- Amazon.co.jp ・本 (165ページ)
- / ISBN・EAN: 9784151200359
感想・レビュー・書評
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面白かった。静かで感情が抑制されたような文章が好き。
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★3.5
子どもの頃に国境を超え、名前も変えて孤独に生きてきたトビアスは、「悪童日記」3部作の双子を思い出させる。そして、全編から滲み出る絶望に暗澹とした気持になる。そんな彼に差す光がリーヌとなるけれど、二人が出す結論は悲しくも至極当然。常に現実を見据えているリーヌは、空想の世界を生きているトビアスと一緒の生活は出来ないと思う。ただ、母国を捨てた者、捨てていない者でその差が生じるのなら、トビアスが酷く哀れでやるせないけれど…。幼い子どもを抱えての言葉の違う国での生活に、著者の自伝「文盲」の記憶が蘇える。 -
「第三の嘘」をお取り寄せ中なので、繋ぎとしてアゴタ・クリストフの他の著書を制覇しようかと。アゴタ・クリストフの作品は彼女が体験したことが元になっているからか、似通った話だな、と思った。
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亡命先で不倫する話
母国語でないことでの確かさの欠如が幻想的にしているって解説が妙に納得した。
だからこの作家が好きなのかも。
祖国とは国語って前にもどこかで聞いたことある。 -
2016.03.05
アゴタ・クリストフ『昨日』読了。悪童日記シリーズと比べると、読み進まず。外出時に『昨日』、自宅で同著者の短編集『どちらでもいい』を読んでいたら話が混同。クリストフ作品は、異国、祖国、異なる言語、書くこと、移民、戦争、家族との別離が根底。でもこの本は最後に希望が見え、救われた。 -
2016.11.04
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子持ちの人妻になった幼馴染に、亡命先で偶然出会って恋に落ちた話。
解説によれば、愛以上に言語喪失の哀しみを結実させた作品とのことだったが、私にとっては逆であった。
トビアスが愛したのは人なのか幻なのか、カロリーヌは彼を愛したが自分が自分でなくなる怖れには勝てなかったのか。他の読者の解釈が気になった。
それと、亡命先でもまるで社会主義国のような単調な生活を送っているのは皮肉に思えた。 -
嘘まで読んだら最後まで
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ディアスポラ。シリア難民の人たちについて書かれているようだと思った。自国語を失なう思いをアゴタ・クリストフは色んな書きかたをした。悪童日記、ふたりの証拠、第三の嘘の三部作と似ているけれど、この作品は哀しみや孤独感が心理描写で書かれている。主人公のトビアスは結局血をわけた家族を失って、最後には自分の子供を持つことになったけれど、リーヌには自分が兄だということを伝えなかった。それはやはりリーヌを妹として愛していたからだと思う。自国へ戻っていくリーヌと、外の世界に残るトビアスはあわせ鏡みたいなものだと思う。決して重なりあうことはなく、でも血をわけたひと。双子とは違う書き方で面白いと思った。また読み返す本になるかも。
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「昨日は、すべてがもっと美しかった/木々の間に音楽/ぼくの髪に風/そして、きみが伸ばした手には/太陽」 この冒頭のエピグラムに託したアゴタの引き裂かれた想いが貫く。昨日と今日はまるで違う。手の先の太陽は攫めない。国を追われ、母語を奪われ、亡骸の如く輪郭を失ったまま生きることの痛みに苛まれならも書くことを止めなかったアゴタの強さ。これほど悲しい強さがあっていいものかと思う。悪童日記三部作と同様、堀茂樹の翻訳は素晴らしく、詩情ある滑らかな文体に魅せられあっという間に読み終えてしまうが、心にずっしり沈んだ澱みが残る。