- Amazon.co.jp ・本 (412ページ)
- / ISBN・EAN: 9784151300110
感想・レビュー・書評
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初めてアガサクリスティーに触れた作品だったと思います。少し時代や国が違う作品には躊躇いがありますが、ふつうにおもしろかったです。私にとってはアガサクリスティー登竜門になりましたね。
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イギリスの推理小説家アガサ・クリスティー(1890-1976)の代表作のひとつ、1935年。
エルキュール・ポアロが登場する作品を読んだのは初めて。謎の手紙とともにひとつひとつ殺人が起こっていく不気味な前半部分と、真犯人とトリックの解明へ向けてスピーディに展開していく後半部分とが対照的で、読んでいて飽きが来なかった。三人称の語りが挿入される変則的な構成も、気味の悪さを醸し出す効果があって面白かったと思う。軸となるトリックはのちに「ABCパターン」と呼ばれるようになるほど有名なもので、予め概略は知ってしまってはいたのだが、それでも真犯人は最後まで分からなかったし、一応は楽しんで読むことができた。
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作中に「没個人的な殺人」という言葉が登場する。それは、個人的な怨恨でもなければ金銭目的や愛憎のもつれでもない、なにか"純粋に"狂気的な或いは形而上学的な犯罪動機を指しているのかと思い、期待しながら読んでいた。しかし、結局のところ動機はごくありふれた"人間的な"ものであった。さらに、推理の場面で人格だとか気質だとかコンプレックスだとかの心理学的・精神医学的な俗流通念が説明要因としてたびたび持ち出されている。こうした点が、「ABCパターン」というトリックの奇抜さとは裏腹に、なんとも安っぽく感じられた。
人間主義的でも心理主義的でもない"純粋な"犯罪小説というものを読んでみたいが、それは不可能なのか。人間だけが罪を犯し得るとするならば、確かに不可能なのかもしれない。仮にそのようなものが可能であるとするならば、それは推理小説ではなく、形式的な論理パズルになってしまうのかもしれないし、異界の非人間を持ち出すならSFや幻想小説の類になってしまうのかもしれない、或いは哲学小説じみてくるのか。いずれにせよ無いもの強請りであったか。
物語の前半部分でポアロが犯人像のプロファイリングを行っており、そこで描き出される人間類型が随分と現代的で驚いたが、プロファイリングのような手法で全てが明かされてしまうのではなんだか身も蓋もない気がする。そうした統計学的手法などでは捕捉しきれない、非合理的で矛盾しているがゆえに社会からの欺瞞的・暴力的な意味付与を断固峻拒する、そんな自由の犯罪というものを読んでみたい。
とはいえ、ポアロの次の指摘は説得的である。
「話をするというのは、・・・、人間に思考させないための発明なのです。それはまた、人間が隠そうとすることを発見するための、あやまたぬ方法でもあります。人間というものは、ヘイスティングズ、会話が与えてくれる機会を利用して、自らを暴露し、自己を表現せずにはいられないものなんです。そのたびに自分をさらけ出してしまうんです」
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第一の手紙を読んで、高校時代に「nut」という単語には「難問」という意味があると習ったことを久し振りに思い出した。「hard nut to crack」でイディオムとなる。
「Perhaps you'll find this nut too hard to crack.」-
突然コメントを送りつける非礼をおゆるしください。
佐藤といいます、いつも哲学的なレビューを興味深く読ませていただいております。私にはない視...突然コメントを送りつける非礼をおゆるしください。
佐藤といいます、いつも哲学的なレビューを興味深く読ませていただいております。私にはない視点なのでとても勉強になります。
一点だけ、同好の士としてお伝えしたく書き込みさせて頂きました。
「欺瞞的・暴力的な意味付与を断固峻拒する、そんな自由の犯罪」
森博嗣というミステリ作家の「黒猫の三角」「すべてがFになる」が、そういう思想のもとに書かれております。理系ミステリの異名があるくらい理系寄りの作風(作者は名大工学部の元教授です)なので、かなり読者を選びますが…
すみません、それだけです。失礼いたしました。既読スルーで構いません。2018/12/14 -
佐藤史緒さん
こちらこそ有難うございます。
森博嗣、名前は聞いたことありますが、本を手にしたことはありませんでした。
現代作家...佐藤史緒さん
こちらこそ有難うございます。
森博嗣、名前は聞いたことありますが、本を手にしたことはありませんでした。
現代作家に疎い私にとって貴重な情報です。
理系好きなので読書予定の1冊に入れておきます。
コメント有難うございます。2018/12/16
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ミステリーの第一人者、アガサ・クリスティーの小説を一度は読んでみたかった。
第三者で語られる目線というのが新鮮だったし、こんな見事な展開をこの年代に、イチから作り上げているのか。頭の中の創造性はどうなっているんだろう(ミステリーを書く人、すべてに通づるが…)。
ポアロのキャラクターが陽気で読みやすいし、章分けが細かく設定されているので、ストーリーがわかりづらくなりにくい。
ただ、洋小説ならでは?なのかアガサ・クリスティーならではなのか、日本人に馴染みのない言葉遣い、話し方、考え方に違和感を覚えつつ読み進めた。
読了感がスッキリなので、色々なポアロシリーズを読みたくなる。 -
初ポアロ。
あまりに説明不足で変人ムーブするポアロに、なんか慣れないなぁ〜と思いつつ、ストーリーはめちゃくちゃ面白いのでガンガン読めた。
事件がたくさん起きるから山場が沢山あって飽きなかった。
終盤、事件解決!となった時に、フーン…?これで終わりかぁ…傑作と言うほど面白くはなかったな…と思ってたらラスト数十ページで怒涛の展開になり、脳汁ドババ〜!!!え〜!そうなの〜!?!?おっおもしろ〜〜!!!!になった。
これだからアガサクリスティーはよォ〜!!!!面白いもの書いてくれるなぁ〜!!!!!
完全に余談やけど、今回は図書館でクリスティー文庫じゃなくて、子ども向けのクリスティージュニアミステリーというちょっと大きめの本を借りました。
図書館様ありがとう…一冊1000円越えが続くとなかなかキツくて…。
あと、今更ながら子どもに殺人ドカドカ起こってるミステリー読ますのって何なんだろうか?と思った。面白いけど人が死んでるねんで!と思う。 -
狂人にも狂人なりのロジックがあり、それに基づいて行動している。どんなにおかしなことでも必ず原因があり、法則やルールが存在する。つまり、彼らは我々と同じ人間なのである。
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カストが不憫
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刊行年1936年。
ミステリー作家のエッセイ、ミステリー小説内でよく出てくるのでやっと手をつけた。読みやすくて事件を追って行くのが面白かった!けど、最後のポアロの説明では現実味があまり感じられず、解説も読んで構造を理解したけど、ミステリー初心者の自分には、誰もが名作だというこの作品の深いところまで理解できなかったように思う。 -
結構直近で、映画【ファイトクラブ】を観てたから、カストの二面性に関しては予想がついたけど、さらにその先の展開については、想像できなかった。
ただどうやら僕はヘイスティングスの、一人称視点で語られるのは好きじゃないみたい。ヘイスティングスが、嫌いなわけではなく。 -
期待しすぎたせいかあんまりやった
設定とかは面白いねんけど個人的にめっちゃいい!!とはならんかった