誰よりも狙われた男 (ハヤカワ・ノヴェルズ)

制作 : 加賀山卓朗 
  • 早川書房
3.70
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本棚登録 : 73
レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (392ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152094216

作品紹介・あらすじ

亡き父親が秘密の取引をしていた銀行の経営者に会うべく、不正入国してドイツのハンブルクに来たチェチェン人の若者イッサ。だが彼は、国際指名手配中で、いくつもの諜報機関から追われていた!

感想・レビュー・書評

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  • ル・カレは二度読め。一度目は話(ストーリー)の筋を追うために。二度目は話を存分に楽しむために。ストーリーを展開してゆく上で提供される人名、地名、所属庁名等々の情報量が尋常でなく、一度読んだだけでは、それを追うのに必死で、なかなか物語を味わうところまで行かないからだ。ただ、作者も歳をとったせいか、小説の構成自体は以前と比べるとシンプルになってきている。時間の流れが前後するにしても小幅だし、視点の交代も限られている。素直に読んでゆけばサスペンスフルな展開を楽しむことができるように書かれている。もし、ル・カレを読むという特別な期待を持たないのなら。

    スパイ小説の名手、ジョン・ル・カレも八十歳をすぎた。おまけに冷戦が消滅してからというもの、東西の対立という絶好の舞台設定が喪われ、エスピオナージュというジャンル自体が成立し難い状況になっている。代表作であるスマイリー三部作のほかにも傑作が目白押しの大家が、そのような状況下、いまだ現役で活躍していることだけでもすごい話ではないか。しかも、書く題材はいくらでもあるといきまいているというからなおさらだ。今回の舞台はスマイリー物の舞台にもなった国際的な港町ハンブルク。チェチェン出身のムスリム青年を取り巻く9.11以後の世界を描いた意欲作である。

    冒頭に印象的な人物が登場して今後の展開を期待させる仕掛けはル・カレのよく用いる手。今回もボクシング、ヘビー級チャンピオンで大男のトルコ人青年メリクがイントロの役割を引き受けている。ある日、物乞い同然の身なりの若者が泊めてくれとメリクの家の戸口に立つ。メリクは拒否するが母親のレイラは家に入れてやる。青年の名はイッサ。身体には拷問の痕があり、言葉はロシア語だ。

    スコットランド出身の銀行家トミー・ブルーは、少年聖歌隊の声をもつ若い女性弁護士アナベルから電話を受ける。依頼人がブルーの助けを求めているという。電話の主が口にした「リピッツァナー」という言葉には覚えがあった。父が晩年、何の思惑があってか引き受けた秘密口座の名前だ。生まれた時は真っ黒だが、成長すると白くなるという特質を持つ馬を指すことから、マネー・ロンダリングを仄めかしている。ソヴィエト崩壊時、カルポフという赤軍大佐が汚い金の隠し場所にブルー・フレール銀行を選んだ。イッサはカルポフがチェチェン人の少女を強姦して産ませた子だった。無垢な息子が実の父の悪事に悩み傷つくというのは、ル・カレ自身の経歴に基づく因縁のモチーフだが、今回はイッサとトミー二人ともが、父の犯した罪がもたらす財産を放棄するために力の限りをつくす。

    ドイツ連邦憲法擁護庁外資買収課課長ギュンター・バッハマンは、各国から逃亡犯として指名手配されているイッサを利用して、権力争いの覇権を握ろうと画策する。テロ組織に協力している疑惑のあるイスラム学者アブドゥラを協力者に引き込むため、父の残した汚れた金をアブドゥラが行っている人道的な事業に提供するよう、アナベルを通じてイッサに働きかける。

    「テロとの闘い」という言葉は、9.11以後世界中を席巻している。特にアメリカはイスラムを敵視し、過剰なまでに報復を果たそうとした。強硬的な英米とは異なり、敗戦国でもあり、ユダヤ人問題もあってドイツは微妙な立場にある。おまけにネット情報が独り歩きをし、以前のようにエージェントを使ったスパイ活動が難しくなっている。昔気質のスパイであるバッハマンのような男にはやりづらい時代なのだ。相手の情報をつかむには、疑惑のある人物を逮捕せず、泳がせながら協力者に引き込むのが有効なのだが、CIAの圧力がかかって、思うようにならない。

    イッサをめぐる、アナベル、トミー、バッハマンの三人の立場から、スパイ活動に巻き込まれてゆく良心的な人物の葛藤を描いている。ベジタリアンでミネラル・ウォーターしか飲まない若い女性アナベル。六十歳の誕生日を迎えたばかりの銀行家トミー。現場主義のスパイ、バッハマン。三者三様の心理戦が視点の交代によって手にとるように読者に迫る。そのあたりの手際は熟練のル・カレ。さすがに読ませる。個人的には、還暦を過ぎたブルーが、娘と同じ年頃の女性に寄せる思いや、夫がありながら他の男との交際を続ける妻に対する思いに感慨を持つが、読者によって感情移入できる人物が異なることを計算に入れた複数の視点人物の導入は成功しているのではないか。

    結末は、ル・カレならでは。この味がたまらないという向きには満足のいく仕上がりになっている。

  • まず第一に、小なる者が大なる者に押し潰される悲劇という冷戦下でこそ描きやすかった物語を、「テロとの戦い」によって成立させたその手腕に脱帽。むしろこの結末は、テロという共通の敵と戦うはずの仲間内での内ゲバによって起こされたものであり、そんなことしてる場合じゃねえだろという思いがより一層悲劇を強める。強めるものの、いまいちキャラクターに感情移入できなくてまいった。やはり、ル・カレとの年齢差なのだろうか。それともキャラクターを示すシーンがあまりに繊細すぎたのだろうか。

  • あとがきに救いがある。

  • ジョン・ル・カレのスパイ小説。

  • テロとの闘いについて描いた本は色々ありますが、この作品はスパイ小説として、その本質にどこよりも迫っているように思いました。

    印象的だったのが、劇中の出来事の発端が20世紀に遡れるというプロットです。
    イッサとブルー、それぞれの父親の世代が冷戦の終わりに行った後ろ暗い企みが、時を経て不意に明るみに出て、息子の世代を翻弄しています。
    実際のテロも9.11も、21世紀に降って湧いたものではなく、その原因は前世紀にあります。イスラム圏に対して、先進国がやってきたこと。それが巡り巡って、次の世代を脅かしている。アブドゥラ博士がブルーと初めて会った時の会話が、そのことを象徴しています。

    テロとの闘いというと、どうやってそれを収めるか、どうやって悪者を見つけるかということばかりが考えられがちですが(劇中のCIAのように)、この作品ではそれ以前に、「その災禍を招いたのは誰だったか」ということが常に頭にあるようです。

    それだからこそ、あのラストシーンがより皮肉と悲しさを帯びて見えてきます。

  • 飛び交う銃弾もなければ、手に汗握るカーチェイスも、さらには甘い一夜も出てこない。あるのは、職業にスパイ活動しか選べない人々の嘘であり沈黙、さらにはそれに翻弄される人々の魂や希望である。それらがひたすらページをめくらせる。刊行時と世界情勢は何も変わっていないと思わせるのは、独首相の通話傍受だけではあるまい。95%の白でも5%の灰色を持つ人物を容赦なく引っ捕まえるのは、彼らがみなすテロの脅威の性質上、もはや個人の罪と集団の罪を区別していないからで、最後には100%白の人物でさえ連れ去ってしまうのはそのためだ。

    一点ケチをつけるとすれば、バッハマンらドイツ情報部の人間たちが、「もっとも狙われた男」としてイッサに狙いをつけた背景がわかりにくいのだ。おそらく何か裏にあるのだろうと読み進めたが、もしあとがきを最初に読んでいたら、結末まで想像がついて読むのを止めていたかもしれない。

  • 登場人物の誰もが、舞台に上がった時からクライマックスの泥沼に足を踏み入れている。組織的な「戦争」の渦中に巻き込まれながら、自身の言動に個人として決断を下す、そういう瞬間の連続でぞくぞくする。
    既に映画化が決定しているとのこと。この緊張した空気をどれくらい感じさせてくれるのか。早く観たい!

    ちなみに…終盤でバッハマンの表記が一部おかしかったのは原著がそうなのかしら。スペルとしてはありそうな誤記だけども。

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