遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)

  • 早川書房
3.50
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本棚登録 : 1361
レビュー : 172
  • Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200106

作品紹介・あらすじ

故国を去り英国に住む悦子は、娘の自殺に直面し、喪失感の中で自らの来し方に想いを馳せる。戦後まもない長崎で、悦子はある母娘に出会った。あてにならぬ男に未来を託そうとする母親と、不気味な幻影に怯える娘は、悦子の不安をかきたてた。だが、あの頃は誰もが傷つき、何とか立ち上がろうと懸命だったのだ。淡く微かな光を求めて生きる人々の姿を端正に描くデビュー作。王立文学協会賞受賞作。

感想・レビュー・書評

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  • 漆黒ではないけれど、薄ぼんやりとした闇。絶望ではないけれど、そこはかとない不安感。決定的な亀裂ではないけれど、もどかしくなるようなすれ違い。

    気持ちが定まらず揺れる。
    この本がカズオ・イシグロの処女作とのこと、カズオ・イシグロの世界観は、最初からこんな風だったのだな。これを二十代で執筆したというから、本当にカズオ、人生何度目!

    主人公は日本人の女性、悦子。
    長女の景子が自殺し、その葬儀のあと、次女のニキがロンドンから悦子の様子を見に帰省してくる現在パート。悦子はイギリス人の再婚相手と死別し、一人でイギリスに住んでいることがわかる。ニキは再婚相手との子供であり、明るく人生を謳歌している。
    その現在の悦子が回想する形で過去パートが綴られる。
    被爆後、復興を遂げつつある長崎で、夫の二郎と団地で暮らし、近くに引っ越してきた母子、佐知子と万里子と親交を深めたときのこと。佐知子はしばしば万里子を置いて出かけ、アメリカ人の恋人とアメリカに行くことを夢見ている。悦子は妊娠しており、今の生活が幸せだと思っている。


    さて、ここからはネタバレも含みます。

    とても悲しく苦しい出来事であるはずの景子の自殺。それなのに思い出すのは何故、佐知子と万里子のことなのだろう。この二人と現在の悦子は、どうつながっていくのだろうー。
    読みながら、ずっと違和感はつきまとっていた。それはこの時代の急速な社会変化への違和感なのか、佐知子の奔放で娘を顧みない生き方への違和感なのか、二人の言外に含みを持たせた噛み合わないやり取りへの違和感なのか、、、と思っていたら、
    だんだんそのズレが、悦子と万里子の間の違和感に変わっていく。

    最後、悦子のつぶやき。あの時は景子も幸せだったと。これはドンデンだったの?つまり、イギリスに行っていたのは悦子でなく佐知子で景子は万里子だったの?という入れ替わりを考えたのだけど、どうもそういう単純な話ではない。冒頭、佐知子のことを思い出していた…とあり、現在パートはやはり悦子なのだ。どういうことなのだろう…。

    色々と感想を読みあさるうちに、原文と訳文の違いがあるらしいことを知る。

    悦子がアメリカ行きを嫌がる万里子に言い聞かせる場面。

    「とにかく行ってみて嫌だったら、帰ってくればいいでしょ。そう、ほんとうなのよ。行ってみて嫌だったら、すぐ帰ってくればいいのよ。でも嫌かどうか、まず行ってみなくちゃ。きっと好きになると思うわ」

    この部分、悦子が佐知子の味方をして、こんな風に言っているのだと思った。でも原文を直訳すると、「私たちはいつでも帰ってこれるんだから(we can always come back.)」となり、悦子と佐知子が重なり出すのだという。

    幼い頃はそっくりだった景子とニキの人生がどうしてこんなに違ってしまったのか。悦子は景子の自殺の原因を自分だと思っている。嫌がる景子に強く言い聞かせてイギリスに連れてきたこと。景子を邪険にする再婚相手から庇わなかったこと…。
    本当は自分を責めたいけれど、心の防衛反応から、佐知子という別の人物に過去の自分を投影させ、自分を第三者の妊婦として佐知子を非難できる立場に置くことで、かろうじて気持ちを保っている。

    そう考えると、佐知子が本当にいた人物なのかはわからないけれど、やはり万里子は景子なのだ。
    万里子は何故サンダルに絡んだ縄を怖がったのか、連れて行こうとしたおばさんは誰だったのか、その後の万里子の運命を暗示していたのかと思うと薄ら恐ろしい。

    余白や行間を味わう作品なのだと思う。余白が多すぎて想像が全く追いつかないのだけど。
    できれば原文でこの世界観を味わってみたい。原文読むほどの英語力はないけど、一度日本語訳読んでストーリー知ってるから読めないこともないかも…?

    "記憶というのは、たしかに当てにならないものだ。思い出すときの事情しだいで、ひどく彩りが変わってしまうことはめずらしくなくて、わたしが語ってきた思い出の中にも、そういうところがあるに違いない。"

  • ノーベル文学賞受賞記念講演を読んで、3冊だけ限定でカズオ・イシグロの作品を読むことにした。作者の27歳時のデビュー作である。作者は幼少時に英国に渡る(まるで万里子や景子のよう)。血は純粋日本人で、その彼が純粋の英語で、長崎の話を書いている。

    噂に聞く「わたしを離さないで」と同じ構造なのか、最初は日常風景が延々と続く。縁側、ざぶとん、うどん屋さん、三和土、等々と何処から調べたのか、1950年代地方都市郊外の日本の姿が詳細に描写される。ところが、何か謎を孕んでいる不穏な空気が常にある。

    今はイギリスにいる主人公悦子は、おそらく80年代の初めに長女の景子を亡くす。その時に思い出したのが、長崎の暮らしである。まるで「失われた時をもとめて」のように(記念講演で影響を受けたことを告白していた)、悦子にとっての過去が現代のように映し出される。

    主な登場人物、悦子さんと佐知子さんと万里子ちゃん、3人とも何らかのものを抱えて生きている。それが何なのか、延々と続く会話の中で推測するしかない。私は3人のいずれかが被曝したと途中までは予測していた。

    幾つかは、日本語として不自然な語句がある(日本の嫁はいくら心の中でも、舅のことを「緒方さん」とは呼ばない、あ、でも回想の中の語句なのだからその方が自然なのか?)。その他いろいろ。そういうのが、いかにも80年代初めの英国文学青年から見た戦後間もない日本の風景のようで、新鮮だ。長崎弁は一切出てこない。

    第二部で、彼女たちはロープウェイで稲作山に登り、復興途中の長崎市内を見下ろす。表紙の絵かもしれない。そこで悦子と佐知子は希望を語るのである。どうも彼女たちの鬱屈は被曝ではないようだ。でも、ナガサキが彼女たちに薄暗い緊張感を与えているのは確かだ。

    結局、悦子が歩んで来た人生は現代の次女からは「正しかったのよ」と言われ、過去の思い出からはホントにそうだったのかと悦子を苛む。最後のあたりで、それが読み取れる。非常に計算された、賢い作家なのだろうという印象を受けた。あと2冊、我慢して読んでみよう。


  • 作者のカズオイシグロは近年お気に入りの作家の一人。去年から立て続けに「わたしを離さないで」「浮世の画家」「日の名残り」を読み、今作が4冊目。だいぶ、作風というか、あぁカズオイシグロらしい作品だな、という感覚に確信が持てるようになった。

    基本的に主人公の一人称で描かれており、過去回想と現在が交互に入り混じって描かれる。それにより序盤では全く謎に包まれていた言動も話が進むにつれて意味が明らかになるようになる。描かれている情景が理解できず最初は不安に思うが、徐々に足場が安定していくイメージ。
    戦争による価値観の変化、世代による価値観の断絶がある。
    主人公はどこか陰がある。過去に何かしらの悩み・後悔・諦念などを抱えている。また、人間関係に軋轢が生じていることもある。
    それに引きずられてか、描かれている風景もどこか薄灰色に感じる。
    登場人物は他人の話を聞かず、話が噛み合っていないことが多い。「ええそうね、でも…」という返しで自分の主張を繰り返す論法が目立つ。穏やかだけど、平和ではない会話。だから会話シーンは読んでいて心をざわつかせられる。
    そして、ある邂逅から物語はクライマックスへと向かう。

    こういう、なんとなく共通した物語の型のようなものが彼の作品にはあるように見える。そして僕はその型の魅力に見事にハマってしまっているらしい。
    特にこの作品では最後に大きな仕掛けが施されていて、それまで理解していたと思ってきたものが一気に覆されてしまう。僕は綺麗に騙されてしまった。今まで読んだ作品の中で一番幻想的だった。

    過去の長崎と現在のイギリスの田舎町。全く違うようで鏡像のように似通ってもいる。時代も場所も違うけれど、同じようなやり取りが繰り返される。主題が形を変えて繰り返し出てくる交響曲のよう。

    オススメです!

  •  登場人物の誰も好きになれず、居心地の悪いわだかまりを抱えて読んだ。久しぶりの感覚だった。

     主要人物の自己主張が激しい、会話から共感や成長が何も生まれない、時間を共有してはいても内面的には自分の殻から脱することがない。過去に心の中でどこか嘲っていた人物と、結局同じことをして失敗する自分。身に覚えがあることも多々だし、だからといって最適な方法ってなかなか見つからないままだなって、再認識した。
     人間の本質の、暗い部分を思い出させるような描写が多かった。読んでいて“ああ、そうだよな。人間ってそうだよな。分かり合えないことばかりだ。分かった風を装って、腹の中では認められないことばかりだ。それが人間なんだよな。“って、何度も思わされた。
     権力、社会的圧力、自己欺瞞、自らの正義の押し付け、 承認欲求…。そういうのも読んでてすごい共感したし、同時に辟易した。

     訳者の技術による恩恵かもしれないが、外面は馬鹿がつくほど良いくせに、内では勝手に罵って、問題をややこしくする、そういうのは特に日本人が強く持つ性質で、それがよく表れていると思った。作者自身はほとんど海外で育ったと言えるようなので、日本的気質をどれ程持ち得ているのか分からないが…。最近、人間に共通の性質と、日本人に共通の性質の線引きがイマイチピンときてないから、またじっくり考えたい。

     読後、明るいのか暗いのか、なんとも言えないモヤモヤした感覚になったが、解説でイシグロの世界観について、「自分と世界との関係が分からない人間、過去についても未来についてもどう考えたらいいのか分からない人間、理想とは無縁に暗闇の中で手探りしている人間、暗さの勝っている薄明の世界という表現が非常にしっくりきた。
     昔の自分だったらこの世界観にどっぷり浸かって、世界をこんな風に捉えたっていいんだよなって、その暗さに共感と安心を覚えたかもしれない。けど、今の自分はどうしても、その程度の光で生きて何の価値があるのかと感じてしまうし、不気味な本質への嫌悪感が強くて、なかなか考えが進歩しないなっていう絶望感がある。
     小説も、ただただ通り過ぎて、なんとも言えない感情を残していって、後で形として残っているものは何もないっていう感じだった。

  • 読後感としては、何か綺麗な音楽を聞いたような印象だった

    語り手の日本とイギリスとの生活を交互に、最後には一緒くたに語ることで、物語に重層感が与えられている気がした

    佐知子と万里子の不気味な夫婦が、物語に不穏な感じを与えており、さらに語り手の悦子の娘である景子が自殺したことが重く、暗い影を物語に投じている

    現在と過去を交互に描く手法は読んでいて、その2つのつながりを意識しながら読むことになり、想像力がより働かされた

    ニキと景子という、悦子の生んだ対照的な娘が印象的だった
    生と死のような、明と暗のような、光と影のような対極的な存在が、悦子という1人の母親から生まれ、それぞれの人生を歩んでいくことが、1人の人間が抱える対称性のようなものを感じさせた

    緒方さんと二郎という、キャラクターの色が全面に出ているのも読んでいて面白い

    佐知子が頼みの綱とする、フランクというアメリカ人の男が、佐知子と万里子の不確定な未来を象徴するように不気味に、謎の人物として描かれている

    のちに、景子はイギリスに渡ることになり、景子の未来が佐知子と万里子によって暗示されているようにも読めた

    物語自体になにか読み進めるドライブとなるものがないといえば、ないのだが、自然と読み進めてしまう静謐な文体が見事

    万里子と子猫の関係が、万里子=子猫として、万里子のこの先の困難な運命を暗示しているようにおもえた
    佐知子が子猫が入った箱を川に流すシーンでは、万里子を大切にしていると考えつつ、本当には万里子のことを考えられておらず、幸せにするどころか不幸な運命を歩めさそうとする母佐知子の誤った認識が表れているようだった

    わかりやすく、読みやすい簡潔な言葉で、言葉では表しきれない人々の定めを端正に描いているイメージだった

    将来の生活に希望を持つ過去の語り手と、娘を失った現在の語り手との対比が際立っている

  • 日本の戦前から戦後にかけての時代環境の大変革、価値観が大転換する日々の暮らしの中にあって、人生の不条理に抗って生きる母娘と取巻きの人々を、復興の兆しが見え始めた被爆地長崎の丘陵地を舞台にした回想の物語。登場する女性たちの心情は、自らの人生の薄闇の中で、過去の清算の方法を手探りながらも〝かすかな希望〟を求めて彷徨う魂であるかのように感じられる。戦後の長崎で生まれ、英国に帰化した【カズオ・イシグロ】氏の処女長編小説は、淡い幻想と夢想の世界へと誘われる。

  • え!どういうこと!? もしかして、そういうこと!? 読み終えて「 真相 」に慄然とする。
    カズオ・イシグロ2冊目なのだが、やっぱり手強い。油断して読むと、読み損ねてしまいそう。一筋縄ではいかない。

    英国で暮らす悦子が大戦直後の長崎での日々を回想。佐知子と万里子の母娘との邂逅が語られる。母佐知子は、アメリカ人の男と米国に行くことに将来の希望を託す。万里子は常に不穏な気配に怯えている。その後、万里子が可愛いがっている子猫を、母佐知子は河で「 処分 」する。鮮烈な場面だ。読んでいて息詰まる思いであった。
    上の図もそうだが、万里子と佐知子のキャラは濃厚。その一方で「主人公・語り部 」である悦子の人格描写がどこか希薄。人格の核が無いように感じてられて、なぜだろう? と思いつつ読み進めていた。

    そして終盤。

    「 あの時は景子も幸せだったのよ。みんなでケーブルカーに乗ったの 」

    え!え! もしや? と思い至る。
    今回も「 信頼できない語り手」 ?

    そう言えば、冒頭近くに

    「 こういう記憶もいずれはあいまいになって、いま思い出せることは事実と違っていたということになる時が来るかもしれない。 」 とある。

    悦子 と 佐知子。そして、万里子 と 景子…。
    悦子の「 縄 」。そして、連続幼児殺人事件の気配…。 うーむ。

  •  著者作品は2作目。『私を離さないで』が、そうとう重厚で奥深い内容だったから、覚悟して読み始めたが、それよりは格段に軽く、でも格調高いというか、思索に富んだ面白い作品だった。

     まだ2作目なので、作風云々は語れないけど、”価値観”というものを考えさせられる。訳者あとがきでは、

    「彼は、価値のパラダイムが変ったとき ― 戦争に負けたときなどが典型的な例である ― に訪れる過渡期の混乱のなかでも、不条理という見方だけで割り切らず、たとえかすかなものでも希望を棄てない生き方を描くことが多い。」

     とある。 登場人物間で交される、けっして交わることのない会話が実に印象的で、摩訶不思議な虚無感を抱かせる。面白い。戦前の価値観と戦後の価値観、グローバリゼイションとローカライズ(当時はそんな発想すらなかったろうけど)の平行線をたどる様が延々と描かれるが、時代を経てそれらがどうなったかを考えみると面白い。

     面白いと言えば、舞台が長崎であるのにお国ことばを使っていない点。リアリティを求めるなら、地元の人々は、長崎弁、博多弁など、九州界隈の方言で記されるべきだ。ここが原書の英文の翻訳小説である点の面白いところだ。訳者小野寺健氏は、敢えて、標準語による訳を選んだのだと思う。
     選んだ理由は、時代感が出るからだと拝察。解説で池澤夏樹が「小津安二郎の映画を想起するのはさほどむずかしいことではない」と記すように、言葉遣いが『東京物語』、原節子弁なのだ。原文(英語)で読むのとでは、大きな差のでるところだろうなと思う。

     てなことで、翻訳モノへの興味は、昨年来継続中。
     ”作者から、ある人物の名にある漢字は避けて欲しいという連絡”があったのは、誰のことだろう。うどん屋の藤原さんちの息子の和夫ではないだろうか? ”一雄”として著者の存在を想起させては、違うということなのかなと想像している。

  • Kindle 版を購入。登場人物の背景などがなかなかわからない(結局最後まではっきりはしないのだが)のは、「わたしを離さないで」にも通じていて、ちょっとしたミステリーを読んでいるような感じがする。でも、翻訳がすごく自然で、舞台が長崎ということもあって、まるで日本人の作家が日本語で書いた小説のように違和感なく読める。

  • 全体に漂う不安感がいい。
    それでも前を向いて生きねば。

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著者プロフィール

カズオ・イシグロ
1954年11月8日、長崎県長崎市生まれ。5歳のときに父の仕事の関係で日本を離れて帰化、現在は日系イギリス人としてロンドンに住む(日本語は聴き取ることはある程度可能だが、ほとんど話すことができない)。
ケント大学卒業後、イースト・アングリア大学大学院創作学科に進学。批評家・作家のマルカム・ブラッドリの指導を受ける。
1982年のデビュー作『遠い山なみの光』で王立文学協会賞を、1986年『浮世の画家』でウィットブレッド賞、1989年『日の名残り』でブッカー賞を受賞し、これが代表作に挙げられる。映画化もされたもう一つの代表作、2005年『わたしを離さないで』は、Time誌において文学史上のオールタイムベスト100に選ばれ、日本では「キノベス!」1位を受賞。2015年発行の『忘れられた巨人』が最新作。
2017年、ノーベル文学賞を受賞。受賞理由は、「偉大な感情の力をもつ諸小説作において、世界と繋がっているわたしたちの感覚が幻想的なものでしかないという、その奥底を明らかにした」。

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