ザ・ロード (ハヤカワepi文庫)

  • 早川書房
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本棚登録 : 856
レビュー : 102
  • Amazon.co.jp ・本 (351ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200601

作品紹介・あらすじ

空には暗雲がたれこめ、気温は下がりつづける。目前には、植物も死に絶え、降り積もる灰に覆われて廃墟と化した世界。そのなかを父と子は、南への道をたどる。掠奪や殺人をためらわない人間たちの手から逃れ、わずかに残った食物を探し、お互いのみを生きるよすがとして-。世界は本当に終わってしまったのか?現代文学の巨匠が、荒れ果てた大陸を漂流する父子の旅路を描きあげた渾身の長篇。ピュリッツァー賞受賞作。

感想・レビュー・書評

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  • 2007年ピュリッツァー賞受賞作。とりわけ作者コーマック・マッカーシーの想いが強い作品だと感じる。

    近未来のアメリカ、おそらく核戦争が勃発して世界は壊滅し、この星は厚い雲に覆われ灰が降る。わずかに生き残った人間は飢えに苦しみ、あたりは茫漠とした終末世界が広がっている。そのなかですこしでも生き延びるため、男は幼い息子とともに旅にでる。

    複雑なプロットはなく、ほぼ時系列的に物語は進む。主だった登場人物は初めから終わりまで父と息子。どうかすると冗漫になってしまうところを起伏に富むサバイバルストーリーに仕上げている。とにかく最後まで飽きさせないのはさすがだ。

    ふと日本の古い時代劇を思い浮かべる。『子連れ狼』というドラマを再放送で見て衝撃をうけた。落ちぶれた凄腕の浪人(武士)が、なんとぼろぼろの乳母車(ベビーカーなんてものではない)に幼い息子をのせて流浪の旅をするのだ……本作はそのアメリカ版かな(笑)。

    男はおそらく30代、そして5~6歳くらいの彼の息子。この二人の会話がすこぶる愛らしい。思わずクスッと笑ってしまう場面がいくつもある。

    「少年は立ちあがり、ほうきを手にとって肩にかついだ。それから父親を見た。ぼくたちの長期目標ってなに?
    え?
    ぼくたちの長期目標。
    そんな言葉どこで聞いたんだ?
    わかんない。
    どこでなんだ?
    パパがいったんだよ。
    いつ?
    ずうっと前」

    ***

    「彼は服を着て少年と二人で戦利品の残りを持って砂浜を歩きだした。その人たちはどこへ行っちゃったんだと思う、パパ?
    船に乗っていた人たちかい?
    うん。
    さあな。
    死んだんだと思う?
    わからない。
    でも状況は彼らに不利だよね。
    彼はふっと笑った。状況は彼らに不利だって?
    うん。そうでしょ?
    ああ。そうだな」

    あどけない少年の口から飛びだす大人びた言葉。それに呆れたり、たじたじになる、でもそんな彼はとても頼りになるパパだ。
    洞察力にすぐれ、状況を適切、柔軟に判断し、誰も目もくれない残骸物を臨機応変に修理し、改良を加えて再利用する。その生きる知恵はひどく鮮やかで、読みながら思わずほぉぉ~と唸ってしまう。ほんとうに賢くて頭がいいというのは、こういうことなんだよね~と常々思っているのだが、自分にはとてもかなわないから憧れたりする。
    無人島で生きる手立てを講じていくロビンソン・クルーソーのようにわくわくとし、『レ・ミゼラブル』の盗人ジャン・バルジャンが幼い娘を連れて破天荒な逃避行をするようにはらはらする。
    もちろん、これらの物語の時も場所も経緯もまるで違う。でも過酷で悲惨でどうにもならない泥沼にはまっている、それものっぴきならないほど。それでも生きる、それを諦めない、自ら思考し、想像する。そして彼らはみないたって素朴である。卑小な己の存在をじっとみつめ、人間の営みや運命を超越している大いなるものに謙虚だ。

    とはいえ地獄のような闇の世界に生き残った憐れでミゼラブルな父子、読みながら胸はしくしく痛み、しまいに喉まで渇いてくる。唯一の希望となるのは純粋で無垢な少年の存在だ。前作『血と暴力の国』から引き継がれるように、ここでも「火を運ぶ――carry the fire」という意味深長なキーワードがでてくる。
    はたして「火」とはなに? それを「運ぶ」とはどういうこと? それらを探す楽しみがこの作品にはいっぱい詰まっている。

    つかのまの物語の世界にも死の灰がじわじわ降りつもるように、とどまることのない暴力や紛争、貧困、自然の破壊や汚辱にまみれた現実世界に想いをはせれば、まだ幼いわが子を残していずれ去っていくのであろう作者マッカーシーの底なしの悲嘆や言いようのない寂寥感が伝わってくるようだ。
    ギリシャ悲劇さながらそれらの鬱積をカタルシスへと昇華していくなかで、ほのかな光が交錯しているのはかなりホッとする。あどけないその少年は、まるで幼いイエスのような光を放つ存在に見えてくる、なんとも不思議で神秘的な小説だ。きっと読む人によってさまざま感じることのできる懐の深い作品だと感じる。

    いつもながら黒原氏の翻訳もみごと。そして新たな視点を提供してくれる彼の解説は、つねに明快で驚きにあふれている。(2020.10.5)

    ***

    「処分のしかたを遺言されないまま残され冷たくなってなお執拗に公転を続ける地球。情け容赦のない闇。太陽の盲目の犬たちが掛けまわる。宇宙の壊滅的な黒い真空部分。その中のとある場所で穴に逃げこんだ狐のように追いつめられ震えている二匹の動物。つかのま猶予された時間とつかのま猶予された世界とそれを悲しむつかのま猶予された眼」

  • 核戦争か環境破壊のような天変地異が起こり、文明が崩壊した終末世界を描いた作品。

    主人公の父親と少年は、冬を越すために南へ向かう。わずかな食料と生活用具を乗せたショッピングカートと残り2発の弾丸が入ったリボルバーだけが父子を守る唯一の所持品。

    父子は廃墟になった家屋から食べられそうな物を物色し、彼らと同じように生き残った者達から身を隠す。彼らに捕まれば、殺されて食われるか。
    運が良ければ逃げ切れるかもしれない。

    父子は何度も餓死しそうになりながらも南へ向かう。しかし、父は病を患い、長くは生きられないだろう。その時が来たら少年には手順を伝えてある。拳銃を口に咥え、思いっきり引き金を引くのだと。

    動植物のほとんどは死に絶え、地上には緑はなく、灰が降り積もる色の死んだ土地が続くばかり。川は涸れ、黒く変色した液体がわずかに流れる。

    わずかに残った人間は、お互いの所持品を奪い合い、負けた者は殺されその場で食べられるか、奴隷にされ、生きる食料となる。

    父子は、自らを『火を運ぶ、善き者』と自認し、相手の所持品は奪っても、決して殺して人肉は食べない。しかし、父の命はまさに尽きようとしている。

    まさに『マッドマックス2』や『北斗の拳』を地で行く小説である。いや、さらに悪い状況かも知れない。これほど酷い状況で生きる人間達を描いた小説は読んだことがなかった。

    それでも父子は希望を捨てず、最後まで生きようとする。
    自分ならば、ここまでできただろうか、たぶん一人では無理だろう。守るべき家族がいたからこそ、ここまでできるのだ。

    ただ、このような世界で生きたいとは思わないし、このような世界に決してこの世界をしてはいけないのだと改めて思う。

    この小説はあらゆる人に、特に世界のリーダー達に是非読んでもらいたい。自分の子供や孫にこのような経験をさせたくないのならば。

    それにしても、目を覆うようなあまりにも酷い状況を美しい文体で表現するこの文章。さすがアメリカ現代文学の巨匠が、世界の終わりを放浪する父子の姿を描きあげた長篇。ピュリッツァー賞受賞作である。

  • 荒廃した世界を、南へと歩む父と子。

    満足な食料も、安心して眠る場所もない中で、父は生きることを諦めようとはしなかった。

    力ある者が女や奴隷を引き連れ行進する様、身体の不自由な老人、丸焦げになった赤ん坊など、終末期の世界にかろうじて生きるって、こういうことなのかな、と衝撃を感じた。

    ふと、『少女終末旅行』という漫画を思い出した。
    その作品も、チトとユーリという二人の少女が、ほとんど人気のない、文明の終わってしまった世界をひたすら「旅する」話だ。

    うーん、旅ってなんなんだろう。

    私の中で旅は、自分の家を出て、自分の家に戻ってくることがベースにある。
    でも、この二つの作品に自分の家や故郷というものは、もしかすると概念さえ、ない。
    生きるために歩み、止まることは死を意味する。

    そんな極限状態でいて、食べ物が見つかったり、お風呂に入れることに、この上なく喜びを感じる。
    やむなく人を見捨てたり、命を奪うしかないという選択肢の少なさに、憤り、やるせなくなる。

    日々を咀嚼して、子は成長するのだった。

    決して希望のある終わりではないけれど、「火を運ぶ」という使命を帯びた時、人が生きるという質に変化が現れるのだな、と感動。
    ただ生きるのではなく、より善く生きること。
    旅のもつ意味に、そんな学びを見出した。

  • 男はまだ幼い少年をショッピングカートに乗せて灰に覆われた世界で南を目指し歩いた。少年が生まれる少し前に何らかの人災あるいは天災により世界は死に絶え、太陽は分厚いスモッグの向こうに姿を潜め木々は枯れ果て、生き残った人びとはお互いから奪い合い貪るほかなくなった。それでも父の語る〈善い者〉〈火を運ぶ者〉の物語を信じ、道で行きあう人びとに手を差し伸べようとする少年と、かつてあった世界の幻影に悩まされながら息子と共に〈明日〉に辿り着こうとする父の姿を描いたポストアポカリプスSF。


    翻訳もので文体の話をするのって原文を見たわけじゃないから気が引けるんだけど、この小説はまずこの文体抜きにして語れない。句点がほとんどなく、会話文はカギカッコなし。一文が何行にも渡ることもあるが、日本語として意味が取りづらいと感じる箇所はひとつもなかった。この訳は偉業だと思う。
    とにかくこの文体がすこぶるかっこいい。すぐに真似したくなる。ハードボイルド調の硬質な文体だが深層にはキリスト教神秘主義的世界観が息づいていて、闇のなかに微かな光を放って白く浮かびあがるバロック彫刻めいた美しさがある。凋落し腐乱したものが崩壊の一歩手前で奇跡的にまだ形をとどめているかのような頽廃的な美の表現は、文章自体が灰に覆われた世界のメタファーのようだ。アンナ・カヴァンの『氷』の世界を白黒反転したようなヴィジョン。物語終盤に描かれる被曝したような人びとの阿鼻叫喚図はロダンの「地獄の門」を連想させる。
    SFなのだが主としてキャンプ小説というかサバイバル小説でもあって、このお父さんは防水シートと毛布を使って雪用のブーツを作ったり、エンジンオイルとガソリンでランプを作ったりできる。家捜しや悪漢と行きあったときにも頼りになるし、捨て置かれた船から使える資源のサルベージもしてくれる。固く締まった瓶の蓋をドアに挟んで開ける方法は覚えておこうと思った、壁の塗装めっちゃ剥がれるらしいけど(笑)。
    それから、飢餓状態を散々描写されてからでてくる食べ物の美味しそうなこと。墓から掘り出されたかのように干からびて見えながら、切ってみるとなかに肉の豊かな風味を残していたハム。焚き火で温めた缶詰のポーク&ビーンズ、生のアミガサタケ(調べたら生食厳禁らしい)。そして白昼夢のような地下シェルターでの豪勢な食事。父がコーヒーミルで豆を挽く音で息子が目を覚ますところなど、それまでとの激しいギャップで泣き出しそうになる。
    技術を操り子に伝える父性といざとなれば子のために死をも恐れぬヒロイズムの結びつきは、本書にうっすらと危険な匂いを纏わせている。母親はこの世界で子どもを育てることに絶望し姿を消した、という設定にはじめは〈男の世界〉を書くため?と少し警戒したが、物語が進むにつれこの世界では真っ先に子どもと女が襲われ、あるいは武器を持った男に捨て置かれるのだということが描かれたので納得できた。男が女を蹂躙し尽くしたあとで、相対的に弱い男たちに矛先が向いた世界なのだ。秩序が崩壊したら男が女を狩り尽くすだろうというヴィジョンにはリアリティがある。単なるマチズモではない。
    一方でこの父親のヒロイズムは息子を神格化することで成り立っている。それがまたもうひとつの危うさなのだが、彼が自死も掠奪も選ばなかったのは子がいたからなのは事実だ。はじめは純粋に庇護対象だった息子に「善き者であれ」と諭され、少しずつ親子の立場が反転していく。何もない世界でも子は育ち、父が教えていないはずの言葉を話し出す。だんだんと父を包む死の影が濃くなると、「いろんな心配をしなくちゃいけないのはお前じゃないからな」「ぼくだよ、それはぼくなんだよ」という印象深い言葉が交わされる。灰色の世界に生まれ落ち、父亡き後もここで生き続けなければならない子どものどうしようもない不安。父が子を守ろうとするのと同じかそれ以上の気持ちで、子が父の死を思い案じていたことに気がつく。そして父の力強さと対比になるような彼の優しさが、ずっと父を守ってきたことも。
    父の死後、子は知らない神の代わりに父に祈る。私はここに至ってやっとこの物語が徹頭徹尾宗教の話をしていたことに思いあたった。元々ポストアポカリプスSFは世界の存在意義と倫理を問い直すものであるために宗教色が強くなりやすいと思うが、『ザ・ロード』はおそらく世界崩壊前から宗教的に暮らしていた人間が、神を信じられなくなった世界で息子をキリストのように崇めながらなんとか再び信仰へコミットしようと巡礼する物語を意図的に書いている。解説で66歳のときに生まれた息子との体験から書き出されたことを知ると、父と子で完結する信仰の描き方は少しナルシスティックにも思えるけれど、読んでいるあいだはとにかく夢中で文章にのめりこんでしまう、終末SFの傑作だった。

    余談。私がこの小説を知ったのは東山彰良が『ブラックライダー』のインスパイア元として挙げていたからなんだけど、本書を読むと悪い意味じゃなく『ブラックライダー』は二次創作だったんだなと腑に落ちた。『ザ・ロード』では描かれない人肉を食べる側の視点、そして少年が辿り着くカルト教団側の視点に想像力を注いで書いたのだと思う。文体はウェットな『ブラックライダー』より、ルポルタージュ設定でドライな印象の『罪の終わり』のほうが近いかな。
    アメリカの未来絵図という意味ではジョン・クロウリーの『エンジン・サマー』も思い出す。そういえば本書にかち割った自販機からコカコーラを取り出して飲むシーンがあるけど、『エンジン・サマー』にもたしかゴミの山でコーラ缶を見つけるシーンがあったような。『ブラックライダー』では人名になってるし。アメリカにとってのコカコーラって何なんだろう。

  • "本の雑誌40年の40冊”から。これは素晴らしい。のっけからただひたすら、淡々と父子2人の道中が描かれているだけだし、会話分も全部地続きだし、舞台も荒涼たる新世界だし、ともすれば地味なだけに陥ってしまうかもしれないところ。そこを表現の緻密さとかで緊張感に変換して、かつそれを終始維持することに成功している。漫画や映画と親和性の高い世界観だから、殺伐としているとはいえ、自分の中で映像化しやすいのかも。特に後半とか、結末が気になって仕方なく、途中で止められませんでした。コーマックの他作品たちにも是非触れてみたいです。

  • 核戦争か何かでの文明崩壊後、分厚い雲に覆われた世界は寒冷化が進行して冬を越せそうにない。
    父親と息子は生きるために、ひたすら南を目指す。

    道中では人間性を失った人工物の数々、奪い合うために殺し合った痕跡、酷いものばかりしか目に映らない。

    「私たちは善い人だ」
    そう諭して、息子が目にしたことのない世界の話をして、先へと進む。


    "私たちは火を運んでいる"という比喩が度々使われる。
    火とはは何かの解釈が解説でも検証されているが、俺はそれを"人間性"だと考える。

    幼い子供は世界を知らない。ゆえに純真無垢な存在だ。しかし、物語の世界では稀有な存在だ。
    人間性を無くした悪ばかりの世界で、善たる子供は人間性という火を運ぶ。
    フッと息を吹きかければ簡単に消えてしまうそれを、喪うことのないよう父親は息子に託す。

    果たして父親は善なのか。息子を守るために他人が死につながる行動をすることもある。
    父親が火を灯し続けていられたのは、息子に自らの火を移すため。
    なれば、ラストシーンで父親はやりきったことになる。

    ひたすらに陰鬱な描写が連続し、ひたすら二人が歩き続けるだけの小説だ。
    緻密に嫌になるほどに文明崩壊後の世界を細かく書くことで、人間性とは何かを問いかける。

  • 素晴らしい小説
    父と子の物語、sfの皮を被っていますが継承の物語、人生の物語だと感じました
    読みにくいですが読んで良かったと思える小説

  • マッカーシーのピュリッツアー賞受賞作。終末の地球を歩く父と子の姿を、悲しみに満ちているが乾いた筆致で描いた。人類は自ら招いた恐怖と絶望を超えられるのかと、少年を通して語りかける。感動作。
    父親と少年が、何もかも燃え尽きた地表を南に向かって歩いている。

    理由は 訳者あとがきから
       舞台はおそらく近未来のアメリカで、核戦争かなにかが原因で世界は破滅している。空は常に分厚い雲に覆われ、太陽は姿を現さず、どんどん寒くなっていく、地表には灰が積もり植物は枯死死、動物の姿を見ることはほとんどない。生き残った人々は飢え、無政府状態の中で凄惨な戦いを続けている。そんな死に満ちた暗澹たる終末世界を、父親と幼い息子がショッピングカートに荷物を積んで旅をしていく。寒冷化がいよいよ進み次の冬が越せそうにないため、暖かい南をめざしているのだ。
    これで状況が十分説明されている。こうなった原因は語られず、現状の荒みきった地球、わずかに生き残った人たちも既に人でなくなっている世界。
    分厚い灰が積もりその細かい塵が空に舞い上がり上空で雲になり雨を降らせる。日が差さず空が白んできたことで朝かもしれないと思う。
    飢えた一握りの生き残りがお互いを食う。柔らかい人の肉をむさぼる。通り過ぎた後には略奪と破壊と死だけが残されている。

    父親と少年は、持ち出した食料が尽きてくると、焼け残った家や小屋をあさる。少年は常に父に付き添い話しかける。
    その声はこの世の、地球の生命が尽きようとしている中で、唯一人間らしい響きを残している。だが父親は少年の魂から出る声に従うことが出来ない。少年を死なせないためには、人らしい生き方など捨てなくてはならない。タダ生き伸びるために死力を尽くしている。

    生き続けるためには、敵は殺さなくてはならない、銃はそのために離さない。弾が尽きるまで。
    厳寒のなか海に浮かぶ廃船にも泳いでいく、厨房に何か残ってないだろうか。
    父親は、火を炊かねばならない、そうしないと少年が凍える。
    少年はいつも火を(と共にあり)運んでいる、善き人であろうとしている。
    父は肺臓をやられ血を吐いている。死んでも息子を守らなくてはならない。

    こうして、穢れのない少年の言葉が、汚れきり腐った道程に火を灯し、それに読者は同行する。
    変化のない枯れた木立と燃え尽きたかっての家の残骸、焼死し打ち捨てられた人々を越えて、日々ただ暖かいだろう南に進んで歩き続ける。
    食べられそうなものならどんなものでも食べ、泥水を漉してのみ、流れている黒い水の中に入って体を洗う、そんな光景に付き添う。
    話の終わりまで変化のない道筋を、憑かれたように読んでしまう。
    小さな出来事におびえ、拾ったり見つけてきたボロ毛布を体に巻きつけ、やっと南の海に来た。そこは黒く汚れた波が打ち寄せていたやはり死んだ海だった。

     このまま長く生きていると世界はいずれ完全に失われてしまうだろうと思った。盲いたばかりの人の世界が徐々に死んでいくように全てがゆっくりと記憶から消えていくだろうと。
    旅の途中で父親が思った、そんな風景の未来が見えた。
    父は命がつきそうだった。
     
    パパと一緒にいたいよ。
    それは無理だ。
    お願いだから。
    駄目だ。お前は火を運ばなくちゃいけない。
    どうやったらいいかわからないよ。
    いやわかるはずだ。
    ほんとにあるの?その火って?
    あるんだ。
    何処にあるの?どこにあるのかぼく知らないよ。
    いや知ってる。それはお前の中にある。前からずっとあった。パパには見える。
    ぼくも一緒に連れてってよ。それはできない。

    お前が話しかけてくれたらパパも話しかける。
    ぼくに聞こえるの。
    ああ聞こえる。話をしているところを思い浮かべながら話すんだそうすれば聞こえる。練習しなくちゃいけないぞ。諦めちゃいけない。わかったかい?
    わかった。

    迷子になっても見つけてくれる、善意が見つけてくれるんだ。パパは言った。

    少年は生き残りの人が近づいてくるのを見た。

  •  大きな何か(核平気だろうか…)が起きて世界が滅んでいる世界で、父と子が生きようと足掻く話。動物も植物も殆ど死に絶えており、残った食べ物などを奪い合ったのであろう、人は互いに殺し合っている。善だ神だなんて言っている場合ではなく、なかには人肉食も行われているケースもあるのだとか。
     父はそんな世界において、自分の子どもに善を説く。子どもは世界が滅んだ後(ほぼ同時のようだ)に産み落とされ、善がまだしも意味を成していた頃のことは知らない。あくまで父から教え諭されたことにより、読者にとって違和感のない「常識」を持っていることになる。弱っている人がいたら助けてあげようとか、そういうこと。
     ただし、それだけでは滅びた世界を生きていけないことも同時に知っている。子は、理想と現実の狭間で苦しむことになるのだ。もちろん、世界が滅びる前……この世界だって、理想と現実という対立は存在するのだが、それが非常に顕著な物語だといえる。

     終末と家族というテーマでいうと、多和田葉子『献灯使』を思い出す。3.11を強く意識させる終末世界で、親や祖父世代が子どもに対しての懺悔の気持ちを強く抱いている世界。何か教訓を掬うとすれば、次の世代への責任からあまりにも目を背けてしまった人類への警鐘だろうか。そんな小説だった。

     本作では、作者の国がキリスト教圏であることが関係しているのか知らないが、善の気持ちを受け継がせようと奮闘している父の姿が印象的だ。理由の一つとして、息子を健全に育てるという父の義務を己に課すことで、全てを諦めてしまいたい願望から自分を引きはがしているのだと思う。
     しかし、善もへったくれもなくなってしまった世界において、子をこうやって育てることに本当に意味はあるのだろうかと、不安になる。生存を第一に考えなければいけない世界で、子の善意は見方によっては邪魔になる。善く生きることを志向して、善意に殺されることもあるだろう。効果的な人の殺し方でも教えておいた方が、生存率は高まるのではないか。もちろん、そうした人の心とでも美称されるような心を失うなら死んだも同然だ、という考えも分からないではないが。

     だから、この小説を親子の愛の物語といった切り口では読めなかった。火を運ぶという比喩・名前の示されない父子といった独特の設定からは、物語をパーソナルなものに完結させない、人類の生きる道を描き上げようという意思があるのかなと思った。


     なお、メチャクチャ読みにくかった。翻訳が悪いのか原文が悪いのか知らないが、この手の文体の本は二度と読みたくない。

  • 文明社会が何らかの原因(核戦争?天変地異?)で破壊され、焼き尽くされた後の荒廃した世界。名も無い父子が南へと旅をする。読み取れる情報は断片的で、なぜこうなったのか、どうして旅をしているのか、それを読者が想像する事でより一層この世界の異様さが浮かび上がってくる。希望の見えない父子の旅、失望、絶望を覚えながらも生きるために歩みを進める。なんとか生き延びる。一体何のために?生き延びて何になるのか。そんな中で少年の痛いまでの純真さ。父親は自分の死を悟って、どんな気持ちで息子を見ていたのだろう。ひたすらに暗く、切ない。

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