ハーモニー (ハヤカワSFシリーズJコレクション)

  • 早川書房 (2008年12月18日発売)
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本 ・本 (360ページ) / ISBN・EAN: 9784152089922

感想・レビュー・書評

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  • ユートピアは実はディストピアでした系SFってそんな系統があるか知らんけども

    なかなか面白かったです(そしてたぶん読んだことあるな)
    まあやっぱり日本のSFを語りたかったら(まだ語りたいのか!)伊藤計劃さんは押さえておきたいよね

    それにしても知らん間に「SFは取っつきにくくないとダメ」という閣議決定でもされてたんか!と思ってしまうほどの書き出し
    世界の成り立ちを理解するのに物語の半分くらいかかってしまった
    社会や文化、そこに住む人たちの常識みたいなんが腑に落ちて、やっと面白味が生まれてきて時間が流れ始まる感じ
    そこまでは我慢が必要です、そして我慢には信頼が必要で考えてみるとSF好きってドMなのかも
    痛みが喜びに変わるのは信頼関係だと何かで読んだ気がする
    SFを読むって行為は作者と読者の高度な信頼関係の上に成り立つSMプレイなのかも
    (どうしてもSM言いたかっただけのレビューやな)

    • 土瓶さん
      えええええええええええええ!!(´゚д゚`)
      治った???
      そんな、まさか……_| ̄|○

      諦めたらそこで試合終了ですよっ!!
      い...
      えええええええええええええ!!(´゚д゚`)
      治った???
      そんな、まさか……_| ̄|○

      諦めたらそこで試合終了ですよっ!!
      いつまでも居続けてホテルの主となる野望を捨てるんですか。
      平熱なんぞに屈してはいけません。
      さあっ!
      体温計を脇に挟んで前後に擦るのです。
      イチ、ニ、イチ、ニ……。
      あら不思議。これで夢の高熱カムバックです。
      さあっ!! さあっ!!!( ー`дー´)キリッ
      2023/01/24
    • ひまわりめろんさん
      夕方ちょっと熱上がってちょっとピンチだったわ!
      そしてわいの復活を祝福するかのような大雪だわ!
      土瓶許すまじ!(なんで?)
      夕方ちょっと熱上がってちょっとピンチだったわ!
      そしてわいの復活を祝福するかのような大雪だわ!
      土瓶許すまじ!(なんで?)
      2023/01/24
    • 土瓶さん
      ピンチはチャンス!!
      ピンチはチャンス!!
      2023/01/24
  • テーマ、設定が面白かった。

    読んでて、ちょっと混乱&気になったのでメモ。
    p.123 2行 ミァハ→キアン?
    p.341 2行 キアン→ミァハ?
    単純に間違いなのかな…。

  • 伊藤計劃だから難解かな、と身構えたけど、実はそんなことなくて、むしろ読み口は軽くてするする読める。なんせ物語は怒涛のように展開するし、途中途中で挟まれるHTMLのようなプログラム言語が、不思議な世界観を生み出してて没頭できる。
    この小説の舞台は、「大災厄」と呼ばれた核戦争後、健康で幸せな世界の構築のために、人間を大事なリソースとして徹底的に管理している世界。管理されたプログラムに従うことに疑念がなく、プログラムに従わない人、つまり同じ価値観を共有しない人を、やわらかく、でも真綿で首を絞めるように追い詰めていく世界。表面的には、人が傷つくことを極端に忌避する世界。
    主人公のトァンは13年前、そんな世界から逃れるため、友人であるミァハ、キアンと共に自殺をはかるが、カリスマ的な友人ミァハだけが亡くなってしまう。大人となった今は、その世界の管理側にまわっているが、ある時、世界中で一斉に何人もが自らの命を断つ、という事件が起こり、トァンもその場に居合す。その原因を探るべく探索を始めるが、そこには、自分の父親が開発した大きなプログラムの存在があった。また亡くなったはずのミァハの存在も見え隠れし…という物語。

    これは架空の世界であるけど、もうすぐそこに展開するであろう、近い未来の話ではないか、と思える。特にこのコロナで、一気に近づいてきた感がある。自粛警察、マスク警察、健康を守るという大義名分があれば、躊躇わず人を攻撃する人たちを、私たちは現実世界でたくさん見てしまった。だから、この小説の結末はとても恐ろしい。そして哀しい。

    ハーモニー、調和、それは美しいけれど、究極の調和は、何をもたらすか?自分が自分でありたい、と思うことと、自分があるために生じる葛藤や諍いがもたらす苦しみと、どう折り合いをつけるか?きっと多くの宗教も、この狭間で苦しむ人の救済を目指したものだろう。では、この小説の答えは…。
    実は、文章中に挟まれるHTML様のプログラム言語には深い意味が隠されている。最後にその謎が解けたとき、ゾクゾクした。私たちの今いる世界も、この結末に進むだろうか、と。

  • 世界観や設定が面白かった。
    プライバシーが恥ずかしい言葉って面白い観点。

  • 2020年11月ぶり以来の再読。読むきっかけは、最近医療系の本の話をよくしていて、来年の読書テーマをそっち側にしようかと少し思っていることがあって、そういえばハーモニー全然細部まで覚えてないなと思って再び手を取った。前回は⭐︎4つで、私の感想としても虐殺器官の方が好き、というものだったけど、もしかして今は本作の方が好きかも。明確に、自分の身体というものをより深く感じているからの違いだと思われる。
    オチもあんまり覚えてなかったけど、集団自殺が起こり、ミァハが生きていることがわかり、すでに人類の脳内に人間の意志を変えるシステムが仕込まれており、集団自殺で人間の野蛮性に怯えた一部の権力者が人類変革ボタンを押して、人類から意識が失われるというオチ。その世界を望んだミァハは連れて行かないということで、主人公のトァンがミァハを殺して、人類から意識が消えて終わる、という話。いやー面白かったな。

    以下好きだったところ
    「体を見張るメディモルの群れ。人間の体を言葉に還元してしまうちっぽけな分子。そうやって、わたしたちはありとあらゆる身体的状態を医学の言葉にして、生府の慈愛に満ちた評議員に明け渡してしまうことになるのよ」
    「自分のカラダが、奴らの言葉に置き換えられていくなんて、そんなことに我慢できる…」
    「わたしは、まっぴらよ」(p.17-18)

    「オトナたちは、それまで人間が分かちがたい自然の産物と思ってきた多くのものを、今や外注に出して制御してる。病気になることも、生きることも、もしかしたら考えることも。むかしは自分自身のものだった。…このカラダはわたしのもの。わたしはわたし自身の人生を生きたいの。互いに思いやり慈しむ空気に締め殺されるのを待つんじゃなくってね」(p.30-31)

    自分の体について、トァンの胸を揉みながら力説するミァハが、「トァンはさ、わたしと一緒に死ぬ気ある…」(p.41)と聞くときはなんと甘やかな愛の告白なんだろうとクラクラ。

    人間の意志ってのは、常識的に思いがちなひとつの統合された存在、これだと決断を下すなにかひとつの塊、要するにタマシイとかその類似物じゃなく、そうやって侃々諤々の論争を繰り広げている全体、プロセス、つまり会議そのものを指すんだ。意志ってのは、ひとつのまとまった存在じゃなく、多くの欲求がわめいている状態なんだ。人間ってのは、自分が本来はバラバラな断片の集まりだってことをすかっと忘却して、「わたし」だなんてあたかもひとつの個体であるかのように言い張っている、おめでたい生き物なのさ。(p.164)

    精神は、肉体を生き延びさせるための単なる機能であり手段に過ぎないかも、って。肉体の側がより生存に適した精神を求めて、とっかえひっかえ交換できるような世界がくれば、逆に精神、こころのほうがデッドメディアになるってことにはなりませんか(p.168)

    「健康」って価値観がすべてを蹂躙しようとしている。それってどういうことだと思う?この世界が「善」に覆い尽くされることなんだよ。(p.174)

    いわば意識されざる葛藤の結果が我々の意識であり、行動であるのだと。そして調和のとれた意志とは、すべてが当然であるような行動の状態であり、行為の決断に際して要請される意志そのものが存在しない状態だと。完璧な人間という存在を追い求めたら、意識は不要になって消滅してしまった…ただ社会と完璧なハーモニーを描くよう価値体系が設定されているため、自殺は大幅に減り、この生府社会が抱えていたストレスは完全に消滅する(p.256)

    「権力が掌握してるのは、いまや生きることそのもの。そして生きることが引き起こすその展開全部。死っていうのはその権力の限界で、そんな権力から逃れることができる瞬間。死は存在のもっとも秘密の点。もっともプライベートな点」
    「誰かの言葉、それ」
    「ミシェル・フーコー」(p.283)

  • プログラミング言語……?
    一行目から面食らったが、何故それが挿入されるのか、何故それが必要なのかを知った時は鳥肌が立つような思いだった。
    ちょうど自分が人間の意識だとか、哲学的ゾンビだとか、そういうものに興味を持っていた頃に読んだので、それらとの偶然の繋がりにも興奮した。出会うべき時に出会えた本というのは特別な一冊になるものだ。
    この物語の結末に人類が選択したのは、退化だったのか、進化だったのか、いまだに考え続けている。

  • 内容さておきマークアップの構成っていうのが画期的だった。
    全部この方式で良いんじゃないかな?って思うぐらい

  • 【結末のネタバレあり】
    巻末インタビューで著者が「敗北宣言」と述べているように、結論部分については、正直物足りなさが残るラストとなった。

    個人的に一番気になったのが、ミァハという人物が、本当にこのような結論にいたるのだろうかという疑問である。

    ストーリーではミァハは、生まれつき「意識」を持たない民族だったと明かされる。

    そのため、全人類がミァハの民族のようになるだけと考えれば納得はできるのであろう。
    しかし本当にそうと言えるのだろうか。

    父のヌァザは、「社会と完璧なハーモニーを描くように価値体系が設定されている」と述べている。
    つまり多様性の失われた、ひとつに価値観が統一された上での、意識の喪失ということになる。
    このようなプログラムをミァハは肯定するのだろうか?

    例えば、ミァハの一族がこの都市に住むか?と問われたとする。
    はたして、全ての一族がここに住むことを選択するだろうか。

    中には合理的な思考を経て、住まないという選択をする者が出る可能性も否めないはずだ。
    人々から「迷い」を取り除いても、正解はひとつではないのだから。

    他の例で考えると、無我の境地に達し、悟りを開いた僧侶たちが、この世界に訪れたとして、仏界(浄土)に辿り着いたと感じるのだろうか。

    その場合も、ただロボットのようにプログラミングされた人々が暮らす都市を見て、憐れみとともに静かに通り過ぎるだけではないかと私は思う。

    意識を失うということは、生き続ける意味も失うともいえるはずだ。
    本来であれば(価値体系の設計がなければ)、食事を摂る意志を無くしそのまま餓死するものが現れる可能性だってあるのだ。
    (WatcMeに感知されるだけだろうが)

    そのような観点から、この結末はミァハがたどり着くべき結論ではなかったような気がしてならない。

    インターポールのヴァシロフは死の間際にこう言う「こいつが痛みってヤツなんだな。WatcMeとメディケアめ、人間の体にこんな感覚があるなんて、よく隠しおおせたもんだ。腹の立つ話だとは思えんかね。」

    このような発想を持つ集団が、このような結末を望むのだろうか。

    恐らく、もし著者に時間があれば、もっと時間をかけて結論を探すことができたのであろう。
    しかし残念ながら著者に時間は残されていなかった。

    著者による「敗北宣言」という言葉を聞くと、どうしても他の結末というものを考えてみたくなってしまう。
    大変身勝手なこととは思いながらも、僭越ながら異なる結末というものを私なりに考えてみた。

    以下が私個人としての結論案である。

    ----------------------------------------------------------
    ミァハは、自ら書いたプログラムにある細工を施していた。

    プログラムが歌い出した瞬間、全ての人類に選択肢が示される。

    社会とひとつになれば、全ての苦しみや恐怖から解放されます。
    あなたは、あなたという意識を捨て、生命主義社会とひとつになって、生き続けていくことを承認しますか?
    Yes/No

    生府の老人たちや、螺旋監察官たちは、想定していなかった事態に一瞬戸惑いはしたが、迷いなくYesを選択した。
    (ウーヴェのようなものたちを除いて)

    今回の事態に怖れを抱いていた者を中心に、医療社会に生きる多くの人類も、同様の選択をした。

    そして、Noを選択した人類には、ミァハからのメッセージが示された。
    「さあ生きて自由にハーモニーを奏でよう」


    その後の社会では、紛争もまだ続いている、自殺だってその存在を消してはいない。
    しかし、『空気』と呼ばれていたものは、もうそこには存在しない。

    この社会では、お酒を飲んでいる者を見ても、誰も見向きもしない。

    もちろん、司法は存在している。
    殺人を犯せば罪に問われるように、飲酒が違法な地域や年齢では罪を償わされることになる。

    しかし、空気という形で人々から自由を奪うことは、できなくなってしまった。
    偏狭な生命主義者も、それを他者に押し付けるために必要な「意識」を失ってしまったのだから。

  • 誰もが幸福になる為、また平和な世界を築き上げて行くためにに自分の意思を失いそこに向かっていくことが果たして幸せと呼べるのか。大災禍の後の生府台頭により人々を細かく管理しレールを敷きそれぞれの役割を割り当てる。幸福とは何かを考える機会にもなったし人生のゴールとは何か考えさせられた。テクノロジーの発展著しい世界であり又、このコロナ禍に読むことで今後の世界の在り方の可能性の一つとして本書のような時代が来るかもしれないと思わされた。

  • 前作「虐殺器官」に比べてライトノベル色の強いイメージで敬遠していたが、とんだ見当違いだった。今作も凄惨なのに静謐、とことんハードボイルドな女性主人公もCOOL。生前に病床で執筆された作品とのことで、著者の死生観は巻末インタビュー以上に色濃く反映されている印象。つくづく早逝が惜しまれる。人間が【意思】を持つ以上、感情的な軋轢は回避出来ないが、意思の消失を以てして【幸福】は訪れるのか?ただ【調和】を維持する歯車として【生存】するだけの味気ない人生は想像するだけで酷く虚しい。装丁はシンプルな旧文庫版が好きです。

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著者プロフィール

1974年東京都生れ。武蔵野美術大学卒。2007年、『虐殺器官』でデビュー。『ハーモニー』発表直後の09年、34歳の若さで死去。没後、同作で日本SF大賞、フィリップ・K・ディック記念賞特別賞を受賞。

「2014年 『屍者の帝国』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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