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Amazon.co.jp ・本 (496ページ) / ISBN・EAN: 9784151200687
作品紹介・あらすじ
ファンタジイ/主流文学の垣根を超えて愛される女性作家が紡ぐ、変幻自在な珠玉の9篇。
感想・レビュー・書評
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こことは違う世界に繋がっているおばあちゃんのハンドバッグ。ゾンビが地上へ湧いてくる裂け目のすぐ横に建つコンビニ。生者と死者の夫婦の離婚調停をする霊媒師。世界の捉え方を少しずらしたら当たり前のように存在しているかもしれない魔法の領域を、インサイダーの目線で描く日常系ファンタジー短篇集。
リンクの作品は、"ふつうの"現代人の生活にぬるっと魔法や死者の世界が組み込まれている、という構成のものが多いが、それが何の寓意なのか、そもそも寓意を意図しているのかもよくわからない。「ザ・ホルトラク」のコンビニがある場所は煉獄なんじゃないかとか、「石の動物」の兎は何のメタファーだとか、考えることはできるが読んでいる間はとにかくわけがわからない。完全におとぎ話のフォーマットで書かれた「猫の皮」のような話なら、逆にわけがわからないことのわけがわかるので安心するのだが、現代を舞台にした作品でも登場人物たちはおとぎ話的に世界を捉えている。〈おとぎ話的〉というのはファンシーな意味ではなく、呪いや不可思議に取り囲まれているのが当然な世界観ということだ。
訳者あとがきで柴田さんも言うように、リンク作品はそこに作為が感じられない。怖がらせようとか不気味がらせようとして変な話を書いているようにも、キャラクターの精神的錯乱状態をほのめかしているようにも思えない。それが怖い。私たちが大人になる過程で身につけた〈常識〉という色眼鏡が少しでもずれてしまったら、本当の世界はこんな姿をしているんじゃないか。生まれてからずっとその世界を直視してきた人だからこのように書くんじゃないか。そう思えるから、わけがわからないのにディテールに惹かれて読み進んでしまうし、いつのまにか彼ら/彼女らの切実さが痛いほどわかるようになってしまう。
最初に置かれた「妖精のハンドバッグ」の終わり方は凄い。ここで終わらせるというのがこの人の凄味じゃないかと思う。語り手がぐにゃぐにゃに体を折り曲げて泣き出してしまう直前。ジュヌヴィーヴもゾフィアもジェイクも魅力的で、なんとか彼らを助けたくなってしまうが私たちには何もできない。作中で起きたことはハンドバッグをなくしただけなのに、それが世界で最も残酷な仕打ちに思えるのだ。
そして一番の傑作は、表題作の「マジック・フォー・ビギナーズ」。地元のテレビ局でゲリラ的に放映される謎のファンタジードラマ『図書館』と、そのファンのナードな高校生グループの青春物語だ。主人公ジェレミーの父親はスティーヴン・キングみたいな売れっ子ホラー作家で、息子を自分の小説にちょくちょく登場させているというのが効いている。親友からもジェレミーはドラマティックでフィクショナルな人生を歩みつつあると思われていて、彼は実際何重にもなった入れ子のような虚構のなかに入り込んでいる。メタフィクションなのだが、メビウスの輪のような虚構と現実の繋がりに爽やかな感動をおぼえるラストが美しい。前作の感想にも書いたのだが、リンク作品の「人間が切実にフィクションを必要とする瞬間」の描き方は、ジーン・ウルフに通じるものがあると思う。
ボルヘスの『アレフ』のように世界を映し出すパジャマ、美術館から盗んだはずなのに所蔵目録になかった絵、少女への愛を証明するため少年が食べたもののリスト。謎は謎のまま残され、安易な寓意やメタファーのように解き明かされてしまうことはない。「秘密は秘密を持てない。秘密であるだけだ」(「マジック・フォー・ビギナーズ」)。だからこそ溶けない氷のように、プラスチックのビジューのように、痛みがキラキラと反射して輝き続ける。ケリー・リンクの小説は、この世界の謎が固まってできあがった透明なオブジェなのだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
このタイトルと可愛らしい表紙で、何か魔法の素敵な話なのかな、と思うじゃないですか。ゾンビの作品集でした。いや、全部がゾンビではなかったけれど、作者は何かゾンビに思い入れがあるのかな、と思うくらいのゾンビ率でした。生と死について考えるときに、ゾンビのことも一緒に考えているのかもしれない。
印象と違うのはびっくりしましたが、九篇、どれもインパクトのある作品で、面白かったです。山尾悠子さんの新刊が出たときにとなりにおすすめで置いてあったのを購入したのですが、まさに! そうですよね! という感じ。書店員さんのセンスすごい。 -
柴田元幸による「訳者あとがき」より
『二十一世紀に入ってからのアメリカ文学は全般的に幻想的だったり荒唐無稽だったりする傾向が強いが、ケリー・リンクはそのなかで誰よりも予測しがたい変幻自在な書き手として、新しい流れの最良の部分を体現している。』
まさに、ジュディ・バドニッツやミランダ・ジュライのような「幻想的な」書き手。
幻想的、だがここでファンタジイという言葉を使うのはためらわれる。
ファンタジイという言葉の持つ響きほど教訓的でなく、子供向けでない。
亡き祖母の作り話、深夜のコンビニ、郊外の家、仲間と盛り上がるTV番組・・・こういった何でもない日常のなかに非日常が滑り込んでくる。
遠い異世界の話でもなければ、クローゼットの中や、本の中で起きている話でもない。
それは生々しい夢を見てしまった後の浮遊感に似ている。
頭はまだ夢の中で、しかしその手はしっかりとシーツを握っている。
恐怖、孤独、焦り…私たちが元来知っている感情を共有するための物語なのだ。
こう書いてしまうとどれだけおどろおどろしい内容かと思われてしまうかもしれないが、どんな悪夢も目が覚めてみるとどこか間抜けで可笑しいものだ。
クライマックスにかけての緊張感の高まりと、すべてが終わって劇場を出た後の「なーんだ!」というギャップがいいのだ。
それをお伽噺と呼ぶにはあまりに切実な「妖精のハンドバック」。
カナダとあの世との国境付近の奇妙なコンビニ「ザ・ホルトラク」。
何のメタファーか?などど陳腐な深読みはしないこと「大砲」。
幽霊なんて出てこないゆえにやっかいなスティーブン・キング「石の動物」。
末っ子が最も賢く、そして悲しいのは3匹のこぶた以来「猫の皮」。
温もりが恋しい「いくつかのゾンビ不測事態対応策」。
第三者の悩み「大いなる離婚」。
本家図書館戦争「マジック・フォー・ビギナーズ」。
この番号にかければ聞きたい話を聞かせてくれる、例えば終わりからはじまりに進む話。ただし終わりからはじまりに進むのはお話の中だけ「しばしの沈黙」。
全9編。 -
9つの短編の中で、良かったのは「ザ・ホルトラク」。
動物シェルターで夜勤をやっているチャーリーという女の子は、殺処分される犬たちを最後のドライブに連れていくという仕事をしている。その仕事に罪悪感を持っているチャーリー。夜のコンビニにゾンビたちが現れても全く違和感を感じない店員たちを描く中で、チャーリーが出てくるシーンで現実に立ち返る。そこがなんとも切なくて良い。
どの短編にも共通する、異界やゾンビ、エイリアン、悪魔、魔法使い、幽霊など非現実な世界の中に、わずかに覗く人という現実。
現実とは何とも儚いものだな、と思わされる。 -
面白いかどうかと聞かれると、いやそれほどでもない、と応えざるを得ない。という気もするけども。
強いて言うなら美術館に行ったら真っ白な紙が貼ってあってこれが芸術です1000万円ですと言われてほほうそうかねこれがふーんそう言われてみればそこはかとなく想像力を掻き立てられるね白というのは純真無垢で無限の可能性を秘めているとそういうことなんだね。
とかそういう。
いや、時として妙に引き込まれる瞬間もあるのですよ。荒削りだけど将来伸びる、みたいな。
いや偉そうだなおい。 -
読んだ感想を素直に言えば、9篇の短篇はどれも子供の落書きのような、あるいは現代アート的な小説といった感じだ。つまり、よく分からない。それでも「訳者あとがき」を読むと「荒唐無稽な展開のなかから最終的には切実な思いが垣間見える」という小説の系譜があって、ケリー・リンクはそこに連なっているらしい。
他の作品集を読もうとは思わないけれど、本書に収録されている「いくつかのゾンビ不測事態対応策」「大いなる離婚」は面白かった。ストーリーがまずまず分かりやすかったからかもしれない。所々日本が素材になっているのが印象的。 -
原書名:Magic for beginners. [etc.]
妖精のハンドバッグ
ザ・ホルトラク
大砲
石の動物
猫の皮
いくつかのゾンビ不測事態対応策
大いなる離婚
マジック・フォー・ビギナーズ
しばしの沈黙
著者:ケリー・リンク(Link, Kelly, 1969-、アメリカ・フロリダ州マイアミ、小説家)
訳者:柴田元幸(1954-、大田区、アメリカ文学)
解説:山崎まどか(1970-、東京都、コラムニスト) -
9編の中・短編を収めた作品集。
「猫の皮」は端々に残酷さもちらつく、お伽噺めいて不思議な物語。
「石の動物」は新しい家に引っ越して来た一家の生活に段々とズレが生じていく、「世にも奇妙な物語」にでもありそうな不条理劇というか心理スリラー風の作品。
「ザ・ホルトラク」はゾンビがやって来るコンビニっていう設定は面白いけど、ラストがよく分からなかった。
「大いなる離婚」は生者と幽霊が結婚したり子供が生まれたり、離婚話で霊媒士が間に立ったりと面白い。
表題作はティーンエイジャーを描いて爽やかな印象で、ラストもいい。
一番好きなのは「妖精のハンドバッグ」。お祖母ちゃんが大事にしているハンドバッグは魔法がかかっていて、中にはお祖母ちゃんの生まれ故郷の村や村の人々、周辺の山河、一つの世界がまるごと入っているという奇想天外な設定やお祖母ちゃんのキャラクターが魅力的で、長編で読みたくなってくる。無くなってしまったハンドバッグを探す続編でもいいな。 -
ファンタジーがあまり好きじゃない理由がわかった。
当たりがあまりに少ないからだ。
なぜ当たりが少ないかというと、ファンタジーは想像力が他より圧倒的に必要で、
人間の想像力には限界があって、好みがあって、だからなかなかこれというものがない。
本作はすばらしいよ!
理屈ぬき。
才能&Happy
妖精のハンドバッグ The Faery Handbag "バルデツィヴルレキスタン"
ザ・ホルトラク The Hortlak
大砲 The Canon
石の動物 Stone Animals
猫の皮 Catskin
いくつかのゾンビ不測事態対応策 Some Zombie Contingency Plans
大いなる離婚 The Great Divorce
マジック・フォー・ビギナーズ Magic for Beginners
しばしの沈黙 Lull -
これも感想を書くのが難しい作品。
面白いんですよ。もうひたすらに。
でも、何が面白いのかを書けないんですよ。ああもどかしい。
シュール、と言ってしまうと、その言葉の軽さにいやいやいやいや、と言いたくなる。
けど、シュールなんだよなあ。他に言いようがない。
シュールなファンタジィ。ああ、なんという言葉の軽さ。
そんな軽さ、本作には無いのに。
でも、他になんと表現すれば良いのか分からない。もどかしい。
ファンタジィ、という言葉ですらも軽い。
でも、間違いなく「ファンタジィ」だと思う。
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米国の「奇妙な小説」枠である。後書きで柴田氏が「現代米国女性作家には幻想的で荒唐無稽系が多い」と書いている。バリー・ユアグロー、リディア・デイヴィス、ミランダ・ジュライ・・・柴田氏や岸田氏といったトップの翻訳者がそういうテイストを好んで訳しているのでなければ、確かに多い。先に言うと私はあまり好まない。現代の小説として読むんだけれど。
魔法のハンドバック、ウサギで一杯になった庭、幽霊との夫婦生活、ゾンビ・・・ケリー・リンクの描く異次元の世界は、飛び切り荒唐無稽だ。シュールで往々にしてグロテスクでもあるのだが、どこか童話的、少女小説的な甘さがある。登場人物の心情は繊細に描かれ、切なくもユーモラスでもある。先に好まない、と書いたが、面白いかどうかというと、間違いなく面白い。 -
ジャンル的にはファンタジーなのかな。とにかく摩訶不思議な短篇集。ひとつの国をかばんに詰めちゃったり、死者と結婚できて子供まで持てたり、電話ボックスを相続したらその電話ボックスからドラマの登場人物が電話で助けを求めてきたり。おかしな設定がさらっと始まって、呆気にとられてるうちにオチらしいオチもなく終わる。でもそれが嫌じゃない。
ホラーじみてるのもあれば青春の匂いのするものもあっていろいろ楽しめました。お気に入りは「大砲」と表題作です。 -
リアリズムな雰囲気から迷いこむ摩訶不思議ワールド。
ゾンビが歩いてたり、
何かに憑かれたり、
死んだ人と結婚できたり…
はてさてなんでしょう。 -
プロムのドレス、妖精めいた嘘つきな美しい祖母、ハンドバッグ、ゾンビ、ペンキ、マウンテンデュー、コンビニ、パジャマ、謎のドラマ…アメリカらしいまるでおもちゃ箱の中身のような雰囲気で、ごちゃっとしていてポップに話がすすむ。しかし、ずーっと不穏な気配が流れている。痛みや悲しみだろうか。図書館、本を読む、お話をする、ペンキを塗る、絵を描く、電話をする…痛みや悲しみを昇華させようともがいてもがいて混乱している主人公たち。やがて、おもちゃ箱から飛び出したとても切実な何かが胸を打った。「妖精のハンドバッグ」「マジック・フォー・ビギナーズ」「しばしの沈黙」が好き。
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非日常、不条理の世界だ。巧妙だと思う。ケレン味もなく、こういったことをやってのけるのは。
エイミーベンダーや円城塔の作品からは、ケリーリンクのにおいがする。 -
確実に人を選ぶ。
ここまで分かりにくく書かなくてもいいと思う。
繰り返しが多く、眠くなる -
あり得ない設定を
当然のことのようにさらっと忍び込ませる巧みさ。
現実感とイマドキっぽさが
一層不気味さを引き立たせる。 -
これは…。なかなかほかに同種のものを思いつかない読書体験。どこに連れて行かれるのかわからない不安と、何が起こるのか知りたい好奇心を煽られてどうにも落ち着かない。小道具や固有名詞や舞台は日常にありがちなのに、そこで起こる出来事とその展開がぶっとんでる。
表題作、「ザ ホルトラク」「大いなる離婚」あたりが無難に好きです。「しばしの沈黙」も。「石の動物」「いくつかのゾンビ~」はちょいたいへんだった。ていうか、なんでゾンビなんですかね?最近多いよね、ゾンビ?ゾンビの文化史的位置づけがいまいちわからないままです。 -
断片的な記憶と「面白かった」という感じはありながら、それぞれの具体的な結末がさっぱり思い出せなかったりするので、再読。
当たり前だが物語というのは、前後のテキストがつながってひとつの物語を作り上げる。ぶつ切りのイメージだけを並べても、それは退屈か苦痛なだけ…のはずだが、この本は不思議な魅力を持っている。
読んでいて、どこに連れていかれるのか先が見えない不安が妙に心地よいのはなぜ?イメージの持つ力技? 散りばめられたユーモアのおかげ?
魔女と3人の子ども、王子様と猫が出てくる復讐譚な童話、ゲリラ放送で放送され、配役が入れ替わり、時にはモールス信号でのみの会話で成り立つテレビドラマ「図書館」、まわりの物がどんどん憑かれていくサバービアの恐怖、死の国とカナダの境にあり、ゾンビが訪れるコンビニ、生者と死者の離婚をめぐるメロドラマ的展開…。
とまたしても断片的なイメージだけが残ってしまった。
国ごと避難したハンドバッグを持つおばあちゃんと孫娘の話「妖精のハンドバッグ」はわかりやすく傑作。
その対局にあるのが、郊外の家で周りのモノが憑かれてしまう「石の動物」。なんとなーくいやーな感じだけが残る変なホラー。ん?ホラーなのか??
前作の「スペシャリトの帽子」も再読したいのだが、どこにしまってあるのかわからず本棚の前で途方にくれる。
ケリー・リンクの作品
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