忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫)

  • 早川書房
3.74
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  • Amazon.co.jp ・本 (496ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200915

作品紹介・あらすじ

遠方の息子に会うため老夫婦は村を出た。戦士、少年、老騎士……様々な人々に出会いながら、ふたりは謎の霧に満ちた大地を旅する

感想・レビュー・書評

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  • 息子に会うため旅をする老夫婦の話。道中で、人々の「記憶」を奪ってきた竜退治に向かう。隠されていた過去にこそ真実があり、それにどう向き合うべきかというテーマがこの小説の骨格となっている。ファンタジー小説ではあるが、カズオ・イシグロの重厚な文体によって神話のような重みのある雰囲気が醸し出されている。また、主人公が老夫婦だけあって、幅広い層に馴染みそうな作品であった。展開がよく練られている上に、非常に読みやすいため、長編小説ではあるものの、ワクワクしながら最後まで読めた。

  • アーサー王の足跡がまだ人々の意識に残る中世イギリス社会。
    人々は未だ鬼や怪物や竜の存在に怯えながらも慎ましく自給自足の生計を立てていた。
    サクソン人とブリトン人は互いの交流は少ないものの、互いを侵すことなく平和な時代が過ぎていた。
    だが、そんな社会に漂う不可思議な不安。人々は記憶を留めることができないのだ。
    そのような不可思議な現象に不安を抱きながら、とあるブリトン人の老夫婦が息子の村を訪ねるべくいま旅に出た。果たして二人の旅にはどのような未来があるのか・・・。

    ロード・オブ・ザ何とかとか、ロールプレイングゲームのようなファンタジー溢れる作品です。
    主人公が老夫婦なのでファンタジーといってもひと捻りありますが(笑)、旅に出て、仲間が集い、スリリングな展開があり、怪物と対峙し、剣士と戦いがあるとなればこれは本当に視覚的に夢のような世界であったと思います。
    修道院からの脱出のシーンなどは本当にハラハラドキドキものでした!
    ただ、ラストを考えると凄くシニカルな作品であったと言えますね。あの老夫婦は最後どうなったのか?
    これは意見の分かれるところがもしれませんが、やはり記憶が二人の妨げになったのでしょうか?

    今回のカズオ・イシグロの作品は一段と明瞭に「記憶」にこだわった作品となっていました。
    人々の社会を成り立たせるものは「記憶」が根本であり、「愛」も「憎しみ」も「記憶」を通して継続するものでありますが、その「記憶」が失われてしまったら人々の繋がりは一体どうなるのか?「記憶」はそんなに重要なものなのか?やはり人々は「記憶」を欲するのか?「記憶」からの呪縛から逃れることはできないのか?
    明瞭に「記憶」にこだわるからこそ、カズオ・イシグロにはこうしたファンタジーな世界が必要だったのかもしれません。
    ファンタジーな世界を見事な筆致で読者をぐいぐい引き込んでおいて、最後にみせるシニカルなラストは、拍子抜けする部分がある一方で、余韻の大きさゆえにわれわれの心に深く食い込んでくる何かがある気がします。

    私の「記憶」と上手く付き合う方法は、適度に忘れることですが・・・。(笑)

  • なぜか本棚で眠っていた文庫本
    読み始めた
    〈 ブッカー賞作家の静謐な長篇
    遠方の息子に会うため老夫婦は村を出た。戦士、少年、老騎士……様々な人々に出会いながら、ふたりは謎の霧に満ちた大地を旅する 〉

    4,5世紀のイギリス
    今まで興味もなく、だから分かりにくかった

    原題 "The Buried Giant"
    直訳すれば「埋葬された巨大な何か」となるらしい

    イシグロの言葉
    〈『忘れられた巨人』においてわたしが書きたかったテーマは、ある共同体、もしくは国家は、いかにして『何を忘れ、何を記憶するのか』を決定するのか、というものでした〉

    平和のために土に埋めて隠した残酷な歴史の記憶
    壮大なテーマ

    情景描写が美しく苦労しながらも読み進めた
    霧に覆われたように静かだった

    私たち、何か、忘れさされているような……

    ≪ 民族の 記憶と思考 霧の中 ≫
     

  • 2015年発刊。「わたしを離さないで」以来、著者10年ぶりの長編小説。

    カズオ・イシグロさんの小説ははじめて。
    ノーベル文学賞のレベルの高さに畏れ入る。

    オーディブルで聴いたのだが、なかなか頭に情景が浮かんでこない。もやっとしたままファンタジーの世界が続く。

    健忘の霧に包まれた世界で失われた記憶を取り戻そうとする物語。
    失われた記憶を取り戻した後、世界はどう見えるのか?

    ブリトン人とサクソン人の関係は、某国と某国の関係によく似ていると思った。

    世界には残念な直視できない歴史がある。
    そして、それは愛する人との間にも。
    考えさせられるなー。

    静かだが残酷なラストシーンが圧倒的な余韻を残す。
    ああ、ベアトリス!

  • 読み初めは「あれ、認知症夫婦の話し?」と思っていましたが、後半すごいまとまり方で、さすがはカズオ・イシグロでした。日本人としても、色々考えさせられました。

    ハリーポッターの後半シリーズの暗い雰囲気と似てると思いました。皆さんのレビューの通り、イギリス風大人向けファンタジーでした。

    --------------------------------------
    321ページ
    ガウェイン卿のセリフ
    「アクセル殿が心を痛めておられるサクソンの少年たちは、やがて戦士となり、今日倒れた父親の復讐に命を燃やしていたはず、少女らは未来の戦士を身篭っていたはず。殺戮の循環は途切れることなく、復讐への欲望は途絶えることはありません。(以下、省略)」

    主人公 アクセルのセリフ
    「私には理解できません、ガウェイン卿。今日、われわれは戦士も赤ん坊も区別せず、サクソン人を血の海に沈めました。(以下、ネタバレになるので省略)」
    --------------------------------------

    ちなみに、カズオ・イシグロさん3冊目で今頃気づいたのですが、訳者はいつも土屋政雄さんなんですね。英国紳士の雰囲気が伝わる日本語訳で、本書もカズオ・イシグロさんの世界観に浸れて良かったです。

    カズオ・イシグロ 1954年11月8日生まれ
    土屋政雄     1944年1月10日生まれ

  • カズオ・イシグロのファンタジー小説。残りのページ数を考えると、読み終えるのがもったいないと思いながらの読書でした。

    5世紀以降、グレートブリテン島の先住民族であるブリトン人の世界に、サクソン人が侵攻してくるようになります。ブリトン人は、アーサー王の下で侵入者と戦い、王亡き後も戦争もなく平和な日々を暮らしていました。

    しかし、かつては血で血を争う戦いを繰り広げたブリトン人とサクソン人が、平和理に隣り合わせで暮らせているのは、人々の記憶が忘却の彼方に消え失せてしまう奇妙な現象が関係していました。それは遠い過去だけでなく、ごく最近に起きたことでさえ忘れられてしまいます。

    ある時、記憶がなくなる異変に薄々気づき始めた老夫婦が、記憶の片隅を占めている遠い地で暮らす息子に会うため、長年暮らした村をあとにして旅立ちます。それは、2人にとって確かな記憶を取り戻し、夫婦の絆を深める旅でもありました。

    そこは、鬼が跋扈し妖精が住む世界。途中、アーサー王ゆかりの竜退治を唱える老騎士、竜の呪いがかかった少年、若きサムソン人の戦士、高徳の修道僧など、さまざまな人たちと出会いや別れを経験し、老夫婦は旅して行きます。はたして二人の行く末は…

    最終章だけ船頭が語り手になり、老夫婦と探し求めた息子のことが明らかになります。そこで、最後に老人の言った「霧にいろいろ奪われなかったら、わたしたちの愛はこの年月をかけてこれほど強くなれただろうか。」という言葉が印象的でした。忘れていたからこそ築けた愛と、忘れていた記憶が戻って振り返る過去を思うと、忘れたままの方がいいと自分なら思いますが、夫婦は自分たちの人生を最後に受け入れたところが感慨深かったです。

    それにしても、『第二章』の雨宿りに入った廃屋での船頭の発言「そもそも、本来ならわたしたちは今日ここで出会ってはいけなかったんです。」や『ガウェインの追憶-その一』での後家の発言が重要だったんだなと、最後まで読んで気付かされました。

    ところで船頭の名前はカロンかも知れないですね。読み終わった後、ロックバンドSTYX(スティクス:ギリシャ神話の三途の川という意味)の名盤Cornerstone 収録『Boat on The River』を聴きながら、いろんなシーンを回想したりしていました。

  • カズオ・イシグロさんの作品はやさしい言葉でリーダブルなのに、その内容は奥が深くて驚嘆します。それを支えている翻訳者の土屋さんも素晴らしい♪
    夫婦の究極のラブストーリーという個別の物語と、マクロで巨視的な物語をうまく綯いあわせるイシグロの手法はここでも健在です。さらに世界中で読まれている騎士物語を駆使しながら、圧倒的な「物語」というメタファーで現代の世相を映し出すイシグロに脱帽。やはりノーベル文学賞を受賞する人なのですね~。

    ***
    ブリトン人の老夫婦アクセルとベアトリスは、生き別れになった息子に会おうと決意するのですが、その記憶はじつに頼りない。歳のせいかな? 小首を傾げながらぐいぐい引き込まれていくうちに、どうやらそんなものではないことがわかってきます。移民のサクソン人とかつかつ平和裡に暮らしていた時代、人々の記憶の欠損が霧のように広がっていることにいぶかりはじめた老夫婦の冒険が始まります。

    人々に悪さをする鬼、妖精、竜や巨人といった、おなじみのケルト神話や北欧(ゲルマン)神話・寓話の融合した舞台に心が躍ります。それを支える自然描写もみごとで、樹木生い茂るおどろおどろしい森、冷たい風になぶられる草の荒れ野、茫漠とした岩々の山やまがまがしい湖沼にたちこめる灰色の霧……ブリテン特有の自然と巧い描写が、どこか魔術的感覚やファンタジーを醸しだします。そこにアーサー王や円卓の騎士カヴェイン、あるいは賢者(呪術師)マーリンといった人物が華を添え、あっという間に古きよきブリテンの世界に浸ってしまいました。

    ニュースをながめれば、世界中のどこかで紛争や内戦があり、人が死に、人種や民族、移民や宗教のいざこざを目にしない日はありません。しかも恐怖や怒りをあおり、人々を分断する不穏な流れが世界を席巻し、人類はどうやっても負の連鎖を断ち切ることはできないのか……と途方に暮れてしまいます。いっそのこと対話や努力を打ち捨てて、「竜」の吐息(霧)で人類の記憶を埋めてしまい、さわらぬ神(巨人)に祟りなしとしたほうがいいのか(笑)?
    でもそうなれば、記憶を喪失した人類とは一体何なのか? アイディンティティの根を失った人々や民族や人類の存在は単なる根無し草? そしてすべての歴史を失った人類は、虚無からふたたび負の鎖を編んでしまうのか? 殺した巨人の骨や肉から国を作った神々のように……。

    降り積もっていく雪のように、時の経過は鮮烈だった記憶を覆い、哀しい思い出や苦しい出来事の記憶を、淡く和らげてくれます。そこには苦悩とともに赦しや愛があるのかもしれない、あるいはまた未来を照らす一筋の光や希望があるのかもしれない。そうでなければ歳を重ねるということはなんと辛いことか……これを読んでいると、今も昔も洋の東西問わず、会ったこともないような人々の生き様や人生、それらが降り積もった歴史の中に命の兆しや輝きをみつけて感銘を受けます。善きにつけ悪しきにつけ、人々のもつ記憶というものがあってこそなのでしょう。

    神話の舞台やアーサー王伝説を巧く借用しながら、世界の悩める事象を現代版の物語に再構築したイシグロの手腕にうなります。
    物語の世界に身をゆだねながら、それこそ神話や民話を読むように、すべてを無理矢理「回収」せず、ある種の「ばらけ感」を楽しんでみてください。深く哀しく切実で、愛に溢れた物語……こんな作品が書けるイシグロさんの今後にも注目したいな(^o^)

    ***
    ちょっと余談と備忘
    この物語には山査子(さんざし)の木がよく出てきて私の興味をかきたてます。冒頭の村の情景では、

    「村人の言う「棘の木」とは、誰もが知っている山査子の古木のことだ。村から歩いてすぐのところの山腹に大きな出っ張りがあり、その縁にある岩から直接生えているように見える」

    本のカバー絵の木のようです。
    また作者の優しさや切なさが、行間やページ全体から匂い立つようなシーンが数々あって、このシーンもその一つかな……死にゆく竜のねぐら。

    「この巣穴で竜以外の唯一の命あるもの、あの山査子が、竜にとって大きな慰めになっているのではなかろうか、ということだ。いまも、竜はその心の眼でこの山査子を見、手を伸ばしているのではなかろうか。愚にもつかない空想であることはわかっていたが、竜を見ていればいるほど、ありうる話のように思えてきた。なぜなら、こんな場所で山査子が一本だけ育つなどということに、ほかにどんな説明がつくだろう。竜の孤独を慰めるものとして、マーリンその人がこの山査子の成長を許したのではなかろうか」

    調べてみると、山査子の花言葉は「希望」「ただ一つの恋」「成功を待つ」だって♪

  • 霧に覆われた記憶を頼りに息子に会いに行く老夫婦の旅路。骨太さと抒情が同居した品のある文章が私は好きです。
    シンプルな根源的な旅だからこそ思うことがいっぱい。
    忘却の霧の危険性や、なにを信頼して、なにを疑うべきか、賢者達や剣士との出会いで、危険のなかにあってもあるべき心の持ちようを、忘却の霧の中から見つけ出してもらったみたい。危機や恐怖のなかでも、人でいられる術を教示されている気持ちでした。

    忘却で憎しみの連鎖を断ち切り憎しみの相乗効果を減らしたいとクエリグの存在を善と捉えて守るアーサー王の甥ガウェイン卿と、忘却は結局争いを引き延ばしているに過ぎないという理由から悪と捉える屈強な戦士サクソン人ウィスタンとの一騎打ちにも、こころを揺さぶられずにはいられませんでした。

    アクセルとベアトリス夫妻をはじめ登場人物の誰もが今は悪から遠い優しい人々で、皆平和を切望しています。
    が、実はウィスタンはアクセル属するブリテンに裏切られた過去があり、ガウェインとアーサーは過去に同士、こんな小さな集まりにもいろんな感情が渦巻いています。
    起こってしまった争いや痛みは、ウィスタンの言う通り忘却や霧では解決しない。私達ひとりひとりの心に愛と真理、道、いのちが必要です。

  • まるでドラクエのよう。記憶を取り戻すための旅。息子に会いに行く旅。
    不思議な世界観で、淡々と進んでいく。主人公が老夫婦であるからだろうか。
    過去の記憶とどう向き合い対処するのか、と考えさせられる。人が生きていく上では自分に都合の良い記憶が残れば幸せに生きていけそう。しかし、国家にとっては歴史は消せない。都合が悪いことも良いことも。だから為政者は評価や修正を試みる。そこで新たな対立が生まれる。
    個人レベルと国家(集団)レベルでは、向き合い方が変わるのだ。

  • 記憶は事実と異なり、同じかたちにとどまらない。消えたはずの記憶が戻ってくることもあるし、葬られたままの記憶もある。そんな記憶の覚束なさがベールとなって作品を覆っていた。国の記憶、個人の記憶。歴史の外縁には記憶の霧が立ちこめている。

    尊敬すべき隣人も、異民族と知るや憎むべき相手に変える愚かな転換装置をもつ人間。なんのために争うのかもよくわからないまま、「相手を憎め」というメッセージだけ継承し人類は現在まで歩んできた。残酷さは記憶を失うことで影を潜めていたが、巨人として育っていた。

    歴史や伝説は、実際そのとき精一杯生きた人間の記憶の部分を削ぎ落とされて形づくられている。アーサー王伝説はある一種の記憶の美化として遺ったが、記憶というものは本来、繁茂するヘザーのように絡み合い、霧のようにとらえどころがないものだ。そんなようなことが物語全体にとてもよく表されている。

    (以下、雑記)
    老夫婦と騎士と少年がそれぞれの思いを抱え竜退治に向かう。老夫婦は記憶が戻らないのは竜のせいだと聞いて竜は死すべきと考える。
    竜を退治してから巨人が現れることになるだろうと書かれているのは、記憶(巨人)を匿っていたのが竜だから。ガウェイン卿は竜を護るため最後まで戦う。ガウェインはアーサー王に仕えるものとして、アーサー王の成し遂げたことが正しいとする信念を貫きたいがため竜を護った。しかし一方で彼は揺らいでいる。迷っている。老夫婦の夫アクセルとはアーサー王のもとで仲間であったかれは、迷える羊として描かれている。


  • 村上春樹を蹴落としてノーベル賞を獲得したカズヲ・イシグロとはどんな作家かと、ちょっと身構えて読み始めたが、予想に反して非常に面白く大満足な初読だった。
    アッチラのフン族に押されて移動を余儀なくさせられたゲルマン人の一族のサクソン人と先人でアーサー王をだしたブリトン人にまつわる冒険劇。
    前半はファンタジーの要素がかなりあったが、話が進むにつれて、人間の怨みによる復讐心と忘却で成り立つ平和のどちらを選択するべきか読者に問いかける。
    忘れることは悪ではないと感じた読書でした。

  • 過去を忘れることで平穏に暮らせるのなら、忘れることは良いことなのだろうか。
    この小説のテーマを要約すると一文で終わってしまう。しかしこれほど現代的なテーマはない。

    霧に覆われたブリテン島。島の住人は霧のせいで過去の記憶を思い出せない。昔、何があったのか覚えている者は誰もいない。老夫婦だけが過去の記憶の断片をときに思い出す。なぜ皆すぐ忘れてしまうのだろう?夫婦は訝り、健忘の原因を探しながら遠方に住む息子に会うため旅にでる。
    アーサー王伝説を下敷きに戦士との出会いや騎士との戦闘、竜や鬼退治といったファンタジーな展開に著者の小説の読者なら多少まごつくだろう。だが、他の作品と同様、本作も物語の核となるのは「記憶」を巡るものだ。

    霧という比喩を通して、著者が描こうとしたものは何か。個人や集団同士が憎しみ合うのは過去に因縁があるからだ。互いの過去をすっかり消してしまったら、憎しみ合う理由も消える。それによって一国に平和がもたらされるのなら忌まわしい過去はなかったことにしよう。都合が悪い記憶は消去しよう。
    覆われた霧は偽りの平和を保つための策か。それとも人々が妥協し作り上げた共存のための知恵か。現代世界に当てはめ考えるほどますます答えは出てこない。が、でもそれは、人が生きていく上で考えねばならぬ避けて通れない問いだ。


    ブリトン島を覆う霧の正体や2つの民族間(ブリトン人とサクソン人)で起きた忌まわしい過去、そして老夫婦の過去も物語の最後で明らかになるがネタバレになるので省略。しかし、夫婦のエピソードは本作のひとつの答えでないかと思う。
    老夫婦をめぐる最後の結末は何を意味するのか。読み終えた人しか分からないと思うが、こうだと思う。すなわち、憎すら愛の構成部分である。憎を生まないために過去を忘れ記憶を消すなら、愛も同時に消える。


    夫婦の小さな話を民族対立や国同士の大きな物語に広げることには無理がある。
    それを承知の上で、それでも記憶を消す、過去を忘れるとはどういうことなのか。
    「忘れられた巨人」は、神話的でファンタジーな表層とは裏腹に現代的かつ普遍性を帯びた問いを突きつける。

  • アーサー王亡き後、ブリテン島ではブリトン人とサクソン人が平和に共存していた。しかし、いつしか島は竜が吐く忘却の霧に覆われ、人びとはほんの一時間前のことすらも思い出すことが困難に。そんな中、ブリトン人のアクセルとベアトリス夫婦は、存在さえ忘れかけていた息子との再会を目指し旅に出る。道中、隣国からやってきたサクソン人の戦士ウィスタン、竜に噛まれた少年エドウィン、かつて円卓の騎士と呼ばれたアーサー王の甥・老ガウェインらと出会い、少しずつ過去の記憶を取り戻しはじめた老夫婦の旅の終着点とは。


    一人称小説の利点を完璧に活かしていた『日の名残り』『わたしを離さないで』と異なり、本作は三人称。視点人物もコロコロと入れ替わる。全員矛盾したことを言い、ウィスタンを除いて記憶も曖昧なので、信頼できる人は誰もいない。
    私が好きだったのはガウェインおじいちゃん。円卓の騎士も今は昔、愛馬ともども年老いたガウェインは、中世の騎士を現代的な目で眺めるとドン・キホーテになってしまうという典型のようなキャラクター。大仰でプライドが高く、カルヴィーノの『不在の騎士』のアドルールフォにも似ているのだが、実は戦時中のPTSDに悩まされながらも生き残りとしての矜持を持ち続けようとしていることが長い独り言を通じてわかってくる。『日の名残り』の言い訳おじいちゃんことスティーブンスもなんだかんだ好きなので、私はイシグロの書くおじいちゃんが好きなのかもしれない。
    妖精や死の島、竜などが登場し、全体の筆致も寓話的なのだが、中世キリスト教修道士の腐りきった欺瞞性と、彼らを罠にはめるウィスタンの作戦部分だけは冒険歴史小説然としていて面白かった。サクソン人の遺跡を用途もわからずブリトン人が使い潰しているさまもテーマに関わる重要なモチーフで、小説としては塔に火を放つ場面がクライマックスだと思う。
    この作品は、過去作と同じく〈忘却〉をテーマに、夫婦関係とかつての敵対関係を重ね合わせ、都合の悪い記憶を忘れることで手にするつかの間の平和の是非を問うてくる。アクセルとベアトリスは記憶をなくしたからこそお互いを思いやることができたが、それが忘却のためではなく、本当に心から許し合った結果であればもっと良かったのかもしれない。だが、ウィスタンとガウェインが互いの誇りを尊重して一対一の正々堂々とした一戦を交わすことができたのは、偽りとはいえ戦争のない平和な時代ゆえだろう。キャラクターの中では唯一ベアトリスだけが本心を語らない。アクセルは「わが最愛のお姫様」と呼べるうちに別れがきて幸福だったとも言えるだろうが、ベアトリスにとってはどうだったのか。〈忘却〉の両義性は人間の業そのものとも言えるなぁと思わされる、静かなファンタジーだった。

  • 巣穴のような洞窟で村を形成し、その中で暮らしていた老夫婦。つつがない生活を営んでいたものの、時折感じる違和感が...つい最近起きた出来事でも、村人に話すと全然覚えてないと言う。老夫婦二人の間でも会話が噛み合わなくなることがしばしば。

    そんな中で夫婦は違う土地で暮らしている息子のところに行こうと旅を決意し、村を出る。外は鬼が跋扈していたり、危険が伴うし、件の謎の記憶障害により、道のりも定かではない中なんとか次の村へ。

    鬼より強いサクソン人の戦士(老夫婦はブリトン人)、鬼に噛まれた青年、アーサー王の甥、ガウェイン卿たちと出会いながら行動を共にするようになる。旅をしていく中で謎の記憶障害の原因も明らかになり、クエリグという竜を倒すという歯車に飲まれていく。竜を倒した先には何が待っているのか?

    ファンタジーとしても面白かったけど、この物語のメタファーとなっている問題も良かった。その問題を「記憶障害」という装置で話を展開させていくのがすごく良い。その意味がわかった時にため息が出る。アーサー王の話とか、サクソン人、ブリトン人の話とかあらかじめ教養とし備わっている状態で読んだら更に楽しめたんだろうな。と思った。

  • ブックレビューなどで、おとぎ話のような語り口だというのをちらちらと目にしていたけれど、
    ただの昔話、ファンタジーではなく、たっぷりとメタファーを含んだ、記憶についての物語だった。

    時は、アーサー王亡き後のブリテン島。

    とある村に暮らすブリトン人の老夫婦、アクセルとベアトリス。
    この時代は、村中で農作業をしたりして助け合って暮している。
    しかし、老夫婦は、次第に必要とされず、夜のあかりも許されず、いちばん寒い家に住まわされたりしている。
    しかしこの老夫婦は、若者よりもよく働き、頭も冴え、善良に愛し合う素晴らしい夫婦でもある。
    そしてこの村には不穏な空気があり、みな、過去の記憶を無くしているようなのだ。
    老夫婦自身も、何かとても大切なことを忘れていることを知っている。
    彼らの息子は村から出て行ってしまっている。その時のことを上手く思い出せない。
    ある日、村に不思議な旅の女が訪れた。
    ベアトリスは、彼女を気の毒に思い、そ待つな食べ物などを与え、話を聴いた。
    どうやら、この辺りを覆う霧のせいで、人々は記憶を無くしているようなのだ。
    そして2人は、大切な息子に会いに、西への旅を決意した。

    その旅の道中、島を渡す船の船頭や、旅の人たちから、この不穏な霧の正体は、雌竜クエリグがもたらしていると知らされる。島を出る前に、ベアトリスの体を見てもらおうと、山の上の修道院のジョナス神父を訪ねる。こここがとても、奇妙な場所だったのだ。

    サクソン人の戦士ウィステルと胸の傷のせいで命を脅かされる不思議な少年エドウィン。
    そしてアーサー王の甥、老騎士ガウェイン卿。なんとも奇妙な3人と道連れに、雌竜クエリグを殺し、霧を消し去り記憶を取り戻す旅をいく、アクセルとベアトリス。

    これは、ブリトン人とサクソン人の歴史をも覆してしまうような、謎に包まれた旅だった。。

    私としてはガウェイン卿がかっこよく、最後まで肩入れしてしまった。だって、あのアーサー王の甥なのだ。
    アーサー王といえば、サクソン人はじめヨーロッパ人全土を制覇したような騎士だけども、
    女こどもには、決して手を出さないような、本物の騎士だった。ただ、彼に仕えた戦士たちは、サクソン人の女こどもも殺し、奪っている。そういう者はアーサー王によって罰せられたはずなんだけど…

    サクソン人のウィステルは、その辺りをどうも誤解していたんじゃないかしら。。
    ガウェイン卿の言う通りにしていたら、この物語は…つまらないおとぎ話で終わっただろうけども…

    とにかく、ラストの老夫婦の在り方が、なんとも、なんとも!

    カズオ・イシグロ、なんというか…
    伊達じゃない←何様w

  • 記憶が失われていくことは幸か不幸か。
    記憶を奪う「霧」に疑問を抱き、消えゆく記憶を頼りに息子に会いにいく老夫婦の旅物語。
    刺激的な展開やロマンスがあるわけではなく、物語全体にも霧がかかったように、最後まで話が見えにくい。
    にもかかわらず、読後には何が正解だったのか、ラストをどう解釈するか、とにかくこの物語について考察したくなり、作品の世界に引き込まれていたことに気がつく。海外文学を読み慣れていない人にはおすすめできないが、カズオイシグロの巧さを感じられる作品。

  • 和解のために必要なのは、それと知らずにもたらされる忘却なのではないか?

    仕立ては剣と魔法の世界。竜あり、騎士あり、戦士あり。けれど、やっぱりそこはカズオ・イシグロ。人間存在の要石のところを揺さぶってくる。
    上記の問いかけは、極めて現代的(パレスチナとイスラエル、日本と東アジア諸国、ツチとフツetc.etc)でありながら、同時におそらく有史以前からの宿題でもあることを改めて思わされる。しかも、その問いかけは国と国、民族と民族の間だけに投げかけられるものでもない。夫婦、親子といった、最小サイズの人間関係さえ、上記の問いを免れない。

    記憶は、幸せのよすがであることは、疑いがない。けれど、諍いの種でもあり、諍いの記憶自体が今の幸せの足枷にもなる。では、忘れてしまえば幸せか?リセットボタンを押して?アカウントを削除して??データを更にして???
    そうかもしれない。知的負荷は受け止めるにも限度があるから。負の記憶を正気で背負い続けられる人はそんなに多くない。戦後、戦争経験を正面から語れた人は一体何人いる?被災経験については?離婚経験は?家族の離散については?

    記憶が人間を人間にしている。その記憶自体が人間を苦しめもする。とするならば、あの人たちがとった策は、思いやりという名のパターナリズムと言うほかないのだろうか?

    「水に流す」「手打ちにする」という言葉がまかり通ることのない世界を、「アイデンティティ」という奇妙に硬い殻を背負って、しかも正気で生きることの難しさをずっしりと感じさせられた。

  • 充実した読後感。読む前とでは、世界の見え方がちがっている。いわゆるファンタジー世界を舞台としているが、そこで描かれているのはリアルな人間の生きざま。静かに、深く。(2018年4月30日読了)

  • 初めて堪能するイシグロ作品。
    現代においてここまでのファンタジー小説を描けることに感動しつつ、かなりボリュームがあるので読むのに時間がかかり、何度も遡って読み返しながら進めていた。

    「記憶」という漠然としたテーマを置きながらも、夫婦間の記憶、隣人との記憶、さらには国と国の記憶など、記憶をさまざまなスケールに伸び縮みさせている。
    憎しみや怒りの記憶は忘れるべきなのか、ただ平和な記憶だけを残すべきなのか、記憶をめぐって葛藤されていく人物たちに、自分自身を投影してしまう。

    この物語の結末をどう捉えるかは、読むタイミングによって印象が変わる。けれどいつ読んでも前向きに捉えたいという気持ちはどこかある。

  • 夫婦の個人的なこれまでの記憶のフェーズと、争いの過去をないものとして今穏やかに過ごす人類のフェーズが次々にやってくる。愛したはずの記憶を蘇らせたいのに、実際に甦るのは怒りや悲しみなのか。であれば、それらの記憶は薄れていったほうが、これからのお互いの愛のためなのか。
    記憶する/しないと機械的に決められない人間の構造。記憶したとしても捉え方がそれぞれ違えば、その強さがそれぞれ違えば、実はお互いがすれ違って生きてきたことに気づきつらくなるのでは。けれど、この日々が全て記憶から抜け落ちてしまうのは耐えられない…

  • 長編ではあるが、視点が主人公である老夫婦だけでなく、他の人物にも切り替わることによって、意外と読みやすい。
    また、アーサー王亡き後のブリテン島、そこで記憶をなくす霧に覆われた幻想的な世界観。何ともワクワクする。

    さて、この忘れられた巨人と言うのは誰のことか。
    私は、記憶のことではないかと思った…
    クエリグと言う雌竜の吐く息が、人々の記憶を失わせる霧となって、いいことも悪いことも忘れさせていく…

    確かに忘れていた方がいいこともあるし、忘れたいこともある。
    だけど、全てをわすれてしまうのは…何とも寂しいことである。

    それが、霧で覆われた島の風景と被り、何とも物寂しく感じた。

  • 再読。
    好きだなぁ…好きだなぁ…。
    シビアなテーマももちろんだけど、ディティールの隅々までがたまらなく好みで、いつまででも読んでいたい。
    読み終えた後でもずっと考え続けているので、「いつまででも読んでいたい」は叶っているのかも。
    また読む。

  • 「では、真実とは何だろう。
    これが小説に価値がある理由だ。」
    (カズオイシグロ)
    Eテレ| 2017年 ノーベル文学賞受賞決定!
    『 カズオ・イシグロ 文学白熱教室 』アンコール放送
    10月8日放送 午後11時00分〜午後11時55分 放送 より

    私は子供のころから「本を読むのをやめなさい」と親や学校の先生に注意されるほど、読書が好きだったのに、ここ数年は、ビジネス系の本ばかり。

    小説を読むのは苦痛で、出来ないことになっていた。
    それがこの怒濤の変化の年末年始に、買ったもののひとつが「忘れられた巨人」。

    早く先を知りたいけど読むのがもったいない感じ。久しぶりのこの感覚に何か甦るような嬉しさを感じる。

    一章づつ大切に読んでいて、
    ある日、目黒線を途中に挟む東横線特急乗り換えの途中で、次の一節を目にしてその暗喩に涙ぐんだ。

    「そちの罪がどんなものか、おれにはわからん。だが、ブレヌス卿を信じる。
    卿はおまえの排除を望んでおられる」

    「わしはアーサー王の騎士であって、ブレヌス卿の歩兵ではない。
     ただの噂や血の違いだけを理由に、異国の人間に武器を向けるようなことはせん。」

    まさにいま私達はどちらの立場にもなり得る帰路にいて、もうすぐくる世界の変化のとき、
    自らを信じて判断し、行動する勇気を、持てるのだろうか。もうすぐ確実にくるそのときに。

    創られた物語だからこそ、
    伝えることにできるメッセージがあった。

  • アーサー王伝説をベースにしたファンタジー小説。
    ブリトン人とサクソン人が、「巨人」、を忘れさせてくれる雌竜クレイグのおかげで見かけ上平和にやってこられている国が舞台。
    しかしその忘却に疑問を持ちはじめた老夫婦が、ある日息子の村を訪ねようと思い立ち旅に出、その過程で出会う戦士や騎士に巻き込まれる形で旅は思いがけず冒険に・・・。
    タイトルの「巨人」、ファンタジーなので実際に巨人が出てくるのかと思っていたのだけれどもラストの方でその意味が明らかになる。なるほど。
    そして冒険譚という物語と並行して走るのが、忘却の影響を受けている老夫婦の愛。
    忘れたからこそ強くなった絆。そして強くなった絆のはかなさ。

    「日の名残り」を読んだときにも感じた、上品で読みやすく、美しい文章に加わる独特の語り口。やっぱり好きだな。
    ファンタジーはもともとそんなに食指が動かない方だったのだけれども、これは楽しめた。よかった。

  •  続きを気にさせる感じは共通だけど、他のカズオイシグロ作品と違って心理描写が少ない作品だなと思いました。純粋に僕が理解できる部分が少なかった…
     特にベアトリスが記憶を保持不能な時にはアクセルと離れ離れになるのをすごい恐れているのに、記憶保持可能になった途端、離れ離れになろうとするのがよく分からなかった。島を渡る行為が死を意味するのだろうけど、記憶が戻った途端に島を1人で渡ろうとするのはなんでなんだろう。

  • ファンタジー的な要素はあるものの、人と人との諍いや愛情とはどういうふうに成り立っているのか、ということを、ふと考えさせてくれる一冊。
    ロシアのウクライナ侵攻が一年間に及んでいるいま、多くの人に読んでもらいたい作品の一つ。
    ぜひ。

  • テッド・チャンの『息吹』に収録されている、完全記憶装置の話と対になっているように感じた。夫婦の諍いを忘れていた期間がなければ、今ほど夫婦の絆は強くならなかったのではないか、というアクセルの言葉がこの本の主張に見える。テッド・チャンの方は、記憶が関係性を修復することもある、という主張だったと思う。

  • 冒頭から静粛に淡々と物語が進む。謎めかしい事象が語られる中、老夫婦が息子に会う為の旅物語。
    宗教的にも民族的にも知識が少ない私には、難解だった。
    謎は謎ではなく忘れられた事実。解明されるのではなく思い出すしか無い。いや、忘れてしまう方が良いのかという命題。
    そこに、巨人として暗喩されたものがあるのだとは思うのだが。

  • ファンタジーだが、読んでいると現代の民族間の諍い、過去を忘れないまま赦すことができるのか、忘れないと赦すことはできないのか、民族間の諍い、争った過去は癒され乗り越えることが可能なのか、など、まさに現代にも通じる内容。
    ファンタジーとして考えるとドラゴンは悪、アーサー王(とその部下たち)は正義、記憶を失わされることは悪の所業で記憶を取り戻すのが目的というのが基本の王道だ。でも本当にそうだろうかと作中で何度も考えさせられる。失った記憶が苦痛を伴う辛い記憶かもしれない時、取り戻すことを選択できるだろうか。
    さらに、その記憶が民族の犯した過ちで、その記憶が無くされることで現在の平和があるのだとしたら?それでも取り戻すのが正しいのか?記憶を解き放ったら復讐の殺戮が始まる可能性が高いとしたら?これは、作品内に描かれたサクソン、ブリテン人同士の争い、歴史を思い起こさせつつ、現代の民族紛争、宗教や文化の違いによる争い、歴史の捏造や社会的隠ぺい、歴史修正主義などにも考えが広がる話だ。
    当初の読後感想としては無理ではないか、憎しみの連鎖はその記憶が伝えられる間は断ち切れないのではと悲観的な見解だった。しかし読書会の参加者の話を伺って、新しい期待も生まれてきた。「覚えていなければ赦すこともできない」という意見が印象的だった。
    加えて、この話を読むにあたって、背景の文化、アーサー王伝説について知っていると、より深く理解できそう。知らないで読んだのが悔しい、ぜひ読んで知りたい。

  • アーサー王はいかにして征服後、平和をもたらしたのか?

    老夫婦の静かな生活と息子の事すら思い出せない違和感。
    常に隠されている謎が気になりながら読み進めた。
    終盤の竜退治のシーンやアーサー王とマーリンの魔法など、とてもファンタジックなのに、戦争被害など考えさせられるものがあった。
    老ガウェインは愚痴っぽいのがご愛嬌。

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著者プロフィール

カズオ・イシグロ
1954年11月8日、長崎県長崎市生まれ。5歳のときに父の仕事の関係で日本を離れて帰化、現在は日系イギリス人としてロンドンに住む(日本語は聴き取ることはある程度可能だが、ほとんど話すことができない)。
ケント大学卒業後、イースト・アングリア大学大学院創作学科に進学。批評家・作家のマルカム・ブラッドリの指導を受ける。
1982年のデビュー作『遠い山なみの光』で王立文学協会賞を、1986年『浮世の画家』でウィットブレッド賞、1989年『日の名残り』でブッカー賞を受賞し、これが代表作に挙げられる。映画化もされたもう一つの代表作、2005年『わたしを離さないで』は、Time誌において文学史上のオールタイムベスト100に選ばれ、日本では「キノベス!」1位を受賞。2015年発行の『忘れられた巨人』が最新作。
2017年、ノーベル文学賞を受賞。受賞理由は、「偉大な感情の力をもつ諸小説作において、世界と繋がっているわたしたちの感覚が幻想的なものでしかないという、その奥底を明らかにした」。

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