一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

制作 : 高橋和久 
  • 早川書房
4.09
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本棚登録 : 6631
レビュー : 685
  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200533

作品紹介・あらすじ

"ビッグ・ブラザー"率いる党が支配する全体主義的近未来。ウィンストン・スミスは真理省記録局に勤務する党員で、歴史の改竄が仕事だった。彼は、完璧な屈従を強いる体制に以前より不満を抱いていた。ある時、奔放な美女ジュリアと恋に落ちたことを契機に、彼は伝説的な裏切り者が組織したと噂される反政府地下活動に惹かれるようになるが…。二十世紀世界文学の最高傑作が新訳版で登場。

感想・レビュー・書評

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  • いつか読まなくてはと思いつつ積読が続き、トランプ政権に移った直後、本書が米国で飛ぶように売れたという奇怪なニュースをきっかけに読むことに。そして読後もなかなかレビューが書けなかった本の一つです。

    <ビック・ブラザー>率いる党が国民を24時間支配・監視している世界。反対派にあたる危険分子をもとから断ち(蒸発=非存在)、完璧な「全体主義」を強いる言論統制社会の果てを描き出したディストピア作品です。綿密に練られた世界観と、オーウェルによって造られた造語の数々がとても印象的です。多少の明るい未来を最後に見出せるかと思えば、ささやかな光すら葬り去り幕を下ろします。その衝撃たるや。

    1949年に刊行された本書は約70年経っても色褪せることがありません。刊行以降、映画や文学作品をはじめ社会に幅広い影響を与えてきましたが、2017年に再び大きくクローズアップされたことを考えると、『一九八四年』の世界は国内外ともにまさに現在進行形とも言えそうです。
    読んでいる先から“統制される側”となり後半に至っては逃げ場のない閉塞感で息が詰まりそうになりますが、読んでおいて良かったと素直に感じた作品です。新訳版の読みやすさに助けられました。

    ================
    ・党のスローガン:「戦争は平和である」「自由は屈従である」「無知は力である」
    ・「2足す2は5である」

  • ニュースピークの描写に危機感を抱いた。

    ニュースピークというものがこの本の中にでてくる。
    それは作中の主人公が属する帝国における新しい国語のことだ。
    抽象的な多義語がメインで、ある言葉の反対の意味を表現する時には「非~」という接頭語を使う。
    つまり「ヤバい」「かわいい」「わかんない」といった多義的な言葉で常に会話する言語なのだ。
    そのような言語がもたらす弊害は帝国にとって福音となる。
    国家の基本理念は存続と暴力だ。
    しかし、反体制的な行動を国民にとられ、それが多数派になるとソ連の崩壊のように文明が崩壊してしまう。
    そこで思考を制限するために国家がニュースピークを動員して国民の思考を制御しようとしてくる。

    曖昧な多義語では具体的な思考ができない。
    文脈や空気によってその曖昧な意味はなんとなく理解できるが、具体的ではない。
    真理は具体的なのだ。
    具体的でない行為には意味がない。

    現状の日本では、曖昧な多義語が跋扈しているので「ああ、これはニュースピークだな」と少し焦燥感を抱いている。

  • 不朽の名作。
    いままで読んでなかったのを後悔したくらい。

    <ビック・ブラザー>が支配する全体主義国オセアニア。
    主人公のウィンストン・スミスは真理省で働く党員。歴史の改竄が主な仕事だが、体制に不満を抱いている。気持ちや感情を表わすことは重罪であるが秘密裏に日記をつけ始める。それほどに世の中に疑問をもっている。
    ある日、同じ省で働く黒髪で美貌のジュリアと知り合い、ってところから怒涛の展開。

    読んでみて実感することは小説として面白いということ。体制に監視されながら二人が密会する展開はスリルがあってドラマ性がある。一緒に働く同僚たちの人物造形もうまい。それぞれの細かい個性や性格、家族構成がその後の生死を分けてしまう理不尽さ。各家に設置されたテレスクリーンが常時国民を監視している息苦しさとそこから逃れようと創意工夫する主人公の姿は面白い。

    ウィンストンの日々の仕事に厭きる描写もいい。歴史改竄に対する疑問や、何の意義や意味があるのかさえ分からない日々の業務。それに追われる虚しさと倦怠感。多くの人の莫大なエネルギーと徒労の積み重ねのなかで支えられる体制。働くウィンストンを通して巨大システムの歯車として動かざるを得ない無数の人の悲しさを表しているようだ。

    書かれた時代とタイミングのせいか、ジョージ・オーウェルの「1984年」は共産主義国家ソ連を批判した「反共の書」の象徴として評価され読み継がれてきた。だから小難しい内容かと長らく敬遠してきた。だが、そうした時代や政治性を割り引いて読むと、この作品が豊かで多様な読みができる優れた普遍的なテーマを扱った小説であることがわかる。

    歴史の改竄作業は歴史認識論争で騒がしい国々を思い浮かべる。過去を改変できるとは現在を正当化すること。すなわち未来をも支配できる。まさにいま世界中の国家が欲していることだ。
    ニュースピークはあらゆる国で社会の至るところにある。意味の分からない略語や職場で使われる隠語などは最たる例だろう。語彙が少ないほどものを考えなくて済む。小説では人民支配のためだが、現代では効率とスピードのためと言い換えることができる。
    「自由は隷従なり」。「戦争は平和である」。矛盾を乗り越えようとする弊害と魅力を孕んだ二重思考も今日的である。国だけでなく個々人もこんな考え方は生活のなかで誰もが日々行っている。ブラック企業の求人募集などもいい例である。本音と建て前を使い分けることが大人の嗜みと言っているうちに、僕らは何が本音か分からなくなり、いつしか自由すら忘れている。


    こんな台詞が出てくる。「自由とは二足す二が四であると言える自由である」。一番いろんなことを考えた。胸に響いた。
    2+2は本当に4か。含まれる意味や比喩は深く重い。多用な読みが可能だ。
    式を政治的言説に置き換えて考えてみるといい。
    答えを知っていても言わないときがある。時と場合によっては2+2は5にも9にもなる。そもそも普段から声高に答えているのか。実は2+2が4と言えないほどの状況で暮らしているのに自分は自由だと勘違いしているだけかもしれない。

    と、つらつらとレビューを書きたくなるが、こんな素人のレビューより、読み終わったら巻末のトマス・ピンチョンの素晴らしい解説を読んでほしい。これだけで充分です。

  • 第二次世界大戦後、数年後に書いたとは思えないほど、リアルで実際に起こりそうなこと。国に監視され、自由に物が言えない、動けない、ただただ洗脳されていく世界がどんなにひとの尊厳を奪い恐ろしいことかを問い続けている。そんな状況下で、これはおかしい、思い続け、理性を保ち続けられるかの試練にも見えた。最初からこんな世界で生まれたこどもたちにはそれは当たり前で、親がおかしなことをしたら密告するように教育される。
    自国がなんて平和であるかを改めて感じるが、こういう世界ができてしまわないか。。ただふあんだ。

  • 小説とは関係ないとこでも時々引用される、かのディストピア本をついに読むことができました。
    読み終えてまず思ったのは、自由に物が言える世界のなんと素晴らしいことか!
    まあ現実にはかの近隣の大国みたいに、あれに近い監視を実現している国もありますが、その辺の話は他の方にお任せします。

    読んで特に強く印象に残ったのは以下の点でした。

    ・心の自由の大切さ
    本書を全部を読んだあと、個人が物事を自由に考えてよい事のかけがえのなさを感じました。
    と言いつつ、自分がその自由を活用できているかは少し自信がありません。
    抑圧はされていないにしても、思想や嗜好は、自分がよく触れる物、また考え方の似た知り合いに影響されていることは否定できません(本編とはやや脱線した話ですが)
    少なくとも、自分と相容れない考え方に対して頭ごなしに否定したり、排除するような人間にならないよう、気をつけたいですね。

    ・二重思考(Doublethink)
    本書のキーワード。最初は単なる言葉遊び、表面的な事かと思ってましたが、本を読むとそんな表面的な物でも無いことに気づきます。
    それにしても無茶苦茶すぎて有り得ない、はずなのに納得もできる凄い単語です。
    現実世界で生活していても時折遭遇する、または自分の中にもあるこの状況、よく一言で表現したなーーと感動しました。
    答えは無いですが、人間は多かれ少なかれこういう思考状態になるってことに向き合わされたように感じました。

  • どこからか金木犀の香が漂ってくる
    ある秋の日に読み始めた

    書かれている状況が
    あまりにつらくて、何度か本を閉じて
    ちょっと(頭の中の)口直しの為にかなり軽い目のエッセイを読んでいたりした

    そして
    読み終えた日は
    空一面に秋のうろこ雲が広がっている
    それこそ ニッポンの秋日和の休日だった

    もし 冬の寒々とした氷雨の降りしきる日に
    読んでいたら ちょっと辛さを通り越して
    手が出なかったかもしれない

    「平和省は戦争を遂行し
     真理省は噓をつき
     愛情省は党の脅威になりそうな人物を片っ端から拷問し殺していく」

    読めば読むほど
    こんな国を作りたがっている
    現代のこの国の未来の話ではないか
    と思ってしまった

    ディストピアは想像の産物として
    妄想のままであって欲しい

  •  政府に不都合な記録全てをそのつど書き換え歴史を思うがままに改竄し、党員同士の監視により不穏分子は可能性の段階から排除していく管理社会。最小限度まで語彙を削減し言語表現を破壊することで人間の思考範囲を狭めようとする試みに加え、対立項を(矛盾していると知りながら)両方とも受け入れる思考法の醸成など、恐ろしい政策てんこ盛り。
     
     それらの目的はみな人間の思考(精神)をいかに支配するかに集約されており、偽りの服従さえも許さない、権力欲のおぞましさを描いている。
     そしてなお不気味なのは、独裁者自体はただのシンボルに過ぎず、こうした残酷な社会を延々と機能させ続けているのは他ならぬ国民なのだというところにある。
     
     恐怖と憎悪がいかに容易く人間を壊し、空っぽになるまでぐちゃぐちゃに壊された精神がどのように洗脳を受け入れていくかを描くことで、人間の「精神」に対する無根拠の信頼に懐疑を投げかけているところがえぐい。
     
     いっぽう解説を読んでなるほどと思ったのは、附録の「ニュースピークの諸原理」がオールドスピークで、未来の視点から書かれているところに、道徳的秩序の回復と救済がほのめかされているということ。決して道徳的な人間性を否定するだけでなく、簡単に歪んでしまう人間性を踏まえた上で、私たちにできることはあるのだという希望を残しておくところに、この作品の本質はあるのだと思いたい。

  • 冒頭から圧倒された。凄まじい圧迫感。ひたすら怖かった。
    言語を作り変えるという発想も、過去の書き換えも、全て狂気に溢れている。
    ついでに、もう、大きな栗の木の下でを平常心では聞けない。

    最後に解説を読んで、少しだけ救いを感じた。


    …読後に同僚と話して、ある意味我々の職場も一緒じゃん、ということに気づき愕然。

  • 気持ち悪い物語であった。なぜ気持ち悪いかというと、悲惨な状況なように物語の世界は描かれているが、実際の今の世界も見た目は綺麗に繕っていても、同じようなものなのではないかと思えてしまうからだ。現在の日本は、自由な発言ができる。間違ったことも言える。しかし物語の世界では間違ったことを言う、または考えるだけで警察に捕まり拷問を受ける。いまの日本ではあり得ない状況であるが、私の考えていることは、本当に私の意思で発想されたものなのか、誰かの思想操作により作り出されたものなのかは分からない。メディアの影響力は強く、なんらかの思想、利益誘導に基づいた情報であるため鵜呑みにしてはいけないということは言うまでもないが、誰にでも信じている情報はある。しかしそれがたとえ一次情報であったとしても、本当に真実なのだろうか。主人公は最後、自分は間違っている。しかし間違っていたい、という発言をしているのは、どういう意味で言ったのだろうか。

  • 「自分が間違っていることはわかっている。だが間違っている人間でいたいのだ」ー 435ページ

    この敗北に向かっても突き進まなければいけないという心性はなんなのだろう。既定路線を敢えて変えてしまおうということは割合狂気的なことというか、まあこういうのを説明する便利な概念が「運命」ということになるのだろうか。特に本書の場合、「運命」に立ち向かおうとすること自体が受け入れられないのだから、結末はこうなってしかるべきということになっているのがうまい。

    受け入れられない運命と受け入れてしまうという運命、そのどちらも採用したくない時に人は第三極の存在を常に願うものであるということの表現が特に秀逸。

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著者プロフィール

George Orwell【1903-1950】 邦訳書に、『オーウェル小説コレクション 4 葉蘭をそよがせよ』(高山誠太郎訳、晶文社、1984年)、『1984年 ハヤカワ文庫NV8 』(新庄哲夫訳、早川書房、1972年)、『カタロニア讃歌 ちくま学芸文庫』(橋口稔訳、筑摩書房、2002年)、『ビルマの日々 新装版』(大石健太郎訳、彩流社、1997年)、『気の向くままに』(オーウェル会訳、彩流社、1997年)、『ウィガン波止場への道 ちくま学芸文庫』(土屋宏之・上野勇 訳、筑摩書房、1996年)、『オーウェル評論集 1~4平凡社ライブラリ』(井上摩耶子他訳、川端康雄編、平凡社、1995年)、『空気をもとめて』(大石健太郎訳、彩流社、1995年)、『動物農場 角川文庫』(高畠文夫訳、角川書店、1995年)、『オーウェル小説コレクション 1 パリ・ロンドンどん底生活』(小林歳雄訳、晶文社、1984年)、『オーウェル小説コレクション 5 空気を求めて』(小林歳雄訳、晶文社、1984年)、『オーウェル小説コレクション 2 ビルマの日々』(宮本靖介・土井一宏訳、晶文社、1984年)、『オーウェル小説コレクション 3 牧師の娘』(三澤佳子訳、晶文社、1984年)ほかがある。

「2009年 『葉蘭を窓辺に飾れ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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