知ってるつもり――無知の科学

  • 早川書房
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本棚登録 : 345
レビュー : 10
  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152097576

作品紹介・あらすじ

水洗トイレや自転車の仕組みを説明できると思いこむ、政治に対して極端な意見を持っている人ほど政策の中身を理解していない……私たちがこうした「知識の錯覚」に陥りがちな理由と解決策を認知科学者コンビが語る。ハラリ、サンスティーン、ピンカーが激賞。

感想・レビュー・書評

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  • たとえば「ヒアルロン酸配合!」などとうたわれた商品を私たちは身体にいいものと考えて購入する。だが「ヒアルロン酸」を摂取するとどうして身体にいいのかまでは考えたりしない。それはたしかに愚かしいことかもしれないが、しかしすべてを理解するにはこの世の中はあまりに複雑すぎる。人間の認知能力もそんな大したものじゃない。だからこそ、なんとなくいいものなのだろうと信じることは社会を回していくための処世術であり、知恵でもある。むしろ、分業的であるほうが世界はもっと発展できる。あるベンチャー・キャピタリストはアイデアではなくチームに投資するのだという。もちろん欠陥はある。だから折衷的な考え方が必要なのだろう。最後の章で紹介されていた「リバタリアン・パターナリズム」は意思決定プロセスを改善するためのそうした考え方のひとつである。

    『社会はなぜ左と右にわかれるのか』を読んだときに近い感銘を受けた。実際、本書内でもジョナサン・ハイトは言及されている。世の中という謎がまたひとつクリアになった気分だ。

    「サイエンス・マイクが科学を語るのを聞くと、頭脳明晰で思索的で思慮深い人物であることがよくわかる。また知的謙虚さがあり、自分が何を知らないかを自覚しており、自分が議論しているさまざまなトピックの複雑さを認識している。それでも人生のほとんどを、科学的に見れば完全に間違っている信念を抱いて生きてきた。そうした信念に疑問を抱きはじめると、人生は大変な混乱をきたし、一番大切な人間関係も失った、これが文化の力である。私たちの信念は、私たちだけのものではない。コミュニティと共有されている。だからそれを変えるのは非常に難しい」(p.178)

    「神聖な価値観という枠組みが魅力的なのは、それによって問題が単純化されるからだ」(p.205)

    「知識の錯覚を打ち砕くことは人々の好奇心を刺激し、そのトピックについて新たな情報を知りたいと思わせるのではないか、と期待していた。だが実際にはそうではなかった。むしろ自分が間違っていたことがわかると、新たな情報を求めることに消極的になった。因果的説明は錯覚を打ち砕く効果的な方法だが、人は自分の錯覚が打ち砕かれるのを好まない。たしかにヴォルテールもこう言っている。「錯覚にまさる喜びはない」と。錯覚を打ち砕くことは無関心につながりかねない。(‪⋯‬)優れたリーダーは、人々に自分な愚かだと感じさせずに、無知を自覚する手助けをする必要がある。容易なことではない。目の前の相手だけではなく、誰もが無知であることを示す、というのが一つのやり方だ。無知というのは純粋に自分がどれだけ知っているかという話である。一方、愚かさというのは他者との比較である。誰もが無知なのであれば、誰も愚かではない」(p.210)

  • THE KNOWLEDGE ILLUSION:Why We Never Think Alone
    http://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000013851/

  • 人間が知らないことに対して如何に無知であることを分からせてくれる。思考に対する実験は少し分かりづらいが、興味深い。

  • よかった。言われてみればかなりきょうかんできる。わかるわ〜ってことを説明する側の本。よくまとめてあった。ポジティブであるしぼくは好き。あっ。と思うところも5箇所以上あった。行動としてもだか、物事が起こったと時に考え方として新たな一面を見せてくれる本です。
    よく出てくる話もあって自分はこうゆう本が好きなんだなと思った。これからも直感も使ってどんどん読んでいきたい。抽象化するための読書と、人に会い話。ブログ更新もしていきたいと思った。インプットはアウトプット用にあった方が楽しいと思った。
    良い物語を読む重要性をかんじた。こないだアリスインワンダーランドをみてめっちゃよかったから子供たちと沢山読みたい
    ぼくの感覚からして人は無知なのはそうだよなと思うけど、この本読んで無知なんだって思う人が多いのかな?それって怖いな

  • 知性は個人が一人、問題の解決に取り組む中で進化してきたのではない。私達の思考は他者のそれと集団的協業のもと、相互に関わりながら、相互依存的に進化してきたのだ。

    知識の多くは外部にある
    指を折る方が頭の中で考えるよりも数を数えやすいし、最近ではハードディスクやインターネットもある。モノばかりでなくヒトも使う。例えば家を建てることは配管工や塗装職人、電気技師などによる認知的分業の結果である。

    知識の錯覚は、自分の頭の中に入っている知識とその外側にある知識を区別できないことによって起こる。自分の頭の中に知識があると思い込みやすいが私達の知識のほとんどは外界とコミュニティに存在している。理解とは、知識はどこにあるかという認識でしかないことが多い。高度な理解とは、たいてい知識が具体的にどこにあるかを知っているというのと同義である。他の誰かの知識にアクセスできるという事実が、自分がその話題について知っているかのような気分にさせる。

    通常、知識の錯覚は悪いことではない。水洗トイレでなぜ水が流れるのか、詳しい説明ができなくても問題はない。しかし社会的に重大な問題(オバマケアの是非など)について、大勢が知識の錯覚を持ったまま浅慮による決断をくだすことは正しいことだろうか?著者らはナッジなどによって合理的な選択に誘導する仕組みも必要かもしれないという

    ・マルコポーロやコロンブスらは自分の無知がどれほどのものであったか向き合ったことのない者特有の大いなる自信の持ち主であった。人類の偉業の多くは自らの理解度に対する誤った信念によって可能になった。そういう意味では錯覚は人間の文明の進歩に必要だったのかもしれない

  • 誰もが無知でありえるし、無知を笑うこともできない。知っていると思っていることも、環境に依るところが大きい。

  • 東2法経図・6F開架 141.5A/Si9s//K

  • 人間は知っていると思っていることが意外と知らないことが多い。
    これは社会的な動物であるため、他者に聞けば解決するからだ。

    そのため我々は思ったより無知であることを自覚しなければならない。
    そのうえで物事を認知し、議論しなければならない。

  • ○個人が知っている知識はごくわずか。無知が当然。詳細は捨て去り、一般化した知識や規則性を抽出して理解するようにできている。

    ○問題は、自らの知識を過大評価し、どれだけ他者やコミュニティに知識を依存しているかを認識しないこと。いわゆるバカの壁?(説明深度の錯覚)。わかったつもりになってそれ以上疑問を持たないことが問題。

    ○人間は認知的活動を他者と分担することに長けている。外部の専門家の知識をうまく活用し、チームで成果を出す能力が、個人のIQ以上に大切。

  • 水洗トイレの仕組み、重要な政治政策、インターネットの仕組み、等々。人は「知ってるつもり」で物事を理解している! 認知科学者が、人間が「知ってるつもり」に陥る原因、賢い判断をするためのポイントを示す。

    序章 個人の無知と知識のコミュニティ
    1章 「知っている」のウソ
    2章 なぜ思考するのか
    3章 どう思考するのか
    4章 なぜ間違った考えを抱くのか
    5章 体と世界を使って考える
    6章 他者を使って考える
    7章 テクノロジーを使って考える
    8章 科学について考える
    9章 政治について考える
    10章 賢さの定義が変わる
    11章 賢い人を育てる
    12章 賢い判断をする
    結び 無知と錯覚を評価する

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