遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)

制作 : Kazuo Ishiguro  小野寺 健 
  • 早川書房
3.49
  • (51)
  • (130)
  • (164)
  • (36)
  • (4)
本棚登録 : 1193
レビュー : 155
  • Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200106

作品紹介・あらすじ

故国を去り英国に住む悦子は、娘の自殺に直面し、喪失感の中で自らの来し方に想いを馳せる。戦後まもない長崎で、悦子はある母娘に出会った。あてにならぬ男に未来を託そうとする母親と、不気味な幻影に怯える娘は、悦子の不安をかきたてた。だが、あの頃は誰もが傷つき、何とか立ち上がろうと懸命だったのだ。淡く微かな光を求めて生きる人々の姿を端正に描くデビュー作。王立文学協会賞受賞作。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • ノーベル文学賞受賞記念講演を読んで、3冊だけ限定でカズオ・イシグロの作品を読むことにした。作者の27歳時のデビュー作である。作者は幼少時に英国に渡る(まるで万里子や景子のよう)。血は純粋日本人で、その彼が純粋の英語で、長崎の話を書いている。

    噂に聞く「わたしを離さないで」と同じ構造なのか、最初は日常風景が延々と続く。縁側、ざぶとん、うどん屋さん、三和土、等々と何処から調べたのか、1950年代地方都市郊外の日本の姿が詳細に描写される。ところが、何か謎を孕んでいる不穏な空気が常にある。

    今はイギリスにいる主人公悦子は、おそらく80年代の初めに長女の景子を亡くす。その時に思い出したのが、長崎の暮らしである。まるで「失われた時をもとめて」のように(記念講演で影響を受けたことを告白していた)、悦子にとっての過去が現代のように映し出される。

    主な登場人物、悦子さんと佐知子さんと万里子ちゃん、3人とも何らかのものを抱えて生きている。それが何なのか、延々と続く会話の中で推測するしかない。私は3人のいずれかが被曝したと途中までは予測していた。

    幾つかは、日本語として不自然な語句がある(日本の嫁はいくら心の中でも、舅のことを「緒方さん」とは呼ばない、あ、でも回想の中の語句なのだからその方が自然なのか?)。その他いろいろ。そういうのが、いかにも80年代初めの英国文学青年から見た戦後間もない日本の風景のようで、新鮮だ。長崎弁は一切出てこない。

    第二部で、彼女たちはロープウェイで稲作山に登り、復興途中の長崎市内を見下ろす。表紙の絵かもしれない。そこで悦子と佐知子は希望を語るのである。どうも彼女たちの鬱屈は被曝ではないようだ。でも、ナガサキが彼女たちに薄暗い緊張感を与えているのは確かだ。

    結局、悦子が歩んで来た人生は現代の次女からは「正しかったのよ」と言われ、過去の思い出からはホントにそうだったのかと悦子を苛む。最後のあたりで、それが読み取れる。非常に計算された、賢い作家なのだろうという印象を受けた。あと2冊、我慢して読んでみよう。


  • 「ちょっとよく分からない…。」というのが正直なところ。常日頃、単純明快なものを好んで読む私には文学的過ぎてハードルが高かった。

    原題は”A pale view of hills” だそうだが、もうストーリー全体がpale viewである。薄〜いボヤーっとした感じ。主人公悦子が何十年も前の長崎での暮らしを回想するシーンが殆どなので、ボヤーとした感じがリアルということなのか。

    若かりし頃の悦子は、佐知子の事をあまりよく思ってないように思えるのだけれども、一緒に出かけたりと表面上は仲良くしている。日本生まれながら5歳からイギリス暮らし、殆どイギリス人の作者から見ると、日本人の、しかも女同士の付き合いというのは、こういう、表面的には仲良し、しかし腹の底では相手のことを小馬鹿にしている的な感じに見えるのか、と思ってみたり。

    悦子と佐知子の会話は、価値観が全く違うもの同士が一緒にいる時の、ある種スリリングなキャッチボール。どちらも暴投気味なんだけど、お互い相手の暴投を受ける気はない。ケンカになりそうでならない、聞いてる方の心がザワザワする感じのやり取り。
    悦子は、佐知子が、娘の万里子のことをあまり考えずに安易にアメリカ人男性にうつつを抜かし、アメリカに行く、とか言ってる事に否定的なように思えるが、結局悦子は娘の景子を連れて、イギリス人男性と結婚してイギリスに住んでいるらしい。なぜそんな事になったのかは、語られていない。 当時の悦子の夫の二郎さんはどうなったのか、お腹にいた子が景子なのか、ロープウェイ?景子?万里子?とか、万里子の子猫とか、もう気になることは山盛りのまま、モヤっと終わる、そんな話。

    「面白かったから是非読んでみて!」とはなかなか言いにくい、そんな一冊でした。

  •  著者作品は2作目。『私を離さないで』が、そうとう重厚で奥深い内容だったから、覚悟して読み始めたが、それよりは格段に軽く、でも格調高いというか、思索に富んだ面白い作品だった。

     まだ2作目なので、作風云々は語れないけど、”価値観”というものを考えさせられる。訳者あとがきでは、

    「彼は、価値のパラダイムが変ったとき ― 戦争に負けたときなどが典型的な例である ― に訪れる過渡期の混乱のなかでも、不条理という見方だけで割り切らず、たとえかすかなものでも希望を棄てない生き方を描くことが多い。」

     とある。 登場人物間で交される、けっして交わることのない会話が実に印象的で、摩訶不思議な虚無感を抱かせる。面白い。戦前の価値観と戦後の価値観、グローバリゼイションとローカライズ(当時はそんな発想すらなかったろうけど)の平行線をたどる様が延々と描かれるが、時代を経てそれらがどうなったかを考えみると面白い。

     面白いと言えば、舞台が長崎であるのにお国ことばを使っていない点。リアリティを求めるなら、地元の人々は、長崎弁、博多弁など、九州界隈の方言で記されるべきだ。ここが原書の英文の翻訳小説である点の面白いところだ。訳者小野寺健氏は、敢えて、標準語による訳を選んだのだと思う。
     選んだ理由は、時代感が出るからだと拝察。解説で池澤夏樹が「小津安二郎の映画を想起するのはさほどむずかしいことではない」と記すように、言葉遣いが『東京物語』、原節子弁なのだ。原文(英語)で読むのとでは、大きな差のでるところだろうなと思う。

     てなことで、翻訳モノへの興味は、昨年来継続中。
     ”作者から、ある人物の名にある漢字は避けて欲しいという連絡”があったのは、誰のことだろう。うどん屋の藤原さんちの息子の和夫ではないだろうか? ”一雄”として著者の存在を想起させては、違うということなのかなと想像している。

  • 上品な訳文で定評がある翻訳者小野寺健氏の逝去報道を受けて読んでみた、ノーベル賞受賞者カズオ・イシグロ氏の処女作品。

    氏の物語はかなり曖昧模糊としており、初期作品は特にそれが顕著。読み進めていくと、現代と過去の出来事が語られるという二重構造がうすぼんやりと見えてきます。

    イギリスに暮らす主人公の悦子は、娘の景子を自殺で喪った喪失感の中で自分の半生を振り返ります。

    戦後の昭和30年代の混乱した長崎で過ごした日々。そこで知り合った、米兵と渡米することを夢見る佐知子と、その娘の万理子との交流。

    当時の悦子の目には、佐知子は母よりも女としての人生を優先する身勝手な女性に移り、そんな母にふりまわされ、いつも何かにおびえている万里子に同情的。妊娠中ということもあってか、母性をもって接します。

    会話で成り立っているような物語。なぜ長崎弁でないのか気になりますが、冒頭で悦子が「私はついに佐知子のことがよくわからなかった」と語るように、二人の会話は完全にすれ違い、お互いが言いたいことを言っているだけで、対話の形をなしていません。対照的な二人の女性を描いた物語のように思えましたが、そうではなさそうだということが次第にわかってきます。

    長崎時代の悦子は、渡米を夢見る佐知子のことが理解できませんでしたが、その後当時の日本の夫と別れ、娘を連れてイギリスに渡り、再婚した現在の悦子は、当時の佐知子と状況が重なります。

    渡英した悦子は、娘の景子に幸せを与えられませんでした。彼女もまた、母よりも女としての人生を選んだということでしょう。

    当時は佐知子の言動が理解できず、不安を抱えて見守ていたはずなのに、気が付けば同じような人生を歩んでいた悦子。深くは語られませんが、共通項が多すぎるため、佐知子と万理子は自身と娘景子の姿だと思って読む方が、おそらくしっくりきます。

    戦後の日本では、まだ女性が自立できる場は少なく、海外に新たな人生を求めても、犠牲にしたものが大きかったことを示唆しているのかもしれません。

    悦子がかつていた遠い場所、長崎。もう戻ることはない、現在と完全に遮断された過去。イシグロ氏は5歳の時に離れたきりの長崎を記憶を頼りに書き表したといいます。

    悦子がなぜ離婚したのか、なぜ長崎を離れて渡英し、イギリス人と再婚したのかというストーリーは作中で一切語られないため、謎めいています。
    ケーブルカーで長崎の丘の上に登った時の、物語中で唯一明るさを感じるシーンが、タイトル『遠い山なみの光』に反映されています。

    現在の悦子は、イギリス人との間にできた娘ニキに「あなたの好きなように生きなさい」と自立を促します。これは、長女景子を自分の勝手で日本からイギリスに連れてきて、幸せを奪ったことへの償いのように思えます。

    はじめは『女たちの遠い夏』として出版されたこの物語。どちらのタイトルも、戦後の非力な女性たちにとって、自由と幸せは遠いものだったと示しているのかもしれません。

    二つの時間軸で話が進んでいくという、現在のイシグロワールドがすでにほの見えるデビュー作品です。

  • 大変疲れる本だった。
    価値観の違う人間同士が、表向きどうにか平穏にやっていこうとする時の、ちっとも噛み合わない、気持ち悪いような会話が延々と続く。
    大きな諍いは起きないものの、静かに、着実に遠ざかっていくものが見える。そういう諦念を描いているように思える。
    遠い山なみの光を目指すようにして生きる女たちを描いた物語。
    評価云々というより、単純に好きだとか再読したいだとか、そういうこの本から受け取れるものが薄い気がするので★は3に。
    カズオ・イシグロ全般に言えることながら、壮年、老年になってから読むと印象が変わりそうだ。

  • カズオ・イシグロの作品は好きだけど、これは難しかった。
    読後、祖母と話すなかで戦中戦後を生き抜いてきた世代が読むのと、戦後、それも平成に生まれ育った世代が読むのとでは受け取りかたも随分違うのだなぁと思いました。
    『浮世の画家』もそうですがカズオ・イシグロの日本を舞台にした作品に関しては舞台となっている時代の雰囲気を知っているか否かが共感できるか否かに繋がるのかなと思います。
    私自身が年を重ねればまた受け取りかたも変わるでしょうか。何年かしたらまた読んでみたい作品です。

  • イシグロ作品読破ツアー3作目です。
    静謐な文章に惹かれるが、疑問が残ったまま置いていかれ
    終了してしまう感じです。
    特に気になっているのが、悦子と二郎に何があって別れ、
    その後イギリス人と結婚・渡英にまで至るのか?
    緒方さんとのあまりに親密そうな関係は?
    フランス映画のように閉じないまま終了する作品のようですね。
    あとがきを読んで、やっと少し納得できました。
    後々まで考えさせられる作品でした。

  • え!どういうこと!? もしかして、そういうこと!? 読み終えて「 真相 」に慄然とする。
    カズオ・イシグロ2冊目なのだが、やっぱり手強い。油断して読むと、読み損ねてしまいそう。一筋縄ではいかない。

    英国で暮らす悦子が大戦直後の長崎での日々を回想。佐知子と万里子の母娘との邂逅が語られる。母佐知子は、アメリカ人の男と米国に行くことに将来の希望を託す。万里子は常に不穏な気配に怯えている。その後、万里子が可愛いがっている子猫を、母佐知子は河で「 処分 」する。鮮烈な場面だ。読んでいて息詰まる思いであった。
    上の図もそうだが、万里子と佐知子のキャラは濃厚。その一方で「主人公・語り部 」である悦子の人格描写がどこか希薄。人格の核が無いように感じてられて、なぜだろう? と思いつつ読み進めていた。

    そして終盤。

    「 あの時は景子も幸せだったのよ。みんなでケーブルカーに乗ったの 」

    え!え! もしや? と思い至る。
    今回も「 信頼できない語り手」 ?

    そう言えば、冒頭近くに

    「 こういう記憶もいずれはあいまいになって、いま思い出せることは事実と違っていたということになる時が来るかもしれない。 」 とある。

    悦子 と 佐知子。そして、万里子 と 景子…。
    悦子の「 縄 」。そして、連続幼児殺人事件の気配…。 うーむ。

  • Kindle 版を購入。登場人物の背景などがなかなかわからない(結局最後まではっきりはしないのだが)のは、「わたしを離さないで」にも通じていて、ちょっとしたミステリーを読んでいるような感じがする。でも、翻訳がすごく自然で、舞台が長崎ということもあって、まるで日本人の作家が日本語で書いた小説のように違和感なく読める。

  • 全体に漂う不安感がいい。
    それでも前を向いて生きねば。

全155件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

カズオ・イシグロ
1954年11月8日、長崎県長崎市生まれ。5歳のときに父の仕事の関係で日本を離れて帰化、現在は日系イギリス人としてロンドンに住む(日本語は聴き取ることはある程度可能だが、ほとんど話すことができない)。
ケント大学卒業後、イースト・アングリア大学大学院創作学科に進学。批評家・作家のマルカム・ブラッドリの指導を受ける。
1982年のデビュー作『遠い山なみの光』で王立文学協会賞を、1986年『浮世の画家』でウィットブレッド賞、1989年『日の名残り』でブッカー賞を受賞し、これが代表作に挙げられる。映画化もされたもう一つの代表作、2005年『わたしを離さないで』は、Time誌において文学史上のオールタイムベスト100に選ばれ、日本では「キノベス!」1位を受賞。2015年発行の『忘れられた巨人』が最新作。
2017年、ノーベル文学賞を受賞。受賞理由は、「偉大な感情の力をもつ諸小説作において、世界と繋がっているわたしたちの感覚が幻想的なものでしかないという、その奥底を明らかにした」。

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)のその他の作品

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫) Kindle版 遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫) カズオ・イシグロ
遠い山なみの光 Audible版 遠い山なみの光 カズオ・イシグロ

カズオ・イシグロの作品

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)を本棚に登録しているひと

ツイートする