- Amazon.co.jp ・本 (444ページ)
- / ISBN・EAN: 9784151200670
感想・レビュー・書評
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オスマントルコの歴史は知らない、イスラム教にも関心がない読者にも、少しは関心が持てる読みもの。
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2012-1-27
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イスラム版『薔薇の名前』。知的好奇心をくすぐられるところと、あと、読み終わった後、よくわからんことがいろいろ渦巻いてもやもやするところが。再読したいと思い続けて、早4年が経ちました。(2013年9月8日読了)
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初めて体験する面白さでショックを受けた。
西洋ルネサンスの波が波及する16世紀末のオスマン帝国。「細密画師を殺したのは誰か?」ひとつの謎を取り巻くように、東西の歴史の趨勢、工房の権力争い、男女の恋愛が交錯する。
章ごとに語り手が変わり、匿名の登場人物や壁にかけられた絵の犬、意外なある物まで、バリエーション豊かなのも面白い。翻訳もすばらしく、語り手ごとに文体を絶妙に使い分け、長い文章でもすらすら読ませる。イスタンブールの街の喧騒が聞こえてくる気がするほど、イスラームという馴染みのない世界にどっぷり浸かれる。
物語とは関係ないような(実は関係ある)「画師の個性とは?」「優れた画師とは?」のような哲学的な話もいちいち面白い。何度も読み返したい。 -
いや、これきたね。上巻読み終わった時は、音読したら文字が途切れず酸欠になるほどの圧倒的文字量と、のべつまくなし面倒くさすぎる登場人物に心折れそうになるも、ジワジワくるものあり、下巻を時間を空けて読み始めたら、まぁ、これがのっけから、上巻の凪がいっきにぐらんぐらんと大きな渦になって、あれれって間に巻き込まれちゃって、どんどこ先が読みたくなって、あれよあれよと完読してしまった。
誰が殺人を犯したかとか、東西の相克とか、そんなんはどうでもよくなって、坩堝な地相のイスタンブールそのものの物語として、その甘美で残酷な美を堪能しようではないか、なんてな。 -
Twitterのフォロワーさんが感想を書かれていて面白そうだなと思い、読んでみました。すごくよかったです。訳者あとがきにもあったように薔薇の名前にも通ずる展開があり、自分は伊坂幸太郎の夜の国のクーパーを思い出しました。これからパムク作品を全部読もうと思います。
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「なぜならば細密画師の記憶とは絵師の手ではなくー一部の者は強硬にそう主張しているがー知性と心にこそ宿るもの。神が”見よ”と仰せになった光景やそれを写した絵、まがうことなき完全無欠の馬が、光を失ったいまならば見えるのだ」p.175/絵師というのは、注文を下さる皇帝陛下ではなく、まず画芸と芸術に仕えるべきなのだ。p.273
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「雪」「わたしの名は赤」とパムク作品を続けて読んだ。物語のあとのそれぞれの主人公たち、Ka、カラ。どちらの男も物語のそのあと、魂を抜かれたように生きていった気がして、哀れで心に残った。そういえば、どちらもKだ。
それに対して女たちは逞しい。イベッキもシェキュレも恋をしても自分を見失わない。父を殺されたあとのシュキュレの判断の早さと行動力には驚いた。一人で自由に外を出歩くこともできない女たちの処世術なのか。イスラム世界の女たちのしたたかさと逞しさは、パムクの描く女だけの特徴なのか。
しばらくパムクを読んでみよう。
「薔薇の名前」を思いだした。ストーリーの面白さだけでなく細密画の世界、イスラムの世界への扉も開かれた。得した気分になれる本だ。 -
イスラム文化の頂点たるコーランの特徴はアラブの民族性に由来したその視覚・聴覚的側面にある。それは視覚的表現に満ちた内容を指すと同時に翻訳されたコーランを経典として拒絶する理由となる。しかしながら偶像崇拝禁止の教義は絵画文化の発展を抑止し、結果として書体や挿絵に意匠を凝らすイスラム文化が確立した。パムクはヒジュラ暦ミレニアム直前における細密画職人の文化を現代に再構築することで、失われた技術への憧憬とイスラム文化のルネサンスを喚起する。芳醇な文化的背景に裏打ちされながらも、歴史推理ものとして楽しめる娯楽小説。