復活の日 新版

  • 早川書房 (2018年1月10日発売)
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本 ・本 (384ページ) / ISBN・EAN: 9784152097385

感想・レビュー・書評

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  • コロナ禍に再注目されていたので、その時に読めば良かった。

    5類緩和以降の今となっては、コロナ禍にあった将来が見えない不安感がなくなってしまい、小説の迫力も変わってしまう。コロナ禍が懐かしい、というと不謹慎なのだろうか。正直、インドア派で孤独を好む性分のため行動制限のある、終末感には独特の味わいがあった。

    コロナ禍も振り返ると、過剰反応だったのでは、と思う事もある。それでも、当時は何もかもが分からなかったのだから仕方なかったのだろう。それ故に、手探りしながら、何かの予感に怯え、期待し、それを強く共感するような妙な連帯感や分断があったのだと思う。

    本書は、ウイルス(細菌?)が蔓延し、人類滅亡の危機に瀕するという話である。残された人々の試練、生き方を問うような内容だ。コロナ禍を経験したせいで、それと比較してしまい、もっと違う動きになるのではとか余計な事を考えてしまう。だからこそ、もっと臨場感のあるタイミングで読めば良かったのかもしれない。読書には、タイミングや環境も重要だという事を改めて感じた次第である。

  • 【感想】
    人類は、滅亡を前にするとどのような感情が生まれるのだろうか。しかもそれが隕石の落下といった劇的な幕切れではなく、「ただのかぜ」によってぽっくりと絶滅していくとき、人々の間に勇敢な精神は宿るのだろうか?それとも「なぜこんなことに…」という薄っぺらな後悔の中で哀れに死んで行くのだろうか?

    本書はそうした「滅亡を前にした人類たち」の死にざまを描いたSF小説だ。書かれたのは1964年、キューバ危機の2年後であり、ちょうど第一回目の東京オリンピックが開かれた年である。「未知の病原菌により人類が窮地に追い込まれる」という内容なこともあり、コロナ禍の今再注目されている。といっても、現在の状況と類似している部分はあまり無く、描かれるストーリーはあくまでSFの範疇に収まるものだが。

    私が本書で見事だと思ったのは、人間たちを決してヒロイックに描かなかったことだ。
    人類は、すばらしくもなければ絶望的でもない。むしろこの宇宙においてはウイルスと同じような「ただ増殖する存在」である。そのちっぽけな存在が知性を宿し、文明を生み出し、地球を滅ぼすほどの科学力を手にした。それが「人類はやはり特別なのだ」という驕りに繋がっていく。恐竜といい、人間以外の類人猿といい、数多く栄えた種族もいつかは滅亡する日がやってくる。にもかかわらず、「人類がこんなことで滅ぶはずがない」という慢心がくすぶり続け、未知の病原菌を前に手を取り合わなかった。人々が死に、文明が停止し、もう取り返しがつかない地点に到達してようやく、自分たちが行ってきたのが実にくだらない諍いやあさましい反感だったことを悟るのだ。

    一章の最終盤、文明史の教授がラジオに向かって最後の講義をする場面は、こうした人間の愚かさを見事に言い表している。ぜひとも必見だ。

    ――この災厄はある意味人災であった。自己の存在を過信することなく、つまり人間とは地球上において特別な存在であると驕ることなく、むしろウイルスと同様に一介の生命集団だとみなし、自己の存在のおかれた立場に目ざめ、常に災厄の規模を正確に評価するだけの知性を、全人類共通のものとして保持し、つねに全人類の共同戦線をはれるような体制を準備していたとしたら、災厄にする闘いもまた、ちがった形をとったのではないでしょうか?

    ――「戦争が科学の発達を――特に応用科学を促進した」と、誰かはいいました。これこそ、残念ながら否定できない、戦争の文明に対する貢献だ、と…。戦争は、レーダーをうみ、ジェット機をうみ、ロケットをうみ、電子脳をうみ原子力を解放した、と……。だが――こんなバカげた理論があるでしょうか?人類は、戦争あるいは軍備の名目においてしか、これらのすばらしい科学の発達をうながすような、大規模な開発投資ができなかったのでしょうか?人類は、死神のスポンサーにたよる以外に、これらのすばらしいものを、もっと迅速に、能率よくうみ出すことができなかったのでしょうか?(中略)われわれ学者はそれを、文明の資本主義――功利主義段階の不可避的事態、として、宿命として、うけいれてしまうだけで、未来に期待をかけるだけでよかったでしょうか?

    ――われわれ人類は、もっと早くその全人類的意識を獲得することによって、冥蒙たることをやめ…、相互殺戮の、侮辱や憎悪の、エネルギーを…真の人間のための闘い――貧困と飢餓と冥蒙と疫病に対する闘いに、そして認識のための闘いに…ふりむけていたかも知れない。(中略)今度の大災厄においても究極的チャンスは…もっと早く、もっと強力に全世界のものとされるべきだった「理性と分別」にあったかも知れないのであります。

  •  舞台は、冷戦が続く1973年。生物兵器として開発された新型細菌が謀略によって秘密裡に運搬される途中、事故で流出し、南極基地の1万人を残して人類は滅亡してしまう。果たして人類は「復活の日」を迎えることが出来るのか?

     今のコロナ禍の情勢と重ね合わせて読むと、本当にゾッとする。人類を滅亡の瀬戸際まで追い込んだ細菌MM-88は、もともと地上にあったものではなく、宇宙から採取してきた細菌を元に何世代も培養することで生物兵器として毒性を高めた、米ソの対立構造の産物だった。人類がほんの2か月くらいで滅亡してしまうというのはとてもじゃないが現実的とは思えない(し想像したくもない)が、新型コロナウイルスが全世界的に流行してもう1年以上経つのにまだ終息しないのを見ると、致死率がほぼ100%の、しかもどこから来たのかも分からない(ように見える)未知のウイルスがあったりしたら、ひょっとすると…と、どうしても考えてしまう。作中、あまりにも人がバタバタと死にすぎるものだから、遺体の回収が追いつかず、道の至るところに遺体が積み重なっているというのが生々しい。
     本書の中盤、南極を除き世界から殆どの人が姿を消す中、電波を通じて、聴く人が居るのかもわからない文字通り最後の(最期の)講義を届けようとするヘルシンキ大学の教授の話が心に残る。「これはまったく–無意味な終末…ナンセンスといっていい終末であります。(中略)人類は、あまりにも人間的なことにかかずらいすぎました。(中略)人間はただその弱さから、自己自身、つまり人間的なものにのみかかずらい、虚無と、物自体の深淵のほとりに立つ、自己の真の姿を–卑小にして高貴、すべてにして無、万能にして無力、物そのもののような残酷さと、精神そのもののような無限のやさしさにみちた自己のあらわな姿を、直視する勇気を、ついにもたなかったのであります。(中略)みなさん…私はいま…泣いております…涙が流れるのをとめることができません。人間は–人類は…もっと別のものになりえたはずでした。(p.273)」 「我々はこうするべきだ」と言うにはもうあまりにも遅く、「我々はこうするべきだった、もっと上手くやれる筈だったのに」と嘆くことしか出来ないのが悲しい。無難なことしか言えず恐縮だが、それでもやはり人類は少しずつしか変わっていかないと思う。動きを一度に変えるには、人類の「慣性」はあまりにも大きすぎる。それでも、いやだからこそ、手の届くところからでも少しずつ良くしていこうという気概を持つことを決して忘れてはならないのだと、そう思わされた。
     最後は細菌への対抗策が見つかるのだが、その対抗策というのが生き残った人類にとってあまりにも皮肉なもので、単にめでたしめでたしでは終わらせないその結末の「一筋縄ではいかなさ」が、とても良い。

  • 強力なウイルスのパンデミックがおこり、人類が絶滅の危機にひんする物語。1970年代にかかれた小松左京の代表作のひとつ。冷戦や核戦争危機などの時代背景も感じられる内容だ。コロナウイルスのパンデミックの現代の現実と重ね合わせながら読んだ。コロナがここまで絶望的なウイルスでなくてよかった…と思うと同時に、ネットやスマホがある今でよかった、とも思った。ひとりひとりが情報集めて対応できるものね。テレワークもできるし。当時の「たかが風邪」とマスクなどの対策軽視の感じ、人前でくしゃみや咳をして平気な人々、あたりまえのように出勤して対面で会議する人々、の描写に冷や冷や。でも一番ぞっとしたのは、世界人口が35億人という描写。50年弱で、倍増してるんだぁ。70年代って、そんな大昔な印象ないぞ。

  • 生物化学兵器として開発された菌が、運搬中の事故により世界中に蔓延。南極基地で働く1万人を残し、全人類は滅亡。さらに、その1万人にも新たな危機が。。。

    この本を読んだのは、もちろん現在世界中で1,127万人が感染しているコロナ禍がきっかけです。感染した人々は最初は風邪と思い、仕事を続け、知らぬうちに重篤化し、命をなくすという過程が、この本の中でも描かれます。娯楽施設は営業不能となり、街を歩く人々は減ってゆき、放置されたネズミの死体が街中に溢れ、医療は崩壊し、そのうち放置された人間の死体が積み重なってゆくという恐ろしい顛末も、今の時代、絵空事ではなく迫ってきます。怖かったのは、部屋の中でひとりで死んでゆく女性が、人の声を聞きたいために電話で天気予報を聞く場面。
    「今日は何日か?彼女が部屋を抜け出そうとして、戸口で倒れたのは・・・確か7月3日のことだ。あれから何日たって・・・
    『もしもし・・・』彼女はかすかな声で叫ぶ。『返事をしてちょうだい・・・どうか・・・私・・・たったひとりで、死にかけてるの』
    『・・・京浜地方は朝から晴れたり曇ったり・・・』」

    重いストーリーですが、人類がどうやって「復活の日」を迎えられるのか?が合理的な理屈をもって語られているため、座りの良い物語となっています。娯楽小説としてもよく出来ていて、一気読みでした。今、読むと印象的な読者体験が得られると思います。

  • コロナを思い出させる内容で、
    最近の作品かと思いきや、1972年の作品で驚いた。

  • ようやく読了。今度映画を見てみようかな

  • 今の時代に読んでおきたい本

  • 人類滅亡の話。じわじわ広がっていく絶望がなんともリアルでタイトルに希望がなければきつかった。

  • 376ページ9行目が印象に残った。
    人類も地球の歴史のほんの一部なんだなあとこの本を読んで思いました。

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著者プロフィール

昭和6年(1931年)大阪生まれ。旧制神戸一中、三校、京大イタリア文学卒業。経済誌『アトム』記者、ラジオ大阪「いとしこいしの新聞展望」台本書きなどをしながら、1961年〈SFマガジン〉主催の第一回空想科学小説コンテストで「地には平和」が選外努力賞受賞。以後SF作家となり、1973年発表の『日本沈没』は空前のベストセラーとなる。70年万博など幅広く活躍。

「2019年 『小松左京全集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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