- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784152089267
作品紹介・あらすじ
父と子は「世界の終り」を旅する。人類最後の火をかかげ、絶望の道をひたすら南へ-。アメリカの巨匠が世界の最期を幻視する。ピュリッツァー賞に輝く全米ベストセラーの衝撃作。
感想・レビュー・書評
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冬の気配がし始めた荒野。彼と息子は、生き延びるために旅を続けていた。野宿しながら、廃墟の中から必要な品を探し出し、灰とほこりの焼け野原を、少しでも暖かい南を目指して進んでいく。生き物の気配のない世界だが、それでも時おり出会うのは人間で、彼は助け合おうとしないばかりか、警戒し、脅威となりそうなものはやり過ごすか戦うのだった。そしてその度に純真な息子は助けてあげてほしいと懇願する。灰色の雪が舞い始めた。明け方、隣の息子を起こさないよう野宿の場所から離れてする咳に血の味がした。
破滅した世界に生き残った父子の絶望的な旅(ロード)を描いた物語。
*******ここからはネタバレ*******
この世界が、一体どんなものを表しているのか具体的な情報がとても少ないので、イメージしにくく読み進むのが困難でした。
要は、何らかの理由で世界が壊れて、ほとんどの生命も絶え、生き残った人間がそこに残った僅かな必要品や(食べるために)お互いの体を求めて争う世界に、生存のために旅する父子の姿を描いた作品のようです。
このお父さんは、すごいサバイバルスキルを持っていて、食料を含めた生活必需品を探すのも、ちょっとしたものなら作るのも直すのも、少しでも安全に過ごすことも、とても上手です。でも、この物語中ずーーーーーーーーーーーっっっっっと続く先の見えない旅の中では、卓越した生き延びるスキルがかえって苦しみを長引かせているような気がするのはヘタレな私だけでしょうか。
読むのも苦しい中、一生懸命完読しましたが、結局最後まで同じように苦しいことの連続で、この世界が破滅した理由もよくわかりませんでした。
最後に父親が亡くなった時、ほとんど間を置かずに他のグループの人たちが少年を受け入れてくれたのが希望です。父親がずっと他の人達を拒絶してきたからそれまで他の人たちと関わることがなかったけれど、人を助けたい気持ちが強い少年には、皮肉だけれど、これで良かったのかも知れませんね。
それにしても、肉体的にも精神的にも、こんな過酷な状況の中で生き延びられるってホントすごい、と驚きの連続でした。
読点のほとんどない文章で、結構長い文章もあって、これは意識的に読みにくくされていたのでしょうか?
正直、なんでこの本を読もうと思ったのか覚えていない(笑)のですが、これは完璧大人向けの本だと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
核戦争か何かで破壊し尽くされたどこかの地、曇天と灰によって氷河期へ向かう中であてどなく南へ歩む父と子のポストアポカリプス小説です。
読了後に残るものは感想というよりも色彩で、始終が灰色でした。
視点が逐次変わり行動と台詞が混ざっている部分が多いのは、物資の枯渇や略奪による恐怖で余裕なく彷徨う状態を描くための技法でしょうか。
切羽詰まった感じや混沌は伝わってきますが、それ故にしっかり読み進めないと理解が難しい作品でした。
人間が口にできるものが無い中で何が起きるのか…、人肉を食べるしかなくなった世界が広がっています。
父は子を殺しからではなく食されないように他人から守っているのです。
未来の世界にこんな動物的な生き方があって良いのでしょうか、読んでいてとても辛い。
後世にこんな世界を用意してはいけないと、現代を生きる我々へ訴えかける一冊。 -
ヴィゴ・モーテンセン主演で映画化もされた(未見)コーマック・マッカーシー最大のベストセラー。
カギカッコや読点のない独特の文体は、前に読んだ『ブラッド・メリディアン』と同様ですが、格段に文脈がつかみやすく読みやすいです。それは感情描写を排し、ひたすら暴力や略奪、過酷な自然環境のありさまを書き連ねた『ブラッド~』に比べて、主人公の心情に思いを寄せやすいからに違いありません。
核戦争か天変地異か、ともかく大災害後7~8年でしょうか、荒れ果てた大地をさすらう父と幼い息子。父はひたすらに少年を護る。神話的で力強いシンプルなストーリーです。
ゾンビ物などをはじめとする同様の舞台設定のディストピアSFでは、暴力的な集団対良心的な人間の戦いや、人間同士の連帯が重要なイベントになるものです。本作ではそうした人間関係の要素は皆無ではないにしろ非常にわずかです。ほとんど全編にわたって、父子はふたりきりのまま。
そう、生き残ったごくわずかな人類はお互いを非常に怖れていて、争いどころか接触すら起こさないようにひっそりと隠れて生きているのです。なるほど、弱い動物は本能的にまず逃げる。本当の終末の姿とはこうなのかもしれない、と納得させるだけの重いリアリティがみなぎっています。
綿々と綴られるのは、皮膚感覚に訴える細密なサバイバル描写です。例えば、非常に貴重なアイテムとして靴があげられます。読んでいて、靴がこんなに大事なものだと実感したことはないかもしれません。必要な食料や道具、毛布などを運ぶショッピングカートも心に深く刻まれます。野宿をするたびに、寝床とは離れた場所にカートを隠すプロセスを、マッカーシーは省きません。こうしたディテールを重ねることで、虚構の世界がしっかりと実質を帯びて構築されていくさまは見事です。
こんなすさんだ世界にあって、少年は他人を気遣う心を失わず、天使のようです。彼は人間を「善き者」と「悪人」に分けます。読んでいくうちに分かるのですが、少年は大災害の直後に誕生し、それ以前の豊かで善にあふれた地上を知らないのです。彼の内面は父の語る「それ以前」からかたちづくられている。
父は思います。「おまえはおれの心だ」。この言葉は非常に多義的で作品を象徴するキーワードです。少年は感情豊かで善なる人間性の象徴。そして父は、消極的にせよ他人を殺すこともいとわない、獣性(生存本能)の象徴。後者がなくては生きていけないが、前者がなくては生きていく意味がない。どこかで聞いたハードボイルド小説の名せりふのようですね。ともかく、二人合わせて初めて、命ある人間となるのです。
彷徨の途中には印象的な出来事もあります。中でも心に残るのは夢のように全てが揃った核シェルターにたどりつくシーン。しかし、清潔で安全で快適なこの繭に彼らは長居をしません。偽りのエデンよりも、真実の荒野へ。読者は彼らの行動から内面を読み取り、思いをふくらませます。
「ここで待っていろ」作中で何度となく繰り返されるこのせりふ。少年は不安でたまらない。父もそんな彼を残して去るのは胸がつぶれそうにつらい。しかしこの描写も少しずつ変化をしていくのです。どういうわけか少年は、ひどくおとなびた語彙をふっと使うようになる。年月が彼を成長させていることに読者は気づきます。彼はひとりでも生きていけるかもしれないと…。
テーマは普遍的ですが、原発事故後の今、本作に描かれた終末図は、身近な実感をもって胸に迫ります。過酷な環境で私たちに問われるのはなんなのか。家族を失った方々、避難生活を強いられている方々、職を失った方々に向ける人間性とは。希望がほのかにのぞくラストが、より悲しく感じられたのは私が日本に住んでいるせいでしょうか。 -
戦争、天変地異?何らかの事象で迎えた世界の終り。
塵が降り積もり、死体がおりなすその中を、‘彼’と‘少年’は南へと行く。
心を奮い立たせ、なんとかページを開けばそこには圧倒的に残酷な世界がある。
しかしそんな、絶望の中、飢えの中、恐怖の中。
それでも歩みをとめない親子をどう見つめていけばいい?
たぶんそれこそが‘火を運ぶ’こと。人間であり続けること。
読み終わった後、ただひたすら慟哭するほかありませんでした。 -
映画で数年前に見ました。
恐らく核戦争後の地球、アメリカの何処かで親子が南を目指して旅をしている状況だけで淡々と進みます。
あまりにも絶望的な状況で、生き延びる方が不幸なのではないかと思うくらいです。食べ物は無い、雲に覆われ太陽は出ず日に日に空は暗く、そして気温は下降していく。
人心も荒廃し、モラルも何も残っておらず、あるのはむき出しになった人間性だけ・・・。
鳥も魚も動物も全て死に絶え、限られた食べ物を奪い合うだけの生活。
こんな世の中で子供を抱えて旅する事の苦しみは、自分が死んだ後の無情の世界に取り残さなければならない苦しみです。何とか一人前になるまではという儚い願いすらむなしい過酷な世界。子供には希望を見せたいと明るくふるまうも、子供はこの先何も明るい展望が無い事に気が付いています。これがまた苦しい。
核の灰の降り注ぐ地球という、舞台設定としては古典的なのですが、新しい素材で勝負するわけではなく、いつの時代も変わらない親子の情と、知らないうちに親の手を飛び出すほど成長している子供。そして悲しいかな、人間性を捨てなければ生きていけない時代に、高潔さを求める子供の真摯さ。
コロナウィルスという未曽有の危機にさらされた人間社会は、ここから立ち直るために安易なカンフル剤「戦争」を投与しようとしないでしょうか。
誰も戦争は望んでいないといいながら、何処かで戦争が始まると肥え太る人たちがいます。そんな卑しい人間社会が選択を間違えないという保証があるのか甚だ不安です。 -
終末SFは色々あるけれど、私はリチャード・マシスンの短篇『終わりの日』を思い出しました。
海外小説の父と子、特に父と息子の関係は、互いを一個の存在とした上での対話(どんな形であれ)が多くを占めているように思います。母と子にはかつて一つだった存在としての否応無しの分かちがたさがあるけれど、父と子はどこまで行っても交じることのない個。だからこそ対話によって個から個へと教え引き継ぎ、受け渡される。
灰色の世界に生まれた少年はそのままだと闇に呑み込まれたかもしれないけれど、父親が身のうちにある火を差し出すことによって、彼もまた火を運ぶ一人の人間になった。
それが幸福かはわからない。そのことがなす意味も疑わしい。それでも火は引き継がれた。
凍えるほどに寒い夜明けのハイウェイ、荒涼とした大地の果ての果て、どこまでも重く垂れ込める夜の闇の向こう側で、ちいさく頼りなげに震える火が見える。周りを照らし、その瞬間だけはほのぼのと暖め、世界の終わりの中を静かに歩み進んでいく灯火が。 -
マッカーシーは確か随分年老いてから、最初の息子を得たはずだ。孫、と言ってもおかしくない歳の離れた息子に対して、父であるということはどういうことであるのか、それを寓話を通して伝えようとしているように思える。
この作品で描かれる世界は、文字通り絶望に満ちている。何らかの大きな災厄に見舞われ、我々が知っている(と思い込んでいる)倫理的で文化的な世界は滅亡している。人が人を欺き、大人が幼児を焼き殺して喰らい尽くす。そんな世界だ。だが、本質的にその悲惨さは、今の世界と何が違うのか。隠されているだけで、日々幼児は殺され、金を持った人間はブクブクとその死体の上で肥え太る。
勿論、この作品は現代の文明批判の小説、などではない。決してない。作品は寓意に満ちているが、寓意を無理矢理に現代の比喩として捉えるのは、(それがいかに悲惨な世界を描いているとしても)作品の豊穣さを根こそぎにする。だから問題は、世界と相対した時、父は子に一体何を語り、何を残してやれるか、ということなのだ。破滅後の世界にせよ、今の世界にせよ、父は子に対して残してやれるものは、常に同じはずだ。それは希望であり、肯定であり、祈りであるはずだ。そして、自らの命をかけて、火を決して絶やさないということであるはずだ。 -
短い段落で物語られて行く。
厳しい。そして少しの救い。
代表作とされるブラッドメリディアンが1985年で、その後が国境三部作。1992年、1994年、1998年。本書は2006年発行で2007年度ピュリッツァー賞。
わたしの好きなのは国境三部作の世界だなとあらためて思う。