ゼロ年代の想像力

著者 :
  • 早川書房
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本棚登録 : 657
レビュー : 68
  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152089410

感想・レビュー・書評

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  • これはやばい、刺激的過ぎる。今知りたかったこと、なんとなく気づいてたけど言語化できなかったこと、俺自身の創作のヒントになることがいっぱい詰まってて、このままでは宇野史観に染まって「ゼロ年代は決断主義が~」「大きな物語が~」とか日常で言っちゃいそうなのであえてこの本の思想とは距離を置いておきたい。近づくと自分が揺らぐ。というわけで大満足の★5つで

  • 2014年3月25日読了。2000年以降、ゼロ年代の文学が語る「物語」に対する考察。批評界は未だ、エヴァンゲリオンが代表する95年的な物語(「問題に対し選択をせず、引きこもる」)を引きずっており、複数の島宇宙が乱立しそれが対立するバトルロワイヤル的・決断主義的なゼロ年代の物語に対応できていない、とする主張は分かりやすく、目が覚める思いだ。特に私が親しんできた東浩紀のゼロ年代文学批評を一部評価しつつも「時代遅れ・安全に痛く自己反省するマチズモの回路」とバッサリ切り捨てるさまには開いた口がふさがらない。かつて思想家が夢見たように、「各自が好きなコミュニティに属し、信じたいものを信じる」島宇宙世界は決して幸福なものではなく、排他的・暴力的性質を帯びるというのは現実がそうなっているとおり。その暴力の連鎖を超えるために現代の作家たちが葛藤しながら出す答えは、決断主義的物語ではなく「限られた時間の中で(終わりある日常を生きろ)、ゆるやかな共同体と生活を営む」ことであるとのこと、宗教や主義主張に自分の身をゆだねるのではなく、ここにいる自分と、その周囲の面々との関係性を豊かにすることを志向すること。それがゼロ年代に生きる我々が求める物語なのだろうか。すぐれた物語の語り手として、TVドラマ・少年ジャンプ・仮面ライダーを取り上げているのが面白い。

  • 著者、29歳くらいだと作中の一言から知ったときのショック。
    29歳って、こんなに頭が働くのか……と思ったけれども、その年齢が若いでも年寄りでも問題ではないんだね。
    そういう能力がある人は、人に物事を説明出来る能力を獲得したときから、それを伝えられるのだろうし、伝えるべく努力してきたから、伝えられる能力を身につけたのだろうなあ。

    小説でもドラマでもマンガでも、取りあげられているものには知らない作品も多かったけれど、サブカルチャーから分析しているので、とっつきやすかった。

    そのときどきにヒットする作品は、時代の空気をとらえているとか、たまたま当たったんだろうとかというものもあると思っていた。分析しながら作る人がいるのも知っていたけれど、「ヒットするもの、世の中で今求められているもの」をそこまで考えて作るものだとは思っていなかったので、驚いた。

    エヴァのヒットした90年代は、「他人に関わろうとすると、他人を傷つけてしまう。それならいっそ関わらないで引きこもる」という選択肢が許された時代。
    「バトル・ロワイアル」がヒットした00年代は、「不条理が当たり前になっているから、引きこもっていては世界に殺される。だから戦わなければいけない」時代。

    高橋留美子のマンガは、母性だから、「いつまでもその世界で遊んでいていい」「外に出ていかなくていい」「守ってあげる」だったのが、『犬夜叉』の最後の選択肢は変化になった。
    関係性の変化について、山岸凉子の影響下にある少女マンガ家たちが新しいものを獲得して、たとえばよしながふみの「ゆるやかにつながりあう関係」である。
    バナナ・フィッシュの吉田秋生は、ゆるやかなつながり→選ばれた才能のみの変化しない、他者による影響のない世界。→ゆるやかなつながりをふたたび求めて。で変化している。アッシュがあそこで死んでしまったのは、それによって英二を永遠に所有するためであるという分析を読んだときには非常に衝撃的でしたね。そうか、あれはアッシュによる所有という見方が出来るのか……英雄を英雄に、美しく、リバー・フェニックスの永遠性と似せて留めるためでなく、か、と。
    その後、英ちゃんは確かにアッシュの写真を封印していたし、ニューヨークに留まったけれど……あの解放ですら、英二の中のアッシュをよみがえらせるためなのかと思うと。でも、そこからの変化はあると思うから、この解釈は本編までなんだろうな。

    ギャルゲーやラノベの「白痴的美少女」は、世界を得られなくなった「僕たち」が、その世界の命運を握る少女から全存在をかけて愛されることで自分の存在意義を得るものなのである。
    『最終兵器彼女』だとか、というのも、おもしろかった。
    仮面ライダーにおける、時代性の変化。戦い合うライダー達は、もはや世界の命運をかけているのではなく、個人的事情から戦っているとか。

  • セカイ系(引きこもり)から決断主義(サヴァイヴ)そして新教養主義(空気系?)という時代の流れは明確に意識した事はなかった。95年のオウムや911による社会文化的影響について興味もなかったし、考える必要もなかったし。漫画・アニメは中学で卒業したので、よくわからない部分はあったが(そもそもエヴァもハルヒも見た事ないし、らきすたも知らないし)、映画・小説・ドラマの話にはついていけたので、本書を通じて95年からゼロ年代というものが一通り理解はできた。
    こういうフレームワーク思考でマッピングして社会分析する手法はわかりやすくていい。する/した自己実現・である/ではない自己承認の対比、無自覚なキャラ的実存・自覚あるモバイル的実存の対比、終わりなき日常・終わりある日常の対比等々、様々な対比による切り口にも説得力がある。
    が、現在起きている排除的島宇宙による小さな物語の衝突の回避としてOpen the doorによる設計主義的管理思想を唱え、絶望から可能性へと前向きな主張は見られるものの、具体的な解決策の提示にまでは至っていない印象。これが基本的には分析メインであるサブカル論というかデザインできない社会学の限界だろうか?

    ※「何を食べたか?」をアピールする人間の性(日常からの物語の切り出し)についての説明はとても腑に落ちるものであった。

  • 説明材料が足りなくていかにもコジつけっぽい部分も少しあるし、話の流れが統一されていなくてよく分からなくなるけれど(図解欲しい)、まだ歴史になっていない文化に理論付けをしている思想書を読むのは初めてで面白かった。

    ここ20年の思想の流れは下記のような感じ?一回読んだだけじゃ混乱してしまう。

     ひきこもり/心理主義(九〇年代)
     exエヴァンゲリオン
     ↓
     セカイ系(九五年代)
     ex.ハルヒ
     ↓
     決断主義(ゼロ年代)
     ex. DEATH NOTE
     ↓
     癒し系
     ex.すいか
     ↓
     ポスト決断主義
     ↓
     新教養主義?

    日本の現代思想ってオタク文化発以外のものもあるのかな?

  • ゼロ年代はひきこもりから決断主義への移行。今は決断主義の臨界点。決断主義の限界=暴力、排除の論理。この限界の克服がゼロ年代末の現時点における課題。という感じに、東浩紀で止まってしまったゼロ年代の批評を批判的に再検討し、さらに現状から先への展望まで描いてみせる。かなり広い範囲から引用していながら、シンプルに構図を描いて、なるほどと思わせる。

    一方で、決断主義の限界の克服の段になると、説得力に欠けてしまうのが残念。解決策は結局、仲間とか、日常の幸せ、という小さなところに落ち着いてしまう。それまでの、クールな分析に対して、ひどくなまぬるい。いろいろ分析してきた結果が結局それなの?と。

    なんでなんだろうと考えてなんとなく感じたのは、著者自身が何かよりどころとなる確かなものを求めているという感じ。論理的にはポストモダン状況を不可避なものとしながら、心情としては確かなものを求めているんじゃないか。それは、強いお父さんであったり、優しいお母さんであったり、といった素朴なもののような気がする。頭が良いだけに、ポストモダン状況が不可避だってことは認めざるを得なくて、それ以前の大きな物語を肯定することはできない。でも、心の中ではそうでないところがあるから、そういうちぐはぐさが生じるんじゃないか。そのことについて著者自身がどこまで自覚しているかわわからない。

    ただ、心情的な面を否定する必要はないと思う。問題なのは論理的にはポストモダン状況が不可避であるということと、確かなよりどころを求めるというちぐはぐさをどう乗り越えていくか、ということになるんじゃないか。そう思うんだけど、そのちぐはぐさが自覚されないまま放置されたままになっているのが少し残念。

  • 「碇シンジでは夜神月は止められない」というところから展開していく主張。
    エヴァとかジャンプとかクドカンのドラマとかを通して現代社会を分析した評論。
    サブカル批評に留まらず、大きな視点で社会を見てて、色々考えさせられた。

    90年代と、2000年代。変わったところもあるけど、連続している。
    まさにじぶんが生きた/生きている時代。傍観者じゃなくて、当事者だという意識を
    もつべきなんだろうなと思った。そういう年齢になったんだな。

  • Twitter上で時々話がでてきたり、あるいはFollowしている東浩紀とバトルをしているから気になった・・・というわけではなく、これもなぜかWishlistに入っていた一冊。

    本書は批評家である著者の処女作として、出版時にはそれなりの評価を得ている。東浩紀がいうところの「動物化するポストモダン」以降のゼロ年代におけるサブカルチャーに対する批評を軸に、現代における生き方を論ずる・・・という仕掛けになっているのであるが、読んでいて何と言うかまったく評価できなかった。

    まず他のレビューでもあったように、自説の例示として持ってくる例があまりに恣意的すぎるという点があげられる。一応著者の中には基準があるようでそれも書かれているのだが、かなり恣意的な感じが否めない。
    次に前半と後半で論旨がかなりグダグダになっていることがあげられる。雑誌掲載のまとめというところから仕方がない点もあるとは思うが、前半は、ゼロ年代は「自己決断」と「サヴァイブ感」が当然のものとして位置づけられたという点で一貫しているものの、後半はそれに対する処方箋を論じるというつもりが、話があっちへこっちへ言っている。そもそもvs 東浩紀という感覚が強くてそこを語る前半で力尽きてしまったというのが率直な感想。

    最後にサブカルチャー「だけ」をピックアップして時代を語るのは、そもそも無理があるということ。確かにここ20年ぐらいの間にサブカルチャーが「サブ」である理由、言いかえればだれもが正当と認める文化・・というものは急速に勢いを失ったと思うが、それでもゲーム・マンガ・アニメ・ドラマと目につきやすいものから引っ張り出してきた感は否めない。仮に世の中の空気を表すものが、いわゆる大衆に広く浸透する「サブカルチャー」であったとしても、後半のその問題点への解決・・という点においては、広く先鋭的な作品を対象としてもよいのではないかと思う。

    著者が考えている物語を読む、というスタンスで読めばなかなか面白く読むことは出来るのでかろうじて★2つ。

  • 終わりある日常における自分自身の物語を。自らのココミュニケーションによってつかみ取っていく。ゼロ年代とは自由な世界である。

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プロフィール

批評家。雑誌『PLANETS』主宰。著書に『ゼロ年 代の想像力』(ハヤカワ文庫)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本 文化の論点』(ちくま新書)ほか。

「2014年 『静かなる革命へのブループリント』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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