心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界

  • 早川書房
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本棚登録 : 194
感想 : 18
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  • Amazon.co.jp ・本 (294ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152092557

作品紹介・あらすじ

自身も片目の視力を失ったサックス先生が患者への温かなまなざしで描く傑作医学エッセイ。

感想・レビュー・書評

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  • 「レナードの朝」で知られる、脳や神経と知覚・認識に関する権威オリヴァー・サックスの近刊。相貌失認症や失読症などの脳の特定部位の損傷が原因となる特異な認識の障害を症例を基に紹介し、いかに脳がこの世界をとらえようと働いているかを探る。
    興味深い内容だが、しかし専門用語が頻出し(心像とかオクルージョンなど)、文体が学術的になりすぎているきらいがあるので、ワタクシのような門外漢が所謂怖いもの見たさで読むには、読物的な盛り上がりに欠ける。
    そもそもそれを狙った書ではないのだろう。
    ともあれ、脳はやはり人類最後の秘境なのかも知れない。

  • 譜面が読めなくなったピアニスト、文字が理解できなくなった作家、社交的な人が意思の疎通ができなくなった、、何らかの、それまで大事だった能力をなくしてしまい、その状況と折り合っていく人を描いている。最期の「心の目」は、『ビジュアル・シンカーの脳』とあわせて読むと面白いと思う。

  • 窮屈だ。

    いま見えているようにしか、見えないことに、カチコチと凝り固まって、それ以上に広がることができない。はみ出すことができない。

    ひとがやることに、世の中にあるものに、パターンが透けて見えて、こんなもんだとすぐ分かった気になってしまう。

    それがあながち的外れじゃなく、真理をついてると思えてしまうから、余計に、エラそうな、勘違いが甚だしい。

    でも、そんな賢しらな自分に、冷ややかな目を向けてしまう自分もいて、そんな同居に、まぁ、居心地が悪くてしょうがない。

    ヒトは、安定したいんだろう。
    安心したいんだろう。
    自分が理解できる姿に、自分が存在するこの世界を落とし込みたい。そうすれば、心が落ち着くと、そう信じて、このカラダが働いている。

    そんな風に思えることが度々だ。

    生きれば生きるほど、時間に比例して、沢山のものを溜め込んで、自分が出来上がったような気になって、少し、安定したつもりになる。

    でも、そうやっていっても、今となって、見えてるものに躓いて、途方に暮れてしまうこともあるんだ。

    安定することで見えなくなるものもある。
    欠けているからこそ、手に入れられるものもある。

    今手にしているものから、見渡せる世界に、そうじゃない世界がどこかに存在していると、イメージできる。そんな方法だって、ヒトは手にしていると、みんなだって、分かるだろ。


    世界が姿を変える。
    そんなときを、また向かえる。

    更新される瞬間を、また手に入れるために。

  • 人間って本当によくできてるな。当たり前のことに感謝感謝。サックス先生の本読むと毎回同じ感想。すぐ忘れちゃうからまた読むんです。

  • 読みたい章があり購入したが少し期待外れ。
    ザーッと流し読んで終了。

  • 心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界

  •  目にかかわる、脳の障害が、具体的な人を通して記述される。とてもひどい症例であっても、大変な努力と工夫により新しい状況を切り開いてゆく姿は、人間の可能性を伝えてくれる。そして、脳そのものの可塑性やいろいろな機能のネットワークを作り変えてゆくすごさに感動してしまいます。

  • 「見る」とはどういうことなのか。視力を失った人が見る世界や生まれつきや病気によって見る世界は、他の人たちとはどのように見えているかということを実例者をあげながら探っていきます。脳の不思議、そして「見る」ことの不思議がたっぷり堪能できます。面白かったです。

  • 文字を画像として認識できても読めなくなることがある。aphasia。手話失語症なるものもある。言語って一体何なんだろうか。
    なぜ文字が読めるのだろうか。文字なんて人類の歴史の中でついさっきできたばかりのようなものなのに。

    。。。と、読み終わってから思ったが、そもそも文盲な人の脳ってどうなってるんだろうか。文字が読める人だと識字を担当している脳の場所って、一体全体どうなってるんだろうか。

  • 視力にまつわる医学エッセイ。
    「みる」「読む」ということが、いかに精妙複雑な働きで成立しているかを教えられる。
    反射した光を感知するだけでは駄目なのだ。それを「認識」できなければ意味はない。
    りんごを見たとき、脳内で抽象化された「りんご」という概念と結びつけられなければ、その人はそれをりんごとして見ることすら出来ない。「紅くて丸いの」だ。
    物の特徴を抽象化して分類することができなければ、隣の人の頭をスイカだと勘違いしたっておかしくはない。
    むしろ人の顔を見分けるのすら高度なワザに思えてしまう。

    立体視の素晴らしさについての体験記はとても心を打つ。
    雪の一ひら一ひらのなかに身を置く自分を実感するということ…そういう感動を抱いたことなんて、私は今までなかった。
    生まれたときから当たり前のように備わっている事柄だから意識しないけれど、もし失ってしまったら、一体世界はどのように見えるのだろうか。話を聞いて想像することは出来るけど、きっとそれは想像でしかない。

    視覚心像についての言及も面白い。
    その人の経験からくるものと、創造力からくるもの。
    頭の中で見えるものって、一体どういう仕組みになっているのだろう。
    触覚や聴覚から風景を「見る」ことが出来る…それは目から入った情報とは違うものでありながら、限りなく近いものだ。

    足りないものを補完する力。
    新しい環境に順応する力。

    人間のからだに秘められた数々の可能性に驚かされる。

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