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本 ・本 (448ページ) / ISBN・EAN: 9784151200847
作品紹介・あらすじ
強烈なブラック・ユーモアと不条理で戦争を描いたアメリカ文学の傑作!解説/松田青子
感想・レビュー・書評
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どんな物語なのか、なんだかよく分からんうちに下巻に入ってしまった(^_^;)
上巻はこちら
https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4151200835
この物語は時系列が混じっているのですが、巻末の解説では時間の流れが書かれています。しかし矛盾があるので、余計にややこしいよね(-_-;) 例えば「ヨッサリアンのテントにいる死人」を「俺が来る前に死んだ知らないやつ」と言う場面もあるし「お前(ヨッサリアン)はヤツと一緒に出撃したじゃないか」いう場面もある。
こんな感じの矛盾の数々は作者のミスというより、わざとやってるのかなあ。
下巻では、登場人物たちに突然訪れる死、というか中断、消滅が書かれる。
ネタバレ防止の為、引用部分の名前は※※にしています。
●出撃で死ぬ者。
<ヨッサリアンは、はだしの足、つま先、膝、腕にべったり※※をつけ、完全なショック状態で裸のままやっと数歩機から降りかけ、無言のままをの若い無線砲手が倒れて寒さのために死にかけている床の方を指さした、その横にはもっと若い尾部砲手が倒れており、この男は目を開けて※※が死にかけているのをみるたびにまた完全に気を失ってのびてしまうのだった。P47>
●一人は味方の攻撃で死んだ。
●兵士たちは次々と消滅する。(多分撃墜されたり、前線に左遷されたり?)
●病院に搬入された全身包帯の「白ずくめの男」は存在だけで入院患者たちをパニックに陥らせる。包帯の間から覗い兵士が言うには「中に誰もいないぞ!!!!」ということらしい。
●一人は海水浴最中に操縦不能になった飛行機のプロペラで真っ二つにされた。みんなは海岸の彼の足を見て見ぬ振りをして過ごす。
●その操縦士は、同乗者をパラシュートで降ろし自分は山に激突した。
<だがヨッサリアンには突然、なぜ※※が飛び出さないのかがわかった。彼はたまらなくなって※※機を追って隊列の端から端まで走り、両腕を高くさし上げて、懇願するように、降りてこい、※※、降りてこいと絶叫した。が、だれにも、そしてもちろん※※には聞こえた様子はなく、やがて※※がまたもどって、挨拶のために一回だけ翼をさげ、ええいくそ、仕方がねえやと決心して山に突入したとき、大きな、息づまるような呻き声がヨッサリアンの喉から放たれた。P199> イカれ行為を繰り返すヨッサリアンの感覚がとてもまともと分かる…。
<ヨッサリアンは夜、眠ろうとする時、彼の知人友人などでいまは死んでいる男たち、女たち、子供たちすべての点呼をとってみるのだった。P211>
性的にも相当不道徳というか、ゲンナリ…。
●ヨッサリアンは休暇とかで上官の妻や、ローマの娼婦と…。
●兵士たちは娼婦と乱交。
●兵士たちが本気で娼婦に惚れて追いかけたり追い払われたり。
●良家青年のネイトリーは娼婦に本気で惚れて、帰国しないために出撃回数を自ら増やしてもらう。
●ハングリー・ジョーはもともとは「ぼくはライフ誌カメラマンだよ〜」とか言って(しかもそれは事実だった!)、戦争の合間に女の子のヌード写真を撮っていた。
●アーフィーは従軍前、寮に女の子を連れ込んではみんなで〇〇して身包み剥いで放りだしていた。(これを自慢げに言うのでゲンナリ…)そのうえ従軍してからも、誰も手を出さなかったメイド娘を強◯して殺す。ヨッサリアンに責められても「一回強◯しただけだし、こんな女の命なんて誰も気にしない。この善良な俺が責任を負わされるものか」といって、本当にそうなった。(←こいつには嫌悪感しか持てない)
イタリアの娼館老人は「他の国は戦争に勝ってまた危険に晒さとる。わしらイタリアは戦争で負けてばかりじゃがそのおかげでうまくいく。一番いいのは勝つことじゃなくて敗北することに成功することじゃ」(P17あたり)などと言って、若いアメリカ兵士を混乱させる…。
軍隊の規律も滅茶苦茶である。
●マイローは、卵やソーセージを調達して特権を持っていたが、食料だけでなく備品も調達するビジネス展開まで手を広げた。その取引相手は敵国のドイツとも!(でもロシアとは取引しない)
アメリカとドイツと取引をするマイローの飛行機はどこだって飛行できる。そのため彼の飛行機でアメリカ軍からの爆撃依頼も、ドイツ軍からの爆撃依頼でも受けるように。一番「ありえねー」のは、この物語の舞台で彼自身も所属するピアノーサ島の爆撃まで引き受けた!!(この時ヨッサリアン機も爆撃され、吹き飛ばされた同乗者の体を浴びた。)
そして自分の出撃回数が少ないために非難されることを避けるため、他の兵士に自分の出撃回数を肩代わりさせるように取り入る。もはや軍の、国の物品は彼がいないと成り立たなくなっていたのだ。
●将軍や大佐たちは、飛行兵の責任出撃回数を上げる続け、「一度計画してそれを取り消す」とを素晴らしい考えだと喜んでいる。
●ダニーカ軍医は激突した飛行機に乗るはずだったので、本人は生きているのに「死んだ」ことにされて、正式な死亡通知も出た。本人が「自分は生きている!取り消してくれ!」と訴えても周りは「お前は死んでるんだよ」と相手にしない。死亡通知と夫からの手紙を受け取った妻も混乱するが、国家が「死亡」としたものを取り消すことができないので戦死を受け入れた。
●上巻から何度か、正式書類にふざけて「アーヴィング・ワシントン」とサインする者がいるので、軍の上層部は「スパイがいる!」と騒ぎになっている、という事が書かれているのだが、そのスパイ疑惑をかけられたのがタップマン従軍牧師。
この従軍牧師は上巻1ページ目から出てきていたんだが、再登場は下巻になってから。しかも入院中のヨッサリアンが「一目惚れ」だって。タップマン従軍牧師が気弱でまともな人間だったからかなあ。
タップマン従軍牧師は故郷で妻と静かに暮らすことを望んでいて、戦場ではヨッサリアンに親しみを感じている。これも、従軍牧師からみたヨッサリアンが「まとも」だったんじゃないだろうか。
タップマン従軍牧師が無実の罪で告発される時の遣り取りなんてもう滅茶苦茶。「わたしはやっていません」「それならなぜお前は有罪なんだ」「わたしは有罪ではありません」「おまえが有罪でないなら、なぜわたしたちはお前を尋問しているのだ」 読者、混乱…(@@;)
なんでこんなに軍規が乱れているって?そりゃー「キャッチ=22」だ!無い規定だから、誰も逆らえないんだ!
こんな世の中では、どれが真実でどれが悪なのかなどひっくり返ってしまう。
<なんといやらしい世の中だろう。彼はこの同じ晩に、繁栄を誇る自分の祖国においてさえ、どれだけの人々が困窮に苦しんでいるだろう、どれだけの人々が掘っ立て小屋に住んでいるだろうどれだけの夫が酔っ払い、どれだけの妻がぶん殴られ、どれだけの子供たちがおどかされ、虐待され、捨てられているだろう、と考えた。どれだけの家族が、とても買う余裕のない食べ物を飢え求めていることだろう。どれだけの心臓が破られているだろう、この同じ晩にどれだけの人々が自殺を遂げ、どれだけの人々が発狂していることだろう。どれだけの悪徳商人や家主共が勝利を収めているだろう。どれだけの勝利者が実は敗者であり、成功者が失敗者であり、金持ちが貧乏人なのであろうか。どれだけの知ったかぶり屋が間抜け野郎であろうか。どれだけの幸福な結末が不幸な結末なのだろうか、どれだけの正直者が嘘つきであり、勇者が臆病者であり、忠実な人間が反逆者なのであろうか。P337>
<悪徳を美徳に、抽象を真実に、不能を節制に、傲慢を謙抑に、略奪を人類愛に、東壁を名誉に、神聖冒涜を知恵に、残酷さを愛国心に、サディズムを正義に変え得ることを知った。そんなことはだれでもできる。頭脳など用いる必要はなかった。必要なのは無性格さだけだった。P243>
しかしこの無茶苦茶の世の中で、ヨッサリアンを初めとする何人かは「まとも」な感覚を持っている。
<ヨッサリアンはもうこれ以上だれも殺したくなかった。P241>
(銃撃された兵士から飛び出る内蔵を見ながら)<彼の内蔵のメッセージを読み取るのはたやすいことだった。人間は物質だ。窓から放り出してみろ、人間は落ちる。火をつけてみろ、人間は焼ける。土に埋めてみろ、人間は腐る。他のあらゆる台所屑と同じように。精神が消えて無くなってしまえば、人間は台所屑だ。精神の充実のみがすべてであった。P393抜粋>
こんな無茶苦茶な物語の最後がスッキリした終わり方だったのでむしろびっくりした 笑。
こんなにも、込み入って、わけがわからなくて、酷いことばかり起きて、たくさんの人が死んで消滅して犯されて、卑劣な人々が世の中を作り、まだまだ酷いことが起こり続けそうな物語で、最後だけこんなにスッキリするってあるの?笑
かなりの難物ですが、この世の中の矛盾、無茶苦茶さ、こんな世の中でも真っ当さを保つ人達もいる。逆らえなくとも、逆らう勇気を持ちたいなと思う人達もいる。
その願いが叶うのかはわからないが、それでもそんな人達がいる。
なんなんだこのスッキリさは(^_^;)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ジョーゼフ・ヘラー『キャッチ=22〔新版〕(下)』ハヤカワ文庫。
早川書房創立70周年を記念し、企画されたハヤカワ文庫補完計画、全70点の1冊。大好きな映画『BIG WEDNESDAY』にチラっと登場した小説で、当時から読んでみたいと思っていた。映画では主人公のジャックの母親がジャックたちの乱痴気騒ぎに眉をひそめながら読んでいたのだ。
戦争の馬鹿らしさを諷刺的に描いた一種の反戦小説なのだが、白々しさばかり感じた。アメリカは建国の歴史そのものが暴力と殺戮で血にまみれ、現代に於いても石油の利権や自国の経済成長のためならば他国に戦争を仕掛ける、とんでもない国だと思う。そんなアメリカの大統領と呼ばれる人物は、日本に交戦権を否定する憲法を押し付けたにも関わらず、日本が自前の軍事力を持たずにアメリカに頼るのはおかしいと言い出す始末。この程度の諷刺では蚊に刺されたくらいにしかならないのではなかろうか。
本体価格1,180円
★★★ -
不条理、混乱、喪失がみっちり詰まった、一度は読むべき小説。苦しい描写が多くてつらかったけれど、つらさにドライブされて一気に読み切ってしまった。気持ちがこもっていながら、上手に書かれてもいる小説だった。
つらかったのは、集団を維持するための負のエネルギーがリアルで強烈すぎるところ。少しでも浮いていたり気弱そうな人を生贄にして他のメンバーが結束するって、学校でも職場でもよくみてきた。自分は上手に溶け込めなくてよくからかわれたり、ひどいときには意地悪をされたりしたから、読んでいてとても消耗した。人間はこわい。森のなかで一匹で暮らす動物に生まれたかった。
反対に、人付き合いが得意な人なら、この本のブラックユーモアをもっと楽しめるのかもしれない。また、耐えられない現実からあり得ない事態が生じてくるという点ではマジックリアリズム小説でもあって、南米系が好きな人は好きなんじゃないかとも思う。
よかったのは終わり方。あんな結末ありえないのに、その希望にのっかりたくなる。ちょっとガルシア=マルケスの「エレンディラ」を思い出した。 -
下巻に入ってからも、最初のうちはブラックなギャグ(?)にくすくす笑いながら読んでいたのだけれど、だんだん予想外の形で死人が続出しはじめて、ヨッサリアンの一途さが痛ましくてたまらず、後半はずっと涙目でした。誰だって死にたくない、生き抜きたいだけだ。
最初は変なヤツだと思っていたヨッサリアンのことを、いつのまにか友達みたいに思っていて、こいつほんと「いいやつ」なんだよなー。彼の良いところは、ヒロイズムに酔わないところだと思う。戦場という悲劇的な場所で、おこなわれていることを美化しない、正当化しないところ。
日本人は基本的に悲劇的美談に弱いから特攻で死んだ若者を美化した映画なども多いけれど、いつもそういうのに少し感じてしまう違和感、なんかうまく言えないけれど丸め込まれた感じ、ヨッサリアンの存在は、ああいうのの対極にあるのだと思う。私は彼を支持したい。
こういう作品の感想を上手に言語化するのは難しい。松田青子の解説が「そう、それを言いたかったの!」と、痒いところに手が届く感じで良かった。 -
上巻は問答するやり取りやキャラクターの突飛な行動が面白く、ときには吹き出すくらいに笑えた。
下巻はどうなるのかと思ってたら、今度はとても怖い展開になっていく。
上巻で登場していた、前の章(とは言っても時間軸のズレはあるが)で生きていた人間たちが、呆気なく、理不尽に死んでいく。
戦場で死ぬのならまだ理解も追いつくが、なかには味方が自らの利益を生むために、その犠牲になって死んでしまう人間もいる。
上巻以上にその理不尽さは高まる。
ヨッサリアンは味方の死を伝えに行けば殴られ、蹴られ、殺されそうになったりしていて、ドタバタ感はあるものの常に死がついてくるような緊張感がある。
だが、意外な人物が最後に一発やってのけたりして、自分もヨッサリアンと共にやりやがったという気持ちになった。
暗く抜け出せない理不尽のような感覚が下巻は続いていたが、あのキャラのお陰で清々しい読後感を感じた。
めちゃくちゃ面白かった。 -
非常に面白いのになかなか読み進められない。こんなに不条理で猥雑で不可思議な小説がアメリカでは高校の課題図書リストに載ってるとは。
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最後まで意味不明。
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読後感がすごい…予想もしなかったラストに、胸の中が希望で満ち溢れていく感覚になって、自分の周りの空気までキラキラしていくように感じた。上巻に比べて下巻は時系列があまりブレてなくて読みやすかった。だけど、戦争が命を奪う呆気なさ、そこに蔓延る人たちから受ける不条理な出来事の暗さが浮き彫りになって、読むの辛い部分もあった。解説を読み終わった後、なんか泣きそうになった。自分の運命とか関係なく生きて行こうとする気持ちが一番大切なんだと思った。
『おれは自分の責任から逃げ出すんじゃない。おれは自分の責任に向かって脱出するんだ。おれのいのちを救うために逃げ出すことには全然否定的な要素はない。』 -
タイトルの「catch-22」は「逃れようのない不条理な状況」(新英和大辞典)を意味する語として一般名詞化している。そのくらいのメジャー作品らしい。
会話部分では不条理が際立ち滑稽ですらある。コントかと思うくらい。この作品は映画化もされているが、舞台向きであるように思う。現に舞台化されたことがあるのかどうか調べきれなかった。
終盤のヨッサリアンとネイトリーの女のシーンは、狂った世界にあって、唯一まともなやりとりに感じられた。狂った状況が日常化すると、何が正常で何が狂っているのかの自分の判断ラインも狂ってくる。
この状況で自分を見失わず最後には希望に向かって漕ぎ出せるヨッサリアンは強い人だと思った。