誓願

  • 早川書房
4.21
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  • Amazon.co.jp ・本 (600ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152099709

作品紹介・あらすじ

『侍女の物語』から十数年。ギレアデの体制には綻びが見えはじめていた。政治を操る立場にまでのぼり詰めたリディア小母、司令官の家で育ったアグネス、カナダの娘デイジーの3人は、国の激動を前に何を語るのか。カナダの巨匠による名作の、35年越しの続篇。

感想・レビュー・書評

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  • 静かなディストピア社会の怖さは、一定の形で社会が完成してしまうと、その中で暮らす市民にはそれが普通の状態に感じられ、何ら不都合のない社会のように見えてしまうことである。権力が軍や警察を使って暴力的な弾圧を行う、ラテン・アメリカ諸国の独裁主義国家と異なる怖さがそこにある。権力の行使が可視化できないよう配慮されていて、一般市民には自分がどんな権利を奪われているのか、決して見えないからだ。

    たとえば、国民が政府にとって不都合な真実を見たり聞いたりすることがないように、報道は規制されている。もし、政府に向かって不都合な態度をとる者があれば速やかに排除する。そうすることで、右に倣おうとする者に脅しをかけるのだ。そこまで来ると国民に供されるのは、報道とは名ばかりのフェイク・ニュースか、さもなければ政権に都合のいい提灯持ちの番組ばかりになる。それを繰り返すことで、ものをいう者は政府寄りの人物だけになり、静かなディストピア社会が完成する。今この国はここまで来ている。

    アトウッドが『侍女の物語』を発表したのが1985年。おそらく、ジョージ・オーウェルの『1984年』を意識したにちがいない。組織的な監視と盗聴によって、批判的な意見を封じ込めるのは、ディストピア社会のやり口としては通常だが、女性を出産のための手段と規定し、それ以外の存在の仕方を奪ってしまうという、徹底した男性中心のディストピア社会というのは新鮮だった。それから三十五年がたつ。果たして社会は変化したのだろうか。

    トランプ政権下で『1984年』や『侍女の物語』が再び話題になっている、と聞かされ、さもありなんと思っていたら、アトウッドが『侍女の物語』の続編を書いたというニュースが飛び込んできた。しかし、発表された『誓願』には、続編の文字はなかった。作家自身がそれを認めなかったと聞いている。たしかに、これは続編という位置にはとどまらない。独立した一篇の小説として読んでほしい、と作家は思ったにちがいない。

    『侍女の物語』は、完成したディストピア社会の中で育ち、次第にその世界に異和を感じるようになる年若い女性の視点を通して描かれている。先に述べたように、静かなディストピア社会では、特に何かがなければその異様さに気づくことはできない。しかし一度それに気づけば、その閉鎖性、徹底した監視社会に息詰まる思いがし、そこから逃げ出したくなる。『侍女の物語』が描いたのは、自分を監視する<壁>に周囲を囲まれ、生得の権利を奪われた者の恐怖だ。

    完成されたディストピア社会とはいっても、それが強固に感じられるのは、美しく飾られた表面だけのことで、映画のセットのようなその世界の裏側に回ったら、薄っぺらい材料ででき、補強材の目立つ粗雑な構成物でしかない。外部はそれを知っている。しかし、内部でそれを知るのは権力を握る一部の者だけだ。だから、ディストピア社会は外部と内部を<壁>で遮断する。アトウッドが、三十五年後に描こうとしたのは、そのディストピア社会を囲む閉じた<壁>の内部と外部の<交通>ではなかったか。

    そこで、三者の視点人物が必要となる。まずは、<壁>の成立時代から、その存在を熟知し、なおかつ<壁>の維持に努めてきたギレアデの女性幹部であり、アルドゥア・ホールを取り仕切るリディア小母。<壁>の内外を共に知る、全知の存在である。次に<壁>の内側でぬくぬく育ち、年頃になって初めて自分の置かれた立場がのみ込めないことに気づいて、おろおろするばかりの初心なアグネス。<壁>の内側しか知らない。そして、カナダ在住の十六歳の娘デイジー。幼いころに組織の手でカナダに運ばれてきた、本当はギレアデの<幼子ニコール>。今どきの普通の女の子で<壁>の外側しか知らない。

    リディア小母という操り手の繰り出す巧妙なからくりで、若い二人は、内側と外側から<壁>の崩壊を遂行する運命を担うことになる。どちらかといえばSFに出てくる架空の国家の物語のように思えた『侍女の物語』に比べ、『誓願』は、よりリアルな政治小説の趣きが濃厚である。特に、静かなディストピア社会が完成されるまでの、体制の移行期の暗殺、粛清といった革命やクーデターにつきものの避けることのできない暗黒面の陰惨な描写は、ラテン・アメリカ作家の描く独裁者小説を思わせるものがある。

    リディア小母と呼ばれる女性は、アメリカ合衆国の判事を務める有能なキャリア・ウーマンだった。とはいえ、上流の出ではなく、苦労を重ねてその地位に上り詰めた上昇志向の強い女性である。それが、クーデター軍に逮捕され、スタジアムに集団で着の身着のまま収容され、放置監禁、精神的にどこまで耐えられるかを試されたのち、軍に従うか死ぬかどうかを問われ、やむなく従うことを認める。やがて、その性格、能力が評価され、権力を一手に掌握するジャド司令官とホットラインでつながる関係を築くまでになる。

    リディア小母は監視カメラと盗聴器を駆使して、内部外部を問わず情報を収集することで、他人の弱みを握り、相手を思うままに操る術を身に着けている。ディストピア社会は相互監視による相互不信が基本である。反面、一望監視システムの中心部にいるものは、他者の監視を免れる。リディア小母はそれを利用して権力強化を務めるとともに、権力者の腐敗、堕落の証拠を握り、それを記録にとどめ、さらに時機を見て外部に流すことで、ギレアデの崩壊を期すのだった。

    パノプティコンの中心で指揮を執るリディアは自ら動くことができない。代わって動くのがアグネスとデイジーの二人。<壁>の外から潜入してきたデイジーは、ベッカの犠牲に助けられ、アグネスとともに再び<壁>の外へ。その手にはギレアデの秘密を暴く情報が握られていた。ベッカとアグネスの関係は単なる友情を超え、互いに連帯して解放を願う<シスターフッド>の域に達している。女性たちの協力が男性中心のディストピア社会を崩壊させる、この物語は<シスターフッド>の勝利を描く物語ともいえる。アトウッドが三十五年の時を隔てて紡ぐ、『侍女の物語』ならぬ「小母の物語」。痛快無比のエンタメ小説でもある。まずは手に取って読まれることをお勧めする。

  • 政界の中心にいるリディア小母。
    司令官の娘として育ったアグネス。
    そして、カナダで育ったデイジー。
    この三人の独白から始まり、最後には全員の視線が一致する。

    読書とは実に面白い! 作り話が現実と重なる瞬間を味わうことができるのだから。
    侍女の物語からの脱却。女性たちの反撃は小さな事で始まる。始めるしかなかったリディア小母が中心というのが皮肉だけど、彼女の、そして彼女達の人生を破壊したものが、破壊されてしまうのも自明の理かと思う。

    しかし、最後のシンポジウムもあるのは笑ってしまった。

  • 【YouTube無料生放送】2020年10月31日(土)20:00~上田 早夕里 × 豊崎 由美、マーガレット・アトウッド『誓願』を読む | ニュース | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
    https://allreviews.jp/news/5017

    「現実に近づいた」、「侍女の物語」の続編発売、著者アトウッド氏インタビュー - BBCニュース
    https://www.bbc.com/japanese/video-49644003

    この秋はアトウッド祭!! 『誓願』&『侍女の物語 グラフィックノベル版』|Hayakawa Books & Magazines(β)
    https://www.hayakawabooks.com/n/n0f3d6506594a

    誓願 | 種類,単行本 | ハヤカワ・オンライン
    https://www.hayakawa-online.co.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000014648

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      第1回 ディストピア文学はなぜ長年流行しているのか? | 文学は予言する | 鴻巣友季子 | 連載 | 考える人 | 新潮社
      https:...
      第1回 ディストピア文学はなぜ長年流行しているのか? | 文学は予言する | 鴻巣友季子 | 連載 | 考える人 | 新潮社
      https://kangaeruhito.jp/article/581394
      2022/07/21
  • 「侍女の物語」のあと15年後の世界。リディア小母は小母のなかで最高位についている。カイル司令官とタビサの娘としてギレアデ共和国に育ったアグネス。カナダで古着屋の娘として育ったデイジー。この3人の物語が交互に語られる。

    ギレアデ国の子孫継続政策は変わらず続いており、信じられない統制のもとに人々は暮らしている。。ギレアデ国では小母以外の女性は読み書きを許されていず、アグネスは字を読むことはできないようだ。一方カナダで育つデイジーの周りには、ギレアデ国からやってくる「真珠女子」がいて不穏な空気もある。

    リディア小母は何やら「手稿」として出来事を書き綴り、今は読む人もいないカトリック枢機卿の書物をくりぬきそこに隠している。この最初から、リディア小母は何か企んでいるのだな、と感じる。アメリカやカナダとは地続きであるギレアデ国、こんな理不尽な国は壊れてほしい、と思い、この「手稿」が効果を発しますように、、との想いで読み進める。

    これを読んでる間、ロシアのナワリヌイ氏が不審な獄中死を遂げた。なにかギレアデ国をちょっと思い浮かべる。リディア小母は現実の告発に「言語」を使った。ナワリヌイ氏も言葉で戦ったが力尽きた。

    物語はリディア小母の「手稿」、アグネス、デイジーのは証人供述として語られる。そして最後の章は2197年のオンタリオ州アニシナアベ大学の第13回、ギレアデ研究シンポジウムだ。基調講演は英国ケンブリッジ大学・二十及び二十一世紀古文書保管所所長の講演なのだ。21世紀の古文書保管所、おおー、21世紀が保管されて・・ 壁画になって朽ち果てて、アレクサンダー大王の壁画と同じようになっている、、なんて画面が頭の中に浮かんできた。


    「侍女の物語」は1985発表。34年後の2019年に発表された「誓願」。その間に冷戦は終わり、バラ色の未来が開けるのかと思いきや、なにやらギレアデ国が連綿として続いているような。

    2019発表
    2020.10.15初版 図書館

    キリスト教の知識があると小ネタの理解が深まるか。
    小川公代氏の解説で、リディア小母たちが立ち上げた「ラケルとレアのセンター」の「ラケル」の由来は、聖書の創世記に登場するヤコブとその妻ラケルの名前であり、ヤコブとの間に子供ができなかったラケルは自分の女奴隷にヤコブの子供を産ませ、自分の子供としたという逸話を、ギレアデ国が利用しているのだ、とあった。

  • 600ページ以上の長編だったけれども続きが気になりすぎて延べ数日で読み終えた。

    侍女の物語は閉塞感がすごくて読み終えて疲れたけれども続編である本作は小母、請願者、そしてギレアデ外からのそれぞれの視点で話が進行してハラハラしながら読んだ。作者がこれまで歴史上や現実社会に存在しなかったものは書いた事がないと述べたように本作は決してディストピア小説ではなくどこかで起きた・起きていることなのだと思う。読んでいてポルポト時代のカンボジアなんかも連想してしまった。

    最終的には希望の物語なのだろうけれども、社会的地位も何もかも奪われて不本意ながらも究極こ選択をして、でも文字通り命をかけてやるべきことを成し遂げたリディア小母と、隠れたヒロインとも言うべきベッカの最後の覚悟にグッと来た。

    1人でも多くの人に読んでほしいすごい作品です。

  • 現代人は性の喜びを知ってしまい、インターネッツで話題になった性の喜びおじさんが「性の喜びを知りやがって、許さんぞ!」と嘆きながら憤死したのも仕方がない。

    一方で本書で描かれるのは性の喜びが剥奪されたときに、どのようなディストピア社会が到来するのかという一種の思考実験である。この様相がすさまじくグロテスクであると同時に、極めて高いリーダビリティにより、ディストピア小説の最高峰ともいえる完成度を本書は誇っている。

    なにせ、本書の舞台となるギレアデ共和国はキリスト教の原理主義者らがクーデターによりアメリカ合衆国の政権を奪取して誕生した国家である。ギレアデでは、性の自由を人民から剥奪し、女性から全ての教育を撤廃させた上で、子供を産めるかどうかを唯一の女性の価値基準として単なる”生殖マシーン”として女性を扱うことを強要する。

    そしてその共和国に対して静かなるクーデターを起こそうとする3人の女性たちの冒険が本書のメインの筋書きとなる。あまりにも想像を絶した世界観でありながら著者自身が「ギレアデ共和国とは様々な歴史的事実の寄せ集めであり、そこには空想の余地はない」と明言しているように、このディストピア社会は一歩間違えれば起こっていたかもしれない現代社会の危うさを提示する。

    ディストピア小説といえば、ジョージ・オーウェルの『1984』が古典として浮かぶわけだが、現代のディストピア小説の最高峰は本作であり、いずれ『1984』よりも本書が着目を浴びる日が来てもおかしくないと思う。そんな日が来なければよいということを祈りつつも。

  • 『侍女の物語』の続編ではあるけれど、別の物語としても読める。骨太で壮大。現実との呼応。(『侍女』後)35年分の現実の経過に伴って、『侍女』に託した世界もアトウッドも深く太く更新されてるんだなあ。
    読みであり。

    あのフレーズがここで出てくるかあ!とニヤリとしたり。
    訳者あとがき、解説ともに充実。

  • ベッカの事が忘れられない。作者は何故彼女のような犠牲者を創り出したのだろうか?

  • 前作『侍女の物語』で明らかにされたギレアデ史を前提にした推理小説仕立て小説なので、安心してアトウッドの小説技法に取り込まれることができる。すべての局面に「(主に)女性の一生に起きうる嫌なこと」をきっちり入れてくるので読むのが苦しい局面もあるのだけれど、『侍女の物語』より全体的に読みやすい。謎を謎のままにせず、伏線回収フラグが立ててあって親切なのだ。複数の読みが可能な読書が趣味な人にではなく、ドラマを見てギレアデ的ディストピアに不安を感じた人たちに向けて書かれた本であるように感じた。

    遍在する女性のモノ化願望が可視化され、権力者が望めば社会を後退させられることがわかってしまった世界で、『侍女の物語』のスタイルで続編を書くのは厳しかったのかもしれない。世界が分断ではなく連帯を望む時代が来たら、(こういう言い方がいいかわからないが)もっと文芸寄りの『侍女の物語』の続編が書かれうるのかもしれない。『誓願』には読みやめられない面白さがあるのだけれど、自分の好みからすると説明しすぎ、オチが付きすぎなところがあった。

    ストーリーについて。リディア小母の凄絶な復讐譚だった。かくも利己的にそして世界のために生きた登場人物に会ったことがない。リディア小母を想起させるキャラクターが出てくる先行作品があるなら読んでみたい。シスターフッドの話として読むにはリディア小母が強すぎて、若者二人は鉄砲玉以上の存在ではなかった気がするが、このあたりのバランスの印象は、読者の年齢によっても変わるだろうと思う。

  • 『侍女の物語』を読まずに突っ込んでみたけれど、最初のうちは設定のわからなさを手探りする感じが『わたしを離さないで』みたいで楽しめたし、設定が大体のみこめてからも問題なく読めた。でも当然ながら『侍女の物語』におけるリディア小母(怖かったんでしょ?)を知ってる上で読んだほうがずっと楽しめたんだろうな。
    あとこれ、勝手に昔の話だと思い込んでたけど、近未来だったんですね。小母たちはあんなふうに小母になったのか!と。アトウッド自体も初めて読むのだが、これまた勝手に想像していた「厳か」な感じではなく、エンタメ性があり、以前面白く読んだ『パワー』『ハンガーゲーム』『地下鉄道』などなどを思い出す。でも、思い出すっつっても、そもそも、それらの作品は『侍女の物語』から流れを受け継いでいるんだろうけど。
    ある年齢に達すると結婚をせっつかれる嫌な感じには激しく覚えがあり、わたし自身気付かなかっただけでディストピアに育ったんだな?と怒りを覚える(気付かず、受け入れ、苦しんでいたことに。それを変えようと努力することなど思い至らなかった自分にも)。だから、キャラの中では、特別な存在として特別に待遇されるニコールより、普通の女の子として翻弄されるベッカを応援(あんなふうに頑張ってほしかったわけじゃないけど。涙)。あと、『インヒアレントヴァイス』とかでもそうだったけど、歯医者さん胡散臭い役を当てられがち。身内に歯医者がいるだけに笑う(この作品の歯医者は笑いごとじゃないが)。
    そのうち『侍女の物語』も読みたい。

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著者プロフィール

マーガレット・アトウッド(Margaret Atwood):1939年カナダ生まれ、トロント大学卒業。66年にデビュー作『サークル・ゲーム』(詩集)でカナダ総督文学賞受賞ののち、69年に『食べられる女』(小説)を発表。87年に『侍女の物語』でアーサー・C・クラーク賞及び再度カナダ総督文学賞、96年に『またの名をグレイス』でギラー賞、2000年に『昏き目の暗殺者』でブッカー賞及びハメット賞、19年に『誓願』で再度ブッカー賞を受賞。ほか著作・受賞歴多数。

「2022年 『青ひげの卵』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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