蠅の王〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

  • 早川書房
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本棚登録 : 536
レビュー : 51
  • Amazon.co.jp ・本 (367ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200908

作品紹介・あらすじ

飛行機が墜落し、無人島にたどりついた少年たち。協力して生き抜こうとするが、次第に緊張が高まり……。不朽の名作、新訳版登場

感想・レビュー・書評

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  • 戦時疎開する児童が乗る飛行機が南太平洋の無人島に不時着し、生き残りのその後を生々しく描いた小説です。
    煩わしい大人がいない世界に嬉しさを感じつつも、救助されることを前提とした生活を考える少年ラルフ。
    少年達は彼を隊長に選出し、物語においても中心人物となります。
    大自然の中でも民主的であろうとする彼らですが、徐々に崩壊が進んでいきます。
    人間の野蛮性が表現されているのですが、それを宿しているのが子供であることが特徴的です。
    純真無垢な子供には、純真無垢な善と悪が共存しています。
    だからこそ、大人には子供をしっかりと導く責任があるのです。
    大人の考えが及ばない世界で物語はどんどん進み、醜い暴走がいつ止まるのかハラハラとさせられました。
    後半は時間を忘れて読み耽り、まるで自分がこの島にいたかのような疲労感が残りました。
    素晴らしい一冊です。

  • 新潮文庫版はずいぶん昔、若い頃に読んで衝撃を受けた。子供の頃愛読した『十五少年漂流記』のダークサイドバージョンのような印象だったと思う。映画(1990年版のほう)はビデオで見たのかな。その後ずいぶん経ってから『バトルロワイヤル』が流行ったときに再注目されて再読したのだったか。もはやそちらは手元にないので新訳を機会に読み直すことに。

    戦時中と思しき英国、疎開に向かう少年たちを乗せた飛行機が爆撃され墜落、生き残った少年たちは無人島に不時着する。少年たちの中では年長で判断力のあるラルフと、聖歌隊を引き連れた高圧的なジャックはリーダー役を選挙で争うが、ラルフが勝利。二人は対立しつつも一目置きあうようになる。肥っていて理屈っぽいメガネのピギー、繊細で無口なサイモンらがラルフ派。聖歌隊はジャック派。ほかに6歳前後のチビたちが数人。ノロシを絶やさず救援を待とうとする堅実なラルフと、狩猟隊を組織して野性の豚を狩ることに夢中になった攻撃的なジャックは次第に対立を深め・・・。

    結果的にこの無人島が、温暖で果物が豊富、天敵になる獰猛な野生動物などもおらず少年たちにとってとても住みやすい楽園だったことが災いした気がする。もっと寒くて食糧も乏しければ彼らは一致団結して住処と食糧を確保せざるをえず、狼のような共通の敵となる動物がいたなら仲間を守ろうとして連帯感も芽生え、くだらないことで対立、仲間内でマウンティングしている余裕などなかっただろうに。ところがこの無人島は1日中海で泳ぎ、空腹になれば果物をもいで食べ、夜は雑魚寝で大丈夫な安全地帯。大人から解放された子供たちが統率を取れないまま自由気ままにふるまい始めるのは時間の問題。

    そうして本能のままにふるまいはじめた彼らは、どんどん原始の状態に退化(順応とも言えるけれど)していってしまう。興奮すると踊りだし、歌を歌い、リズムを刻み、顔に奇妙な仮面めいたメイクをすることで別人格となる少年たちの行動は、架空の「獣」に脅かされていることも含め、宗教や儀式ってこうやって生まれたんだろうなと思わされる。文明人としての理性を葬りさった彼らの狂乱は、ついに仲間から犠牲者を出し・・・。

    ジャックはイヤな奴だし、ラルフは最後まで理性的だけれど、正論しか言わないラルフをだんだん疎ましく思うような気持ちは自分の中にも実はあって、もし自分があの無人島にいたら、やっぱりジャックといたほうが楽しいじゃんとか思ってしまうかもしれない。最初はウザキャラだったピギーが最終的には一番頼もしい味方になるあたりはジュヴナイルとして読める部分だけれど、火を起こすためにはピギーのメガネ(レンズ)が必要で、その奪い合いがさらなる混乱を生むあたり、ピギーは一種のプロメテウスだったのかもしれない。

    ピギーとサイモン以外で最後までラルフに味方するのはサムとエリックの双子だけれど、なぜ双子だけがジャックたちの一派に協調せずラルフ側についたのかと考えるのも興味深い。双子という最小単位の共同体であることで、より大きな組織に所属して安全を図る切羽詰まった必要を感じなかったのだろうかとか。

    終盤、一方的に狩られるラルフの恐怖と孤独の描写は圧倒的。無人島ならずとも、子供ならずとも、人間が形成する集団にはいつ起こってもおかしくない状況かもしれないことがさらに怖い。

  • 海に囲まれた孤島を覆う密林で、闇の深さに怯えながら
    花や果実の匂いに身じろぎする少年たち。
    彼らは教師も舎監もいない寄宿舎に放り込まれた生徒であり、
    または、まるで母の胎内から新しく――かなり暴力的に――
    生まれ出ようともがく新生児のようにも映る、が……。

    昔、ハリー・フック監督による映画を観て、
    嫌な話だなぁ……(笑)と思っていた。
    その後、夫の実家の書棚からサルベージした新潮文庫版を
    積ん読状態にしたまま、
    去年、この新訳が出ていたと知って購入、読了。

    飛行機が無人島に不時着し、
    少年たちだけで救助を待ちながら暮らすことになり、
    島の近くを通る船に気づいてもらうために
    焚き火で煙を上げるのだが、
    その件だけからでも様々な悶着が引き起こされる。
    文明の利器である「火」をコントロール出来るのが
    一人前の人間で、
    出来なければ獣と同じである……
    リーダーのラルフはそんな風に考えるけれども、
    事は思い通りに運ばない。
    物事を見たまま噛み砕いて理解するピギーと
    鋭い直感の持ち主であるサイモンは、
    賢さ故に蝿の王ベルゼブブの生贄にされたかのようで、
    憐れ。

    少年たちにこびり付いた垢や汚れは洗えば落ちるし、
    切り傷はいつか塞がるだろう、けれども、
    文明社会に復帰したところで、
    彼らは楽園のような地獄の記憶を拭えず、
    生涯苦しみ続けるに違いない。

    嫌な話だ(しかし、面白い)。

  • 読むきっかけは十五少年漂流記の再読だったのであらすじは理解していたが、思っていた以上に混沌とした内容であった。
    島には愉しみが少ない。狩をして成功すれば食糧が得られるが、それ以上に達成感や充実感も得られる。それらが人間に秘められた欲望を呼び覚ましてしまったのではないか。そして欲望は止まらず崩壊してしまう。人一人を追い詰めるために放った火がきっかけで救助されるのは、なんとも皮肉な結末だった。
    一度読んだだけでは人物が示唆している事などもいまいちわからなかったので、他の方の感想や解説を読んだ上で再読したい。

  • ただの子供向けの冒険サバイバル物語と思ってはいけません。
    文明社会で育った人間達の、内面に潜む<獣>を著した、非常に示唆に富んだ一冊です。

    無人島に取り残された少年たちが、ルールを作って集団でサバイバルをしようとしたのに、予想通り対立していくお話。ノーベル文学賞作家ゴールディングの長編小説デビュー作。

    疎開先に向かう飛行機が墜落、少年たちは無人島にたどり着いた。年長のラルフは、聖歌隊を率いるジャックらとともに、サバイバルを試みる。誇りある英国人としてルールを作り集団生活を試みるラルフ。しかし、焚き火の管理や狩りのやり方について、次第に衝突していく。さらに、島に潜む<獣>の存在に、彼らの生活は破綻していく。

    ストーリーのポイントは、登場人物が子供だけ、ということだ。
    大人がいないということは、体力や知識のみならず、分別のある者もいないということだ。
    基本的に両家の出身の彼らは(イギリスの伝統に則り)少年といえども規律を重んじる文明人としての自覚を持っている。
    しかし、大人=ルールのいない中で、彼ら自身は自らを律していかなくてはいけない。

    さらに鍵となるのは無人島に潜む<獣>だ。
    当初、<獣>は少年たちに(直接的に)襲いかかる危険として描かれる。
    しかし、物語が進むにつれ、<獣>はより象徴的なものであることに気がつかされる。

    分別のない少年集団の中で、唯一、その正体に気がつくのがサイモンだ。
    ラルフ(文明人代表)とジャック(野蛮人代表)が権力争いを始める中、サイモンは皆が恐れているものの正体を見抜く。

    「おまえは知っていたんだな。わたしがおまえたちの一部であることを。ごく、ごく、親密な関係にあることを!何もかもうまくいかない理由であることを。ものごとがこうでしかない理由であることを」
    (p252)

    サイモンは<獣>の正体が、自分たち人間の内面であることに気がついている。恐怖、混乱、焦燥、絶望の全てが、自分や仲間が他人に向けている感情であることを知っている。理性ある人(英国人)であるはずの自分が、内側に獣が潜んでいることが、最大の恐怖だ。
    だが、そのサイモンの行く末が決したと同時に、少年集団の運命も大きく転換する。
    自らを突き動かしているものの正体に気がつかない者は、どうなってしまうのか。

    結果的に、物語は理性、というか、文明人の一人勝ちで終わる。
    特に、ラストシーンは、登場人物が皆子供であることに二重の寓意をもたせている。
    自らだろうと、社会だろうと、結局は内面の<獣>を方法を維持したものが、生き残ることができる、ということだ。
    逆にいえば、大人ですらそれを維持できなくなったとき、具体的にいえば戦時下で、人は生きていけるのだろうか、という疑問を投げかけていると言える。

    映画「美女と野獣」(Beauty and Beast)を見ながらエマ・ワトソンに見惚れるのもいいけど、骨太の「少年と獣」(Boys and Beast)なストーリーに浸るのも悪くないはず。
    文明社会でサバイバルする大人にこそ、ぜひ読んでほしい一冊。

  • この本の主人公は子供たちで、最初は楽しく暮らしていくが、やがては仲間を殺すことになってしまう。
    殺したあと、何人かはそのことを気にやむが、何人かはそのことを正当化しようとして、また殺そうとする。

    これらの行動を取ったのが、大人であれば、その大人の持っている個人の人格の問題にできたのかもしれないが、殺したのは子供たちだ。つまり、人間は潜在的に悪であるということではないのだろうか?
    現に、読んでる途中、殺す側の子供たちの熱狂に、共感してしまう自分がいたような気がした。

    そう考えると、とても怖くなる本でした。

  •  墜落した飛行機が、南太平洋に不時着した。飛行機の残骸は海に流されてしまったのか、押しつぶされた草を見て、ここから滑っていったのだろうと考えるしかない。冒頭から曖昧な部分が多く、話も少し御都合的かなとも思ったが、この小説は、細かく書かないことで寓話性を高めているんだということが分かった。聖書的な部分が多く見られる。
     大人のいない無人島で、子供達は楽園だと感じて楽しく過ごす。メンバーは沢山のチビたちと、リーダーのラルフ、聖歌隊を率いているジャック、ラルフと最初に会った太って眼鏡で頭が良いピギー、不思議なサイモンなど。だが、それも長くは続かず、次第に恐怖に支配されて行く。顔に痣のある少年は恐ろしい獣がいると言った。これは人の内にある闇に対する恐怖の感情が増幅されたものだと思われる。
     リーダーのラルフは、火を絶やさないで煙を出して助けを求めるのが第一だと言った。だけど、仲間たちは遊んでばかりで手伝わずに、聖歌隊を率いているジャックは豚を狩ることに執着していく。豚を木の槍で突き刺し、赤い血で手を染める内に豚を狩ることが第一となっていった。ジャックたちは、野蛮な獣になってしまったのだ。子供達が血によっていく姿は怖い。純粋だから染まりやすく、人の奥にあるものは良いものばかりではないと作者は言っているのだろう。最後に助けに来る将校は惨状を見て「イギリスの子供ならうまくやれそうなものだが」と言った。これが世間の意見で、作者は、この小説の子供達の姿を通してそんな単純ではないと伝えたかったのだろう。ノルマンディー上陸作戦に参加した事で見た現実が影響していると思う。
     巻末の解説でサイモンという少年は使徒ペトロから取られていて、役割としてイエス・キリストだと書いてある。サイモンは不思議な雰囲気の子で、変わったことを言ってみんなから不思議がられている。獣は人の外ではなくて、人の中にいるんだという事を言っていた。サイモンはジャックが捧げ物として置いた豚の頭から、蝿の王の言葉を聞く。蝿の王は「お前は知っていたんだな。わたしがお前たちの一部であることを。ごく、ごく、親密な関係にあることを!」と言って、サイモンに邪魔をするな、邪魔をすればラルフやジャックたちと一緒にやっつけると言われた。蝿の王の言っている事は、獣の正体と恐怖と狂気の生まれる場所は、人の内だといことだ。サイモンはラルフたちが見たという、山の上の獣の姿を見る。それはパラシュートで落ちてきた人の死体で、パラシュートが風で揺れることで鼓動のように感じていたのだと知る。みんなに獣はいないんだと知らせようとしたが、ラルフとジャックの対立する中に飛び出てしまい、蝿の王の言った通りサイモンはみんなに殺されてしまう。ラルフは現実から逃げようとして輪の中には居なかったといった。ジャックは現実をすり替えて、獣はサイモンに化けてきたと言った。子供達が何が正しいのか分からなくなっていき、近代的な道徳という希薄なものは消えていくのが恐ろしい。
     子供達は大きい年の子達と、おチビたちで別れている。おチビたちが何人いるのかは分からないし、ラルフたちも、そこまで気を止めはしない。上の子らは物事を自分たちで決めて戦いを始める。その間に、おチビたちの中では何かあるかもしれない。きっとあるだろうし、怪我をしたり死者が出ているかもしれない。この2グループの構造は、戦争を始める上層部が上の子たちで、下の子たちは、自分たちの意見など言えず言うことも分からずにただ流させれていく一般市民に思えた。ラルフは最後に将校に死者はいないかと聞かれて2人と答えた。その二人はサイモンとピギーで上の子たちのグループだ。本当はもう一人、最初の山火事で死んだ顔に痣のある子もいたのだ。これは上層部は下の者の死など意識にあげてはいないということを示唆しているのではないだろうか。
     聖書からの影響もあるし、小物などにもサブテキストがある。子供達をまとめるために使ったほら貝は、持っている人の話を聞くというもので、文明や秩序や民主主義の象徴である。火をつけるのに重要なアイテムの眼鏡は知性や科学の象徴であるといった解釈ができる。作者は「この小説はあらゆる方法でとても周到に練られている」といっているので、深読みができる物語なのだ。
     本書は新訳ということだが、かなり文章が良くて読みやすい。行ったことのない無人島の風景が浮かんで来るようだった。

     MGSとの関係性も書いておこう。まずピギーを見たときにヒューイを思い出した。頭が良くて、眼鏡で、運動は出来なくて、空気が読めない。エメリッヒの発言の正否は分からないが、ピギーは正しいことを言っているけど好かれていないのは、人柄と間が悪いのだろう。ピギーは理性的であろうとしている。科学の象徴である眼鏡をかけているピギーと、物事の真価を心で感じることが出来る神聖な感覚があるサイモンは、一度も狂気に浸っていないのが面白い。ラルフは時折、自分を見失っていた。ヒューイとピギーのつながりはそこまで分からない。正しいことを言っても行動しないといけなくて、人柄が尊敬されないと話を聞いてもらえないばかりか嫌われるということかな。なんだが、悲しい。
     ピギーは眼鏡をジャックに取られた時に、僕はもう目が見えないと言った。この発言がカズと一緒だったのが気になる。あまり似ているとは思えないが、狂気に浸っているように見えるカズの中にも、ピギーのような冷静な部分があったとい示唆かもしれない。ジャックとロジャーはラルフを恨んでいる。ジャックはリーダーの座を奪われたからというのがあるが、ロジャーはなんでラルフを恨んで殺そうとしているのか分からない。これはカズが、なぜビッグ・ボスを討とうとしているのかが分からないのと似ている。大事な時にいなかったという意見もあるが、ビッグ・ボスは公の場には姿を表せなかったし、そこまで薄い関係でもないだろう。その後にビッグ・ボスもカズもフォックス・ハウンドに所属するので、仲は良くなったのかもしれないが、カズの思惑を一番知りたい。
     ラルフはイーライのモデルではあるだろうが、イーライはピギーの知性と化学と、ジャックの狂気と、ラルフのカリスマ性を持っていると感じた。
     MGS5で子供が死ぬという事故があった。その時にはイーライが近くにいたということだが、イーライは仲間が雑に扱われると大人の兵士に過剰とも思えるほど怒ったというので、イーライが殺したわけではないだろう。蝿の王では、子供が死ぬのは3回ある。一度目は顔に痣がある少年が火事に巻き込まれて、二度目はサイモン、三度目はピギーだ。つながりで言うと一度目の子のことを取り上げて、MGS5でのことも事故だったと思うのが分かりやすいかもしれない。ピギーはヒューイだとして、サイモンとつながりのあるキャラは誰だろうか。キリスト的というとソリッドだが、もしかしたらクワイエットという点もあるかな。なんとも言えない。
     全体的なイメージでは、集団が狂気に染まっていく様は、まるでダイヤモンド・ドッグズだと思った。ラルフたちの狂気は、外から来た船によって一気に冷める。DDも同じように天国の外からの影響で消えていくのだろう。それはソリッド・スネークの物語とつながることになる。

  • ドキドキしながら読み終えることができた。長年に渡って本書が愛され続けている理由が分かった。

    物語は無人島に不時着した少年たちにフォーカスを当てている。今までに読んだいわゆる「無人島モノ」はどうやって無人島から脱出するかを描いていたけれど、本書にその要素は少ない。それよりはむしろ、少年たちの人間性が無人島という閉ざされた空間でいかに変化していくかという過程を生々しく描いている。

    清潔とはほど遠く、髪の毛もボサボサで口の中も汚い。食事も雑で、まともに労働もせずただ遊んでいる少年たちが多い。そんなリアルな子ども像を描けたのは、教師としての勤務経験がある作者だからこそだと思う。

    子どもたちだけの無人島生活がどのように終焉を迎えるのか、ぜひいろんな人に読んでもらって、感想を教えてほしい。

  • あまり好みの作品じゃないかもな〜という先入観があったんだけど、読み始めたら、ぐんぐん物語のなかに引きこまれた。残酷で辛い怖い場面もあったけど。。ピギーとサイモンのことはショック。結構サイモンが好きだったし。このまま誰も救助に来ないのか、狂気へと導かれていくのか、ハラハラしたけど、本当に救助されてよかったよ。限界だったと思うし。ラルフが、ジャックたちとはわからず、襲撃されたとき、おちびたちを先に見つけますように、みたいなとこがあったけど、そこが非常に残念。ラルフは、そんなやつ??って思った。

  • 戦争により何らかのトラブルに巻き込まれて、海の孤島にたどり着いた少年たち。
    初めはリーダー格の少年ラルフを中心に、ジャック、ピギー、サイモンなど数名が協力して救出を待つかに思えたが、ラルフとジャックの対立が起きて、少年たちの輪は一気に乱れ始める…十五少年漂流記のダークサイドと呼べばいいのかもしれないが、それ以上の深みがこの作品にはある。
    おそらく少年同士の対立とそれに同調する取り巻きのエスカレートする行動や、真っ当な意見を言う者もいるが、無力であるが故に無視されてしまうというは第二次大戦の国同士の対立や、ホロコーストを避けられなかった政治家の行動を彷彿とさせる。
    それ以上に、エスカレートして暴力に頼り始めると登場人物は名前を失い「野蛮人」とだけ呼ばれる作者の表現手法も、自分の味方には気を使っても、対立する者は「敵」としか捉えない人間の姿を現しているように思える。
    そしてなによりも「蝿の王」というタイトル。
    何故「蝿の王」なのか?蝿の王が「ベルゼブブ」という悪魔の名前で、「蝿の王様」という意味である事は調べたから知っている。でも、何故この物語のタイトルが「蝿の王」なのか?
    物語の中に登場する屠殺された豚の頭蓋骨が自分が蝿の王だと名乗るシーンがあるが、それは何の象徴なのか?
    考えさせる謎の多い、それ故に行く通りもの読み取り方ができると思われる作品。
    因みに、気づいた人も多いと思いますが眼鏡のレンズで火を起こせるとしたら、それは凸レンズのはずで、ピギーは近視ではなく、遠視ということになる。でも、ピギーは眼鏡がないと何も見えない、近視であるかのように振舞っている。ひょっとするとピギーの眼鏡は単なる虫眼鏡で、ピギーはそれがないと見えないという近視のふりをして、労働をサボっていただけかもしれません。

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