スパイたちの遺産

制作 : John le Carr´e  加賀山 卓朗 
  • 早川書房
3.85
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本棚登録 : 74
レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (335ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152097217

作品紹介・あらすじ

引退した元スパイ、ピーター・ギラムは、かつて所属していたイギリス情報部から緊急の呼び出しを受けた。冷戦期、作戦中に射殺された同僚の子供たちが、親の死亡原因はギラムとジョージ・スマイリーにあると訴え出たのだ。だが、スマイリーの行方は知れず……。

感想・レビュー・書評

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  • 『寒い国から帰ってきたスパイ』や『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』から、実に半世紀の時を経て続編が語られると知った時、胸の高鳴りとともに一抹の不安を感じていたのを覚えています。
    両作を読み終えていた身からすると、既に物語は綺麗に閉じているのに、これ以上何を語るものがあるのか、想像もつかなかったからです。

    しかし、読み始めてみれば、今作が決して単に過去の人気作からもう一度話題を作ろうとしているだけではないことが、すぐに分かります。
    むしろ、50年もの歳月が経った今になって、初めて語ることができるようになった物語とも言えます。

    本作の設定の妙味は、主人公をスマイリーではなく、彼の右腕的存在であったピーター・ギラムに据えているところだと思います。
    彼はサーカス本部所属の人間ながら、指令があれば現場に出て活動することもあるスパイです。つまり、犠牲者アレック・リーマスの立場や心情を、同じ現場の人間として、まざまざと追体験することができるキャラです。

    任務のために活動する時の使命感、いつ命を落とすとも分からない緊張感、情報を明かしてくれない本部への不信感、そして、目の前で起き続ける犠牲への悲嘆と苦悩……。

    ただ黙々と当時の作戦の報告書――脚色されている文書も含む――のページを繰り続けるというプロットから、ここまで感情を揺さぶる体験ができるのは、ギラムというキャラの視点を借りているからこそ可能になることだと思います。

    彼はフランスでの慎ましやかな隠居生活からロンドンに呼び戻され、騒々しい現代人の追及に曝されます。
    ほとんど彼一人で孤立無援の状況で、墓場まで守り抜いていくと誓っていた秘密を差し出せとじりじり責められ続ける様子は、読んでいてとてもつらくなるものがあります。
    そして、ギラムにしても事の全容を分かっているわけでもありません――彼が支えていたスマイリーならともかく。

    なぜ彼がここまで苦しまなければならなかったのかと考えると、きっとそれは彼の人間味と優しさがゆえだったのでしょう。もしもリーマスの墓場の訪問者名簿に本名を書いていなかったら……、今回のストーリーの直接的な発端はなかったかもしれません。(クリストフなら別の手段を用いるかもしれませんが。)

    往年の現場エージェントとしてのせめてもの思いやりが、現代で無慈悲につけこまれる。彼がスパイとして守ってきたはずの世界が、彼に冷酷な仕打ちをする。
    冷戦当時の人々と対照する形で、この現代という時代の、大儀のなさも強調されています。
    登場する(現代の)人間達は、誰もかれもいけすかない奴らとして描かれています。弁護士連中はギラムの気持ちも考えずにずかずかと話を進め、お目付け役の若者要員達も淡々と仕事をこなすだけ。

    クリストフにしても、最初はル・カレ作品では珍しいほど単純な動機のキャラだと思いました。彼が今回の物語の発端にある人物ですが、当初は金のためという、ひどくシンプルな理由でギラムを訴えます。
    父親とのあからさまな違いというのもあって、最初はだいぶ「デフォルメが過ぎた」キャラだと思ってました。正直、こんな奴に狙われてるのかとげんなりしそうでした。

    しかし、終盤のシーンでは印象は変わりました。結局、彼も自分のしようとしている復讐の虚しさに気づけたのでしょう。あるいは、「壁」のすぐ側で仇を討とうとした状況が、父親を思い出させて思いとどまらせたのでしょう。登場シーンは短いながら、見た目通りではないキャラだったのが素晴らしかったです。

    懐かしのキャラも本作に多く再登場します。『ティンカー、テイラー』では、鍵を握るセーフハウスを管理していたミリー・マクレイグ。学校で気難しい教師を続けていたジム・プリドー。
    そしてそして、私達の前に再び姿を現したスマイリーは、苦難の旅を超えたギラムを温かく迎え入れてくれます。ほんとに、この場面をこそ見たいがために読んできたようなものです。

    個人的には第1章の時点で、ギラム自らスマイリーのことを「父親代わり」と書いていたのを読んだ時から、もうそれはとてもとても「エモい」なと思っていて、何としても平和な邂逅があってほしいと願っていました。

    結局本書のストーリーをまとめてしまうと、最初からスマイリーに会いに行けば良かったんじゃん、と言いたくもなってしまいます。が、実際スマイリーがギラムに言った以下のセリフが、本書の物語だけでなく、過去の作品をも総括するものになっています。

    この言葉をスマイリーが――あるいは作者ル・カレ本人が――言えるようになるまでに、まさに五十年の歳月におよぶ、深い孤独と内省が必要だったのでしょう。

    「われわれは無慈悲だったのではない、ピーター。無慈悲だったことは一度もない。むしろ大きな慈悲の心を持っていたのだが、おそらくそれを向ける先をまちがえた。無駄な努力だったのは確かだ。いまはそれがわかる。当時はわからなかった」

  • 原書読書のヘルプ用に。

  • 読み終わった。のではなく、あと4分の1を残して読むのやめた。登場人物がさっぱり頭の中に入らない。ストーリーが入ってこない。読んで戻って読んで大いに戻って…やめた!

  • なんとも面白い、過去の忌まわしい事件の数々、形を変えて現在に蘇ります。スマイリーと仲間たち、その後、そして、今は、でありますな。星4つ

  • まさか「寒い国から帰ってきたスパイ」の後日談を読めるとは。
    今回はピーター・ギラムが主役。リーマスの息子とリズの娘が情報部を訴えるということで、急遽フランスから呼び出されてリーマスとリズが死ぬことで終わった「ウィンドフォール作戦」を振り返ることになる。
    「寒い国から~」では曖昧にされていた点が明らかにされ、改めてこの時代に戦われていた非情な情報戦に背筋が寒くなる。ギラムはスマイリーたち上司に言われるがまま、愛した女性を騙し、長年の友人に嘘をつき、作戦を遂行した。自分は精一杯やったと自負する一方で、罪の意識に苦しむ姿がリアルだ。ただ昔のル・カレ作品と比べて、皆が多弁だし分かりやすいが、ちょっと説明的な会話も多かった。

  • 『寒い国から帰ってきたスパイ』と『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の二作を読んでから読むことを勧める書評があった。訳者あとがきにも、同様のことが書かれているが、それはネタバレを恐れての注意。二作品を読んでいなくてもこれ一作で、十分楽しめるので、わざわざ旧作を掘り返して読む必要はない。ただ、これを読むと、前の二作を未読の読者は、おそらく読みたくなると思うので、読めるなら先に読んでおくといいだろう。

    数あるル・カレのスパイ小説の主人公として最も有名なのが、ジョージ・スマイリー。眼鏡をかけた小太りの風采の上がらない中年男だ。ただし、現場から寄せられる真贋の程の分からぬ数多の情報を重ね合わせ、比較し、齟齬や遺漏を想像力を駆使して精査し、仮説を立て、読み解いていく能力はずば抜けている。スパイにも色々いるが、スマイリーは何よりも知性派で、冷静にして沈着。仲間や部下からの信頼も厚い。敵にすると厄介な相手だ。

    そのスマイリーが息子のように接する若者がピーター・ギラム。もちろん、先に挙げた二作にも登場する。ただし、それほど重要な仕事はしていない。サーカスと呼ばれる情報部の中に保存されている資料を、そこを追われ、自由に見ることのできないスマイリーのために盗み出してきたり、スマイリーのための運転手をつとめたりする、要は手足となって働く、最も信頼のおける助手という立場。

    『寒い国から帰ってきたスパイ』の主人公アレック・リーマスの友人で、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の中では、ジョージの片腕として、サーカスに潜入中の二重スパイの割り出しを手伝ったピーター。他の重要なメンバーと比べると歳が若く、今までそれほど重視されてこなかった。『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』を原作とする映画『裏切りのサーカス』でピーターを演じたベネディクト・カンバーバッチの人気にあやかった訳でもないだろうが、ここにきて一気に主役に躍り出た。

    今は退職し、ブルターニュで年金生活を送っているピーターにサーカスから呼び出しがかかる。本来ならジョージに声がかかるはずのところ、行方がわからないためピーターの出番となった。かつて彼らが関わった作戦の犠牲者となったスパイの遺児が、情報部相手に訴訟を起こした。当時を知る関係者としての協力要請だが、平たく言えば尋問である。作戦というのは、ベルリンが壁で分断されていた時代、東独の情報部(シュタージ)に属する大物スパイを二重スパイとして使う案件で『寒い国から帰ってきたスパイ』はそれを扱っている。

    当時、それを担当していたのがアレック・リーマス。原告はリーマスの息子。サーカスの判断の誤りが父親を殺したというのが、その理由だ。保管されているはずの大量の資料がサーカスから持ち出されており、裁判に勝つためには、まずその資料探しから始めねばならなかった。ピーターには資料の無断持ち出し容疑がかかっていた。はじめは渋ったピーターも徐々に重い口を開いてゆく。それは忘れようにも忘れられない苦い思い出だった。かつて愛した女性の死がからんでいたからだ。

    こうして、回想される過去の出来事と、自身のスパイとしての在り方を振り返る現在が交互に語られる。複数の時間にまたがる回想視点と現在時の語りが絶妙に絡み合い、スパイという特殊な任務に就いた男女の通常でない心理や情愛の葛藤が描き出される。リーマスやその恋人が操り人形だとしたら、それを動かしていたのはジョージだ。そしてピーターは人形に結びつけられた糸だった。これは『寒い国から帰ってきたスパイ』の世界を、当時、事態を裏で動かしていた立場の者の視点で書き表した小説だ。
    目的のためには手段を選ばず、時と場合によっては相手が友人であっても素知らぬ顔で足元をすくい、持てる魅力を最大限に駆使して純情な女性をスパイの愛人に仕立て上げる。いったい何のために、という問いは使命の前に押し殺してきた。それでも、胸の中には悔いや憾みがいつまでも残っている。尋問に用意された机の上に山のように積み上げられた資料が老いたスパイの心をえぐり、回想視点で語られる若いピーターの葛藤が生々しく甦る。

    『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』で、「もぐら」と呼ばれる二重スパイによって散々な目にあわされたサーカスのその後が描かれているのも興味深い。かつてのサーカスの記憶を手繰り寄せるピーターの視線が、現場を離れた者にありがちな懐旧的視点によって語られるのも共感できるところ。旧世代の目には今の情報部が形式主義に走り過ぎているように見える。隠された書類を見つけようと部屋中を引っ掻き回しながら、廊下に置かれた自転車を見逃すのがそれだ。情報化社会に慣れた今のスパイには紙の資料をどこに隠すかといったアナログな視点がそもそも欠けているのだ。

    過去の作品を素材にとり、再度別のアングルから描き直すとともに、歳をとった当人に若い頃の自分を振り返らせる試みが功を奏している。過去のしがらみから解き放たれることのない老スパイの追想には英国情報部に籍を置いていた作者の心境が反映されているのかも、と考えたくなる。細々とした報告書やメモを通して、隠された事実を前面に引き出してくるのがル・カレの真骨頂。報告書の客観的な叙述と裏腹に、書き手のみが知る、語られることのなかった真実が赤裸々に告白される、その対比が鮮やかだ。余韻の残る終わり方にも好感が持てる。

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