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Amazon.co.jp ・本 (240ページ) / ISBN・EAN: 9784151200403
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文化大革命下の中国を舞台にしたこの作品は、厳しい現実の中でも青春の輝きを描いています。主人公たちは、知識青年として田舎に送り込まれ、重労働に従事する日々を送りますが、彼らの心の中には夢や友情、恋愛が息...
感想・レビュー・書評
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再読。著者は映画監督でもあり、彼自身によって映画化されている作品のためか、情景を思い浮かべやすい文体で綴られています。
小説の舞台である文化大革命下における、本の所持が禁じられたリアル・ディストピアを下地にしながら、そこに悲壮感はありません。時に夢や幻想を挟み込み、笑いや友情を交えながら語られる文章は、登場人物も少なくて読みやすい。少年が青年に成長するひと時を刻んだ青春小説の名作だと思います。
あらすじ:
文化大革命下、大学は閉鎖され、高等教育を終えた者は農村で”再教育”を受けるようになっていた。そんな折、親が反革命分子とみなされ、僕と羅(ルオ)も例外なく、文明とほど遠い山奥に送り込まれてしまいます。その山奥から元の暮らしに戻れるのは、3/1000人の確率しかなく、過酷な農作業や炭鉱作業に従事する毎日。しかし、ヴァイオリンが弾ける僕と物語りを情感豊かに語れる羅の二人は、村長の許可を得て町で映画を見て村人に語って聞かせる役割を与えられます。彼らは、そこで出会ったお針子の美しい娘(小裁縫)に恋をしたり、バルザックの小説など、禁書を手に入れて物語の世界に没頭します。羅は、バルザックの壮大な物語を小裁縫に読み聞かせて親密になっていきますが……。
主人公たちは、何の益もない”再教育”を受けさせられているのに、羅がバルザックの小説を小裁縫に読み聞かせて”教育”したことによって迎えるラストは、去る者と残る者の対比がとても良く表されつつも、読後感の良いとても印象的で爽やかな余韻が感じられました。なるべくしてなった結末と言ってしまうのは簡単ですが、そこに至る伏線の散りばめ方が上手だなと思いましたね。
あと、作中でバルザックやロマン・ロランなどの小説を入手して、読書に没頭する主人公たちを思うと、気楽に読書ができる現在の環境に感謝しないといけないなと思いました。
初読:2020年1月5日詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
文化大革命下の中国が舞台‥‥想像していた暗さや重さは皆無。ただただ3人が可愛くて、応援してしまう。
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ブクログでフォローしているMarさんのおすすめから。
舞台は中国の文化大革命時代(1966~76年)。インテリ家庭で育った僕と羅(ルオ)は、17歳の時に「知識青年」の「再教育」のため田舎に送られ、重労働に従事することになる。
ヴァイオリンや目覚まし時計を物珍しそうに見るような山奥の農村で暮らす僕らは、ふもとの村で「再教育」を受ける友人「メガネ」が禁書を隠し持っていることに気づく。なんとかしてメガネからバルザックの小説を借りようと奔走する二人だが…。
都会で暮らす17歳の青年たちが、いきなり山奥で重労働を課せられ、毛沢東の啓蒙書以外の本も禁止される。まるでブラッドベリやオーウェルのディストピア小説のようだが、驚くことに、これはほんの50年前に実際にあった話なのである。
しかし、本書がすごいのは、そんなディストピアである文化大革命の時代を舞台にしながら、内容は完全に青春小説であるところにある。
彼らは二人して、谷を隔てた村に住む仕立て屋の娘、小裁縫に恋をし(結果、羅の恋人となる)、バルザックの本から愛(と性)を学び、本を借りるためにしらみにたかられながら老人の家で山の歌を収集する。
高所恐怖症の羅は這いつくばりながら谷を越えて小裁縫に会いに行き、僕は羅の一時帰省中に、他の男から小裁縫を守るナイトの役を買って出る。
最後のほろ苦い結末も含め、この若さゆえの無謀さ、イタさがまさに青春!という感じでなんだかまぶしい。
読もうと思えばどんな本でも読むことができる現代に生まれたことをありがたく思いつつ、ディストピア世界でも若者はちゃんと青春していたんだな、とちょっとほっとする。
さまざまな我慢を強いられたコロナ禍中の若者たちも、年を重ねた自分にはわからない彼らなりの青春を送っていたのかもしれない、そうであってほしいな、と思った。 -
僕と同郷の親友の羅(ルオ)は、毛主席の下放運動の後、知識青年の再教育として山の村に送られた。
なぜ毛首相がそのようなことをしたのかは不明だ。きっと毛沢東は知識人が大嫌いなのだ。
十八歳の羅と、十七歳の僕が送られたのは鳳凰山、そのなかでも一番貧しい村だ。僕たちのような再教育青年でまた街に戻れるのは千人に三人だ。僕たちはその三人に入らなければ!
僕たちを迎えた村長と農民たちは、僕のヴァイオリンに目を付ける。
彼らはヴァイオリンも、羅の持っている目覚まし時計も見たことはなかったのだ。
ヴァイオリンを壊そうとする農民たちに向って羅は澄ました顔で言った。「村長、僕の友人がモーツアルトのソナタをお聞かせします。《モーツアルトが毛主席を偲んで》という曲ですよ」
そのおかげで僕のヴァイオリンは助かったのだ!
僕たちの再教育内容は、農作業や、鉱山での労働、そして山の上の畑まで肥を運ぶことだ。肥桶からこぼれる肥で全身がずぶ濡れになるあの感触と言ったら!
そんな中で僕たちは村で生きていく方法を見出していく。
まずは僕のヴァイオリン、羅の目覚まし時計の音色とそして彼の天性の語り口。
僕たちは映画の場面を語りによって再現した。
そのため遠い町まで映画を見て仕入れに行く許可を得たんだ。
町の仕立て屋は、近隣の村から特別視されているお大尽のような老人だ。
仕立て屋は、お供を連れて馬に乗ってミシンとともに村々を周り、大歓迎で迎えられ、数日かけて服を仕立てる。
その間町の仕立て屋の店にいるのは彼の娘だ。
彼の娘の美しさときたら…!僕たちは彼女を”小裁縫(シャオツァイフォン)”と呼び、彼女に恋をしたんだ。
僕たちの故郷から再教育で送られたもう一人の青年に”メガネ”がいる。
メガネの預けられている農家に訪ねて行った僕たちは、彼が隠し持っている西洋の本を見つける。
西洋の本。こんなものが見つかったら再教育どころではない、重要な国への裏切り行為だ。
しかし僕たちは、彼の頼みを聞く代わりにこっそりバルザックの本を手に入れる。
巴-爾-扎-克…!バ-ル-ザッ-ク…!知識に飢えていた僕たちにはその名前だけでも魅了されてしまう…!
巴爾扎克 。最初の二音は重くて好戦的な響き、しかしそれがすっと消えるこの気品にあふれて無駄のない四文字…!その本の題名は「ユルシュール・ルミエ」という。
この本は僕たちに、欲望を目覚めさせ、感情の高まりや衝動や愛情と言った今の中国の社会では禁止されていたことを刺激して目覚めさせてきた。
僕たちは小裁縫のところに通いながら、彼女に「ユルシュール・ルミエ」を語って聞かせる。
結局僕たちのこの恋に勝ったのは羅で、彼女は羅のものになったんだ。
羅は知識により小裁縫が都会的にあか抜けて教養が付き、「もっと自分にふさわしくなること」を望んでいた。
村では相変わらず僕と羅による映画の語りが続けられていた。
ある時小裁縫の父である仕立て屋が村にやってきて、僕たちに語りを望んできた。
この時のことは忘れられない、僕は九晩かけて仕立て屋に「エドモン・ダンテス」を語って聞かせたんだ。
そんな時羅は、母の看病のため一時的に家に帰ることが許される。
残された僕は、羅の代わりに小裁縫を守るという任務に就いたんだ。
…あれから何年も経つ。
僕はあの日々の終わりを思い出す。
僕は、羅と小裁縫のために尽くして、羅はまた村に帰ってきた。
しかしバルザックから新しい知識、新しい社会、新しい女性の価値を見出してしまった小裁縫は、僕たちの考えた以上の飛躍を望み、そして自ら行動を起こした。強い意志で、軽やかに、美しく。家族も故郷も恋人も、新しい光を知った娘を引き留めることはできなかったんだ。
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作者の実体験が元になっているとのこと。
作者は、再教育の後フランスに渡りそのままフランス在住。そのため中国の作家が中国での体験をフランス語で書いたという形式です。
反乱分子予備軍として一種の遠島になったような青年たちの体験だが、それでも生きていくという一種の青春文学的様相もあり。
知識を求める気持ちと、また知識を禁じられた人たちにとってそれはまるで麻薬のような作用を要する姿と。
本作にはバルザック以外にもいくつかの西洋の本が出てくるのですが…読んだことないものばっかりでお恥ずかしい限り…。 -
十数億人いる“中国”という国で、抑圧の時代の中“個人”の価値を歌う青春小説
清朝の腐敗政治・列国干渉・泥沼の日中戦争・国民党との覇権争いを経て、毛沢東による中華人民共和国の建国は、希望に満ちていた。
「20世紀最大の実験」といわれた新たな国家運営手法は、その後の「大躍進政策の失敗による全国民飢餓状態」から「文化大革命による知識層・富裕層への弾圧」で、再び大混乱に陥った。
1966年から10年、「文化大革命」は毛沢東と四人組の反勢力との権力闘争であったはずが、始まると火のついた津波のように中国全土を席巻し、さまざまな悲劇を生み出した。
近衛兵による暴走と下放運動による教育制度の壊滅で、伝統文化は殺戮された。
毛沢東の死とともに収束していったが、その揺り戻しにも悲劇がついてきた(毛主席のために立ち上がった近衛兵たちは、「反逆者」としてことごとく処分された)。
この小説では、17・18歳の二人が、抑圧され声高に叫ぶことができない中、個人であることの価値に目覚めていく様子を、青春の一コマとして描いている。
作家は中国出身、フランスで小説家・映画監督として活動。
短い小説ながら、特別な時代のなかでも変わらない青春の熱量を感じさせてくれた。 -
映画で一度感想を書いているのだけれど、また語りたくなる。
この本も映画「小さな中国のお針子」の監督が作者だから内容は全く同じ、なのに映画とは別の感動がある。
禁書。社会主義体制堅持の中国ではあたりまえ。本の毒による西欧かぶれは敵。
禁止されればよけいつのるではないか。苦労して手に入れた西洋の本の数々。
バルザック、ヴィクトル・ユゴー、スタンダール、デュマ、フローベル、ボードレール、ロマン・ロラン、ルソー、トルストイ、ゴーゴリ、ドストエフスキー、ディケンズ、キプリング、エミリー・ブロンテ…。
文化大革命の「下放政策」でものすごい田舎やられた二人の青少年と、地元の小さな可愛いお針子の女子にとって、むなぐるしいほどの光明。本の世界に魅せられ、めまいがしそうな思い。
それだけではない、もの悲しい青春の輝きも加わって、そうして近代の、現代の運命に流れ着いてしまう…。
やはり、このみずみずしさは映画に勝るとも劣らない。文学好きにはたまらない一書。
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映画の感想
『ダイ・シージエ監督が自らの体験をもとにフランス語で執筆したベストセラー小説「バルザックと小さな中国のお針子」の映画化。』と、やはり作成した監督(中国人で文化大革命を経験した)の思い入れのある作品。
ストーリー
1971年、文化大革命真っ只中の中国。2人の青年マーとルオは、反革命分子の子として再教育を受けるために山奥に送りこまれた。彼らを待っていたのは過酷な労働だった。そんなある日、彼らは年老いた仕立て屋の美しい孫娘のお針子に出会う。3人は仲良くなり、彼らは文盲のお針子に内緒で手に入れた外国文学を読み聞かせるようになる。外国の文化に触れ、しだいに自由な感情に目覚めていくお針子。そして彼女はついに…。(BSジャパンHPより)
私が見た中国の桂林ではないだろうが、似たような中国の山奥。尾根に石畳があり、過酷な農業をしなければならない風景が美しく映し出される。南画に出てくるような山の上の小屋。
そんな村での素朴な生活。そこへ繰り広げられる異色の世界文学の名作の数々。美しく可愛いお針子に読み聞かせる青年二人。
「罪と罰」ドフトエフスキー
「アンナカレーニナ」トルストイ
「ジャン・クリストフ」ロマン・ロラン
魯迅、「紅楼夢」等々文学者が文学作品が画面に飛び出す。
そしてバルザックの作品がお針子の心をもっとも捉える。
「従妹ベット」「ゴリオ爺さん」「谷間のゆり」
バルザックの作品の次々と朗読され、その印象的な一節に観ている者にも染み込んでいくようだ。
人間は感情のままに生きるものにあらず、文字によって観念というものがあるのを知る。
ああ、かたちの無いものに目覚めてしまった小さな可愛いお針子。
映画は青春の輝きをも照らす。観終わって心に残る映画のひとつだ。
私はひそかに本棚のバルザックを取り出してしまう。 -
文化大革命中に下放された少年二人のお話。一見悲惨に思える環境であってもその中で暮らしている当の本人たちは落ち込んでばかりもいられないのか、悲壮感はあまり感じられずユーモアがあった。そんな文化から隔絶された暮らしの中で出会った本が二人に生々しい感情、豊かな情緒をもたらす様子は鮮やかで、本の持つ魅力を改めて実感する。どういう環境であれ人は物語を欲したり恋をしたり嫉妬したり性に目覚めたりするもので、それらに対して思春期ならではの熱さ、瑞々しさでぶつかっていく二人が清々しくもほろ苦い青春小説。
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読みたい本が自由に読めない。だから人に隠れて本を読む。罪を犯していると知りながら、それでも読みたい気持ちを抑えられない人々が大勢いた時代の話。1966年、文化大革命によって、中国では西洋文学が禁書になった。持ち主から盗んだバルザックやフローベルなどの禁書を隠れて読み、初めて愛や性を知った二人の青年。村一番の娘に惚れた二人は、彼女にこっそりバルザックを読み聞かせる。ところが、バルザックの偉大な力は彼女をも変えてしまう…。読みやすかった。
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「バルザックと小さな中国のお針子」ダイ・シージエ/新島進 訳
仏文学。泥色。
文化大革命の時代、山間の最貧村を舞台にした、再教育中の青年2人と村娘1人の物語。
全体主義の抑圧に隠れながら、反革命的な西欧の物語を心の潤いの源泉として、彼らは青春を紡ぎ出している。
常に画面のトーンが抑調されながらも、青年群像の感情描写が印象的な読了感でした。
小裁縫の最後の決断に対する「僕」の心象のリアリティが、物語を締めていて読み良かったなあ。(4) -
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映画が好きなので読んでみた。
二人の青年と美しい“小裁縫”の物語。
山の空気感、文革時代の雰囲気を背景に、三人の恋模様と本(知識)との出会いが美しく描かれていて良かった。-
私も映画から入りました。
ダイ・シージエは、他に2作ほどが訳されているのですが、文庫にならないので読む機会を逸している。
さゆさんのレビュー...私も映画から入りました。
ダイ・シージエは、他に2作ほどが訳されているのですが、文庫にならないので読む機会を逸している。
さゆさんのレビューを読んで急に読みたくなってきた。。。2012/06/20
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文章が苦手な私でもあれよあれよと言う間に読んでしまいました。
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読書会コミュニティ「猫町倶楽部」の課題作品です
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女子栄養大学図書館OPAC▼ https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000058315
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文化革命の時代の中国を描いた作品。作者自身も、ここの主人公たちのように地方で再教育させられた若者らしい。
その後フランスで、フランス語で書かれた本書。
小説って人生で大切なものだな、という事を再認識させてくれるので、小説好きの人は一度読んでほしい作品。
小裁縫が最後にする決断が、なんとも素敵で、後味も良かった。 -
SL 2022.3.12-2022.3.15
文化大革命下の中国。再教育に送られた僕と羅。
過酷な環境でも、若者らしい純粋さで美しい少女に恋するふたり。
そして「本」。毛沢東は本を発禁にし焚書も行ったけれど、「本」の力はもっとずっと強く、人の心に働きかけて人生を変えてしまうことさえある。
こんなにも自由にいくらでも本を読めることに感謝 -
文化大革命により「知識階級」とされ、「再教育」のために山奥の山村に送られた若者二人と、近くの街に住む若い娘を軸にストーリーが展開する。この運動の滑稽さや恐ろしさも書かれているが、淡々としているせいか、そのこと自体に注目はいかない。本の背後にある文化大革命で、毛沢東は多くの書籍を発禁処分とし焚書まで行われたわけだが、なぜ本にこだわったのか。「本」には人生を変える魅力があるということが伝わってくる一冊。
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文化大革命時の中国。反革命分子の息子として、再教育と称して山奥の村に送り込まれた僕と親友の羅(ルオ)。2年経っても街に戻れる確率は1000分の3、早朝より起こされ、重労働に明け暮れる日々の中、2人は美しい仕立て屋の娘に出会い、恋に落ちる。
やがて、ひょんなことから禁書のバルザックを手に入れた2人は、字を読めない彼女に、物語を語って聞かせるが……。
厳しい状況の中での、友情あり、恋ありの青春小説。どんなことをしても手に入れたい本への憧れと、親友の恋人への恋心。思いもよらぬラストも、時間が経てばじんわりとしみてくる。少し照れそうだけど、映画も見てみたい。
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