- 本 ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784151200397
感想・レビュー・書評
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革新的な作風で名を残した日本画家小野が、過去を回想する独白形式の小説。戦後大きく変化した価値観により筆を置いて余生を送る老画家が、自らの存在意義を問いつづける。イシグロの他の作品にはあまり見られない心情描写は、私にとっては新鮮に映った。ただ個人的には、そこまで深みを感じる作品ではなかったかな。
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カズオ・イシグロの長編第2作目。
幼少の頃から長らくイギリスに住み、イギリスの生活や文化に慣れ親しんできた作者が、生まれ故郷である日本の戦前・戦後の生活や文化を事細かく調査して書き上げた意欲作と思われる。
主人公は広い日本家屋の屋敷に住む老画家で、末娘の結婚問題に心を痛めながらも孫と戯れたりするほのぼのとした情景から物語は始まる。
物語の雰囲気は作者も思い入れがあるというまさに小津安次郎監督の世界であり、物語の出だしは情緒豊かに日本的な風情の中から展開していくことになる。
さらに個々の登場人物にはそれぞれ独特の個性を持たせていて、割とほのぼの感のある主人公に対して、身内である娘2人と孫の性格はちょっと一捻りしている感じで、常にまわりくどくてはっきりとものを言わない姉に、クソ生意気な孫のガキ、そしてズケズケものを言う末娘という感じで、作者ならではの日本の家族観が出ていてなかなか面白かった。
あと光の使い方がある意味日本的で、これも面白いところであった。
主人公の少年時代の回想で暗がりの座敷の中で火の光がゆらゆらと揺れるようなイメージがあったり、広い日本庭園を思わせる中での陽光を浴びながらの庭仕事があったり、あるいは家族らとともにする夕食の食卓での電燈の光であったり、かと思えば戦前や戦後すぐの地方のバーの薄明かりや居酒屋での華やかな色光であったりと、日本的な光のイメージを大切に使っている作品であったように思う。
そういう意味で、物語後半における主人公と師匠モリさんとの決別の理由の一端は、闇に浮かぶ日本的な光の幻想を洋画に活かそうという師匠の手法への主人公の反発にあったわけで、極彩色に違いない主人公の軍国主義礼賛の絵は主人公が入り浸った飲み屋街のネオンと共通するものとして対比されていたようにも思う。
その彼が戦後老いて日本的な環境の中で生活するというのは、ある意味、皮肉なものであったのではないか。
物語の前半は割と娘の結婚問題にそこそこ頭を悩ます父親といった風情だったものが、物語の後半に入り、突如として主人公の戦争責任とそれに先立つ師匠との出会いから別れの話に進展していったのには驚いたものの、なかなか読み応えのある展開であった。
特に主人公が師匠との決別の道を選択し、戦時中に自分が行った仕事に対する数々の高評価に自尊心を満足させつつも、一転、敗戦後は自らの過去が末娘の縁談に差し障りがあると考え、そうした過去に対する責任感に満足するところなどは、これもある意味、皮肉であり、さらに周囲の者は逆にそのような責任など感じる必要などない「小物」だったと評価していることなどは、作者の作品にいつも滲み出ているお得意のユーモアと思われなかなか魅せてくれたと思う。
この作品は現在・過去が錯綜して回想される主人公の一人称の物語で、その主人公の記憶も曖昧なところがありなかなか読みにくい作品であったが、主人公が存在し会話し考え、時には過去へ行ったっきりになり、主人公がそこかしこであれこれと思いめぐらす思考の流れは、われわれ読者をも幻想的な感覚へと誘い、現実と過去の境界をも曖昧にする不思議な体験であった。
その意味で、日本の過去と現在をごちゃまぜにして作者のイメージに作り変えて読者へ突き付けるという彼の目論みは大いに成功したといえるだろう。
主人公の一人称の物語ゆえに、作者の客観的な日本評をみせつけられた作品であったとも言える。 -
『日の名残り』と似たテーマ。
戦時下、良かれと思って自分の仕事に邁進し、一定の評価を得たあと、戦後になって、戦争協力者として批判される立場に立つ者が、自責の念と自己弁護の狭間で、超然とした外見のまま苦しむ。
作曲家古関裕而と似た人も出てきて、その人は作中、責任をとって自死する。
主人公小野を戦後批判する弟子達は、軍人嫌いと同じメンタリティだろうか。苦しい時に権勢のあった人は、体制がひっくり返った時には逆恨みの対象となるが、本当に戦うべき相手はその人ではないだろう。
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戦前と戦後を生きた画家。
戦争の前後で世間の価値観や己の評価が180度逆転し、そのことを諦めのように認めつつもやるせない思いを抱えている老人。
現在の話をしながら過去の回想が入り乱れる。謙虚で誠実な自省の裏に潜んだ自尊心、自己欺瞞。
手触りはノスタルジィ。どこか空虚で寂しい望郷の念。 -
最初は画家を隠居して、格安でいい家を買ったおじさんの話。と思い、すごく退屈でしたが、そんな話じゃなかった。
時は戦争直後。主人公は戦争中にある事をしてしまい、ずうっとその罪を背負っています。
敗戦したことにより、一日でガラリと価値観が変わる時代で、主人公の周りには、それは仕方ないことだと開き直り、新しい人生をあゆみ始める人も。
でも、それは悪い事ではなく、この時代だと普通の事なのかなと思います。(はあ?と思いますが)
この作家さん、小さい時に日本にいただけなのに、こんなに詳しくかけるのが凄いです。 -
主人公の小野益次は、色街の女性たちを描く師匠と決別することで、浮世を描く画家ではなくなった。しかし、戦前・戦中・戦後における世間の変化に翻弄されることになった。その意味で、彼は浮世(はかない世)にいる画家である。タイトルはそういう意味ではないか。