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本 ・本 (320ページ) / ISBN・EAN: 9784152099631
作品紹介・あらすじ
人間は社会に属することで一つの集団としての属性を強める一方で、集団外の人を違うものとみなして敵視することがある。他の生物と比較して、なぜ人間は小さな違いにこだわり、仲間と敵を区別するのか。人間社会の成り立ちを生物学的な見地から解き明かす。
感想・レビュー・書評
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憎しみについて。妬み、僻み、嫉みみたいな個人目線の話ではなくて、集団対集団に関して。上巻では、嫌悪感の原型を探るにあたり、「集団はどのように形成されるのか」違う言い方をすると「仲間意識はどのように形成されるのか」を考えていく。敵を認識するには、まずは味方をどうやって認識したのか、という話。
読みやすいし、面白い。そういう考え方もあるよなーという気付きも。例えば、集団内の序列化について。〝個々の体や知能の資質から序列が一旦定まると対立が少なくなる。それにより全員が恩恵を受ける。地位が決まらなければ、いつまでも争いを続けることになる。それはコスパが悪い“まあ、ただその序列が気に食わなかったら延々とコスパの悪い状況が続きそうだが。
フラッと喫茶店に入る。見知らぬ人ばかり。そこで誰も騒ぎ立てずに席につけるのは人間特有の進化だと。確かに、そこに熊がいれば命が危うい。知らない犬同士だと吠えまくる。人間は、会話もせずに、彼らは安全、仲間であると見抜く。
しるしを認識する。
ー 私たちが用いる社会のしるしはとても明確なものなので、自身ではしるしを使わない種がその一部を察知できることもある。ゾウは、人間の部族を見分けて行動を予測する。ケニアのゾウは、通過儀礼として厚皮動物(ソウ、カバ、サイなど)を槍で突くマサイを恐れるが、ゾウを傷つけないカンバには無関心だ。マサイが近づいてくるとゾウは背の高い草のなかに隠れる。おそらく、食べる物が牛肉中心であるマサイの体臭と野菜を好むカンバの体臭とを区別できるからだろう。においとは関係なく服装からも見分けられるようで、マサイが好む赤の布に突撃していくこともある。
しるしの最たるものが〝言語“なのだ。この主張は、私も予てより思っていた事で、よく分かる。訛りは、自他の区別に役立つし、一定年齢を過ぎると外国語のイントネーションは完全には模倣できない。そして〝言語“こそ、人を序列化させる真犯人であり、試金石である。
ー ここで重要なのは、複数のしるしを組み合わせて使うことで、言葉を発するのを聞かずとも、社会に属していない者を発見することができるということだ。それにもかかわらず、言語は、人間のアイデンティティのしるしとして際立っている。言語や方言は、子どもの頃からそれを学んで育たなければ、正確に再現することがほとんど不可能だ。こうした特徴があることから、人々のなかからよそ者をあぶり出すために、言語がしばしば最も優先的に使われる。旧約聖書の土師記には、ギレアドの兵士たちが、わずかに異なるなまりを話したイスラエル人を根絶やしにしたという話が記されている。
ー 人々はいつでもいたるところで大勢の人に届く声で話をしており、そのなまりからすぐさま、その土地の人間であるかよそ者であるかがわかる。アイデンティティの他の側面には、このように瞬時に直観的な反応が引き出されるようなものはほとんどない。
下巻も楽しみだ。 -
下巻と纏めて。
ダンバー数、社会の意味、匿名社会、しるし。最適弁別性やしるしに関する言及、EUに関する視点は、非常に納得。 -
示唆的で大変おもしろい。
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人間だからこその産物、と思いこんでいた「社会」というものは、実は他にも形成している生物がいるというだけでもまず驚きだった。そして、社会という観点では人間よりも進んでいる種がある、ということも。
上巻の終盤はいささか気が滅入る内容だが、それにしてもエキサイティングな本だ。
人間の外側から人間を知る、というアプローチは、案外よいのかもしれない。 -
特定のアリとヒトだけが、周りに知らない同類がいても社会が成り立つ生き物なんだそうだ。
「私たち」と「彼ら」を区別するのは、なんらかの“しるし”。
“しるし”が同じであれば個体を特定する(覚えておく)必要はない。
だから大きな"群れ(社会)"を作ることができる。
アリの場合は特定のにおいが"しるし"となる。
アルゼンチンアリは、巨大なコロニーを持っているが、そこに住むアリは同じ"におい"を持つ。
だから、数百キロ離れた場所に放されたアリでも、同じ"しるし"を持っていれば、そこでうまくやっていけるというのは面白い。
ヒトは、言葉や振る舞い、慣習など様々なものを"しるし"としている。
どんな"群れ(社会)"で、どんな"しるし"が使われるのか。
他の"群れ(社会)"との境界は、どんな"しるし"であることが多いのか。
"しるし"の種類や数の違いと"群れ(社会)"とどのような関係があるのか、そのあたりをもっと知りたかった。
題名の「なぜ憎しみ合うのか」について、書かれていないのが残念。 -
動物の行動に通手の記載が続いて、なかなか人の話にならない。これも人生修行
98ページまで読んだ -
人間の社会について、動物の行動や進化論から広い視点で迫ろうとする構想の本だが、失敗していると言わざるを得ない。現代社会・国家のあり方についてのいろいろな議論が著者のフィールドや本論からどのように推論されているのかもはっきりせず、途中から読むのが苦痛になった。視点としては面白いものもいくつかあったし、社会の生物における特殊性、と言う切り口には共感できるのだが・・。
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序文で傑作を確信した。
「見知らぬ人がいっぱいいるカフェにまったく平気で入っていくという一見すると何でもない行為は、人類が成し遂げたことのなかで最も正しく評価されていないことのひとつである」。
この一文を読んで続きが気にならない人はいないと思う。
「社会として機能するにためには、チンパンジーは全員を知る必要があり、アリは誰も知る必要はなく、人間は誰かを知っておくだけでよい」。
著者は、あのO・ウィルソンを師と仰ぎ、昆虫の生態を研究するフィールド生物学者だが、本書は社会学者には必読の内容で、フォーブスの年間ベスト。
「チンパンジーがよそ者の個体に出会ったときに取りうる手段は、逃げるか、相手を叩きのめして殺すくらいしかない」。
しかし社会性を身に着けた人間とアリは違う。
「私たちは、ある人の役割を知るだけで - たとえばその人の着ている警察官の制服にもとづいて - それ以上のことを何も知らなくても、その人に対してどのようにふるまうべきかを理解できる。同様に、働きアリは同じコロニーの兵隊アリに適切な接しかたをする。その二匹が以前に出会ったことがあるかどうかは関係ない」。
「アリと同じく、私たちは、同じアイデンティティを共有しているかどうかを基準にして、見知らぬ人とかかわる」。
この「警察官の制服」が、人間にとっての"アイデンティティのしるし"で、この"しるし"を用いることによって、匿名社会のメンバーである私たちに、見知らぬ人を自分たちの一員であるととらえる能力が授けられる。
しるしによって、社会の大きさの制限がなくなるだけでなく、社会生活の複雑さが低減され、社会的な監視に要する認知的な負荷が軽減され、その結果、カフェで本を読んだり友人と会話できるのだ。
何が"しるし"になるかは、何をそうとみなしたかによって決まり、その何かには人種も含まれる。
"しるし"にたいする私たちの反応は自動的であるが、"ステレオタイプ"も同様だろう。
私たちが見知らぬ相手やよそ者に対して見せる偏見や強い警戒心は、わたしたちの中にある意識的には気づけないステレオタイプが元になっている。
これは、「心が行なう速記」というくらい重要な機能で、これがないと自らの体験を理解可能なカテゴリーへと区分けできないため、子供のうちからパターン認知技能の発達の過程で習得している。
偏見をなくすためお互いをもっとよく知れば解決するという話ではなく、ステレオタイプが社会の相互作用の簡略化に寄与している面もあるのだし、だいたい社会を機能させるためにすべての成員が互いを知っていなくてはならないという種の制約を克服した結果、人間以外の種ではありえないほどの大規模で複雑な社会が構築できているのだ。
「ステレオタイプを作り出すことによって、私たちの祖先は、よそ者が自分たちの利益になるか、それとも自分たちを害するものかを予測するための、手っ取り早く使える小ずるい指針を手に入れた」。
物語は、他者とのつながりにおいて何が本当に重要であるかを思い起こすための労力が省かれるという点で、ステレオタイプと似ている。
両者は、自らの優れたセルフイメージの保持にも、敵対する集団への武器にも利用されるから、恐ろしいのだ。
宇宙人から見れば、われわれ人間の振る舞いはどれだけ社会性に欠けている存在として映るかを想像してみればよい。
ペットなどの動物を人間のように扱ったかと思うと、人間をコーヒーの販売機や劣った獣のように扱うのだから。
コロナ禍における感染者に対する差別が、どれほど根源的な問題かよくわかる。
「きたごやたろう」と申します。
よろしくお願いします。
この本、なんか深そうですね。
読んでみ...
「きたごやたろう」と申します。
よろしくお願いします。
この本、なんか深そうですね。
読んでみたいです!