これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152091314

作品紹介・あらすじ

哲学は、机上の空論では断じてない。金融危機、経済格差、テロ、戦後補償といった、現代世界を覆う無数の困難の奥には、つねにこうした哲学・倫理の問題が潜んでいる。この問題に向き合うことなしには、よい社会をつくり、そこで生きることはできない。アリストテレス、ロック、カント、ベンサム、ミル、ロールズ、そしてノージックといった古今の哲学者たちは、これらにどう取り組んだのだろう。彼らの考えを吟味することで、見えてくるものがきっとあるはずだ。ハーバード大学史上空前の履修者数を記録しつづける、超人気講義「Justice(正義)」をもとにした全米ベストセラー、待望の邦訳。

感想・レビュー・書評

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  • 「正義」の判断材料は、福祉の最大化(経済的繁栄・幸福感の増大)、自由の尊重(個人の権利の尊重)、美徳の涵養(善き生の概念の肯定)。暴走列車が5人の作業員に突っ込んでいく。この列車を待機線に向ければ1人の作業員のみの犠牲で済む。どうするべきか?もし自分の隣にいる太った人間を橋から突き落としたら電車は止まる。突き落としていいか?もし作業員5人がテロリストだったらどうするか?死ぬ人数5vs1でいいのか?無関係な1人を殺していのか?「正義」は社会経済的破綻、アフガン戦争、災害時、難しい判断をしてきたんだなぁ。⑤

  • 難解。

    考えの違いこそが議論の核であり、定義付けは最も難しい行為だと思う。

    普段は考えもしない設問が用意されている。自分の奥底にある正義感というものが、如何に曖昧であるかを突き付けられる。一見、公平な判断は突如として不公平に変貌する。何が正義か。

    多数と少数。自由と制約。道徳や宗教、政治まであらゆる事柄を、正義というテーマで考える。

  • 私の中にある
    どうも、正義という概念が、マンガチックなのだ。
    悪役がいて、それをやっつけるのが、正義の味方というような
    勧善懲悪スタイルのイメージで、そこから出ない貧困な正義だ。
    悪役がいないと正義が生まれないのだ。

    また私は『小さな正義を振り回して』という揶揄するような言葉が好きだ。

    マイケルサンデルは、『正義』の品評会を行う。
    功利主義者の正義。
    自由至上主義の正義。
    アリストテレスだったら、カントだったら。
    と考えることは、正しいという規範が、時代と共に変化し、
    価値観によって、変化する。

    マイケルサンデルは、そのような手法を用いることで、
    正義というものの深淵さをかみくだこうとしているのだろう。

    アメリカが、アフガニスタンまで、戦争に行くということが
    正義から外れている。あくまでも、アメリカの正義だ。
    つまり、皆殺し的な考えしか成り立たなくなってくる。
    そして、アフガニスタンの村人に、命を助けられたことは、
    感謝の言葉もない。
    この村人の人も皆殺しにしてしまおうと思わなかった
    だけ、良かったと言える。

    正義の根拠を、幸福、自由、そして、美徳におく。
    そこから、価値がぶつかって行く。
    美徳、道徳というところに、視点を据えることで、
    ニンゲンの本質に迫ることができるとマイケルサンデルはいう。
    なぜかわからぬが、二宮金次郎を思い出した。

    正しいことをしよう。
    という呼びかけは、様々な価値のぶつかりの中で、
    民主主義を形成し、自分で考えることが、できるようになる。
    自分で考えねばならないのである。

    格差という問題について、マイケルサンデルは、取り組んでいる。
    マイケルジョーダンの収入が多いことを、どう公平にするのか?
    ということについて、テーマとする。結局他人事なので、話題にしやすい。
    誰もが、マイケルジョーダンになれないのだから。
    確かに、格差 ということを、明らかにしている。
    格差社会というテーマは、その設定が正しいのだろうか。
    問題の設定が、どうも正しいと思えないのだが。
    多くの収入を得ている人の資産を分配するという方法で、
    解決するのだろうか。
    マイケルサンデルのエンターテイメントらしい話題というべきか。

    何もすることができない としたら、私のものは、私のものだ。
    たとえば、腎臓を売ったり、自殺をしたり、
    自分を売って、食べられてしまうというようなことを、どう見るのか?
    自分の体と命は自分のものだから、自分の好きなように使って構わない。
    という考え方は、自殺して何が悪いという意見に耳を傾ける。

    南北戦争の時に、徴兵制だったが、
    お金で、身代わりを立てても良かった。
    そのことから、300ドル払えば、徴兵制を免除することが、
    できることになったらしい。
    アメリカは、やはり、発想が違うなぁ。
    日本だったら、非国民である。

    それで、兵隊は、
    徴兵制、お金で代替え徴兵制、志願兵の
    3つの方法がある。
    一番公平に見えるのが 志願兵である。しかし、給与などが高くなる。
    問題は、国民の義務ということに抵触する。

    志願兵がさらに進んで、傭兵制となる。
    2007年7月 イラクで、アメリカ政府が契約している民間人 18万人。
    アメリカ軍駐留部隊が、16万人という。
    契約した民間人は、後方支援業務の担当が多い。5万人は、警備部隊。
    イラクでは、民間人 1200人以上が殺された。
    民間軍事企業のブラックウォーター社は、10億ドル超で、戦争業務を受託した。
    軍隊の作り方も、実にアメリカらしい。
    軍隊の機能は何かを資本主義的にまっしぐらに考えている。
    人殺しも商売なのだ。

    子供が生まれない夫婦が、代理母親と契約を結んだ。
    精子は、夫のもので、卵子は代理母親のもので、
    産んだら、一万ドルの費用を払うとした。
    ところが、代理母親は、子供を産んだら、子供と一緒に逃げてしまった。
    その二人は、見つけられたが、訴訟となった。

    アメリカは、契約と訴訟社会だ。
    日本では、このような事件は起こらないだろう。

    第一審は、契約は神聖なもので、気が変わったといって、
    変えることはできない。といって、代理母親は、全面敗訴。
    代理母親は、最高裁に上告。
    最高裁は、契約そのものを無効とした。
    子供は、夫に親権が確認され、代理母親には訪問権が与えられた。
    文明社会では、金で買えないものがあると判事は言った。

    ところが、科学が進み、卵子も 妻のものが使われるようになり、
    受精卵を 代理母親に、植え付けることで、母親の遺伝的な絆は、
    なくなった。
    精子、卵子、産む母親は、別にすることができた。
    さらに、アメリカでは、コストがかかるというので、
    インドで、アウトソーシングする仕組みができたという。
    4500ドルで、請け負う仕組みで、月25ドルの女性にとって、
    十分な報酬で、その仕事が広がっているという。

    ふーむ。
    何か、とんでもないことになっている。

    わかりやすい事例が、述べられて、それを多面的に考察する。
    そのことによって、功利主義、自由至上主義を説明し、
    カント、ジョンロールズ、アリストテレスに分け入って行く。
    人類の英知はこのように、、奥深いのだ。
    たかが正義、されど正義なのだ。

    正義とは、正しいとは、と常に問いかける。
    ある意味では、アメリカが訴訟社会であるからこそ、
    その腑分け作業が、明確にされるのかもしれない。
    経費削減で汲々とする日本とは、大きな違いだ。

    プロゴルファーのケイシーマーティンの訴訟が、
    ゴルフの本質を、明らかにする。
    障害があることで、カートを使うことは、不公平なのか?
    18ラウンド歩いて、500キロカロリーしか消費しないとは。
    それよりも、精神的にホールにいれるプレッシャーの方が大きいとは。

    アファーマティブ・アクションは、逆差別なのだろうか?
    日本では、考え及ばない アメリカの国の多様性が、
    浮き彫りになっている。
    日本では、同和問題があるが、次は 女子問題となっている。

    ジョンローズが、アメリカ占領下の日本で、ヒロシマの惨状を
    見ることで、深い衝撃を受け、『正義』ということを考えた。
    戦争においても、人間の尊厳と権利は、守られるべきだと
    考えたことが、すごいことだ。
    ヒロシマの原爆投下に対して、正確に批判していることは、
    大切であり、そのようなアメリカ人がいることに、気づかされた。

    少なくとも、日本の戦争は、非人間化していたが、
    その非人間化という問題を、正面据えて考えねばならないだろう。
    アメリカの奴隷制に関して、今の世代が、奴隷を雇ったこともない
    ということから、今でも、そのことを謝罪しなければならないのか?
    というテーマは、日本と中国の関係に深く関わってくる。
    戦争を起こし、中国を占領し、残虐な行為をした日本軍のことを、
    戦争後に生まれた日本人は、どのように謝罪すべきなのか?

    中国の持つ多様で少数民族がある国は、アメリカと似た部分がある。
    しかし、それは、アメリカと中国の方法論はずいぶんと違う。
    中国には、基本的人権が、確立されていない。

    マイケルサンデルはいう
    『自分を拘束する責務はすべて自分で決める。』
    この言葉は、ずいぶんと重い。
    マイケルサンデルの言いたいことの中心は、そこにあるのだろう。

    大きな正義を振り回すマイケルサンデルが、眩いばかりだ。

  • 正義について書いてある本書を手に取り読み進めていった。

    功利主義、リバタリアニズム、市場と倫理、イマヌエルカントの見方、ジョンロールズの平等をめぐる議論などずっと読み進んで最後まで辿り着き、その都度、なるほどなるほどと納得したつもりで読み終えたが、改めてさて著者は正義について何をどう言っているのかを考えてみたら、よくわかつていなかつた。

    そこでまず最初に立ち戻って読んでみた。
    そうすると次のようなことが書いてあった。

    まず、便乗値上げの是非、パープルハート勲章の受章資格をめぐる対立、企業救済等についての議論を考察しいる。

    その議論の中で、
    「我々の議論のいくつかは、幸福の最大化、自由の尊重、美徳の寛容といったことが何を意味するかについて見解の相違が現れている。

    また別の議論には、これらの理念同士が衝突する場合にどうすべきかについて意見の対立が含まれている。
    政治哲学がこうした不一致をすっきりと解消する事はありえない。

    だが、議論に具体的な形を与え、我々が民主的市民として直面する様々な選択肢の道徳的意味をはっきりさせることができる。」とし、

    更に
    「この本では、正義に関するこれら3つのアプローチの強みと弱みを探っていく。」と述べ

    その3つ
    1 幸福の最大化
    2 自由の尊重
    3 美德の涵養
    を教えてくれる。

    このようなことを最初に良く頭に入れておけば理解が深まったな〜と深く反省し、再び読み始めた。

  • 読みごたえがあった。

    正義や道徳について、人種や宗教の違いによって、ましてや個人によってあり方が違うなか共存している我々はどう向き合っていけば良いのかをもう一度考えるべきではなかろうか。と思ってしまいました。

    哲学的で少し難しく、答えがないので
    多少の読み飛ばしが必要でした。

  • 読み終わるのに3ヶ月くらいの時間を要した。
    年越す前に読み終わりたかったけど、年越しちゃった…

    どうだろう。読み終わったあとの感触としては。
    正義って…とふんわりとした違和感のようなものが残ってる感じ?なのだろうか。

    絶対に読み返さなくてはいけない。分かっているのはそれだけな気がする。難解で、情報量が膨大な為に、時間はかかるし、理解もできない。けど、今の自分の力量で感じたことを、下に書いていこうと思う。

    人はみんな、自分の中に正義がある。その正義は本当に千差万別で、そして似通った正義同士が固まっていく。そして、違った正義とぶつかり合っていく。
    その手段は時代によって違うけど、最近はその正義自体が曖昧な人が増えたんじゃないかと、本書を読んで思った。

    人を傷つける事は悪いこと。分かっていながら、見知らぬ人をこき下ろす。
    違法サイトで漫画を読む。就職活動や受験活動を代行してもらう。転売のために商品を買い占める。
    他にも諸々。

    よく、「その人にはその人なりの正義があったんだよ」という言葉があるけど、多分上の行動には正義は無い。かくいう僕だって、よく分からない芸能人の事を、知人や友人と一緒に食事の場でバカにする。漫画村で漫画を読んだこともある。大学のレポートで、友達のをほぼパクったこともある。

    正義のない行動だ。それらの行動を行う時に、僕の心の中は何も考えていなかった。正義を、その先にいる他者の存在を。

    正義って、難しい。こうやって書いてる時も、何が何だかわかんなくなる。そもそも僕が持ってる正義が、これで正しいのか分からない。だけど、確固たる正義を持たないといけないと、そう思った。

    自分が今後何かしらの行動をした時に、その行動が「自分の正義」に乗っ取っていたと、胸を張って言えるように。自分にとって、何が正義なのか、それを見極めたい。

    冒頭に書いてあったトロッコ問題や、その他もろもろでもそうだが、人生には「正解のない難題」が数多く立ちはだかってくるだろう。その時、その難題を解く鍵となるのが、正義であるはずだ。

    その正義を、見つける。その正義を、深める。その正義を、確かめるために、この本書は大きな役割を果たしてくれると思う。

    あと何周するか分からないけど、じっくりじっくり正義について考えていこうと思う。

    最後にこの本を訳された鬼澤 忍さんにも触れたい。
    これからの「正義」の話をしよう。このタイトルは、見事だ。この話を通して、まるでマイケル・サンデルと対話しているような気持ちになった。本当に、自分とサンデルで、正義について会話しているような気持ちになった。
    大切なのは、対話だと思う。対話を通すことで、自分の考えを深めていける。
    ちっぽけな考えしか持てない僕だけど、この本書や日常の友人・恋人、そんな人たちと対話を深めて、薄っぺらい自分の考えを積み重ねていきたいと思う。



  •  自分の価値観の源流を、あなたは説明できますか?
     正義や哲学と聞くと大仰な印象だが、そんなに身構える必要は無い。本書では、私達が育つなかで培ってきた価値観(何が良いのか、悪いのか)について、「何故そう思うのか?」を、トロッコ問題のような例え話や、実際に起きた事件を例に深堀りしていく。
     私達は日々身の回りに起こる事象に対し、良い事なのか悪い事なのか判断したり、印象を持ったり、行動に移したりしている。マスクの転売、性による差別、過去の戦争行為を現代の人は謝罪すべきか?等々…大抵の人は、「どう思うか(良い/悪い)」については即答できても、「何故そう思うのか?」明快に即答できる人は少ないのではないだろうか。
     私達は、それを自分で説明できなければならない。何故なら、私達は相互に(物理的にも、精神的にも)影響を及ぼす社会に属しており、それぞれの価値観は多種多様だからである。また困ったことに、私達は自分の価値観の正当性については、無意識に全肯定しがちである。つまり、隣人に、自分とは全く異なる価値観でナチュラルかつ躊躇なくぶったたかれる事件が頻発する。年収マウント、町内会行事の暗黙の強制参加から、夫の「お~い、お茶」まで…私達は好き/嫌いの水掛け論ではなく、論理的な説得によって、相手や周囲を説得しなければならない。
     また、それぞれの事象から法則性を見つけ出して言語化することは、自分の価値観の整理にも役立つ。私達はそれぞれの事象に遭遇した時に断片的に、それは良い/悪いを判定しているので、類似の事象を検討することで、自分の価値観に一貫性をもたせたり、意識してなかった法則に気付くことができる。例えば、価格自由競争を肯定する人が災害時の便乗値上げに反対する場合、これは別のルールの影響によるものだろうか。または、整合性を維持するために持論を矯正しなければいけないのだろうか。
     学問とは、学び、問うと書く。日常の表層的な忙しさから一歩距離を置いて、自分の価値観を形成する要素を考察する一助として欲しい。

     追伸。本書はハードカバーなので、それなりに読む難易度が高いのも事実である。別書籍の紹介になるが、『ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業』は本書の内容を対談式にまとめたものなので、導入としておすすめしたい。また活字恐怖症の人は(今この文章を読んでいる人が、どれだけ該当するかは分からないが)、youtubeのハーバード大学のアカウントに動画(別途、日本語字幕/英語字幕を表示できる)が投稿されているので、是非視聴して頂きたい。

  • ハーバード大学の人気講義「Justice」(正義)をもとにした邦訳版。
    いやー、おもしろかった。とにかくスリリング。一気に読んでしまった。まるで講義を受けている気になる。

    サンデル教授は、具体例を引用しながら古今の哲学者たちの正義にまつわる議論を紹介していく。
    そしてそれをもとに自由至上主義、自由主義、共同体主義の思想を紹介し、これら此処の思想は正義をどのように捉えているか論じていく。
    その手法は分かりやすく、読んでいておもしろい。学生に受けているのはこの点が優れてるからかな。
    サンデル教授は共同体主義者(コミュニタリアン)だ。本の最後で教授は自分の立場を言明し正義についての見解を述べている。
    コミュニタリアンの主張は「価値に対して中立な正義は存在しない」。
    簡単に言えば「政治は道徳にもっと関われ」ということ。政治が道徳に関わる危険性を分かった上で教授はそう主張する。
    本のなかでは「共通善に基づく政治」という言葉を使っているがその具体的内容は分からない。

    社会の問題を理解し解決していく上で価値観やモラルにもっと政治は関与しないと正しい行いは達成できない、という。
    賛同するかどうかは別として、サンデル教授の正義についての見解は示唆に富む。とくにこれからの複雑化する社会を生き延びるためには一考に価すると思うが。

  • 伝説の大学講義「正義」を書籍化。

    超超入門から学んでおきたい場合は、『正義の教室』を一読し、功利主義、自由主義を理解してからの方が読みやすそつ。

  • 数年前に日本メディアでも話題となったマイケル・サンデルの一冊。哲学の入門として一般書を購入した。メディアでは具体例ばかりが取り上げられていたが、この本はそういった具体例を根拠に”「正義」とはなにか?”という問いに対する研究がなされている。
    本文では、正義に対するアプローチが3つ取り上げられている。
    1.功利主義(ベンサム)
    2.リバタリアニズム(カント、ロールズ)
    3.共通善(アリストテレス、筆者)
    どのアプローチが正義について考える際に有効なのか。
    功利主義は本文中で早々に切り捨てられている。というのも、功利主義は正義を計算上で扱っている点及び個人について深く考えないという全体主義的な面で、明らかに他の2つより劣っているというのだ。
    さて、リバタリアニズムと共通善について考えた際、最も大きな対立項は「正義は道徳的立場によるものか」という点である。各主張の要点をまとめてみると、
    カント…正義は定言命法(普遍的、人格の尊重)・義務・自律によるもの
    ロールズ…正義は各人の立場を捨てて決定されるべき仮説的なもの
    リバタリアニズム的観点からすれば、道徳的立場を正義の議論に含むことは、価値観の押し付け、自由の剥奪に繋がる可能性を懸念する
    アリストテレス…正義は善き生(個人の長所を活かすこと、国家の最終目標)を基礎とすべき
    筆者…種々の問題は道徳的立場の議論を要する(リバタリアニズムは道徳的立場の不一致を理由にその議論から逃げている)ため、正義は各人の物語的立場を踏まえるべき
    私考…この本にある様々な”容易に答えられない問い”の例を見る限りは、正義には柔軟性を持たせるべきなのかなと感じた。(まんまとサンデルに嵌められている気がして癪だが)
    メディアの取り上げ方からこの本で彼の言わんとすることにたどり着くことは無理だろう。彼の提示する具体例は哲学的思考のために用意された主張者にとって「都合のいい例」であり、それについて考えさせて視聴者を分かった気にさせるメディアは、論点のすり替えという名の情報操作とでも言えるのではなかろうか。

  • 正義について知りたくて読書。

    日本だとあまり論じられることが少ないように感じる正義とは何か。
    倫理、道徳など、人は何を根拠にして判断しているのかを考えさせてくれる。

    歴史的にアメリカには階級は存在しないといわれる。しかし、人種差別、職業差別、出身差別、宗教差別などは公然と残っている。だからこそ正義、自由などを自己主張して議論する必要があるのだと感じる。日本にも当然ながら各種差別は存在するが、アメリカほどないためにこの手の議論はあまり必要とされていないのだと思う。

    今、話題になっている大阪市職員に対する入れ墨調査も然り、どうして公務員だと入れ墨はだめのか。そもそも入れ墨の有無がどうして社会的な話題となるか。私たちは誰も明確な根拠は持っていない。

    正義とまでいかなくても善悪の判断ができないと、生活すらままならないと思う。だからこそ、自分の中で根拠を持ち、善悪を破断する価値基準を持っている。歴史、文化、両親、接した人たちに影響されつつ価値基準を構築して日々の行動基準としている。

    正義についてしっかりと考えたことはない。もっと勉強剃る必要があると感じる。どうしてこれを正義だと考えるのかという自分の正義を疑ってみる必要がある。そして、一度、自分の中の正義を崩して、本当に正義なのかを考えて見ることも大切だと思う。

    カダフィ大佐を殺害したことは正義か。
    殺人者へ死刑判決を下すことは正義か。
    韓国で発見される人肉カプセルを服用することは正義に反するか。

    人身売買。臓器売買。安楽死。売春。堕胎。不倫。同性愛。性転換。

    難しい・・・・。

    帯で紹介されている「ハーバード白熱教室」の動画を見つけたので、見て理解を深め、インプットを増やしたい。

    読書時間:約1時間5分

    本書はお借りしています。有り難うございます。

    • だいさん
      私は、少し異なった考えです。
      正義の(判断)基準は、自分にある。
      自由の国では、自己主張することが「正義」である。階級や差別は、他人が判...
      私は、少し異なった考えです。
      正義の(判断)基準は、自分にある。
      自由の国では、自己主張することが「正義」である。階級や差別は、他人が判断していることでは?
      2012/07/10
  • 借りたもの。
    ①幸福の最大化、②自由の尊重、③美徳の促進、の三つの観点から成り立つと定義する。
    この手の問題提起をするときに引き合いに出されるたとえ話や実際の事件を通して、その不確定さを示しながら、現実の判断はそんなに容易ではないこと、いくつかの要素が複雑に絡み合っていることを懇切丁寧に説明。
    そこには他者の利益や尊厳を侵害した者への憤りと罰を求める声――その裏返しとしての「正義」――があることが否めない。

    カント、ジョン・ロールズ、アリストテレス…歴代の哲学者が言及した定義とも照らし合わせ、彼らが何を問題視し、現実どのようなケースがあるかも紹介。

    事例としては特に、訴訟大国・アメリカの昨今の起訴案件を挙げて、正義の定義がブレる瞬間が「誰かが甘い汁を吸って自分が不利益を被っている」という感情論から来ていること、そもそもの定義が何故あるのか、何を問題視すべきかを解説してゆく。

    野上武志『まりんこゆみ 6』( https://booklog.jp/item/1/4063695573 )でも言及された、最大多数の幸福(この場合は部隊の安全、任務遂行へのリスク)のために、犠牲を払う(誰かを切り捨てる)選択。
    ‘アフガニスタンのヤギ飼い’の逸話は、タリバンのスパイかどうか解らないヤギ飼いを「‘キリスト教徒の心’が殺すことを許さなかった」ために部隊を全滅させてしまった兵士の後悔……

    そうした極限状態での「正義」だけではく、一般市民の生活に根差した「正義」の事例も追及してゆく。
    この本は2010年に出版されているが、2020年に日本でよく報道されたアメリカの分断の兆候をとらえているように思う。
    大学が多様性を促進するために設けた「アファーマティブ・アクション」が「人種優遇措置であり権利を侵害する」と異議申し立てた事例(p.217)。結局それは「大学側が規定するものであり、個人がみずから定義する能力に基づいて認められるものではない」に着地する。(異議申し立てが認められたら、受験する意味無い)
    「白人に対する差別がある」と言う人のお門違いさ……
    言ってしまえば、求められているのは人種ではなく“能力”であり、そのルールと人数は募集している側によって決まる……

    サンデル氏は、新しい「正義」を定義するものとしての共通善をどのように維持していくかを提言する。
    公正な社会には強いコミュニティ意識、互いを尊重した中立な姿勢……そのためには困難な道徳的問題についての公の討議の必要性を避けてはならないことを提言する。

    flier紹介。( https://www.flierinc.com/summary/15 )

  • 本書は自己啓発本やノウハウ本のように気持ちを奮い立たせたり、何かを明確にアドバイスしれくれる本ではない。この点であらぬ期待を持って読んだ場合は、ギャップを感じ面白さを読み取れない可能性が高いので注意が必要。

    本書が読者に唯一教えてくれることは、「社会は相反する考え方を持つ者どうしで形成されている」ということのみである。そして、自身が考えるべきことは「そんな社会で自分が生きるために必要な正義とは何か」であり、自身が考える際に必要な事例が高い質で書かれている本である。

    一部繰り返しとなるところもあるが、哲学者とは「自らが何らかの解を出すのではなく、解を出すための道筋をわかりやすく示し相手に深く考えさせる手段だけを述べる」ことだと私は思っているので、その観点から著者は立派な哲学者の一人と考える。

  • 数年前に世間を賑わせた本書。読もうかと思っていたものの、その分厚さから長いこと放置していたが、いよいよ読む決心がついた。確かに読み応えある一冊で何日もかかってしまったが、流石論じ方が整然としており何の話をしていたか難しいながらもついて行くことができた。
    自由を強調するリベラルの考え方では拾い切れない共通善という考え方を知るのに最適な一冊となっている。

  • 「ハーバード白熱教室」で話題になったサンデル教授の、講義ノートを元に本にまとめたもの、でいいのかな。

    タイトルの和訳はちょっとやり過ぎの気はするのだけど、この人は政治哲学が専門なので、政策決定するに当たって「よりよい社会」を作るために、そもそもどういう社会が「よりよい」か、それを判断するにはどういう基準がよいか、というのがテーマ。

    その扱い方がよく出来てて、実際にある(あった)似通った二つの問題に対して、よくある基準を使うと実際に人々が感じる「正しさ」とはずれる、というのを示していく。これが素人にも分かりやすいので読むのに苦労しない。但し途中カントの話が出てくるところはいきなり読みにくくなるので、そこは読み飛ばしても大きな問題はない。

    既存の基準の問題点は指摘しつつも「じゃあどうすればいいのよ」という結論は出てないし、論理展開にも同意できないところもあるのだけど、問題提起としては面白いし普通に読みやすい本なので一度読む価値はある。お勧め。

  • ネットで過去が記録され続けるいまだからこそ、言動と行動のベースとして本書にある「正義」をいつでも思い出せる状況を作った。

    <ポイント>
    正義の意味を探るアプローチには、①幸福の最大化②自由の尊重③美徳の促進、の三つの観点が存在する。
    功利主義の道徳原理は幸福、すなわち苦痛に対する快楽の割合を最大化すること。この考え方の弱みは、満足の総和だけを追求するため、個人を踏みつけてしまう場合があることだ。
    リバタリアンが主張する自己所有権が認められれば、臓器売買や自殺幇助などの非道徳的行為もすべて容認されることになってしまう。
    自分の善について考えるには、自分のアイデンティティが結びついた「コミュニティの善」について考える必要がある。僕たちは道徳的・宗教的信念を避けるのではなく、もっと直接的にそれらに注意を向けるべきだ。

  • 教育テレビでの放送が好評で、ベストセラーにも
    なっている一冊。

    正義へのアプローチには「幸福」、「自由」、
    「美徳」の三つがある。その一つ一つを解説した
    うえで、道徳的・宗教的論争を招く危険性をはらむ
    ものの「美徳」からのアプローチは可能であり、
    それを支持する、というのが著者のスタンス。

    …と、分かり切ったように書いたが、このベスト
    セラーを一体どのくらいの人が読みこなせたんだろう。

    自分のインテリジェンスの貧弱さを露呈するようだが、
    正直言ってワタシは読みこなせなかった。
    アマゾンでもmixiでもレビューの評価がかなり高いが、
    それは読みこなせた人だけがレビューを書けるからじゃ
    ないか、と思う。

    ワタシは本を読んでからテレビを見て、その分かり
    やすさに驚いたが、逆にテレビを見て本書を手にした
    人の中にはギブアップした人も決して少なくないんでは。


    今回はなんとも消化不良気味なレビュー…。

  • 評判に違わず面白かった。自由とはなにか。正義とはなにか。「正義の反対はもう一つの正義さ」というシニカルな言葉も世にあるが、そうした思考停止を許さない徹底した姿勢。こうした姿勢こそ上に立ち世を動かすエリートに必要な姿勢であり、エリートに対しこういう授業が施されていることは素晴らしいと思う。古今の哲学者の考察を整理して平易に例示してくれているのも勉強になる。

    <blockquote>P286 人生を生きるのは、ある程度のまとまりと首尾一貫性を志向する探求の物語を演じることだ。分かれ道に差し掛かれば、どちらの道が自分の人生全体と自分の関心ごとにとって意味があるか見極めようとする。道徳的熟考とは、自らの意思を実現することではなく、自らの人生の物語を解釈することだ。

    P343 功利や合意に及ぼす影響とは全く別に、不平等は市民道徳をむしばむ恐れがある。市場を愛してやまない保守派と、再分配に執心するリベラル派は、この損失を見過ごしている。(中略)我々の世代は(州間自動車道計画と)同じくらい大きな投資を公民的刷新の基盤作りに捧げてもいいはずだ。

    P344 政治と法律は道徳的・宗教的論争に巻き込まれるべきではないと我々は考えがちだ。そうした論争に巻き込まれれば、強制と不寛容への道を開くことになるからだ。そうした懸念が生じるのも無理はない。多元的社会の市民は、道徳と宗教に関して意見が一致しないものだ。
    行政府がそうした不一致に対して中立性を保つのは不可能だとしても、それでもなお、相互的尊重に基づいた政治をおこなうことは可能だろうか?可能だと私は思う。だがそのためには、これまで我々が慣れてきた生き方と比べ、もっと活発で積極的な市民生活が必要だ。この数十年でわれわれは、同胞の道徳的・宗教的信念を尊重することは、それらを無視し、それらを邪魔せず、それらに関わらずに公共の性を営むことだと思い込むようになった。だが、そうした会費の姿勢からは、偽りの経緯が生まれかねない。偽りの経緯は、現実には道徳的不一致の回避ではなく抑制を意味することが少なくない。そこから反発と反感が生じかねないし、公共の言説の貧困化を招く恐れもある。
    (中略)道徳的不一致に対する公的な関与が活発になれば、相互的尊敬の基盤は弱まるどころか、強まるはずだ。</blockquote>

  • 哲学という分野に興味を持ったときにたまたまこの本をもらった。必要なときに必要な本にめぐり会えるのはおもしろいなあと思う。
    内容も重いし物理的にもわりと重いし、読み込むにも咀嚼するにもかなり時間がかかったけど、それだけの価値があった。これまで考えたことがなかったこと、考えたことはあっても漠然としていたことがどんどん浮き彫りになって、その形がみるみる鮮明になっていくのがおもしろくて、ちょっとつらかった。正しいとは何か。公平とは。美徳とは。正義とは。自由とは。そんなことわかってるつもりだし、辞書を引けば意味なんていくらでも出てくるけど、それだけじゃあ全然わかっていない。わからなくても生きていけるんだよ。それでもそういう、「わからなくても生きていけるけど、わかると世界のことがいつもよりはっきり見えるし、自分の痛いところも鮮明に見えてしまう」みたいなものが哲学なのかなと思った。
    あと246Pのクマのプーさんからの引用がめっちゃ好き。

    【読んだ目的・理由】哲学のことを知りたかったから
    【入手経路】もらった
    【詳細評価】☆4.3
    【一番好きな表現】トマス・ホッブスは理性を「欲望の偵察者」、デイヴィッド・ヒュームは「情熱の奴隷」と呼んだ。(本文より引用)

  • 多元的な価値観が混在する現代
    我々は一体何を正義に掲げればよいのか
    対立する価値観を比較・検証することでこれからの正義の方向性を示す

    読み応え満点。
    理解する為に何度も後戻りしながら読んでいた。自由の定義が難しいこともよく分かった。

    政治に道徳と宗教を持ち込む事を嫌悪する現代社会。それはリベラルな公的理性を超える行為だという見方。しかしこの議論は強制と不寛容への道を開く事になる。これからの社会は、道徳と宗教を嫌悪するのではなく、そこから学び取る姿勢が重要だ。



    満足した豚であるより不満足な人間であるほうがよい

    愛国心からの誇りを持つためには、時代を超えたコミュニティへの帰属意識が必要だ

  • 昨年の話題作がブックオフで安く売られていたので、遅ればせながらという感じですが読みました。

    久しぶりに哲学的な問題に真剣に取り組まされて、本当に面白かった。
    ただ、哲学に一切触れたことのない人が、初めて読むにしては、難しいところもあったのではないかと思う。具体的な事例で問題提起をしている段階は誰でも興味を持って読めるが、観念的な話になってくると、私もなかなか難しくて、読み進まない箇所もあった。

    リバタリアンvsコミュニタリアンの対立は、私の中で「セックスとオナニーのジレンマ」と名付けられている。
    高校の時に自分でその哲学的な問いに気付き、勝手に名付けた。今になってみても、非常に良い命名だったと思っている。

    著者は言う。複雑な問題について色々な観点から深く議論をする事が重要である。
    何故か。

    複雑な問題には、根本的ないくつかの重要な価値観が対立している事が多い。

    「人を殺してはいけない」
    「人間は誰しも自由な存在だ」
    「犯罪を犯したものは相応の罰を受ける必要がある」
    「努力をして頑張った人は報われるべきだ」

    それぞれが対立するケースがあった時、何を優先すべきなのか。いくら議論をしても、ひとつの答えにたどり着く事はない。しかし、さまざまな人といろんな角度から議論をすることで、自分が本当に大切にしたいと考える事が、徐々に明確に浮かび上がってくる。

    日本は、会社でも学校でもディベートが足りなすぎる。練習不足なので、論争が建設的な批評にならずに、だんだん感情的になってきてしまう。

    まずは身近な事から議論の練習だ。

  • 話題になっていたので読んでみました。
    ニュースを見ていると、「正義」って1つしかないように感じてしまうけれど、結局正義なんてものはその人が依って立つところ次第で変わるものなんだなぁ、と感じました。
    読みやすくなっているとはいえ哲学書なので、多少読むのに疲れてしまうかもしれません。

  • NHKで放送されていた番組を一冊の本にしたもの。

    政治学者マイケル・サンデルの「正義」についての考え方が垣間見える。ハーバード大学でホールを満員にする授業というだけあって、サンデル教授のトークの力は強力で、普通の大学生では小手先を捻るようなものだろうと思う。日本の大学ではなかなか「正義」のような大上段に構えた概念の講義はなかったし、ハーバードの学生の思考も僕らとそんなに変わりないので、これがNHKで大変好評だったというのも頷ける。


    表層的なところで「5人を殺すか、1人を犠牲にするか」問題を考えるのも面白いけれども、やはりこの授業はサンデル教授が学生たちの意見を組み上げて的確な議論をすることで、ルールの形成を模擬体験させているところにポイントがあると思う。

    5人殺すか、1人を犠牲にするかという議論に確たる回答はないと分かった上で、それでも合意形成を図ろうとするのが政治だし、サンデルが政治哲学の教授であるというのは、そういうことを考えることが重要だ、という土台があるのだと思う。

    古代から現代までの正義に対する代表的な考え方を踏まえつつ、感情によらない合意形成を求めるというのは、西欧では徹底される理屈で、さらには東洋が徹底的に敗れた理屈でもある。簡単な例を聴いて「こうすればいいんじゃね?」と答えを探すのではなく、右か左かしかないときにどう舵を切るべきかを問うている本だと思う。

    それを知らない政治家が海外に出ても無視されるか蜂の巣にされるだけだよね。

  • 哲学書を読んだのは初めてだけど、ひじょーに面白かった!

    直感的にだけども、今の日本に必要なのは「政治の目的は何か?」ということだと思った。
    アリストテレス曰く、政治の目的とは人びとが人間に特有の能力と美徳を養えるようにすることだ、という部分がすごく引っかかる。

    もうちょっと勉強してから、また読み返したい。

  • 正義に関する、幸福の最大化・自由の尊重・美徳の涵養という
    三つのアプローチの強みと弱みを探り、正義とは何かについて考えていく。

    正義に対する考え方は三つある。
    第一の考え方は、いわゆる功利主義で、正義は功利性や
    福祉を最大限にすること(最大多数の最大幸福)。

    第二の考え方は、自由市場で行う現実の選択であれ(リバリタリアンの見解)、
    平等な原始状態で行うはずの仮説的選択であれ(リベラル平等主義者の見解)、
    正義は選択の自由の尊重を意味すると捉えること。

    第三の考え方は、正義には美徳を涵養することと、共通善について
    判断することが含まれるというもので、著者は第三の考え方を支持している。

    なぜなら、「公正な社会はただ効用を最大化したり、
    選択の自由を保障したりするだけでは達成できず、
    達成するためには善良な生活について我々が共に判断することが
    必要になるから」というのが著者の見解である。


    どんな方向に議論が進むかわからない講義を取り仕切る著者の力量。
    多元的な視点から冷静に議論を進めていく学生の知性。
    アメリカの教育の奥深さを感じた。

  • 先日、NHKの特集番組『ハーバード白熱教室』で、著者が東大で白熱授業を行う様子を観ました。
    学生たちは「リバタリアン」(自由主義者)という用語なども駆使し、すらすらと教授の問いに答えていくため、(さすが、東大生は違う)と思っていましたが、この本を読んで、(本の読者ならばついていける内容だったんだ)と知りました。

    「正義」について、経済、歴史、社会問題など、いろいろな側面から考え、意見を出し合っていく講義。
    先に読んだスタンフォード大学集中講義といい、アメリカは本当に参加型の講義が多くてうらやましくなります。

    「正義」とは、誰もが知っていることでありながら、それを定義づけるのは非常に難しいもの。
    永遠に、討論の結論は出ませんが、考える過程において、さまざまな先人の例が引き出され、喚起されることにより、各自の考えが膨らんだり変更したりと、さまざまなインスピレーションを受け、影響を受けていきます。

    賢人の説いた考えを、現代の問題と絡めて解説するといったわかりやすさ。
    具体例が挙がることで、曖昧模糊とした政治哲学の授業が明確な形を帯びてきます。

    なにが是でなにが非というわけでもないため、読後のカタルシスはありませんが、読んでいく途中で理解しづらかった哲学者の思想をなぞってきているため、現在社会への理解が深まったような気がします。

    といっても、相当骨のある難しい内容のため、じっくり読み返さないと、まだ理解できたとは言えませんが。
    やはり学問は、現実の具体例と絡めて教えてくれる方法が、一番興味をもって受け止められ、理解しやすいものだと思いました。

  • 実際にゆっくり考えながら(自分ならどうしようか)読んだので、ものすごく時間がかかりました。そして、いろんな意見にまどわされずこれからを生きていく方法ってなんだろうなぁ、って考えてしまいました。
    もしも、自分(か近しい人)が体外受精したら…とか、今までも考えることはあったけれど、ここまで視野は広くなかったです。
    カント哲学とかいろいろ難しい内容はあったけれど、やっぱり物事を知るといろいろ視野が広がるなぁ、と改めて本を読む楽しさ(というのは誤謬があるかもだけれど)を実感できました。

    しかし、この本は帯を外したほうがいいなぁと思うデザインです。

  • 前半が面白い。後半は力尽きた感じ。

  • 圧が凄くて気圧される
    正義論からこの分野50冊は読まないとわからないだろうなあ

  • 文句なく素晴らしい良書だと思う。色んな社会的問題を例に出して、多角的な側面から問題を捉えている。哲学書だけに、答えが無い。だからこそ我々の常識や世界の常識のギャップにも気付かされる。リベラリストの合理的考え方や、宗教的な側面での束縛など勉強になる点が多い。ボートで漂流した内の一人を殺して食べざるを得なかった事例など、非常に究極の選択が迫られるところが衝撃的でもあった。
    1ページの文字数も多く、カントやアリストテレスなど古典的な教養部分などは難解な所もあり、好き嫌いは分かれるかも知れない。尚且つ、実生活に有効か?と問われれば、全く有効とは思わない。しかし、内容は面白く興味をそそられる点がそれを大きく上回った。ずっと手元に置いて何度も読み返したいと思う。

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著者プロフィール

1953年、アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリス生まれ。アメリカ合衆国の哲学者、政治学者、倫理学者。ハーバード大学教授。

マイケル・サンデルの作品

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