コロナの時代の僕ら

  • 早川書房
3.81
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  • Amazon.co.jp ・本 (128ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152099457

作品紹介・あらすじ

2020年2月から3月のイタリア、ローマ。200万部のベストセラーと物理学博士号をもつ小説家、パオロ・ジョルダーノにもたらされた空白は、1冊の傑作を生みだした。生まれもった科学的な姿勢と、全世界的な抑圧の中の静かな情熱が綾をなす、私たちがこれから生きなくてはならない、コロナウイルス時代の文学。

感想・レビュー・書評

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  • 2020年4月刊
    まだコロナ禍が序の口にあった時。
    その時はそこまで長期化するなんて誰も
    思ってなかったように思う。
    それなのに著者はもうこの「コロナ時代」
    と言ってしまえた。
    この感覚はすごい!
    私たちが今のライフスタイルを続けている限り
    似たような状況は繰り返し起こり得るからだという。

    コロナ禍、ビフォア/アフターコロナ
    いろいろな時間感覚はあるけれど
    コロナを経験した以上私たちの社会感は
    それ以前と違う。
    だからこそコロナ時代を生きる私たちが
    自覚的にコロナ時代とはどんな時代なのかを考えて
    記録に残していくことは大事な気がする。

  • 今も決してコロナが消滅したわけではない。 でも、日常は、たくさんの人達が、通常生活にもどっている。だからこそ、危機感を持たなければなという思いから手にとって読みました。この本が執筆されたときは、コロナ感染真っ只中。著者のイタリア国内では、外出許可書を警察に提出しないといけなかったり、世界中で、コロナに感染しないように、誰もが気を付けている。 しかし、今、その頃に比べて、意識中で危機感が薄れてしまっているように感じる。コロナは、変異しながら、人間を冒し続けているのに。手洗い、消毒、除菌、マスクの着用必須。

  • 小論文対策推薦図書 医療系

  • pp.80-81
    「科学に置ける聖なるものは真理である」(『シモーヌ・ベイユ選集III』冨原眞弓訳、みすず書房)哲学者のシモーヌ・ベイユはかつてそう書いた。しかし、複数の科学者が同じデータを分析し、同じモデルを共有し、正反対の結論に達する時、そのどれが真理だというのだろう。
    今回の流行で僕たちは科学に失望した。ただ僕らは忘れているが、実は科学とは昔からそういうものだ。いやむしろ、科学とはそれ以外のかたちではありえないもので、疑問は科学にとって真理にもまして聖なるものなのだ。今の僕たちはそうしたことには関心が持てない。専門家同士が口角泡を飛ばす姿を、僕らは両親の喧嘩を眺める子どもたちのように下から仰ぎ見る。それから自分たちも喧嘩を始める。

  • <シラバス掲載参考図書一覧は、図書館HPから確認できます>https://libipu.iwate-pu.ac.jp/drupal/ja/node/190

  • 難しい言葉も分かりやすく説明されていて、なるほどと思うことが多かった。
    著者のあとがきも良かった。

  • 第75回アワヒニビブリオバトル「おうち時間DEビブリオバトル」2時間目 社会で紹介された本です。オンライン開催。
    2021.05.01

  • 2020年4月のコロナ禍の下で書かれたエッセイ。

    出版直後から気になりつつも、今頃ようやく手に取った。やはり当時に読んでおくべき本だったなと思う。救いになったかもしれない。

    著者は素粒子物理学を修めた作家だ。コロナ禍という医療の話題だけに科学的な観点からの記述もあり、少し数式も出てくる。でも全体は平易な詩のような文章だ。寺田寅彦の随筆のよう。
    「感染症の流行はいずれも医療的な緊急事態である以前に、数的な緊急事態だ。なぜかと言えば、数学とは実は数の科学などではなく、関係の科学だからだ。数学とは、実体が何でできているかは努めて忘れて、さまざまな実体のあいだの結びつきとやり取りを文字に関数、ベクトルに点、平面として抽象化しつつ、描写する科学なのだ。/そして感染症とは、僕らのさまざまな関係を侵す病だ。(p13)」
    これに続くp15では、ウイルスの側から見た人間を感受性人口、感染人口、隔離人口に分ける考え方(SIR)に触れ、p17「アールノート」では指数関数的な流行のしくみを語る。不安と閉塞感の中で、まずは科学的事実に照らして事態を理解しようとする試みだ。

    だが感染症はもちろん純粋な数式だけに収まることではない。
    自分個人の行動が、極端にいえば人類全体の帰趨に影響するかもしれない、社会と自分が繋がっているという感覚。そういうものは当時自分もぼんやり抱いたが、著者の言葉ではもっと鋭く表現される。
    コンゴで目にした非人道的な貧困の現場を思い出しながら、著者はこう言う。
    「僕は今、ウイルスがあの大きなバラックの中に到来するところを想像している。僕らが流行の抑制に十分努力をしなかったがために、今夜の誕生パーティーにどんな犠牲を払ってでも行きたがったために。その時、僕らの特権的な運命論の責任は、いったい誰が取るのだろう?(p48)」
    「詩人ジョン・ダンの瞑想録に由来する「誰もひとつの島ではない」という使い古された文句があるが、感染症においてはその言葉が、これまでにない、暗い意味を獲得する。(p51)」

    著者はさらに、アジア人差別への批判(p61)、未知のウイルスを解き放った原因かもしれない自然への人類の関わり方(p64)(p70)、またCOVIDとは無関係なオリーブの病原菌をめぐる憶測(p74)などの話題に触れる。冷静に、理知的に対応しようと繰り返し説く姿勢は、祈りのようでもあり、ワクチンのようでもある。

    一番印象に残ったくだり2か所。
    「今回の流行で僕たちは科学に失望した。確かな答えがほしかったのに、雑多な意見しか見つからなかったからだ。ただ僕らは忘れているが、実は科学とは昔からそういうものだ。いやむしろ、科学とはそれ以外のかたちではありえないもので、疑問は科学にとって真理にまして聖なるものなのだ。今の僕たちはそうしたことには関心が持てない。専門家同士が口角泡を飛ばす姿を、僕らは両親の喧嘩を眺める子どもたちのように下から仰ぎ見る。それから自分たちも喧嘩を始める。(p81)」
    「こうした迷走は、ある未解決の問題の存在を示唆している。それは、市民と行政と専門家のあいだの愛情のもつれだ。(中略)行政は専門家を信頼するが、僕ら市民を信じようとはしない。市民はすぐに興奮するとして、不信感を持っているからだ。専門家にしても市民をろくに信用していないため、いつもあまりに単純な説明しかせず、それが今度は僕らの不信を呼ぶ。(中略)結局、僕らは何を信じてよいのかわからぬまま、余計にいい加減な行動を取って、またしても信頼を失うことになる。(p92)」
    当時から3年近く経つ現在も、SNS等を見れば情報とデマと不信と不安がまぜこぜに流れている。この一文は、むしろ現在の方がより重みを増しているかもしれない。

    内容とは別に、本書の奥付を見てみた。自分が手に取ったのは2020年6月発行の第4版だったが、原著は2020年3月刊行、日本語の初版は2020年4月。イタリア語で書かれた本が、まだ事態の生々しさも冷めないほどの早さで和訳され版を重ねて流通しているということに、早川書房の底力、あるいは日本の出版流通の底力を感じる。こういう点は誇ってよいことだと思う。

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