- Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
- / ISBN・EAN: 9784151200533
感想・レビュー・書評
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長いので何日もかかったけど、長い分だけディストピアの世界にどっぷり浸かった。
人々はテレスクリーンと呼ばれる装置で、生活や思想を24時間監視されている。家族でさえもお互いを監視していて安らげる空間はない。
思想までも奪われる自由のない世界に息が詰まりそうになる。
もしこんな国に生まれたら、生まれてきた意味はあるんだろうかと考えてしまった。
実際にこれと似たような国があると思うと、急に現実味を帯びて怖くなる。
洗脳されていく心情の過程が詳細に描かれている。心理学が好きなので、人はどうやって洗脳されていくんだろうという事に興味があった。
「101号室」で行われる最も怖い拷問は、肉体的なものではなく、精神的に人間の尊厳を破壊させること。
ネタバレになるから書けないけど、この時に叫んだ主人公の言葉が衝撃的だった。
こんな拷問を受けたら誰もが主人公のようになる。
そして、最後の1行で本当の怖さを知った…。
自分はこの本の世界観を非現実的なものとして楽しんだ。本を閉じればこの怖い世界を終わらせることができる。
でもこの世界が現実である国の人達は、怖くても生涯終わらせることができない。
『党が2+2=5と言えば、それを信じなければいけない』
読み終わった後も、リアルでこの世界に生きている国の人達のことを考えてしまう。
頭の中でその事がずっと気になってしまって、次の本になかなか進めない。
★10
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じゃあ
「手ぇ洗ったの!?」
「なんでここに置くの!?」
「テーブル拭いたの!?」
「部屋の温度が上がってる何故エアコンの温度を下げない?」
「なんでそこで本を読むの!?」
「その本、古本じゃないでしょうね!?」
「部屋の温度下げ過ぎじゃないの?」
「図書館の本は汚いから家では読まないで!」
「それは家用のブックカバー?洗濯したやつ?」
「なんでそんなとこに居るの!?」
など、家でゴロゴロしてるだけで
「宇宙船を管理するAI」なのか
「私を監視するビッグブラザー」なのか
妻から監視され、注意され続ける生活
(上記の様なAIなら「警告メッセージ」
いや…AIじゃないか
AIなら自動で部屋の温度調節するか…)に
慣れ始めている俺と
何が違うと言うのか…
俺は…(オレハ…オレハ…) -
本書はディストピア小説の古典的傑作として名高く、いま巷に出回っているディストピア小説の基礎を作った様な小説だ。ジョージ・オーウェルのもう一冊の傑作『動物農場』と同じように、本書も人々が全体主義社会に飲み込まれる様子が描かれる。
『動物農場』が、俯瞰的に全体主義社会が成立していく様子を描いているとすれば、本書は一個人の視点を通じて、全体主義社会で暮らす人々の生活をミクロ的に見た小説である。
本書は『動物農場』よりも、かなり難解で深く、そして救いが無い…。
ここまで小説を読んでいて不快になったのは久しぶりだが、絶対に目をそらしてはいけないテーマだ。間違いなく全人類が一度は読むべき本のなかの1冊である。
1950年代に起こった核戦争後の世界を舞台とした「1984年」。世界は南北アメリカ、旧イギリスを中心とした国『オセアニア』、イギリス以外の旧ヨーロッパが統合された『ユーラシア』、そして旧日本、旧中国が中心となった『イースタシア』の3つの超大国に支配され、その3国は常に三つ巴で戦争を繰り返している。
作品の舞台となる『オセアニア』のロンドンでは『ビッグ・ブラザー』と呼ばれる指導者により、市民はあらゆる生活に統制が加えられ『思考警察』と呼ばれる警察に反体制的な市民が摘発されている状況だ。
市民は常に『テレスクリーン』と呼ばれるテレビとインターネットを合体させたような機器により監視され、町なかでは盗聴マイクによって行動が当局によって把握されている。
ロンドンに住む39歳の主人公ウィンストン・スミスは、当局の命令により歴史記録の改ざん作業を仕事として行っていたが、記録が絶えず改竄されるため、真実の歴史を確かめるすべは無い。
ウィンストンは『ビッグ・ブラザー』の支配する国家に疑問を抱いていたが、そこへ体制に従順なふりをしながらウィンストンと同じく反体制的な考えを持つ若き女性ジュリアに出会い、恋に落ちた二人は当局の監視をかいくぐりながら逢瀬を重ねる。しかし、彼らの行動は『思考警察』の知るところとなり、二人は逮捕され、想像を絶する過酷な尋問を受けることとなるのだった…。
まず、この本を読んでいて、この小説が本当に1949年に書かれたのか?というのが最初に浮かんだ疑問だ。それほどこの本が描く未来は、現在の世界のありようを精確に描写している。
本書は全体主義の恐怖を描いているが、オーウェルが想像した市民を監視する体制作りが非常にリアル。
『テレスクリーン』は今で言えばまさに「監視カメラ」であり「スマートフォン」だ。『テレスクリーン』と「盗聴マイク」により、市民の頭の中の考え方を含め、市民の全ての行動が当局の監視下にある。
当局は、市民を統制するため『歴史』を改ざんしていく。『オセアニア』の歴史は、常時当局の都合の良いように改ざんされている。例えば、指導者的な幹部が裏切り行為を行った場合、その当人が逮捕されるには当然のこと、過去の名簿やリスト、歴史上関わった事項からも全てその名前が削除される。
つまり、最初から存在しなかったこととなるのだ。
市民は自分の記憶と違っていることでも、それを確かめる方法がない。もし、自分でメモをとって、それを隠し持っていれば反逆者として逮捕されるし、そもそも、紙とペンが簡単に手に入らない。
次は『子供の教育』だ。子供は物心がつくと、すぐに『学校』に入れられ、徹底的に体制的教育を受ける。自分の親が反体制的な思想を持っていると判断すれば、嬉々として親を当局に密告し、その子供は『英雄』として表彰されるのだ。
そして最後は『拷問』だ。この本を読んで、どんな屈強な人間でもこのような拷問に耐えられる人間はいないだろうとあらためて思った。
苦痛と恐怖を繰り返し与え、相手の肉体と精神を壊していく。これが何日も、何週間も、何か月も絶え間なく繰り返されれば、人間は信じている事実や愛する者のことなど簡単に忘れ、裏切ることができる。そこには友情も、親子の情も、恋愛感情も、愛すらも何の意味も持たない。
誰もが「何でもする!何でもするから!もう止めてくれ!もう殺してくれ!」と恥も外聞もなく、地べたに這いつくばって、泣き叫ぶことになる。
人間は弱い。
弱いからこそ、絶対にやってはいけないことがある。
ナチスのホロコースト、スターリン政権下での大粛正、カンボジア・ポルポト政権下での大虐殺など、数を上げればきりが無いが、人類は数多くの過ちを犯してきた。いずれの虐殺も支配体制が被支配体制の人間を虫けらのように殺している。
この『1984年』には『大虐殺に至るであろうという世界』の成立過程が詳細に描かれる。この本どおりのことをやれば、誰でもこのディストピア社会で描かれる支配体制側の人間になれるかもしれない。
だからこそ我々は『究極の反面教師』としてこの本を読み、自分たちの世界の行く末を真剣に考えなくてはならないのだ。
そういった意味において本書が「全人類必読の書」であることは間違いない。 -
1984年、読み終わりました!やっとなんとか、読み終わりました、と言ったところです。時間がかかりました。この本を1日や2日で読み終える方、心から尊敬します。話しの内容としては、評判通り素晴らしいものだと思います。原作は75年前?とかそれくらい以前にも関わらずこの内容を書けている点が高い評価を受けている要因の一つですね。まさにディストピアの脅威が伝わる作品であり、今現在これに近しい状況にある国はあるわけで、日本も例外的ではなく、技術やITの進化とともに民衆が気付かない中、国や政治が足を踏み入れてしまう、もしくは既に足を踏み入れている領域があるやかもしれません。どういった主義を唱えて実行する国であっても階級的なものは必ず存続するわけで、民主主義でも当然例外的ではないわけです。現在の日本から見れば、本作のディストピア像は極端ではありますが、そういう考え方や世界が単純なSF世界の物語という事で終わらせてはいけないというメッセージであると感じました。恐ろしやーです。
ただいずれにしても本作、あくまで私個人の印象としてですが、大変読みづらかったです。唐突に出てくる言葉や、あまり日常的ではない日本語(単語)、文章の作り方など。。。私が普段読みやすい本を敢えて選んで読んでるのかもというのと、翻訳作品を普段あまり読まないので慣れていないせいなのかもしれませんが、、、もう少し読みやすい翻訳に出来ないものですかね。という点で⭐︎3つ止まりとしました。 -
まず一言、怖かった。
とてもとても怖かったです。こんな世界になってしまうのかと、錯覚してしまう程内容の濃い作品でした。小説の限界を超えた、作品で、カテゴライズできないと私は感じました。ジョージ・オーウェル自身の経験したことから描き出した本作は、著者の晩年の作品となっています。彼のイデオロギーがふんだんに膨れています。全体主義、社会主義などあまり馴染みのない言葉が乱立していて、正直この作品は、理解するというよりは、感じてどう思ったか。
自分のイデオロギーを、どう開花させるのかだと思うのです。とても難しいです。この作品を感じるにには、もっと著者のことを知るべきだし、他の作品も読むべきだと思いました。 -
ボディブローのように効いてくる読後感。歴とした小説。
1949年刊行された全体主義的近未来を描いたディストピア小説。
ビッグブラザー率いる一党政府による行動監視・言語統制・歴史改竄等あらゆる人民統制が丁重に描かれる。中盤に書かれる「寡頭制集産主義の理論と実践」のテキストは小説というより思想哲学のようだ。クライマックスは、国家への背信を企てた主人公が肉体的精神的拷問により、二重思考を受け入れて国家に組み込まれていくさまだ。
とは言っても、一読では、読み切れていない。ちょっと寝かせて再読です。
何故、1984年なのか?幾つか説はある様ですが、執筆終了が1948年で下二桁逆にした説に一票。
今、読んでも、100年後でも近未来小説たる名作。
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主人公の叩き潰され方がほんとうに容赦ないし、一縷の希望すら見当たらないしで、読んでて辛かったの覚えています笑 書く側も胃が痛くなってそうです...主人公の叩き潰され方がほんとうに容赦ないし、一縷の希望すら見当たらないしで、読んでて辛かったの覚えています笑 書く側も胃が痛くなってそうですけども。2023/05/02
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こんばんは。私は、小説の中で、言葉が削られていく過程がすごく怖いなと思いました。
村上春樹氏が、この作品を意識して1Q84を書いたと聞いて、...こんばんは。私は、小説の中で、言葉が削られていく過程がすごく怖いなと思いました。
村上春樹氏が、この作品を意識して1Q84を書いたと聞いて、両方読みましたが、さっぱり意識したところは、わかりませんでした。( ; ; )2023/05/03
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もはや何が本当か全くわからなくなりますなぁ。
世界がより良くなるように祈るばかりであります。 -
大分面白かったが、あいも変わらず難しかった。
日本の作品もそうだが、この時代の作品はある種哲学書のような重みを持って物語となっている。
時代が違い社会、環境、価値観が多分に違う中で政治的な社会に対するシニカルな要素が加わってくるので最早世界史専攻をしてないと十全に楽しみ尽くせないのでは、、とさえこの時期の海外の作品は思えてしまう。とりあえず日本も明治らへんのは文学専攻であったがとっつき難くあまり好きではない。
勉強しないとなぁ、、、 -
為政者によって図られていく思考の貧弱化という世界観がなかなか恐怖ポイント…
人は結局見たいものしか見ない、見えないという話も日常でも実感できるし、ポピュリズムに関する不安は国内外問わず民主主義の論点だと思うし。
著者プロフィール
ジョージ・オーウェルの作品





