタイトルも、戦後の非力な女性たちにとって、自由と幸せは遠いものだったと示しているのかもしれません。

    二つの時間軸で話が進んでいくという、現在のイシグロワールドがすでにほの見えるデビュー作品です。

  • 大変疲れる本だった。
    価値観の違う人間同士が、表向きどうにか平穏にやっていこうとする時の、ちっとも噛み合わない、気持ち悪いような会話が延々と続く。
    大きな諍いは起きないものの、静かに、着実に遠ざかっていくものが見える。そういう諦念を描いているように思える。
    遠い山なみの光を目指すようにして生きる女たちを描いた物語。
    評価云々というより、単純に好きだとか再読したいだとか、そういうこの本から受け取れるものが薄い気がするので★は3に。
    カズオ・イシグロ全般に言えることながら、壮年、老年になってから読むと印象が変わりそうだ。

  • イシグロ作品読破ツアー3作目です。
    静謐な文章に惹かれるが、疑問が残ったまま置いていかれ
    終了してしまう感じです。
    特に気になっているのが、悦子と二郎に何があって別れ、
    その後イギリス人と結婚・渡英にまで至るのか?
    緒方さんとのあまりに親密そうな関係は?
    フランス映画のように閉じないまま終了する作品のようですね。
    あとがきを読んで、やっと少し納得できました。
    後々まで考えさせられる作品でした。

  • 物語は、イギリスに住む日本人の悦子とその次女ニキとの会話、そしてニキが帰省したきっかけに思い出した、まだ長崎に住んでいた、朝鮮戦争の頃の出来事で進む。回想部分の遠い終戦直後は、当事者の古式ゆかしい上品な日本語の会話で進み、読み終わるとなにか圧倒する昔の風景や息遣いが周りに満ちてきて、一瞬その風景の中に自分もいるような気になった。若干28歳でこのデビュー作を書くとはイシグロ氏恐るべし。

    次女ニキは30歳前後で、すると現在は1980年頃で、この本は1982年発表なので、現在の部分は著作時の同時代ということになる。

    次女ニキとの会話は成人した娘と母の、ある部分はかみあい、ある部分は反発する、という2018年にこれを読む例えば60歳の女性は、悦子でありニキである。

    回想部分の、自分たちの住む集合住宅に泊まりに来た義父と悦子の会話は、まるで「東京物語」の笠智衆の父と原節子の次男の未亡人との会話が再現されているようだ。また悦子の夫と義父との会話も「東京物語」の山村聡の長男と父との会話を彷彿とさせる。そしてダメ押しに義父は「もうそろそろ帰る時かな」と言う。

    近所の佐和子とその娘万里子と私・悦子の関係もおもしろい。佐和子は夫を亡くし、アメリカ兵の恋人とアメリカに行こうとしている。方や悦子は長女を妊娠中で佐和子や万里子の行動に振り回されている感じだ。そしてそこはかとなく、夫とも十分に分かりあえていないのではないかという気配も漂っている。義父は戦後の変化についていっていない。一転無茶な佐和子が実は悦子だったのでは?と思ってしまう。

    発表当時イシグロ氏は28歳位である。5歳でイギリスに家族と渡った氏の周辺から想像をふくらませたのだろうか。イシグロ氏とは同世代だが、イシグロ氏の周りに戦前の考え方と戦後の生活にずれが生じている人が身近にいたのだろうか? 発表の1982年は今から36年前だが、1982年は1945年から37年目だったのだ。戦後は今よりずっと身近だったかも。

    2001.9発行2017.11.10、15刷を購入

  • 原文の英語が、時代と人物にに合った日本語になっているのがお見事というほかない。

    読了して茫然とする。いろいろな事柄に説明がないまま終わってしまった。何が書いてあったか思い返すと、そういう細部を読ませるものではないとわかる。最初、気のりがしなくて自分の読み方がザルだったことが、解説を読んでいて分かってくる。とても気に入ったとは言えないけれども、いつかまた読み返してもいいなと思った。そんな小説。

  • 「ちょっとよく分からない…。」というのが正直なところ。常日頃、単純明快なものを好んで読む私には文学的過ぎてハードルが高かった。

    原題は”A pale view of hills” だそうだが、もうストーリー全体がpale viewである。薄〜いボヤーっとした感じ。主人公悦子が何十年も前の長崎での暮らしを回想するシーンが殆どなので、ボヤーとした感じがリアルということなのか。

    若かりし頃の悦子は、佐知子の事をあまりよく思ってないように思えるのだけれども、一緒に出かけたりと表面上は仲良くしている。日本生まれながら5歳からイギリス暮らし、殆どイギリス人の作者から見ると、日本人の、しかも女同士の付き合いというのは、こういう、表面的には仲良し、しかし腹の底では相手のことを小馬鹿にしている的な感じに見えるのか、と思ってみたり。

    悦子と佐知子の会話は、価値観が全く違うもの同士が一緒にいる時の、ある種スリリングなキャッチボール。どちらも暴投気味なんだけど、お互い相手の暴投を受ける気はない。ケンカになりそうでならない、聞いてる方の心がザワザワする感じのやり取り。
    悦子は、佐知子が、娘の万里子のことをあまり考えずに安易にアメリカ人男性にうつつを抜かし、アメリカに行く、とか言ってる事に否定的なように思えるが、結局悦子は娘の景子を連れて、イギリス人男性と結婚してイギリスに住んでいるらしい。なぜそんな事になったのかは、語られていない。 当時の悦子の夫の二郎さんはどうなったのか、お腹にいた子が景子なのか、ロープウェイ?景子?万里子?とか、万里子の子猫とか、もう気になることは山盛りのまま、モヤっと終わる、そんな話。

    「面白かったから是非読んでみて!」とはなかなか言いにくい、そんな一冊でした。

  • カズオ・イシグロは小津映画を観ていたのだろうか。
    この物語は徹頭徹尾、会話により展開される。悦子と隣人の佐和子、悦子と義父の緒方、そして後年の悦子と娘のニキ。それぞれの会話展開に、佐和子の娘の万里子、夫の二郎、死んだ長女の景子が影を落とす。影を落とすだけでなく、家族関係が絡まってすれ違いトークが繰り返される。
    東京物語ではすれ違うのは老夫婦でなく老夫婦と子供たちの関係だったが、会話形態はどのようにも構成できるとすると、カズオ・イシグロは家族とは本来すれ違うものであると考えていて、このような処女作を書いたのだろうか。
    最後、その後悦子は何故二郎と離婚し渡英したのかという疑問が残った。多分ここはそういう命題ではなく、お腹に宿った赤ちゃんという希望で家族を幸せにまとめていけると考えている楽観が、長い時を経て崩壊していくという物語だったのかもしれない。

  • カズオ・イシグロの作品は好きだけど、これは難しかった。
    読後、祖母と話すなかで戦中戦後を生き抜いてきた世代が読むのと、戦後、それも平成に生まれ育った世代が読むのとでは受け取りかたも随分違うのだなぁと思いました。
    『浮世の画家』もそうですがカズオ・イシグロの日本を舞台にした作品に関しては舞台となっている時代の雰囲気を知っているか否かが共感できるか否かに繋がるのかなと思います。
    私自身が年を重ねればまた受け取りかたも変わるでしょうか。何年かしたらまた読んでみたい作品です。

  • 1954年長崎生まれ、イギリス育ちの筆者による終戦直後の長崎の物語。

    そういえばこういうほわっとはじまって特に劇的な盛り上がりもなく(それを描くのが主眼ではない)ほわっと終わる話は久しぶりに読んだ。

    池澤夏樹の解説がよかった。
    「人間は互いに了解不可能である」という前提から発しながらも、ずれた会話をプロットの中心に据え、人間のありようを書き出しているという指摘。
    その会話に登場人物の属性をうまく表現した訳。
    さらにその人間性が原文でも失われておらず、それによって日本女を描くのではなくそれを超えた普遍的な人間の心の動きを書いているという指摘。
    そういうものだと考えながら読むと、もっと面白く読めたのだろう。

  • 日本を描いてはいるけど、内容はもぅばっちり海外文学でした。

全133件中 1 - 10件を表示

プロフィール

カズオ・イシグロ
1954年11月8日、長崎県長崎市生まれ。5歳のときに父の仕事の関係で日本を離れて帰化、現在は日系イギリス人としてロンドンに住む(日本語は聴き取ることはある程度可能だが、ほとんど話すことができない)。
ケント大学卒業後、イースト・アングリア大学大学院創作学科に進学。批評家・作家のマルカム・ブラッドリの指導を受ける。
1982年のデビュー作『遠い山なみの光』で王立文学協会賞を、1986年『浮世の画家』でウィットブレッド賞、1989年『日の名残り』でブッカー賞を受賞し、これが代表作に挙げられる。映画化もされたもう一つの代表作、2005年『わたしを離さないで』は、Time誌において文学史上のオールタイムベスト100に選ばれ、日本では「キノベス!」1位を受賞。2015年発行の『忘れられた巨人』が最新作。
2017年、ノーベル文学賞を受賞。受賞理由は、「偉大な感情の力をもつ諸小説作において、世界と繋がっているわたしたちの感覚が幻想的なものでしかないという、その奥底を明らかにした」。

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)のその他の作品

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫) Kindle版 遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫) カズオ・イシグロ

カズオ・イシグロの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
カズオ イシグロ
ポール・オースタ...
ポール・オースタ...
村上 春樹
村上 春樹
フランツ・カフカ
ポール オースタ...
有効な右矢印 無効な右矢印

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)を本棚に登録しているひと

ツイートする