閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152092762

作品紹介・あらすじ

あなた好みの情報を自動的に取捨選択して見せてくれる、近年のネット社会のフィルタリング技術。その裏に潜む、民主主義さえゆるがしかねない意外な落とし穴とは-。「フィルターバブル」問題に警鐘を鳴らすニューヨークタイムズ・ベストセラー、待望の日本語版。

感想・レビュー・書評

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  • 著者であるイーライ・パリサーのTEDでの講演を聴けば、この本で書かれていることは大体分かる。それをもっと詳しく知るための本。

    GoogleやFacebookのパーソナライゼーションが作るフィルター・バブル。私たちは、セレンディピティもなく、自分の趣味志向を補完し続けていく自分ループに陥り、しかも安易に娯楽として消費される情報しか届かなくなってしまう。さらにそれが自分だけでないために、反対意見に出会わない世界、例えば政治的には非常に危険な世界になってしまう。

    編集権とパーソナライズ技術による情報の最適化はバランスが難しい。どちらも危ういものだ。だが、この本で出てくる「対話という形で、人は共通する意味のプールに参加する」という言葉が印象に残った。合意に向かう集会は少なく、時間の無駄に感じるかもしれないが、それによって達成されたコミュニティの中での納得感は、確かにとても重要だ。

    「ネットバカ」を読んだ時に、初めてインターネットが発達してやってくる未来に危惧を覚えた。そしてこの本。

    この本で書かれるパーソナライズという観点とは別に、コミュニティや仕組みとして、インターネットは閉じるべきではない・これまでのインターネットは開かれすぎであった、という議論がある。それがどちらが正しいのか、どちらに向かうべきかを考える上でも、大事なことが書かれている。

  •  グーグルやフェイスブックのパーソナライゼーションの仕組みは人々の嗜好にあわせて異なる検索結果やニュースフィードを画面に提示することを可能にした。そして、ネット上には多数のビーコンが埋め込まれ、こうして得られた情報はアクシオムなどの会社が収集・販売する。パーソナライゼーションで嗜好にあった情報だけが人々に届けられ、自分の嗜好と異なる情報は提示されなくなる。
     インターネットは世界の人々を結びつける道具として期待されたが、実態はそこから離れている。しかも、コードと膨大データの解析は人知を越えた解析ツールを出現させることになり、膨大なデータはコードを通じて物理的世界の仕組みを勝手に変えたり、必要な変革を行わないように働く可能性も出てきている。
     オープンなプラットフォームといっても、それは情報を収集する仕組みがオープンなのであって、これをどう活用するかという仕組みは全く人々に知らされていないという。こういう世界ではもはやオプトインという入り口で制御する仕組みすらも成り立たなくなるし、顔認識技術を使えば人間のつながり、趣味嗜好、健康状態、政治的思考まですべてを把握できるようになる可能性が高まる。しかも、そのためのコストは継続的に激減している。もはやSFではなくなったこうした世界を著者はフィルターバブルという言葉で表現している。ここでバブルというのは「経済のバブル」ではなく、「泡という意味でのバブル」だ。パーソナライゼーションされた情報圏の「泡」の中に各個人が包まれているという意味だ。
     筆者は解決策としてパーソナライゼーションのポリシーの公開、個人による情報のコントロール権の付与、適切な政府規制の導入など、幾つかの提案をしている。一つひとつの取組は困難を極めるが、大変重要な指摘だろう。
     井口耕二氏の訳もこなれていて読みやすい。一読をお薦めしたい良書である。

  • 既存の大新聞といったメディアと違い、インターネットという一見オープンな構造の中で情報がやり取りされているように見えて、実はネット社会でも検索エンジンの様な情報収集ツールは何らかの形で情報入手にバイアスがかかっている、という話。

    個々人の嗜好に合わせて検索結果順が変わったり、アマゾンなどで「こんな商品にも興味を持っています」という案内がされたりするというのが具体的な現象。
    こうした個々人に合わせて導き出される情報にバイアスをかける様になったネット社会のことを「閉じこもる」と表現されていて、個々人に対する情報提供にバイアスをかけることを「パーソナライズ」と呼んでいる。

    本来人は未知の領域に「たまたま」迷い込む事で新しい閃きを得たりするものだが、この「パーソナライズ」その機会を失っていないだろうか、というのが一番に提示されていた重要な問題であり、それは最もだと強く共感した。
    同じジャンルの情報に直ぐアクセス出来ることが便利なときも多々あるが、ときには未知なる知識に触れることが人としての成長を呼び込むことがあるので、このパーソナライズが進むネット社会には懸念を抱く。

  • 「コードが法」ならグーグルやフェイスブックのエンジニアが何を考えてコードを書いてるか理解しなければならない。 p.29

    関連性レースの中心にはパラドクスがある。パーソナライゼーションのアルゴリズムはデータを必要とする。しかしデータが増えると、そのデータを整理するためにフィルターの進化が必要になる。マッチポンプ。 p.53

    あなたの行動は商品になった。 p.62

    営業部門と報道部門を分離する新聞が登場した。客観性の支持、変更報道の糾弾。20世紀後半のジャーナリストの矜持、倫理的モデル。新聞は中立的立場から報道し、世論を形成する。
    リップマンのように批判した人がいたから、現状のシステムには倫理と公的責任が(不完全ながらも)書き込まれている。しかしフィルターバブルにそれはない。 p.76

    パーソナライゼーションは、幅広い知識や総合力が消えて過集中が増えるアデラル社会をもたらそうとしている。 p.115

    セレンディピティ。夢の論理を組み込む必要がある(エール大学教授デイヴィッド・ガランター)。 p.127

    パーソナライゼーションが進むと少数の巨大企業が大きな力を持つようになる。膨大な量のデータが集積されるため、政府(民主的であっても)がかつて無いほどの力を潜在的に持つようになる。 p.177

    Hello, World! システム化の全能感。システム化のトレードオフ。ルールによってコントロールしやすくなる一方、微妙な雰囲気や肌触りなど、深いつながりの感覚が失われてしまう。 p.211

    フェイスブックは自社を「ソーシャルユーティリティー」と呼ぶ。まるで21世紀の電話会社だと言いたいかのようだ。しかしプライバシーポリシーが不安定で後退しているというユーザーの苦情は「自己責任」だとして取り合わない。使いたくなければフェイスブックを使わなければ良いというのだ。大手電話会社が「電話の会話は公開する。それが気ににいらないなら電話を使わなければ良い」と言えるとは考えられないのに。 p.218

    事態をさらにややこしくしているのが、自社の成果が望ましくない影響を社会にもたらすとき、明白な運命という技術決定論的な表現を用いるオンライン世界のアーキテクトが多いことだ。シヴァ・ヴァイディアナサンが指摘しているように、テクノロジストは「〜できる」や「〜すべき」とめったに言わず、「〜になる」と言う。「今後、検索エンジンはパーソナライズされるようになるでしょう」と受動態で表現するグーグルのバイスプレジデント、マリッサ・メイヤーのように。 p.219

    技術は予定されたコースを進んでいると信じるエンジニアや技術決定論者は少なくない。 p.219

    大きな力をもつ新興のアントレプレナーたちにとって技術決定論は便利で魅力的だった。技術決定論であれば、自分たちがしていることに責任をもたなくてよいからだ。祭壇の聖職者と同じように自分たちは大いなる力の器にすぎず、その力にあらがうことは無駄と考えられるからだ。 p.219

    社会的な責任や政治的な責任に対するソフトウェアアントレプレナーの姿勢がめちゃくちゃなのも、驚くには値しないだろう。その主因は、できるかぎり速い成長を求めるのがオンライン事業というものだからだと思われる。まだ若いプログラマーが大成功と大金持ちへの道を歩きはじめるのだから、このようなことをじっくり考える時間がなくても当然だ。背後のベンチャーキャピタリストから「マネタイズ」の圧力を加えられることも、社会的責任について熟考している暇がない理由のひとつだろう。 p.220

    技術決定論者は、技術とは本質的によいものだと考えがちである。しかし、ケビン・ケリーがなにを言おうと、技術にはレンチやねじ回し並みの善意しかない。技術がよいことをするように人がしたとき、人がいい形で使ったときにのみ、技術はよいものとなるのだ。このことは技術史のメルビン・クランツバーグ教授が30年近くも前に上手に表現し、クランツバーグの第一法則として知られているーー「技術は善でも悪でもない。中立でもない」だ。 p.230

    (市民社会に取って有用なツールを作るという)この課題の解決は、膨大な技術的スキルと人間性の深い理解が必要とされる偉業である。そのためには、グーグルの有名なスローガン、「邪悪になるな」の先をゆくプログラマーが必要だ。善を為すエンジニアが必要なのだ。p.230

    アレグザンダー:混交の街、孤立集団の街、サブカルチャーのモザイク。それぞれの地域が文化的に特徴を持ちやすい設計。「このようなサブカルチャーははっきりした違いをもつ特徴的なものでなければならないが、閉鎖的であってはならない。お互いにいつでも行き来が可能で、人がサブカルチャーからサブカルチャーへと自由に移動し、自分に適したところに居を構えられるものでなければならない」 p.271

    「デフォルトの暴政」(ブラッド・バーナム)。 p.276

    グーグルのエンジニアは「ある種の情報がほかの情報よりも価値がある」と決めている。アルゴリズムによって。 p.285

    パーソナライゼーションがおこなわれていることがわかるようにすべき。パーソナライゼーションをユーザーがコントロールできるようにすべき。パーソナライゼーションに不規則性を組み込むことでセレンディピティの問題を解決すべき。 p.287

    キャス・サンスティーン「賛否両論の併記を情報アグリゲーターに義務づける(公正原則)」。 p.289

    個人情報に対するコントロールを個人に返すことを企業に義務づけるべき。1973年、米保健教育福祉省からの提言はいまだに有効。 p.290

    フェイスブックのプライバシーポリシーには過去にさかのぼる形で改定したルールを適用できるという条項がある。…個人情報はかなり特殊なタイプの資産で、提供したあとも、長期にわたって利害関係が続く。 p.293

    オンラインの巨大コングロマリットたちは政治的に強い力をもっている。インターネットの手綱をめぐる争いにおいて組織されていないのが大衆だけというのは皮肉。 p.295

    しかし最終的には、仕事や遊び、コミュニケーションの仕方、あるいは世界を理解する方法など、世界何十億もの人々の行動をごく少数の米国企業が左右するようになってしまうおそれがある。誰とでもつながれる世界、ユーザーがコントロールできる世界というインターネットのビジョンを守るーーそれこそ、いま、我々がなすべきことだと思う。 p.296


    関連記事:ウェブエンジニアが倫理的であるために必要なこと https://www.facebook.com/note.php?note_id=374883189200222

  • サンスティン『インターネットは民主主義の敵か』とレッシグ『CODE』を混ぜ合わせて、事例を新しくしたような内容。
    こう書くと、もう既に大した内容ではないような気がするけれども(確かに新規性はないw)、非常にうまくコンパクトにまとまっている。それに訳文も読みやすい。

    サイバーカスケード=フィルタリングバブルをどう捉えるのかは、依然として問題であることは、間違いないけれども、それを批判的に捉えてうえで、民主主義の危機だ、討議型のコミュニケーションが取れなくなっている!と叫ばれても・・・「まあ、そうっすよね。それで何か問題あるんすか?もうそんなこと自明じゃん?」って感じになってしまうことは否めない。要は、2005年あたりに集中的に議論された事柄から、一歩も前に進めていない気がする。それだけ問題の根が深いと言われれば、そうかもしれないけど、だけど『一般意志2.0』みたいな話を読んでしまった後に、本書を読むと。どうしても・・・「うーーん?」って感じにならざるをえない。

    それにネット上でアーキテクチャを構築する企業や技術者に倫理が必要というのも、それはそれでわかるけども、それを啓蒙的に言われてもな・・・って感じ。

    まあ批判/非難っぽく書いてしまったけども、ジャーナリズム論の文脈では、面白い箇所もあった。

  • 中盤の「対話と民主主義」の議論で、著者自身が経験した村民集会の話を読んだ時、かつて宮本常一が『忘れられた日本人』で紹介した寄り合いの話を思い出した。宮本はそこでの話し合いが理屈や論理づくではなく、おのおのの体験したことに事寄せて、時間をかけておこなわれるものだとしていたが、著者の体験もそれに似て、自分とは異なる暮らしやニーズに触れ、共有する体験の場とみている。それが今日では、「アルゴリズムによって仕分け・操作され、設計に従いばらばらに砕かれ、対話に敵対する場」と成り果てていると嘆いている。

    ここから公共性とインターネットの関係がさらに論じられるのかと期待したが、パーソナライゼーションのアルゴリズムをどうすれば改良できるかという話に移り、少し肩透かし。結論も、企業やエンジニアの高い倫理性や情報公開に期待するもので、なんか落ち着くところに落ち着いた感じ。

  • ネット社会はとても便利なものですが、それと引き換えに我々が『彼ら』に売り渡しているものは…。極端な『パーソナライズ化』が利益をもたらすのか?それとも…というのは神のみぞ知るというところです。

    かつて、自由な場所といわれていたインターネットの世界もそれは昔の話。いまやアルゴリズムの急速な進化により、われわれに提供される情報はよりパーソナライズ化され、たとえば、私の見ているグーグルのある言葉に関する検索結果とあなたの見ている結果が違っていたり、Facebookに流れるニュースフィードは俗に「エッジランク」と呼ばれるアルゴリズムで、運営者側が「あなたと親しい方はこの方ですか?」という風に投げかけられた情報を見ていたり、Amazonでは購入したりクリックした商品を元にあなたにお勧めのものを表示してくる…。いまやこういう時代になったのかと読んでいて複雑なものを覚えてしまいました。

    かねてから、ネットの世界で「無料」というものに対して対価として払っているのはわれわれの個人情報であるという話はちらほらと聞いておりましたが、いわゆる「メジャー級」に知名度がある会社ではありませんが、アクシオムなどの個人情報を取り扱う会社が目立ちはしないもののこれで莫大な利益を挙げているということも本書から知ることができました。

    ネット社会がこのような傾向になっていくのは「ギークス」と呼ばれる開発者たちの思考回路がたとえば、世界が自分の思惑とは別の方向に進みかけているときでも
    「自分が間違っているのかもしれない」
    とは考えずに
    「世界が間違った方向に進んでいる」
    と捉える傾向がある、という記述も
    「あぁ、なるほど。彼らはそういう風にして『世界』をみているのか」
    という意味ではいい悪いは別としてとても参考になるものでありました。『フィルターバブル』の問題は今後もわれわれに付きまとってくるとは思いますが、それに対してどのような態度で臨んでいくのか?そのヒントとして本書はとても読み応えのあるものでございました。

  • 思わぬモノとの出会いがなくなり、成長や革新のチャンスが失われる、というのはAmazonでお買い物しつつ、本屋さんも好きな人なら痛感する事でもある、そもそもフィルターバブルに皆が気づいてない、というのが問題かも
    力を持つフィルターを私企業がそれぞれ好き勝手に開発し、どういう方針で何をどのように処理してパーソナライズしているのか全く不明な状態で、自分の言動が誤解されおかしなパーソナライゼーションになっていても訂正してもらう方法もなく、そもそもパーソナライズされているかどうかさえわかりにくい

  • あらゆるデータを用いてパーソナライゼーションが進み、キュレーションされていく情報化社会で、ユーザーが知らず知らずのうちに偏った情報のみにさらされている問題に言及。

  • バラ色のネット界に警鐘を鳴らすことは大事である。

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