わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)

  • 早川書房
3.69
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本棚登録 : 367
レビュー : 33
  • Amazon.co.jp ・本 (444ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200670

作品紹介・あらすじ

細密画師の惨殺事件につづき、第二の殺人が起きる。いまだ捕えられていない犯人の動機は、すべてあの装飾写本にあるのだと囁かれる。皇帝の命令により、カラは犯人を探すことになった。だが、一連の事件は、恋仲となった従妹シェキュレとの新生活にも暗い影を落とす-個性豊かな語り手たちの言葉から立ち上る、豊穣な細密画の宇宙。東西の文化の相克と融和を描き出し、世界が激賞した第一級のエンターテインメント大作。

感想・レビュー・書評

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  • イスラムと西欧の対立を、イスラム伝統の細密絵画の世界を舞台に、美的観念や様式、技巧の対立という側面から描いた本作。

    繁栄に陰りがみえる1591年のオスマン帝国の首都イスタンブール。
    冬の寒い夜、高名な宮廷細密画家の1人「優美」が何者かに殺害されます。
    異国から帰国したばかりのカラは、彼の叔父が皇帝の密命を受けて製作を指揮する装飾写本の中の細密画のせいで優美が殺されたと思しきことから、叔父の命令を受けて事件の真相を探る役目を追うことになりますが…。

    偶像崇拝を禁止するイスラムの特性を基盤に、東のペルシアや中国の様式を取り入れながら、定まった厳格なルールの下、古の物語や行事を記す書物を飾るための「挿絵」として描かれ、画家個人の様式や技巧、描かれる人物や事物の写実性を認めてこなかった細密画。
    それは、西欧において確立された、写実性や遠近法、画家たち個人個人が生み出す技巧や様式を駆使して描かれる、物語を持たない肖像画とは相容れないものでした。
    イスラムにとって、西欧の絵画様式は、神が創り、眺める世界をそのまま写し取る冒涜と思われていたのです。

    しかし、信仰的、政治的、軍事的に長年の敵であるはずの西欧の様式に興味を抱いた皇帝や、その命を受けて動き、自身も西洋の様式に狂おしく魅せられているカラの叔父は、神の禁忌を犯すのを恐れながらも、西洋の様式を取り入れた装飾写本を製作しようとし、その全貌を明らかにしないまま、高名な細密画家たちに仕事をさせていたのです。
    そして、優美殺しの犯人が見つからないまま、第二の殺人が起こり…。

    物語は、カラ、おじ上、細密画家たち、カラの想い人であるシェキュレやその息子、優美の屍、はたまた、紙に描かれた犬や木、色彩の「赤」などの人外に至るまで、何度も何度もめまぐるしく一人称の語り手を変えながら、展開していきます。
    それはまるで、一つの視点を定めるからこそ生まれる遠近法を最後まで許さなかった細密画の特性を文体化しようと試みた、トルコ人でイスラム教徒でもある作者の、自国の伝統文化への敬意や一種の西欧文化への挑戦のようでもあります。

    物語の最後、殺人事件の犯人が明らかとなりますが、その結末は、オスマントルコの健闘空しく、絵画様式だけでなく、政治的・軍事的にも、イスラム文明と西欧文明の均衡が破れ、西欧化の波にのまれれてゆく未来の歴史を暗示するかのようで、どことなく物悲しい気持ちになりました。

    余談ですが、作者のパムク氏は、谷崎潤一郎のファンだとか。一度は西欧に傾倒しながらもやがては失望し、自国の文化や古典に耽溺した姿にシンパシーを感じているのだそう。確かに、どちらの作品も、自国文化への強い愛や誇りを感じる点では、共通点がありますね。

  • 上巻での犯人探しやカラとシェキュレのラブストーリーは下巻になると傍流に、細密画の世界にどっぷり漬かされた。それはもう息が詰まるほど。私が絵を鑑賞する時は空間的な奥行きや立体感、画家の個性に目を奪われる。ところがそれらを一切否定するのが細密画の奥義で、その根底にはイスラムの教えがある。純粋に守り通そうとする絵師と、西洋の様式と交じり合い新境地を開こうとする者との狂気に至る葛藤。赤い鮮血が迸り、嘆きの叫び声が聞こえくる。今は失われた芸術へのレクイエム、悲しみの残響だ。東と西の接地点トルコにしか語りえない物語。

  • 上巻から、「わりとのんびり話が進むなあートルコ人のペースなのかなー」と思っていたら、最後の200ページは怒涛の展開だった。たくさんの人が長い間心血を注いできたものが崩壊していく様はなんとも胸が痛い。彼らのように、仕事と自分と人間関係と宗教が固く結びついていたら、立ち直りようがない気がする。

    後半はシェキュレやエステルが遠景に引いて、工房の男たちの愛憎ドラマが展開するんだけど、まぁー熱い熱い。男同士がアリな世界で二十年以上かけて育てた濃ゆい思いがばっしばしに叩きつけられるのを、口を開けて見てるしかなかった。なんだろう、大家族の因縁話と運動部の引退イベントをまぜこぜにしたような、暑苦しくて、でも否応なく心揺さぶられる物語だった。

    最後にはその後のカラとシェキュレの話がそっと添えられていて、ようやく気持ちを落ち着けて本を閉じることができた。カラって最後まで幸薄いやつだったのね。初恋の人と結ばれたのに。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「でも否応なく心揺さぶられる物語だった」
      色々と考えさせられながら、楽しませて貰いました。もう一度読めば、 オルハン・パムクが言いたかったコ...
      「でも否応なく心揺さぶられる物語だった」
      色々と考えさせられながら、楽しませて貰いました。もう一度読めば、 オルハン・パムクが言いたかったコトがもう少し見えるかも知れない。
      そうしたら、なつめさんのレビューのように、上手く書けるかな?
      2012/09/18
  • 難解な部分が多かったが、続きが気になってページをめくる手を止められなかった。苦手な描写(グロい系)がけっこう出てくるのはきつかった。

    この話いるのか?っていう歴史や文学の話や、細密画に関する議論が延々と繰り返されるが、それが最後につながっていく。

    訳者あとがきでは、予備知識がなくても楽しめるとは書いてあるしその通りなんだけれど、イスラム文化圏の知識があったらもっと楽しめるんだろうなという内容なので、解説付きで特集を組んで説明してほしい。

  • 上巻の「赤」が恍惚として扇情的で、色鮮やかな原色の「赤」だったとしたら、下巻の「赤」は暗く、深く、いくつもの色が混ざり合った「赤」なのだろう。
    幾つもの血が流され、混じり合い、赤は濃さを増していく。トルコという地で東と西が混ざり合い、16世紀という時代に旧い様式と新しい手法が交わり合ったみたいに。

    『お前はどうして純粋であろうとする? わたしたちのようにここに留まれ。そして交わり合うんだ』
    一つの文化が失われていく瞬間が、一人の絵師の死という形で語られているように思った。その絵師に掛けられるこの言葉は、混じり合う文化の中で失われてしまった「細密画」そのものへの哀惜と追悼の辞に思える。

    今度の休みには美術館に行ってみようかな。
    近くに細密画が見られるような所があればいいんだけど。

  • 2012/6/12、記す。
    孤高にか媚びつつか、また無常にも滅びたにせよ、細密画が偉大な芸術様式であったことは分かりました。絵画の盲目性(=選ばれた者に神が与える「聖痕」)に関する展開も相変わらず興味深かったし(ベートーヴェンが聴覚を失いながら傑作を書いたのを思い出します)、調べるほどにイスラームへの理解が深まるきっかけにもなってくれます。イスラームが固執したパースペクティヴ(遠近法)とキアロスクーロ(陰影法)に対する批判と拒絶がそのまま近代的な個人中心主義批判になっている点、個人的にはレヴィナスの哲学と連想させてしまい、それも興味深かったです。

    ですが結局、赤の色が象徴するものは何だったのか?明言されずに疑問は残ります。蓮實重彦によれば、赤という色は多くの言語哲学者や文学理論家たちが理論化しようとしたが失敗し、聡明すぎたラカンが意味を見出した途端に彼の理論そのものが破綻しちゃった…、らしいんですけれども(『フィクション論序説』より)。とすれば、パムクに何らかの説明を求める方が酷なのでしょうか。

    夢中になって読み始めたものの中盤以降は冗長な嫌いがありましたし、私はいまはまだ人類学的なバックグラウンドまで読み取ることができずにおりますので、イスラーム関連の文化・歴史資料としての目的以外でしばらくは再読しないか、と思います。

    あ、あとちなみに私の犯人推理はハズレでした(笑)。

    2013/2/6、記す。
    「しばらく再読はない」、との読了直後の予測を裏切り、再三にわたって参照。
    本書によって示唆される人類学的ポイントで、アイデンティティの謎を除く最大のものは恐らく兄弟殺しでしょう。
    フロイトが諸文学から父殺しを取り上げて西洋特有のものに確立したのに対し、名人同士で殺し合う本作の下敷きは、兄弟殺し。ペルシャの『ユースフとズライハー』なども引用されていますしね。
    できればもっと踏み込んだレビューにしたいところですが、これをより精緻な言葉で説明するだけの技倆は、残念ながら今の私にはありません。

  • イスラム教では偶像崇拝が禁止されている。そしてそれが徹底しているが故に絵画芸術の発展が非常に限定的になってしまった。
    神を現した像も、絵もその制作は許されない。絵に描けるものは神の眼で見られたものだけに限られる。このため、描かれるものは、先人が描いたものの範囲を超えることはなく、絵を描く者はひたすら模倣し続けるしかない…

    そうした中でも細密画というものは発展し、名人と呼ばれる芸術家を輩出もする。

    しかし、西洋絵画の発展が、細密画を追い詰めていく。
    作品を芸術家そのもののものとすること、すなわち署名。そして、遠近法。
    細密画は神の眼を通したものであり、細密画師個々人の手によるものの、無名(アノニマス)なものにしかなりえない。

    この小説は16世紀のイスタンブールの王室の細密画工房を舞台としたもの。
    一人の細密画師が殺され、やがて、第2の殺人が、その背景には、描かれてはいけない絵が絡んでいるという…
    章ごとに語り手が変わり、登場人物以外にも時に死者が、絵に描かれた者や物が話を進めていくという手法は結構斬新。この時代のイスタンブールが彷彿される情景描写も素晴らしい。何といっても小説としてかなり面白く、読ませる本。
    日本ではほとんど知ることの無い細密画の歴史にも触れることができるという点も興味深かった。お勧めできる本。

    作者のオルハン・パムクはノーベル文学賞を受賞した人。訳者の宮下遼氏は仏文学者宮下志朗氏のご子息。宮下司朗氏は「本の都市リヨン」を書いた人で、この本も面白かった。

  • 面白くないわけではないが、努力のいる本だった。
    ある程度、イスラーム法学派などの知識がないと、かなり読みにくいのではないだろうか。

  • 上巻に記載。

  • 訳者あとがきを見ると、この小説は、「東洋絵画と西洋絵画の相克に対峙した芸術家たちの葛藤というスリリングなテーマ」で書かれているようだ。
    それに歴史小説、推理小説としての娯楽性や神秘性が混ざりあい、イスラムの細密画といういまは失われた美麗な世界を通して、滅びゆく東方の文化世界が絢爛豪華な装飾写本さながらに描き出されていると述べられている。
    まとめれば、確かにそうだと思うが、イスラム文化やオスマン帝国と西洋諸国との対峙といった歴史的背景になじみのない自分には、ほとんど理解できず、読み流すだけに終わってしまった。
    また、描かれている「模倣を強いられた絵師がその名誉を守るため、針で自分の目を潰すとか、盲目になることに栄誉を感ずる」といった恐ろしいほど崇高な境地には、とてもついていけず、離脱するべきかと思いながら、加えて、睡魔に何度も襲われながら、なんとか読み終えたというのが、正直なところ。

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著者プロフィール

オルハン・パムク(Orhan Pamuk, 1952-)1952年イスタンブール生。3年間のニューヨーク滞在を除いてイスタンブールに住む。処女作『ジェヴデット氏と息子たち』(1982)でトルコで最も権威のあるオルハン・ケマル小説賞を受賞。以後,『静かな家』(1983)『白い城』(1985,邦訳藤原書店)『黒い本』(1990,本書)『新しい人生』(1994,邦訳藤原書店)等の話題作を発表し,国内外で高い評価を獲得する。1998年刊の『わたしの名は紅(あか)』(邦訳藤原書店)は,国際IMPACダブリン文学賞,フランスの最優秀海外文学賞,イタリアのグリンザーネ・カヴール市外国語文学賞等を受賞,世界32か国で版権が取得され,すでに23か国で出版された。2002年刊の『雪』(邦訳藤原書店)は「9.11」事件後のイスラームをめぐる状況を予見した作品として世界的ベストセラーとなっている。また,自身の記憶と歴史とを織り合わせて描いた2003年刊『イスタンブール』(邦訳藤原書店)は都市論としても文学作品としても高い評価を得ている。2006年度ノーベル文学賞受賞。ノーベル文学賞としては何十年ぶりかという

「2016年 『黒い本』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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