- Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
- / ISBN・EAN: 9784151200533
作品紹介・あらすじ
"ビッグ・ブラザー"率いる党が支配する全体主義的近未来。ウィンストン・スミスは真理省記録局に勤務する党員で、歴史の改竄が仕事だった。彼は、完璧な屈従を強いる体制に以前より不満を抱いていた。ある時、奔放な美女ジュリアと恋に落ちたことを契機に、彼は伝説的な裏切り者が組織したと噂される反政府地下活動に惹かれるようになるが…。二十世紀世界文学の最高傑作が新訳版で登場。
感想・レビュー・書評
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じゃあ
「手ぇ洗ったの!?」
「なんでここに置くの!?」
「テーブル拭いたの!?」
「部屋の温度が上がってる何故エアコンの温度を下げない?」
「なんでそこで本を読むの!?」
「その本、古本じゃないでしょうね!?」
「部屋の温度下げ過ぎじゃないの?」
「図書館の本は汚いから家では読まないで!」
「それは家用のブックカバー?洗濯したやつ?」
「なんでそんなとこに居るの!?」
など、家でゴロゴロしてるだけで
「宇宙船を管理するAI」なのか
「私を監視するビッグブラザー」なのか
妻から監視され、注意され続ける生活
(上記の様なAIなら「警告メッセージ」
いや…AIじゃないか
AIなら自動で部屋の温度調節するか…)に
慣れ始めている俺と
何が違うと言うのか…
俺は…(オレハ…オレハ…)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本書はディストピア小説の古典的傑作として名高く、いま巷に出回っているディストピア小説の基礎を作った様な小説だ。ジョージ・オーウェルのもう一冊の傑作『動物農場』と同じように、本書も人々が全体主義社会に飲み込まれる様子が描かれる。
『動物農場』が、俯瞰的に全体主義社会が成立していく様子を描いているとすれば、本書は一個人の視点を通じて、全体主義社会で暮らす人々の生活をミクロ的に見た小説である。
本書は『動物農場』よりも、かなり難解で深く、そして救いが無い…。
ここまで小説を読んでいて不快になったのは久しぶりだが、絶対に目をそらしてはいけないテーマだ。間違いなく全人類が一度は読むべき本のなかの1冊である。
1950年代に起こった核戦争後の世界を舞台とした「1984年」。世界は南北アメリカ、旧イギリスを中心とした国『オセアニア』、イギリス以外の旧ヨーロッパが統合された『ユーラシア』、そして旧日本、旧中国が中心となった『イースタシア』の3つの超大国に支配され、その3国は常に三つ巴で戦争を繰り返している。
作品の舞台となる『オセアニア』のロンドンでは『ビッグ・ブラザー』と呼ばれる指導者により、市民はあらゆる生活に統制が加えられ『思考警察』と呼ばれる警察に反体制的な市民が摘発されている状況だ。
市民は常に『テレスクリーン』と呼ばれるテレビとインターネットを合体させたような機器により監視され、町なかでは盗聴マイクによって行動が当局によって把握されている。
ロンドンに住む39歳の主人公ウィンストン・スミスは、当局の命令により歴史記録の改ざん作業を仕事として行っていたが、記録が絶えず改竄されるため、真実の歴史を確かめるすべは無い。
ウィンストンは『ビッグ・ブラザー』の支配する国家に疑問を抱いていたが、そこへ体制に従順なふりをしながらウィンストンと同じく反体制的な考えを持つ若き女性ジュリアに出会い、恋に落ちた二人は当局の監視をかいくぐりながら逢瀬を重ねる。しかし、彼らの行動は『思考警察』の知るところとなり、二人は逮捕され、想像を絶する過酷な尋問を受けることとなるのだった…。
まず、この本を読んでいて、この小説が本当に1949年に書かれたのか?というのが最初に浮かんだ疑問だ。それほどこの本が描く未来は、現在の世界のありようを精確に描写している。
本書は全体主義の恐怖を描いているが、オーウェルが想像した市民を監視する体制作りが非常にリアル。
『テレスクリーン』は今で言えばまさに「監視カメラ」であり「スマートフォン」だ。『テレスクリーン』と「盗聴マイク」により、市民の頭の中の考え方を含め、市民の全ての行動が当局の監視下にある。
当局は、市民を統制するため『歴史』を改ざんしていく。『オセアニア』の歴史は、常時当局の都合の良いように改ざんされている。例えば、指導者的な幹部が裏切り行為を行った場合、その当人が逮捕されるには当然のこと、過去の名簿やリスト、歴史上関わった事項からも全てその名前が削除される。
つまり、最初から存在しなかったこととなるのだ。
市民は自分の記憶と違っていることでも、それを確かめる方法がない。もし、自分でメモをとって、それを隠し持っていれば反逆者として逮捕されるし、そもそも、紙とペンが簡単に手に入らない。
次は『子供の教育』だ。子供は物心がつくと、すぐに『学校』に入れられ、徹底的に体制的教育を受ける。自分の親が反体制的な思想を持っていると判断すれば、嬉々として親を当局に密告し、その子供は『英雄』として表彰されるのだ。
そして最後は『拷問』だ。この本を読んで、どんな屈強な人間でもこのような拷問に耐えられる人間はいないだろうとあらためて思った。
苦痛と恐怖を繰り返し与え、相手の肉体と精神を壊していく。これが何日も、何週間も、何か月も絶え間なく繰り返されれば、人間は信じている事実や愛する者のことなど簡単に忘れ、裏切ることができる。そこには友情も、親子の情も、恋愛感情も、愛すらも何の意味も持たない。
誰もが「何でもする!何でもするから!もう止めてくれ!もう殺してくれ!」と恥も外聞もなく、地べたに這いつくばって、泣き叫ぶことになる。
人間は弱い。
弱いからこそ、絶対にやってはいけないことがある。
ナチスのホロコースト、スターリン政権下での大粛正、カンボジア・ポルポト政権下での大虐殺など、数を上げればきりが無いが、人類は数多くの過ちを犯してきた。いずれの虐殺も支配体制が被支配体制の人間を虫けらのように殺している。
この『1984年』には『大虐殺に至るであろうという世界』の成立過程が詳細に描かれる。この本どおりのことをやれば、誰でもこのディストピア社会で描かれる支配体制側の人間になれるかもしれない。
だからこそ我々は『究極の反面教師』としてこの本を読み、自分たちの世界の行く末を真剣に考えなくてはならないのだ。
そういった意味において本書が「全人類必読の書」であることは間違いない。 -
いつか読まなくてはと思いつつ積読が続き、トランプ政権に移った直後、本書が米国で飛ぶように売れたという奇怪なニュースをきっかけに読むことに。そして読後もなかなかレビューが書けなかった本の一つです。
<ビック・ブラザー>率いる党が国民を24時間支配・監視している世界。反対派にあたる危険分子をもとから断ち(蒸発=非存在)、完璧な「全体主義」を強いる言論統制社会の果てを描き出したディストピア作品です。綿密に練られた世界観と、オーウェルによって造られた造語の数々がとても印象的です。多少の明るい未来を最後に見出せるかと思えば、ささやかな光すら葬り去り幕を下ろします。その衝撃たるや。
1949年に刊行された本書は約70年経っても色褪せることがありません。刊行以降、映画や文学作品をはじめ社会に幅広い影響を与えてきましたが、2017年に再び大きくクローズアップされたことを考えると、『一九八四年』の世界は国内外ともにまさに現在進行形とも言えそうです。
読んでいる先から“統制される側”となり後半に至っては逃げ場のない閉塞感で息が詰まりそうになりますが、読んでおいて良かったと素直に感じた作品です。新訳版の読みやすさに助けられました。
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・党のスローガン:「戦争は平和である」「自由は屈従である」「無知は力である」
・「2足す2は5である」 -
ジョージ・オーウェル『一九八四年[新訳版]』 絶望が誘う「二重思考」の社会|好書好日
https://book.asahi.com/article/11583479
【書評】ジョージ・オーウェル:一九八四年 新訳版/堀和世 書評&エッセイ おれ、今日は(も!)長いよ【ブックレビューサイト・ブックジャパン】
http://bookjapan.jp/search/review/series_oni/090820/review2.html
一九八四年(新訳版) | 種類,ハヤカワepi文庫 | ハヤカワ・オンライン
https://www.hayakawa-online.co.jp/smartphone/detail.html?id=000000009459
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著者、ジョージ・オーウェルさん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。
ジョージ・オーウェル(英: George Orwell、1903年6月25日 - 1950年1月21日)ことエリック・アーサー・ブレア(英: Eric Arthur Blair)は、イギリス植民地時代のインド生まれのイギリスの作家、ジャーナリスト。ミドルネームを排してエリック・ブレアとも表記される。全体主義的ディストピアの世界を描いた『1984年』の作者である。『1984年』で描かれたような監視管理社会を「オーウェリアン」(Orwellian)と呼ぶ。
著者は、46歳にて亡くなられています。
結核に罹患された状態で、『1984年』を書きあげたようで、ある程度死期を予感していたのかもしれません。
結果として、著者の人生の集大成的な作品に出来上がっているように思います。
この作品は、ディストピア小説の代表作になるようです。
私は、この作品に出合うまで、ディストピア小説なるものを知らなかったのですが、ディストピア小説は何かというと、
ユートピアの対義語として語られる「ディストピア」。平和を掲げた理想的な社会のように見えつつ、実は格差が激しくて生活のすべてが管理されている社会です。近未来を舞台にしたSF作品で描かれることが多いのが特徴。
とのこと。
『1984年』の内容は、次のとおり。(コピペです)
"ビッグ・ブラザー"率いる党が支配する全体主義的近未来。ウィンストン・スミスは真理省記録局に勤務する党員で、歴史の改竄が仕事だった。彼は、完璧な屈従を強いる体制に以前より不満を抱いていた。ある時、奔放な美女ジュリアと恋に落ちたことを契機に、彼は伝説的な裏切り者が組織したと噂される反政府地下活動に惹かれるようになるが…。二十世紀世界文学の最高傑作が新訳版で登場。 -
ビッグ・ブラザー、思考警察、101号室、そして二重思考。物語の枠を超えて、社会的な意味を持つようになったこれらの用語は本書から生まれた。そのせいか、読んでいないのに読んだような気さえしてしまい、気になりつつも中々手が出ないでいた。
帯の惹句にもあるように、本書で描かれる極端な監視社会を今の時代になぞらえて読む人がほとんどだと思う。アメリカではトランプのオルタナティブファクト報道を機に本書が再注目されているというし、安倍政権の公文書破棄やら記録の改竄やらを見ると、思わず唸らずを得ない。とはいえ、本書は1949年に1984年という「未来」を描いたものだ。今はその「未来」もすでに遠い過去になっている。似ている似ていないはあまり意味のあることではないように思う。それよりも、オーウェルが描写した人間の思考過程の方が不気味なほどにリアルで恐ろしい。 -
ボディブローのように効いてくる読後感。歴とした小説。
1949年刊行された全体主義的近未来を描いたディストピア小説。
ビッグブラザー率いる一党政府による行動監視・言語統制・歴史改竄等あらゆる人民統制が丁重に描かれる。中盤に書かれる「寡頭制集産主義の理論と実践」のテキストは小説というより思想哲学のようだ。クライマックスは、国家への背信を企てた主人公が肉体的精神的拷問により、二重思考を受け入れて国家に組み込まれていくさまだ。
とは言っても、一読では、読み切れていない。ちょっと寝かせて再読です。
何故、1984年なのか?幾つか説はある様ですが、執筆終了が1948年で下二桁逆にした説に一票。
今、読んでも、100年後でも近未来小説たる名作。
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■この本の評価
4.5/5(マイベストブック)
■この本の感想
言わずとしれたディストピアSFのベストセラー。
冷戦という歴史的バックボーンを持ち、行き過ぎた全体主義の危うさを描いた教科書的な作品です。
本書は3部に分かれていますが、抑圧、解放、そして洗脳と非常に起承転結のはっきりしている展開で読みやすいです。
また「全体主義」を、本書特有の「二重思考」「イングソック」などといった造語をもって、その本質を具体化している点で、とても難解ながらも、それが分かった時のスッキリ感と徐々に感じる後味の悪さが評価ポイントだと思います。
本書の本来の意図するところからは離れますが、
発想を発展させて。。。
例えば現代のソーシャルネットワークの発展というのが、個人の自由を解放するものなのか、あるいはアイデンティティを広げるものなのか、それとも「バズっている」という全大主義の波に取り込むのかという点で考えてみると面白いですね。
さらにサイエンスフィクションという観点でみると、ヒトの判断を超える人工知能や、膨大な情報を処理できる量子コンピュータの進歩は、本書内の監視社会を実現しうることから、「これら技術をどう使うか」という倫理面が浮き彫りになってくるのも面白いですね。
著者プロフィール
ジョージ・オーウェルの作品






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