恥辱 (ハヤカワepi文庫)

制作 : J.M. Coetzee  鴻巣 友季子 
  • 早川書房
3.87
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本棚登録 : 467
レビュー : 65
  • Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200427

感想・レビュー・書評

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  • インテリ性欲おじさんの失墜物語、と言ってしまうと冗談みたいだな。確かに前半はそのとおりで、ウワこんなおじさんキッツイ、キツすぎるキモい、と笑いながら読んでいたけどだんだんそのおじさんを取り巻く状況がしんどく重くなっていく。
    南アフリカの田舎にいる娘と、そこでの暮らしが主になってきてからは、近代国・西洋の常識や正論も全然通じない。「ただそこにあるからまっとうすべき」生と、「ただそこにあって処理しなければならない死」が否応なくのしかかる。彼が暮らしていた大学というアカデミックな環境で形作られた「愛」と呼ばれていたものとは全く違う姿をした「愛」をそこで発見できたのは、数少ない幸せのうちのひとつなんだろう。
    軽い読み口で翻訳も素晴らしく、すいすい読んでしまったけれど徐々にずっしりきて最後にはうなだれて本を閉じた。

    クッツェーは『イエスの幼子時代』も読んだけれどそちらとはかなり毛色も違って、作品にすごく幅があるな。
    『恥辱』も素晴らしかった。もう少し若いときに読んでおきたかったな、と思うがむしろ今読めてよかったのかも。

  •  都会的で女遊びが好きな大学教授が、社会的に転落した結果、新しい愛と多様性の受容を達成する話。後半に娘の家で強盗に襲われてからの話は深くて切れ味があって良いのだが、前半の転落するところまでのスケベ親父っぷりがひどくて引いた。
     全体としては、人生も後半になって大きな内心の変化に至るまでの主人公の心情がとてもよく書かれているし、訳文も端正さと切れ味がよく文句なし。

  • 「ひとを教えにきた人間がそれは手厳しい教訓を得て、逆に学びにきた人間がなにひとつ学んでいない、ということ。これが教師という職業の特徴だ」(P.10)

    これは本作の主人公デヴィッド・ラウリーが、冒頭、学生たちを前にして漏らす慨嘆である。ところがこの作品は、このデヴィッドの嘆かわしい前提を出発地点に据えながら、聖デヴィッドの個人的な受難(これは、比喩的な意味ではない)の道のりを通じて、誰が教える者で誰が教わる者なのかという立場を反転させながらこの前提を大いに覆していく。…のであるが、最終的には再びこのテーゼへと回帰していく模様が、巧まざるがごとき名人芸のような構想となっている。

    まず読者は、教えを垂れている人間こそが、自分にとって不都合な真実から目をそむけ続けて教壇に立ち続けているという事実を、まざまざと突きつけられる。つまり、黒人集団の偉大なる受難の歴史を前にして、デヴィッドはほんとうは教える者ではなく、教わる者だったのだ。彼を生贄とし、物語は、教訓をいつも目の当りにしながら教訓として受け止めてこなかったのは、デヴィッドの属する罪深きエスニックグループだったことを示唆している。

    ケープタウンの大学でロマン派期のイギリス詩を講じる頭脳明晰なデヴィッドが、英文学史に燦然と輝く巨匠たちにこの問題の答えを求めても、またどれほど無様に手痛い教訓を受け続けても、デヴィッド本人はなにひとつ学ぶことができない。ソクラテスは奇しくも「正しく知を求める人は、正に死ぬことを練習している」(死の訓練。『パイドン』)と説いたが、学びのプロセスに英雄的な要素など欠片もない。むしろ、いままさに老境へ足を踏み入れようとし、頑冥さが自己保存の同義となってしまっているデヴィッドにとって、学びとはむしろ恐ろしく恥辱にまみれた体験なのだということを、読者は痛々しく実感する。

    圧巻は16章。強盗被害に遭ったデヴィッドはごく常識的に警察に届け出ようとするが、娘のルーシーに敢然として拒まれる。そこで彼は黒人の友人ペトラスにかけあって自分の希望を実現しようと、次のように呼びかける。

    「押しこみ強盗にいつ襲われるかわからないようでは」毎日の最低限の生活も経営していくことができない。「連中が大手をふって歩いているようでは。わかるだろう !」(P.213)

    だがこの国でいつも押しこみ強盗まがいのことをし続けてきたのは白人たちであり、そんな事実もわきまえずにこの理屈を黒人に諄々と説くことが、笑っちゃうような矛盾なのだ。だからペトラスは沈黙によって、デヴィッドに彼自身の質問を撥ね返す。「強盗やレイピストが裁きを受けることもなく大手を振って歩いているこの国で、おれたちはいったいどうやって生きていけばいいのか?わからないのか!」

    自らの矛盾をなかなか受け入れられないデヴィッドだが、世代間のギャップもあってルーシーは白人の偽善をよく理解しており、父や父祖たちの過失に対する罰をその身に一手に引き受けようとする。ルーシーが下すそんな選択的世界において、デヴィッドの居場所などあるはずがない。まさにNo country for old men.

    こうして地に墜ちていこうとするデヴィッドだが、彼がようやく悟ろうとするラストシーンはため息なしには読み通せない。けっきょく、土地の者たちは400年前の白人の入植前と何ら変わらない理屈を貫き通そうとする。娘は、自らの人生をそのルールに捧げんとする。白人たちははるばる海を越えて教えを授けに来てやったつもりだったが、何ひとつ変わりはしない。そのことを娘や醜女、学のない黒人、果ては犬畜生から痛切に教えられることで、ようやくデヴィッドは自らの「分」を知る。ふと振り返れば、デヴィッドの命がけの闘争は死への準備にほかならなかったことに、この歩みは彼が傷つきやすい人間としてもう一度生き直すための幽かな希望としての自殺にすぎなかったのだということに、読者は痛切に気づかされる。

    『恥辱』は掛け値なしの傑作です。この本を読み終わったとき、きっとあなたも心から快哉を叫んでいることでしょう。

  • 主人公のじじいが最初からかなりキモくて、やってることは買春だったり強姦だったりするのに「やれやれ」「おやおや」みたいなテンションを保つので混乱する。大物ポエマーで、妄想ひとつをとってもくどいしキモい。キモい。とにかくキモい。主人公の存在自体が盛大な皮肉で、あとあと受ける辱めこそが核なんだろうと思っていたのに、主人公ずっと楽しそう…。

  • 当たり前な感想だけれど、人間を描いた作品だと思う。

    変わりたくない人間が変わりゆく状況によって徐々に変わる様には悲哀を感じる。運命なんて大それたものじゃなくても、人間は周囲の変化に影響を受け、翻弄されるわけだ。

    深く味わうこともできるだろうけど、浅く読んでも十分面白い。
    時を経て読み返したいと思える。


    翻訳については、好みが分かれる気がする。
    鴻巣氏があとがきに記すように原文は「淡々と」しているし、それにあわせてあっさり訳そうとしているのも伝わってくる。ただ体言止めが多かったり、代名詞のheを「彼」とするのにこだわっていたり、普通なら過去形で訳すところを終始現在形で訳しているところなどは、訳の個性が前面に出ている。人によっては「これは翻訳小説なのだ」と意識してしまうかもしれない。
    確かに、クッツェーが日本人だった場合、こうした文体を駆使することも否定できないが、彼自身の飾らない簡潔な文体から、それは想像できない。
    ちなみに個人的には嫌いではない。
    特に主人公ラウリー教授の台詞・言い回し方などは、さもあらんと思わされる。

  • 途中、苦しい、と思う。
    そして、苦しくても最後まで読み続けなければ、読み続けたい、と強く思う。
    救いがないというのでは、ない。
    むしろ読了した私の中に残るのは、微かだが確かな希望だ。
    主人公デヴィッドが当初感じていたような希望とは違うはずのものだが。 この小説に終始引きずり込まれた自分は、幸せだ。

  • 前時代的な全くもっていけすかないインテリおじさんの大転落と、その先にある微かな希望の物語。
    始まって30ページもしないうちに主人公が「女の美は当人だけのものではない。この世にもお裾分けがなくては。美を分かちあう義務がある。」とか言い出した時には凄まじい嫌悪感が一周して逆に笑ってしまうくらい、愚かだな~と思っていたけど、南アフリカ独特の閉塞的なムラ社会の中で娘を思って七転八倒する姿と、徐々に価値観が変わっていく様子に、嫌いにはなりきれなかった。

  • 衝撃すぎてなんかもう思い出したくないけどとにかく衝撃だった。衝撃すぎて読んでから7年経ってもまだ感想が書けるほど。こんなエグい物語を書く人がいるのか。でも普段考えることもないし、避けていることをガンガン突きつけられて胸糞悪いし、苦しい。密度の濃い感情を起こさせる事においてやっぱりブッカー賞はすごいんだなあと思ったけど、好き好んで読もうとは思わない…。

  • エリート大学教授が性欲により落ちぶれていく話。簡単にいうとそれだけなんだけど、じゃあ落ちぶれていくってなんだろう?アフリカは落ちぶれている?都会で大学教授をすることはエリート?生きていく上での恥辱とはなにか?
    自分たちが味わった恥辱について、大学を追い出された元、エリート大学教授と、アフリカの田舎で農園経営をして必死に1人で生きていくその娘が話し合う所がある

    「最下段からのスタート。無一文で。それどころか丸裸で。持てるものもなく。持ち札も、武器も、土地も、権利も、尊厳もなくして」
    「犬のように」
    「ええ、犬のように」

    生きていくなかで、何に裁かれていかなければならないのか。美しい女とセックスをして、それを申し訳ないと形だけでも涙ながらに謝罪しないことは糾弾されるべきことか?裁かれることか。女1人で身寄りもない田舎で農園を営む夢を持ち続けることは裁かれることか?誰かに糾弾されることか?わからないけど、人が生きるだけで誰かが嫌悪を抱いて、それらに制裁を与えたい、屈辱している姿を見たいと思う人間はそこかしこにいるのだろうなーと思った。

    文中でひとつのキーワードになっている犬について描かれている本当に最後の最後の後半がすごく好きだった。多分、犬は人間に最も近いものとして描かれることが多いからめちゃくちゃ死ぬんだろうな。
    犬のように生きて、犬のように優しく抱かれて、犬のように何が訪れるのかわからぬまま死ぬのだ。

    犬がめちゃくちゃに死にますが、犬とはわたしでありあなたかもしれない。

  • 気分が落ち込んだ時に読んでたからますます落ち込んだ。救いがない……。

    定年まぎわのおじちゃん教授は性欲ギラギラで教え子とやっちゃって教職を追われ、娘が住むアフリカへ行ってみるんだけれどギャングどもにやっつけられてやれやれ……というはなし。

    救いのない時代の救いとは何か。成長なき時代の成長とは何か。ただ恥辱に耐えていくしかないのか。
    身分不相応な望みを持つことは罪なのか。

    しっかし陰気な小説だなーと思いました。

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