それをお金で買いますか――市場主義の限界

制作 : 鬼澤 忍 
  • 早川書房
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本棚登録 : 1880
レビュー : 232
  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152092847

感想・レビュー・書評

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  • あらゆる場面で市場主義が現れることの何が問題なのか。豊富な事例を通じて、1.自由な市場を支持する立場 2.公正さを重視する立場 3.道徳を重視する立場 が浮かび上がってきます。サンデルは3の立場から、道徳や価値について熟議されてこなかったことが、市場主義の日常生活への侵蝕を招いたのではないか?と言っていると思います。

  • やっぱ哲学っぽい

  • 『これからの「正義」の話をしよう』のマイケル・サンデル教授が倫理と至上主義の問題を扱った本。原題は、"What Money Can't Buy: The Moral Limits of Markets"でもう少しストレートに道徳上の観点から市場主義を批判していることを示している。

    サンデル教授の授業をTVで見たが、事例が豊富で対話での対応が非常にうまい。本書でも市場で取引される微妙な事例が多数取上げられている。『正義』では、その事例の判断を読者に委ねるところが多かったが、本書では踏み込んで至上主義を倫理によって制限すべきであるとする著者の立場を鮮明にしている。その点は『正義』の方が抑制的であった。

    サンデルの問題意識は、「市場と市場価値が、それらがなじまない生活領域へと拡大したこと」にある。その事例として非常に多くの具体的な事例を挙げている。

    ・刑務所の独房の格上げ
    ・インドの代理母による妊娠代行サービス
    ・絶滅危惧種のクロサイを撃つ権利
    ・ディズニーランドのファーストトラック
    ・主治医の携帯電話の番号
    ・CO2排出権
    ・額のスペースを広告に貸し出す
    ・ソマリアやアフガンの傭兵
    ・公聴会の席取りのための行列並び
    ・生命保険の買取り
    ・セックス
    ・腎臓

    サンデルは、市場主義にその根拠として「不平等」と「腐敗」を挙げる。倫理において「腐敗」を論じるとき、何らかの論理的跳躍が必要になる。「市場はものを分配するだけでなく、取引されるものに対する特定の態度を表現し、それを促進する」という観点は正しく重要だ。保育園での迎えの時間に遅れた場合に罰金を徴収することとなったとい逆に遅刻する親が多くなったというエピソードは意外ではあるが、当然のことのようにも思われる。ただし、「生きていくうえで大切なもののなかには、商品になると腐敗したり堕落したりするものがあるということだ」ということの間には大きな間隙が存在している。

    市場と道徳についての考え方について、完全に賛同できるわけではなく、どちらかと言えば市場にまかせてしまった方がいいと思う範囲は広いように思うが、いずれにせよ提起されている問題は切実で有効だ。

    柄谷行人がかつて資本主義は選択できるものではないという意味で「主義」ではない、といったことを思い出した。当時の状況で柄谷がどこまでのことを意味していたのか分からないが、市場を否定しても、市場社会から抜け出ることはもはやできないという意味で捉えた。
    サンデルは、市場の論理が生活から道徳的議論を排除する方向に向けることを危ぶんでいる。市場自体は倫理や道徳について判断を下さないからだ。そう主張するときに、柄谷のことを思い出す。

  • 「これからの『正義』の話をしよう」がベストセラーになったマイケル・サンデル教授の本。
    「お金で買うべきではないものが存在するかどうか」-市場経済と道徳・倫理との関係について書かれている。

  • 「それを売買するのはどうなの?」と思う反面「何がが悪いのか?」と言われると明確に反論できない物もあると思います。
    そういった道徳と商取引の間にある疑問を色々な事例を元に紹介されています。
    仕事をしていると自然と疑問に思う事から、この本で指摘されて始めて気づいた事などもありました。
    社会人としてみなが意識を持たないといけない問題なのでは無いかと思います。

  • 市場経済と倫理の問題をまとめた本。

    サンデル教授の本は面白いのですが、自分にとっては、なぜか「ぐいぐい引き込まれる」感じはない。

  • タイトルまんまというか、そんなものも売ってるのか、買えるのかというのが面白い本。経済学うんぬんより、よくそんなもの売ろうと思ったなという商売根性と、道徳的にどうなの、売る側も買う側もどういう環境でどういう経緯でどういう基準でそれを売ろうと決意したのかが気になるし面白い。
    本書で取り扱っているのは、主にアメリカの市場に存在している驚くべき「売り物」に関するもの。
    すべて実在するし、売る側もいれば買う側もいるという事実がちょっと日本人の感覚からすると不思議に思えてしまうようなものばかりです。
    たとえば、行列の「順番」の価値。
    遊園地で超人気のアトラクション、行列の最後尾には「○○分待ち」の文字。
    そのアトラクションに乗るために、倍の金額を払えば、列をすっ飛ばして優先的に乗る権利を得られる。要は並べば誰でも乗れるアトラクションに対し、追加の金を払うことによって時間を買って待たずに乗るということ。
    遊園地に限らず、行列に並ぶ商売、医者の予約の転売など、「時間」が必要になるものを「金」で売るという行為が、アメリカでは実際に行われている。
    でも、日本ではそんな商売がないだけで、もし「順番」が妥当な価格で当たり前のように「販売」されていたら、物によっては買ってしまうのは想像できる世界かなと思います。
    なんにせよ、大切なのは売る側もいれば買う側もいるということ。だからこそ成り立つわけで、適切な価格で取引をし、当事者以外に他者の権利を侵食していないなら特に大きな問題として取り扱う必要なないんじゃないかなとさえ思われる。
    問題は「倫理的」にどうなのかなということ。キーワードは「不平等」と「腐敗」のふたつ。
    読んでいて単純にショック、というかもう現実味さえ感じられなくなったのが、生命保険の買い取り産業。
    人の命を取引の道具にできる人が市場のために実際に売り買いしている。もう、この事実だけでも「不平等」と「腐敗」のふたつは集約されているように感じます。道徳的なブレーキはどこでかけるべきか、今の行き過ぎた市場主義はどこでブレーキが壊れてしまったのか。考えさせられるし、アメリカで実際に存在しているこれらの市場、日本に入ってきたらどう思うか。そんな意味でも面白い一冊でした。

  • ロビイストは、こうした公聴会にぜひとも出席したいと思っている。休憩時間に議員とおしゃべりし、自分たちの産業に影響のある法律に目を光らせておくためだ。
    (p37)

    腐敗とは、売りに出されるべきではない何か(たとえば有利な判決や政治的影響力)を売買することで生じるのである。(p70)

    慈善資金を集めるための個別訪問は、いまや市民の義務を果たすというよりも、歩合を稼ぐという意味合いのほうが大きくなってしまった。金銭的インセンティブが、公共心に基づく活動をお金のために変質させたのだ。(p169)

    本質的に価値があると思う活動に携わっている人々に金銭の提供を申し出ると、彼らの内因的な関心や責任を「締め出す」ことによって、動機を弱めることになりかねない。(p173)

    ルソーは言う。「公共サービスが国民の主要な仕事でなくなり、国民が体でなくお金によって奉仕するようになるや、国家の崩壊は遠くない将来に迫っている」(p182)

    利他心、寛容、連帯、市民精神は、使うと減るようなものではない。鍛えることによって発達し、強靭になる筋肉のようなものなのだ。市場主導の社会の欠点の一つは、こうした美徳を衰弱させてしまうことだ。(p184)



    子供たちは一日の大半を学校で過ごすため、企業はあの手この手で校内の生徒に広告を届けようとする。一方で、教育予算が不十分なため、公立学校はそうした企業を歓迎せざるをえなくなっている。(p279)

    命名権と自治体マーケティングは、共通世界を私物化していくにつれ、その公共性を減らしていく。特定の善に害をおよぼす以上に、商業主義は共通性を損なわせる。お金で買えるものが増えれば増えるほど、異なる職種や階層の人たちが互いに出会う機会は減っていく。(p283)

    結局のところ市場の問題は、実はわれわれがいかにしてともに生きたいかという問題なのだ。(p284)

  • 「実際、市場が侵入してきた領域ー家庭生活、友情、セックス、生殖、健康、教育、自然、芸術、市民性、スポーツ、死の可能性の扱い方ーの多くについて、何が正しい規範なのか、意見が一致していない。だが、私がいいたいのはそこだ。市場や商業は触れた善の性質を変えてしまうことをひとたび理解すれば、われわれは、市場がふさわしい場所はどこで、ふさわしくない場所はどこかを問わざるをえない。そして、この問いに答えるには、善の意味と目的について、それらを支配すべき価値観について熟議が欠かせない。」問題提起としてはいいけど、結局、売る側と買う側の道徳的退廃や後ろめたさの起源が何で、市場主義の限界領域がどの範囲で、その境界侵犯がなぜそしていかになされてしまっているのか、その部分が明らかにされなかった印象がある。世界が自分自身に突如牙を向くとしたら、それはどこからで、その時にどうしたらいいのか、答えは見つからない。その時に自分が何を買うのか、あるいは買わざるをえないのか、または買えないのか、真剣に考えるには、リアリティがないのは、自分にそこまでの想像力がないからだろう。

  • 市場の論理に照らせば、売手と買手が合意の上で、双方がメリットを得るのだから、どんなものを取引しようが問題ない。しかし、金で取引されることで失われるものがあるとサンデルは語る。それは取引されるモノが道徳に関わる時だと。

    例えば人の生命に関わる話であり、医療を受ける優先順位が金銭によって取引されるべきなのか。例えば、人の死によって他人が特をするような用務員保険やバイアティカルは、他人の死を賭けの対象とし、他人の死を望むような許されざるギャンブル=デスプールと何が違うのか。

    そして、興味深いのは、保育園で親が子供の迎えに遅れたら罰金を科して遅れをなくそうとしたという話で、罰金を科したら逆に遅れる親が増えてしまい、その後に罰金をなくして元に戻そうとしても、遅れる親の数は元に戻らなかったという話だ。罰金を払うことで保育園に迷惑を掛けるという罪悪感は軽減されてしまい、一度軽減された罪悪感は簡単には戻らないということだろう。つまり、金で取引されることで失われた何かは戻ってこない。これを「腐敗」という。

    そして、道徳は愛情と同じように使うほどに育つものだとサンデルは語り、美徳は供給に限りがある希少資源であるから市場にできることは市場に任せて、美徳の消耗を抑えるべきだと言う経済学者達を切って捨てる。

    愛情が消耗しないように愛しあうことを控えた恋人達の愛は深まるだろうか、子供に愛情を注がない親の方が愛にあふれているだろうか。そんな馬鹿なことはありえない。美徳もまた然り。ボランティアに勤しむ学生が社会貢献に無関心な大人になり、そうでない学生が社会貢献に熱心な大人になるだろうか。そんな馬鹿なこともありえない。

    愛も美徳も使うほどに育ち、金銭で取引されれば腐敗する。経済学者が幅を利かせ、市場主義が支配する、損得でものを考える社会に生きたいか。それとも、美徳を大切にするような社会に生きたいか。結局のところ市場の問題は、実はわれわれがいかにして共に生きたいかという問題なのだ。

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