一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

制作 : 高橋和久 
  • 早川書房
4.09
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本棚登録 : 7260
レビュー : 739
  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200533

感想・レビュー・書評

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  •  政府に不都合な記録全てをそのつど書き換え歴史を思うがままに改竄し、党員同士の監視により不穏分子は可能性の段階から排除していく管理社会。最小限度まで語彙を削減し言語表現を破壊することで人間の思考範囲を狭めようとする試みに加え、対立項を(矛盾していると知りながら)両方とも受け入れる思考法の醸成など、恐ろしい政策てんこ盛り。
     
     それらの目的はみな人間の思考(精神)をいかに支配するかに集約されており、偽りの服従さえも許さない、権力欲のおぞましさを描いている。
     そしてなお不気味なのは、独裁者自体はただのシンボルに過ぎず、こうした残酷な社会を延々と機能させ続けているのは他ならぬ国民なのだというところにある。
     
     恐怖と憎悪がいかに容易く人間を壊し、空っぽになるまでぐちゃぐちゃに壊された精神がどのように洗脳を受け入れていくかを描くことで、人間の「精神」に対する無根拠の信頼に懐疑を投げかけているところがえぐい。
     
     いっぽう解説を読んでなるほどと思ったのは、附録の「ニュースピークの諸原理」がオールドスピークで、未来の視点から書かれているところに、道徳的秩序の回復と救済がほのめかされているということ。決して道徳的な人間性を否定するだけでなく、簡単に歪んでしまう人間性を踏まえた上で、私たちにできることはあるのだという希望を残しておくところに、この作品の本質はあるのだと思いたい。

  • 冒頭から圧倒された。凄まじい圧迫感。ひたすら怖かった。
    言語を作り変えるという発想も、過去の書き換えも、全て狂気に溢れている。
    ついでに、もう、大きな栗の木の下でを平常心では聞けない。

    最後に解説を読んで、少しだけ救いを感じた。


    …読後に同僚と話して、ある意味我々の職場も一緒じゃん、ということに気づき愕然。

  • 気持ち悪い物語であった。なぜ気持ち悪いかというと、悲惨な状況なように物語の世界は描かれているが、実際の今の世界も見た目は綺麗に繕っていても、同じようなものなのではないかと思えてしまうからだ。現在の日本は、自由な発言ができる。間違ったことも言える。しかし物語の世界では間違ったことを言う、または考えるだけで警察に捕まり拷問を受ける。いまの日本ではあり得ない状況であるが、私の考えていることは、本当に私の意思で発想されたものなのか、誰かの思想操作により作り出されたものなのかは分からない。メディアの影響力は強く、なんらかの思想、利益誘導に基づいた情報であるため鵜呑みにしてはいけないということは言うまでもないが、誰にでも信じている情報はある。しかしそれがたとえ一次情報であったとしても、本当に真実なのだろうか。主人公は最後、自分は間違っている。しかし間違っていたい、という発言をしているのは、どういう意味で言ったのだろうか。

  • 「自分が間違っていることはわかっている。だが間違っている人間でいたいのだ」ー 435ページ

    この敗北に向かっても突き進まなければいけないという心性はなんなのだろう。既定路線を敢えて変えてしまおうということは割合狂気的なことというか、まあこういうのを説明する便利な概念が「運命」ということになるのだろうか。特に本書の場合、「運命」に立ち向かおうとすること自体が受け入れられないのだから、結末はこうなってしかるべきということになっているのがうまい。

    受け入れられない運命と受け入れてしまうという運命、そのどちらも採用したくない時に人は第三極の存在を常に願うものであるということの表現が特に秀逸。

  • 読み終えた瞬間、「このようなことは実際に起こりうるのではないか、あるいはすでに起こりつつあるのでは?」という恐怖に包まれた。
    思考を監視されていないと、一体どうして言えようか?自由な発言が透明度を保ったまま伝わっているだろうか?
    インターネットでもテレビでも、たまたま見つけた誰かの言葉を取り上げて騒いでは次の日にはすでにほとんどすっかり忘れていたり、衝撃的な情報が共有された次の瞬間にデマだと判明するような世界の「記録」が改変されていないとどうして言えるだろう?

    背骨に氷を流し込まれたような、悪夢の果てにようやく目が覚めたときのようだった。
    これから何度でも読み直すだろう

  • 古い訳で読んだとき、さっぱり分からなくて最後まで読めなかった。
    ジョージ・オーウェルのこの作品は、「多くの人が話題にはするけど、実は、誰も読んでいない」と言われているらしい。なるほど。

    その後、新しい訳が出ているのを見つけたので、去年、2012年に突然また読んでみたくなり、図書館で新しい訳を予約して取り寄せてみた。新しい訳のほうが字も大きくて見やすかった。
    さらにマンガ版も取り寄せて借りて、じっくり読んでみた。ネットの解説も併せて読んだ。
    ネット上に、無料の全訳が載ってて、それも参照した。
    そこまでしてでも、読破する価値のある本だ。

    読み終わってみれば、そんなに複雑なストーリーではなかった。
    ただ、1972年の訳だと、文字が小さいし、表現が古くて、読みにくかっただけだったのかも。

    オーウェルが想像したのは悪夢のような近未来だけど、現実に起こった出来事は、それ以上にひどかった。
    スターリンや、文化大革命や、北朝鮮や、アメリカのイラク侵略戦争・・・。

    アメリカ合衆国を中心に構築された軍事目的の通信傍受システムのエシュロン、スノーデンが暴露したNSAの実態、グーグルやフェイスブックやアマゾン、安倍バカボンボンと公明党が強行した特定秘密保護法、Nシステム、コンビニや街角やマンションやあらゆる場所に設置された監視カメラ、国民総背番号制・・・・。

    1984年よりも現在の方が、ビッグ・ブラザーは遥かに巨大化している。
    生まれてから死ぬまで、24時間、いつでもどこでも

    ビッグブラザーは君を監視している。

  • 最近、世の中を「ジョージ・オーウェルの 1984 に描かれたような」と評する言質を耳にすることが多いのだが、当の 1984 (Nineteen Eighty-Four)を読んだことがなかったので、読んでみた。そこに描かれるのは、「寡頭制集産主義」と呼ばれる恐怖と憎悪と基礎にした階級社会である。

    この殺伐としたストーリーには陰々滅々とさせられるが、「附録 ニュースピークの諸原理」を前向きに捕えたトマス・ピンチョンの解説で多少は救われる。またピンチョンは「批評家連中が面白がってやる、おそらく一分かそこらのちょっとした気晴らしにしかならないゲーム」と自嘲しながらも、やはり現代において全体主義、精神の腐敗、権力中毒が着実に進行している(つまり、「ジョージ・オーウェルの 1984に描かれたような」という形容が当たっている)ことを指摘する。たとえば、Internet もピンチョンによれば(あるいは Nicholas Carr によれば)「奇妙な髭を蓄えた前世紀の古風な圧制者が夢見るほかなかった大規模な社会コントロールを約束」するものだ。Google が「党中枢」になることを決意した場合、我々はプロールにならざるを得ないのであろうか。

  • 村上春樹の1Q84のタイトルの元ネタ本だな~という認識で
    読み始めた本。

    人間と社会に対する、徹底した冷徹な視点に背筋が寒くなりました。

    拷問と再教育を受ける主人公が、既に物質への支配は完全である
    という党幹部のオブライエンに反駁すると、オブライエンは言う
    「われわれは精神を支配しているから、物質を支配しているのだ。
    現実は頭蓋の内部にある。君も徐々に分かってくるだろう、ウィンストン。
    われわれに出来ないことは何一つない。不可視にだってなれるし、
    空中遊泳も出来る・・・われわれが自然界の法則を作っているのだ」
    徹底的に思考と精神を支配、管理することによる権力の維持。

    50年以上前に構想された思考管理の方法は、徹底した監視と拷問、洗脳による再教育ですが、現代ではどうでしょうか。
    心理学的な分析に基づくマーケティング、意図的に作出された貧困、
    合法的に追いつめられた精神と、1つしかないと思わせられた将来
    などなど。方法は違えど、同様のことは様々に行われているようです。

  • ようやく読み終えたが、苦しかった…。とにかく絶望しかなく、読んでいて楽しい本ではない。1944年ごろイギリスの作家ジョージ・オーウェルによって書かれた、ディストピア小説である。舞台は当然1984年で、実際に1984年にはイギリスで本書がベストセラーになったという。オーウェルの本を読むのは「動物農場」に続いて2作目。
    「党」で働く主人公は、記録を党に都合よく書き換えるのが仕事である。党に働く人たちは行動を常に監視されていて、思想はとことんコントロールされていく。現実は人の記憶の中にのみ存在するという考え方から、人々の思想だけでなく、記憶までも変えていく。反対勢力は、これでもかと拷問にかけられ、うその証言をするよう導かれていくうちに、実際にそう考えるようになっていく。読みながら、お隣の某国を思い浮かべたが、どうやら当初は違う国がイメージされていたようだ。現在でも違う形態で同じような思想統制は行われている。
    よく筋が通っていて分かりやすく説明されているのにもかかわらず、内容は難しい。戦争終結直前の時代は、戦勝国ですらここまで暗い世の中だったのか?
    解説もすばらしく、消化不良の箇所が理解しやすくなる。

  • 身悶えするほどのバッドエンド。
    オブライエンの圧倒的強者感と、彼の前ではどうしようもないという絶望感に、ラスト100ページはひたすら打ちひしがれた。
    小説の皮をかぶった作者の強烈なメッセージを感じ、20世紀世界文学の最高傑作と言われるのも納得。
    後味悪めなのに、どこかスッキリと物語が終わっている。救いはないのに丸く収まってる気がする。二重思考ですかね、これは。
    とにもかくにも、いずれもう一度読んでおきたいし、その時の自分の受け止め方がどうであるか、今から楽しみだ。

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著者プロフィール

1903-50 インド・ベンガル生まれ。インド高等文官である父は、アヘンの栽培と販売に従事していた。1歳のときにイギリスに帰国。18歳で今度はビルマに渡る。37年、スペイン内戦に義勇兵として参加。その体験を基に『カタロニア讃歌』を記す。45年『動物農場』を発表。その後、全体主義的ディストピアの世界を描いた『1984年』の執筆に取り掛かる。50年、ロンドンにて死去。

「2018年 『アニマル・ファーム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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一九八四年 (ハヤカワepi文庫) Kindle版 一九八四年 (ハヤカワepi文庫) ジョージ・オーウェル
一九八四年〔新訳版〕 Audible版 一九八四年〔新訳版〕 ジョージ・オーウェル
1984 (Japanese Edition) by George Orwell(2009-07-05) ペーパーバック 1984 (Japanese Edition) by George Orwell(2009-07-05) ジョージ・オーウェル

ジョージ・オーウェルの作品

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