わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫 イ 1-3)
- 早川書房 (2006年3月31日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (537ページ)
- / ISBN・EAN: 9784151200342
作品紹介・あらすじ
上海の租界に暮らしていたクリストファー・バンクスは十歳で孤児となった。貿易会社勤めの父と反アヘン運動に熱心だった美しい母が相次いで謎の失踪を遂げたのだ。ロンドンに帰され寄宿学校に学んだバンクスは、両親の行方を突き止めるために探偵を志す。やがて幾多の難事件を解決し社交界でも名声を得た彼は、戦火にまみれる上海へと舞い戻るが…現代イギリス最高の作家が渾身の力で描く記憶と過去をめぐる至高の冒険譚。
感想・レビュー・書評
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10歳で孤児となった主人公が、大人になってから行方不明の父母を探す話。子供の頃の回想を挟んで、両親に関する真相が徐々に明るみになっていく。タイトルを見ると過去にフォーカスされた話かなと想像してしまうが、この作品はむしろ、過去と決別し新たな生き方を模索する主人公の姿が最終的に描かれている。長編でなかなか核心に迫らないもどかしさはあったが、イシグロの他の作品と比べると、リアリティー性が強く、話に入り込みやすかった。
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とても興味深く読んだ。
第一大戦後から第二次大戦後までの時代を描く、主人公の私立探偵の第一人称視点の物語。
列強に植民地化(租界)された上海で生きる主人公クリストファー・バンクスとその日本人の友人アキラ。
両親が突然行方不明となった主人公はイギリスに戻り、私立探偵として名声を得るが、生涯の任務として自分の両親を探し続ける。最後には両親の失踪の真実を知る。
主人公が過去を回想していく形で物語は進んで行くが、ロード-ムービーのようで先の展開が全く読めない。
著者カズオ・イシグロの出自も影響しているのだろうが、日本人とイギリス人の交流というか、イギリス人がどのように日本人を見ているかを垣間見ることができる。
カズオ・イシグロの読んだ著書は、少しSFがかった『私を離さないで』、イングランドの古代・アーサー王時代の少し後を描いた『忘れられた巨人』と租界時代の上海を描いた本作とで3冊目だけれども、いずれも時代も話も全くかけ離れていて非常に面白い。
本作は少し村上春樹の著書に似ているかな。 -
カズオ・イシグロさんという、日系のイギリス人の小説家さんの本です。2014年現在60歳くらいの男性のようです。
お名前は完全に日本人なんですが、まあ、何はともあれ母語は英語のようです。これも、翻訳本です。
正直、名前しか知らなかったんですが、「読んだことのない現在進行形の作家さんを読んでみたいな」という思いもあって。ほぼ予備知識なしで読みました。
不思議な小説、面白かったのは面白かったです。ラストの喪失感っていうか切ない感じが辛かったですけど。
英語版が発表されたのは2000年だそうなんで、もう14年前の小説になるんですけどね。
お話は、
●1930年代の、ロンドン。主人公のクリストファー君(20代)は、両親がいないけど、財産に恵まれた若者で、教育を受けて、志望通り「探偵」になっています。
●そのクリストファーさんの回想で、15年?20年前?子供だった頃。両親(イギリス人)と上海に居ました。支配者階級イギリス人一家のリッチな日々。父は、英国商社マン。母は敬虔な慈善家で、アヘン撲滅運動をしている。なんだけど、実は夫の会社、ひいてはイギリスが、上海に中国に、アヘンを売りまくっているという矛盾。
●それから、その上海の子供時代、隣家の裕福な日本人家庭の「アキラ」という名前の同年配の子との友情。
●その上海時代、父が蒸発する。そしてやがて母も蒸発する。孤児になり、独り英国の伯母のところへ。
●そんな思い出が続きながら、20代の主人公は探偵になり、かつての上海の両親の失踪を調べている。なんとなく確信を得て、上海へ。久々に上海へ。
●日中戦争泥沼の時期の上海。腐敗した支配者階級、悲惨な戦争。アキラと、物凄い偶然の再会。両親の失踪の真実を知る。
●大まかに言うと。父は愛人と逃げただけだった。母は中国人のマフィアにさらわれて妾になっていた。クリストファーの安全と財産、それと引き換えに母は自死を思いとどまっていた。なんて悲しい事実。
●どーーーんと月日が過ぎて、淡々と初老になってロンドンで暮らしているクリストファー。母とは戦後に再会。だが、母は心を病んで、息子を判らなかった。
■と、言うお話が、クリストファーさんの一人称で語られます。これ、大事ですね。客観的には語られません。
■で、少年時代の豊富な細かい想い出、20代のロンドン~上海時代の恋愛、引き取った孤児の少女との触れ合い、が、入ります。
あらすじ、枠組み、で言うと、そういうことなんです。
なんだけど、あらすじではわからない「味わい」について言いますと。
●主人公は孤児なんだけど、どうして孤児になったのか、判らない。本人にも判らない。犯罪の匂いがする。
●主人公は、シャーロック・ホームズに憧れて、探偵になる。
●そして、両親の蒸発の謎に迫っていく。
と、言うあらすじなんですけど。なんですけど、細部が無いんです(笑)。
犯罪捜査の細部が、無いのです。
だから、なんていうか、「犯罪娯楽小説」「探偵娯楽小説」「冒険娯楽小説」では、無いんですね。
兎にも角にも、主人公の青年の心理、内面。その震え、動揺、高揚。そういう面白さなんです。
それで、この小説は、戦争が描かれます。第二次世界大戦。まあ、厳密に描かれるのは上海での日本軍対中国軍の戦闘です。
そして、この小説は、「支配体制権力が行う、人種差別的な、構造的な悪事」「それを、見逃して、目をつぶって、白々しく上品に暮らす人々」が描かれます。
そして、その中で小説として起こることは、やりきれないほど辛く、悲しく、絶望的で、救いがない。そういう、隠された事実だったりします。
子供時代の、美しい無邪気な想い出が無残になります。
ま、つまり、そういうことなんだろうなあ、と。この小説で渡したかった後味っていうか。
そういった、怒りや批判を含んだ、喪失感というか、無力感というか。
そこに至る絶望感とか、感傷とか。
だから、正直、全部一人称なんで。どこまでが物語的に事実なのか、疑問も抱けるわけです。
主人公のクリストファーが、そう思っている。そう思いたかった。そう妄想している。だけかもしれない訳です。
特に、上海の戦場、幼馴染のアキラと偶然邂逅するくだり。あまりに偶然。この、上海戦場放浪のくだりは、全体に、どこまで事実かわからない。
なんだけど、この小説の中でも、ぐぐっと読ませます。くらくら眩暈がするような。主人公の意識と一緒に、戦場という悲惨さの中に、読んでる気持ちも叩き込まれます。
なんかもう、そうなると、ジジツなのか妄想なのかという境目は、どうでもよくなるような気もします。
そういうことなのかなあ、と。
そして、小説全体に、東洋人でありつつ英国人である、という作者の業なのか、なんとなく、感じたこと。
西洋白人社会、つまり19世紀的な先進国の、物凄く深い罪悪。暴力性、残虐性。被差別対象としての東アジア人。その東アジア人が被害者から加害者へと乗り換える。その際の、復讐的とも言える暴力性、残虐性。…救いのないループの中で、らせんに織り込まれた20世紀前半という歴史。そんなタペストリーを見せられたような気がします。
うーん。そんなこんながかなり、意図的。戦略的な気がするんですよね。
この小説家さんは、小説とか、言葉とか、意識とか、歴史とか、物語とか、そういうことに凄く意識的な気がします。
それは、「面白いために必須な条件」な訳ではないんですけどね。
何ていうか、右手が、「右手である」ということに意識的になってみると、ちょっと違って見えて来ちゃうみたいな。
そして、いちばんなことは、文体的に?語り口というか。とても落ち着いていて、品があると思いました。クドいケレンもない。あざとさも無い。
こういうのって実はすごいことだし、大事なことです。半分は翻訳の問題ですけどね。僕は好きでした。
1930年代、20年代くらいの、上海。
演劇「上海バンスキング」の世界な訳ですが。
この西洋と東洋、貧困と富裕、混濁と美しさのような街並みが、くどくどと描写されるわけでもないのに、
すごく印象に残ります。
そういうのって、文章を読む醍醐味ですね。
この小説家さんの小説は、いくつか映画になっているそうですけど、絶対にこの持ち味は、厳密に言うと映画に移し替えられるものではない、と思います。
村上春樹さんとか、そうですよね。
(伊坂幸太郎さんの小説も、好きなんですが、何故だか映画化作品は、マッタクと言って良いほど、そもそも見ようという気になれないんですよねえ…。閑話休題。)
…って、この本。
手放しで褒めるって感じにもなれないんですけどね。
そんなこんなで、大まか言うと暗いです(笑)。
キッチリ美しく、均整に心地よいのですけど、一方で暗い(笑)。ユーモアも、まあ、無いですねえ。
暗いというか、痛い?美しいのに痛くて悲しいかんじですね。
なんですけど、ホントに知的で素直で読み易い語り口。
主人公が、何をどう感じているのか、という興味で転がしていく、話の運びの巧みさ。
考察と知性と感傷が充満充実した、全体の構成。
うーん。なんて言えばいいか。本格派。スバラシイ。
大好き!とは言いませんが、またいつか別の小説を読んでみたいですね。何より、同時代の人なので。次回作、最新作で、今のイマの世界をどう感じて何を語るのか。楽しみですね。
「わたしたちが孤児だったころ」。原題の、まあ直訳なんですけど。この直訳感、微妙に日本語的に居心地が悪い感じが、この本にはふさわしいなあ、と思います。
素敵な翻訳タイトルだなあ、と思います。 -
主人公は探偵。飛ぶ鳥を落とす勢いで難事件を解決していく若い探偵。
なのだが、この小説は探偵小説ではない。
ハードボイルドではある。でも、探偵小説ではない。
主人公が、探偵になったきっかけになった事件を解決しに上海へ向かう。
でもそこで繰り広げられる彼の探偵然とした行動はすべて、読者からすると「え・・・この人本当に探偵?」という行動でしかなく、すごく不安な気持ちにさせてくる。この読者の感情の導き方は、すごい。
ただ一応、すべての謎は明らかになる。
明らかになった内容も、まあ、わりとすごい。
このあたりは、読んで「ああ」って思って欲しい。
物語自体には賛否あると思う。
私もこの本のストーリーが面白かったか?と聞かれると、「んー、つまらなくはないけども」という曖昧な回答になる。
ただ、すべてを読み終えて頭の中でいろいろと整理していると、この小説のテーマは「記憶」なんだろうなと。
タイトルも、そう。この小説は、主人公が過去を思い出しながら記述する形で書かれている。そしてその中の登場人物の多くも、自身を回顧しながら語るシーンが多い。
それぞれに、それぞれの記憶があり、その上でそれを語る今がある。
そういう構図になっている。
その構図から導かれる結論は・・・・みたいなのは、今はよくわからない。
でも相変わらず、カズオ・イシグロは、一筋縄ではいかないものを書くなあと。 -
カフカの『城』みたいなたどり着けない感じと、回想録というスタイルで出来事が淡い感じとで、ダブルの掴みきれない印象がした。
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カズオイシグロ作品を読んだのは、「わたしを離さないで」に次いで二作目。
ミステリーに分類されてもされなくても違和感無し。結末はえげつない。
表題が少々謎めいて聞こえる。「わたしたち」とは誰と誰のことなのか? 「だった」と過去形なのは、いつ孤児でなくなったということなのか?
素直に読めば、クリストファーとジェニファー?それぞれ実の親と育ての親を見つけたのだから孤児でなくなった、ってことか?
終盤クリストファーはアキラらしき日本兵と遭遇したが、本当にアキラだったのか? そんな偶然はあるわけないし、描写的にも別人かと思う。
クリストファーが、盲人の俳優宅っぽい家を見つけたと思い込もうとする辺りは狂気の真ん中にいる感じだ。 -
イギリスと上海(中国)の間を行き交い、事件解決と共に、アイデンティティを追求する男の物語。
「戦争」が絡む文学を手にすると、そこに人間への希望と失望を必ずやみることになる。
そして、戦争と平和が、こんなにも「隣人」であることに衝撃を受ける。
本を閉じたとき、嗚咽ではなく、心の襞を静かに潤わす涙が出た。