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Amazon.co.jp ・本 (432ページ) / ISBN・EAN: 9784151300899
感想・レビュー・書評
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【ノンシリーズ】
シングルマザーのアンは人生の全てを注いで一人娘を育てきた。しかしアンの再婚問題を機に母と娘の関係が変わってくる…。
「母親の目線」で読むか、「娘の目線」で読むかによって思う事も変わってくる。
自分も娘がいる母親だし、かつては娘だった時代もあるので、両方の気持ちがよくわかるので面白い。
再婚を決めた男性のことをどう思うか?
娘が好きな男性を親として許せるかどうか?
この2点は読者それぞれの価値観によって違うと思う。
古い友達と長年仕えるメイド、この2人の頼れる老女が精神安定剤みたいで安心する。
クリスティー自身もこの作品と同じように、娘がいて14歳も年下の男性と再婚してるので、ここまで繊細に描けるのではないかと思った。
読後感は『春にして君を離れ』と同じ。
読み終わった後に考えさせられる本が好きなので、こういうのも大好き。
いつものミステリーっぽくない、こういう作品もあるからクリスティーは飽きないんだよなぁ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
母と娘の話。原題は"A Daughter's a Daughter"。
外国の人の独自な言い回し、考え方、文化、風習などに何とかついて行きながら読んだ。
登場人物、特に母と娘が好ましい人物と思えなかった。
主人公アンは、「春にして君を離れ」の主人公ジョーンに似ているような気がした。 -
母と娘の確執を描く、メアリ・ウェストマコット名義の普通小説。
地味な存在ですが、読まないなんてもったいない!面白いので、ぜひ読んで下さい。
第一部では、母の再婚相手と娘が衝突。双方の気持ちを丹念に、しかし簡潔に描いているので、二人が対立する理由が手にとるように分る。第二部からは意表をつく展開ですが、ここで狂言回しローラの役割がきいてくる。じっさい脇役の使い方が見事で、頑固で忠実な女中イーディスがうまいのは当然ですが(そのおかげで彼女の外国人差別まで許してしまう)、本来苦手なはずのぼんやりした青年ジュリーまでいきいきしている。描き方はそうでもないけど、扱い方がうまいんですね。
いい小説だなあ………。私は感激しました。
旧版は中村妙子さん。中村さんの訳者あとがきは、田村隆一さんとはまた違った味がある。『火曜クラブ』の「女は女同士」という台詞を引いて、クリスティーには「自己中心的で哀れな女」の系譜があると指摘する。しかも、同じような性格の男は登場しない、それを思うと「女は女同士」という言葉が重く響いてくる、とまで言う。これには唸りましたね。
「しみじみ思いますのは、女は女同士ってことですわ――まさかのときは同姓の側に立たなくてはということですのよ」
新版は児玉数夫さん。戦前にクリスティーを読んだ経験と、映画の紹介を少し。こたつで蜜柑を食べながら「スタア」に載っていた短編「悪魔」を読んだという。こういう細部が文章に力を宿すんですね。いきなり盧溝橋事件からはじまるので何事かと思いましたが。
これはこれで素敵な思い出話です。しかし中村さんの武骨な情熱の前ではちょっと分が悪い。
旧版の勝ちです。 -
★3.5 初読
春にして君を離れがあまりも強烈なので
ドキドキしながら読んだ愛のシリーズ。
相変わらずのアガサクリスティの冷静な人間を見る目。
ラスト近くローラが語る
「わたしの我慢ならないことが二つあるの。
1つは自分がどんなに高潔な人間か、自分の行為にはどんなこう
道徳的理由があるかを得意満面と述べたてること。
もう1つは、自分は何と悪いことをしたのだろうかと際限なく泣き言を並べたてること。どっちの感情も正しいんでしうがね」にあるように、
彼女は人間の欺瞞とか自己陶酔、自己正当化に厳しいんだよね。
それが爽快でもあるし、同時に自分に向けられるものだと思うと
ヒュッとなります。
「そりゃあ、あなたの行為について真相を認めることはもちろん必要よ。
でも、いったん認めたらさっさと次に進むべきだわ。
時計の針を元に戻す事は出来ないし、やってしまった事を
やらなかった状態に返すことは、たいていの場合、できない相談よ。
生き続けること、それが肝心なのだから」
は、ハイ。LIFE GOES ON ……
母親のアンと娘のセアラ。
セアラに結婚を反対されたアンのその後の振る舞いを
あまりに他人行儀に感じるのは
母親というものは娘である私が何をしても本質的には
嫌ったり憎んだり心底哀しんだりする事はないだろう
と信じて生きてきた、甘ったれて守られた「娘」であるから、
なのだろうな。
でもさやっぱりラストは、じゃない。
その途中のあれこれを乗り越えられるのは幸運、
なのだけどね。これはそのパターン。
アンの中年期の恋に関して
「つまり小春日和ってわけ?」は上手いな〜w使おっと!
「今でも古典的な彫刻が好きなんですの。小さい頃にしみこんだ好みが抜けませんのね。
だからってわたくしの趣味ばかりが正しいわけじゃありませんわ。
新しい芸術の様式を理解するには教育が必要でしょうね。
音楽についても同じことでしょうけど」
「レジャーを楽しむより仕事に打ち込む方にはるかに魅力を感ずるたちだったが、多くの婦人たちとは違って、彼女はこの事を自慢にしてはいなかった。〜仕事は自分自身から逃避する有効な手立てだ。」
「人生の悩み事の半分は、自分を本当の自分よりも善良な、立派な人間だと思いこもうとする事からくるのよ」 -
若くして夫を亡くし育てた一人娘も19歳になった。そこに再婚してもいいかと思う男性が現れた。ところが娘と男性はそりが合わない。娘は全力で男性を排除しようとする。男性には娘と自分とどちらを択るのか?と選択を迫られ、娘を選ぶ。まるで一人息子を争う嫁姑のような会話が展開される。
また女性が間にはさまり対立が異性という点では婿取り娘対実母と婿。これも間にはさまる娘は大変。自分がこの立場なので、対立相手は娘ではなく実母だが、この小説の未亡人アンが娘と愛する男との間にはさまり神経が摩耗する会話が実にリアルに響いてきて、読むのがつらくなるほどだ。
娘は母親が相手の男性を好きな事に気づかないし気づいてやる余裕も無い、という描き方だが19歳ならそうなのかなあ。あるいはクリスティ自身の再婚あたりの実情はどうだったのか。
娘は娘、A Daughter's a Daughter's 娘のために自分のしたいことを犠牲にした と思い娘のあやうげな結婚にも親身にならない。娘は相談した時否定して欲しかった、と最後に言っているが、修羅場とはこういうことか。
1952発表
2004.8.31発行 1018.7.25第3刷 -
ノン・ミステリーシリーズ。
母と娘という、一種異様な独特の関係を描いた作品。
憎むのも、煩わしく思うのも、心配するのも、反発するのも、愛しているからなんだと強く思いました。
読んでいる間、苦しめられ、振り回され、のたうちまわり、ラストは涙が止まりませんでした。 -
私も娘がおりますが、一人娘でなくてよかった。
母と娘一対一だと密着ぶりが半端ないだろうと予測できます。
憎みあうときは際限なく、かといって娘は娘、やはり可愛いのです。 -
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メアリ・ウェストマコット名義のクリスティの作品は、読み返すほどに味が出てきます。読むたびに新たな発見があり、そこから自分の考え方が分かってくるというか。最初に読んだころから随分違う印象を持つようになりました。母と娘、愛しているからこそどんな犠牲も払う。それを決めたのは自分なのに、相手を恨めしく思ってしまう瞬間があるのです。その気持ちが段々胸に溜まっていって、自分でも訳のわからないモヤモヤになって・・・。ミステリの女王は人間観察の女王でもありますね。イーディスやデーム・ローラの台詞を読んでいると、目の前にクリスティがいたら心の奥底まで見抜かれそうな気がしてきます。
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とてもイライラさせる親子の話。
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アガサ・クリスティーがメアリ・ウェストマコットの名で書いた母と娘の物語。
娘の名付け親であり、母の友人でもあるローラの言葉が良い。淡々と語るその内容は、アガサ・クリスティーの考えそのものなんじゃないかしら。
人間は結局のところ、自分自身しか道連れはいない、女は中年から開花する、仕事は自分自身から逃避する有効な手立てだということ、一つ一つが身に染みる。 -
2004年発行、早川書房のクリスティー文庫。訳者あとがきあり。解説は児玉数夫(映画評論家)。第2章までが前振りで第3章で大きく物語が動く。第3章のきっかけは『愛の重さ』ほどは唐突でない。最後は主人公たちへの思いやりで終わり、うまくまとまったか、という感じである。
訳者あとがきあり。解説のタイトルは『クリスティー映画が日本の銀幕に初登場したころ』 -
ミステリーじゃなかったけど、読み進むにつれ引き込まれた。
クリスティーの他の小説も読んでみたい。 -
親は子供にうるさく思われるくらいがいいのかもと思った。
放っておいても取り返しのつかないことは
実はそんなには無くって大体上手くいくものなのかもしれないが、
行動することで回避できるならそれに越したことはない。 -
150306-10
著者プロフィール
アガサ・クリスティの作品
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