暗い抱擁 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151300868

感想・レビュー・書評

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  • 事故で歩けなくなったヒューは、兄夫婦の家で静養していた。そのセント・ルーで選挙戦が始まる。候補者のゲイブリエルは、私欲を隠しながら人々の心を巧みに掴む。だが、彼にはとある劣等感があって──。

    舞台は1945年の英国。セント・ルーには城が建ち、男爵の未亡人と姫のように美しい女性・イザベラが住んでいた。ヒューは彼女に惹かれていく。しかし、野心まみれのゲイブリエルが現れて、人間ドラマに嵐が訪れる。過去を振り返る語りで描かれるドラマのラストにはとんでもない衝撃が待っていた。それは夜中に「ええー?!」って声を上げてしまうほど。読者にとってもラストからが本番と言える作品。どう読み解くかによって、傑作からよくわからんまで評価が割れそうな作品。

    ゲイブリエルは悪役のようでありながら、ヒューには本音で腹の中をさらけ出す傲慢さと弱さが人間臭くて魅力的。兄の妻・テレサも人間関係や愛についての深い洞察でヒューを助けていく。そして、イザベラ!常人には理解しがたい行動が、実にシンプルな動機からくるというキャラ造形が面白い。イザベラは感情移入できないでいいというか、それでもいいって思えることが愛に繋がるのかなと感じた。

    以下、ネタバレ注意!

    イザベラが城を離れたのは、死を恐れないゲイブリエルに惹かれたんだなと思った。その結果、どんなことよりも死を恐れていた彼女が、ゲイブリエルを庇ったことで死への恐怖を乗り越え、彼への愛を事実として証明した。
    階級コンプレックスを持っていたゲイブリエルは、貴族であるイザベラを地に堕とそうとするも、愛されていたという決定的な証拠を突きつけられる。そこで彼は劣等感から脱却し、口だけではなく本物のリーダーへと歩み始めたのかなと。

    裏表紙のあらすじがネタバレな上に的外れな内容で、この解釈が罠。イザベラは救わねばならないなんて思っていなくて、もっと本能的に理屈抜きで駆け落ちしたんだと思ってる。庇ったことも彼のためというのは結果でしかなく、彼女の自己完結する自己実現であり、それが愛と呼ばれるものだったというか。憐れみや自己犠牲での愛ではない。何者にも変えられないイザベラだったからこそ、死への恐怖を超えたことが愛の証明になった。

    ノン・シリーズはミステリよりもミステリしてるぜ!って衝撃があって好き。

    p.46
    「無理をしてお伽噺を信ずる必要はないわ。ジェニファーって人は、大体がくよくよと悩んで切ない気持ちにひたるのが好きなんでしょうよ。好きでそうしているのなら、はたでとやかくいうことはないんじゃなくて? あなたはね、ヒュー、自己憐憫にふけっている人に同情する傾向があるのね。惻隠の情っていうのがあなたの弱点なのよ。だから物事がはっきり見えないんだわ」

    p.103,104
    「勇気なんてものはね、日常生活にはおよそ無用の長物だ。たとえ勇気を示す機会に恵まれたとしても、そのために得をするなんてことはまずない。しかし戦争のときはこりゃ別だ。いっとくが、おれは何も勇気が高潔な美徳だなんていってやしないぜ。結局のところ、勇気なんてものは神経の作用か、何かの分泌か、とにかく生理的な次元の問題さ。煎じつめれば、たまたま死ぬことを恐れていないということに尽きる」

    p.118
    「でも──あたし──たぶん、馬鹿だからよくわからないんでしょうけど、人間って、何かしら希望をもって生きていかなくちゃいけないものなのかしら? ただ生きているだけじゃ、なぜ、いけないんでしょう?」

    p.178
    「そうじゃないんだ。二人は実際にまったく違う目で対象を見ているのさ。たぶん──そうだな──人間ってやつはあらゆるものの中から自分にとって意味をもっているものだけを引き出すってことだろうね」

    p.180
    「あなたやわたしのような人間はね、ヒュー──ロバートはちょっと違うけど──、自分の感じたことについて沈思し、分析し、思いめぐらすわ。どんなふうに感じたかを検討し、理屈をつけるでしょう。『これこれの理由でわたしは幸せを感ずるのだ』とか、『こういうわけでわたしはあの人が好きなのだ』とか、『こんなに憂鬱な気分なのは、これこれのことがあったからだ』とかね。ただ、そうした理由はしばしば間違っていることがあるわ。人間って故意に自己欺瞞に陥るんでしょうか。でもイザベラはわたしたちとは違った人種だと思うの。瞑想したり、なぜかと自問したり、そんなことは彼女はしないわ。はっきりいって、そんなことには関心がないのよ。あの人に考えるようにと命ずれば──なぜ、そんなふうに感じるのか、いってごらんといえば、たぶん筋の通った考えかたをしてはっきりした答を出すことができるかもしれない。けれども彼女は、高価な、上等な時計を炉棚の上に載せておいてけっして巻こうとはしない人間のようなものよ。なぜってあの人が今送っているような生活の中では正確な時刻を知ることなんて、とくに重要な意味をもっていないんですからね」

    p.185
    「狡猾さって、人間がまっさきに建てる──もっとも安易な防壁じゃなくて? 人間にひそむ原始的な特質の一つじゃないかしら──穴の中にうずくまる野兎──雛のいる巣から人目をそらそうと羽ばたきの音を響かせてヒースの野を横切る雷鳥。狡猾さは本質的なものよ。追いつめられて死にもの狂いで戦わなければならないときに、用い得る唯一の武器だわ」

    p.195,196
    「だって誰かを愛したら、何よりもその人を幸せにしてあげたいって、そう思うものじゃありません?」
    「それも一種の自己陶酔です。そのもっとも隠微な形といいましょうかね。かなり一般化してもいます。しかし統計学上から見た場合、それこそ何にもまさって結婚生活を不幸にしているものじゃないでしょうか」

  • いやー、すごい。今更だがすごい。さすがクリスティー、さすが女王、と言うしかない。

    まず人物の造型がもう。。。テレサ、カッコいい。287ページからのレディー・セント・ルー、カッコいい。ヒューっと口笛を吹きたくなる。

    深みある警句の数々、過不足なく拾いあげられた人生の断片から立ちのぼってくる”愛とは何か”。
    これ読んじゃうと、昨今のミステリが子どもっぽく思えてしまう。
    いやー、女王、まいりました。

  •  読者の引き込み方がクリスティーらしいなぁ。小説の最後に、「それは結末じゃない、始まりだ」と言ったのは、私はポジディブな意味にとらえたけど、真意はどうなんだろう。

     イザベラみたいに今だけを考えて、自分の輝きをずっと持っていられる人って特別だな。ゲイブリル、クセ強いなぁ。テレサは何事にも理解がある人って感じで描かれているけど、そんな人、本当にいるんだろうか。

     幸せになることだけが人生の意義ではない、っていうのには共感する。世間的にみた不幸が、ある人にとっては一種の幸せでありうる。幸福が人生の意義であるとは限らないし。
     不幸に生きながらえる人っているよなぁ。悪いわけではないし、無理に変える必要もないって思ってたけど、滑稽だし誰かを辟易させる。

     誰のことも見ているつもりでも、ちゃんとその人のことは見えていない。自分の偏見から自由にはなれない、公平になんて見ることはできない。自分に対してですら、公正な目で見ることはできないんだから。 

  •  クリスティがメアリ・ウェストマコット名義で書いた小説。私にとっては二冊目の「メアリ」作品。
     この作品の登場人物達と読者である私とは当然ながら背景とする文化土壌が違う。キリスト教的文化と、そしてイギリス特有の「階級社会」は、いずれも読み手である私には馴染みがない。そのため、ジョン・ゲイブリルの抱く怒りや悲しみ、そして彼自身の根源とも言える劣等感も本当の意味で感じられているとは言えないだろう。しかしそういった部分を踏まえてなお、素晴らしい作品だと思った。
     結局、誰よりも自分のことを愛していなかったのはゲイブリエル自身だ。彼に対するイザベラの態度は読者にとっても不可解だったが、それは読者やゲイブリエルが複雑に考えすぎているだけで、彼女はもっと真っ直ぐに考え、またそう行動できる人なのだろう。ラストの台詞が沁みる。
     裏表紙に書かれているあらすじが的外れなうえに盛大にネタバレしているのでどうにかして欲しい。

  • アガサ・クリスティの一連のミステリーとは赴きを異にしているが
    鋭い人間観察に基づく記述はとても読み応えがあり、結末の展開はさすがアガサ・クリスティ!!

  • ジャンルとしては恋愛物なのかな…
    小説の裏面のあらすじは読まずに読み進めたほうが良いと思います。

    人の心の機微がうまく書かれており引き込まれました。半分ほどを一気に読み進めてしまいました。

    ゲイブリエルやミリー達は、どこかしら人とし共感できる部分がありました。

    イザベラは、私には感じ取れないところが多かった。選んだ選択も、なかなかできない選択だと思います。

    しかし、最後には少し驚きました。

  • こういう系もあるんだ...

  • 暗い抱擁
    アガサ・クリスティ

    メアリ・ウェストマコット名義のクリスティ小説④

    *☼*―――――*☼*―――――

    一生車椅子生活となる事故を結婚間際に起こしてしまったヒューが語り手。その後、義姉と共に政治活動に関わることになり、そこで出会ったのが政治家のゲイブリエル。
    政治家なんて俳優とそう変わらないと思ってるんだけど、結局見せ方だよなと。ゲイブリエルはかなりの野心家だけど、劣等感で溢れていたんじゃないかな。ヒューに対してゲイブリエル曰く私の愚痴を聞くために存在するというように、人を見下すことによって自分を保っていたようにも思う。

    ミリー・バートのような人はメアリ名義小説に必ず出てくる。済んでしまったことをいつまででもクヨクヨする在り来りな(ちょっと私みたいな)女性。彼女がゲイブリエルに助けを求め、彼はいつもと違って紳士らしく振舞ってしまったがために、事件になった。

    イザベラはルパートと再会し婚約、結婚することをとても嬉しく思っていたようなのに、ゲイブリエルと駆け落ちするとヒューに告げたところが突然すぎて意味が分からなかった。
    ただ、結婚とか一生を共にするとか言う意味で着いて行ったのでは無いと言うのは分かった(彼女の心理については書いてないので謎)。ゲイブリエル的には、ミリーが助けを求めた時に一緒に逃げようという気持ちがあったのに、イザベラが台無しにしてしまった。

    最後からプロローグに繋がるというパターン。
    ゲイブリエルは結果的にはちゃんとした人としての人生を送っていたよう。

    選挙と恋愛を一緒にした小説で難しいかと思ったけどそんなことも無く、とても面白かった。

    2022/07/16 読了(図書館)

  • 悪い男に攫われても、お姫様はお姫様でした。

    同じくメアリ・ウェストマコット名義の
    『春にして君を離れ』を「女性の理性の勝利」とするならば、
    本作は「男性の感情の敗北」と感じました。

  • メアリ・ウェストマコット名義作品
    これは面白かった。途中までメアリ・ウェストマコット名義作品とは知らずに読み進めていたが、プレリュードから引き込まれた。
    一番好きな登場人物はテレサ。とても素敵な人だと思う。
    印象的なフレーズは、ある事件についてレディー・セント・ルーが一度だけ意見を述べた部分から。
    「上層階級の特権だけでなく、その義務をも受け入れるが故に、敢えて臆さずに自分を上層階級と呼ぶ人を選ぶべきだったのです」(p.325)

    アガサ・クリスティー完全攻略の著者の忠告に従って、文庫の裏表紙のあらすじは読まずに読み進めたが正解だった。読了後にあらすじを読んで、霜月蒼氏の言うようになにもかも台無しの内容にびっくりした。

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